第25幕 外へ


 零次の目の前には今、重々しい気密扉エアロックがそびえていた。

 不必要ではないかと思えるほど、ものものしい巨扉は過ぎた年月の重みを存分に蓄え、のしかかってくるような圧迫感を放っている。

 地獄の門というのも、こんな感じではないかと零次は思う。 


 銀兎会のアジトは都市の外にあるらしい。

 そこへ向かうため、零次たちは宇宙服めいた都市外作業服に着替えていた。


「これが、機動都市モビルコロニーの出入口なのですね? イノベーション!」


 隣に立つスティナにはお化け屋敷の入口程度に見えているのだろうか。

 ヘルメット越しに見える横顔は楽しそうだ。


「ああ、外はいったいどうなっているのでしょう……?」


 期待と興奮に満ちた幼女の目を覗き込んで、零次は懐かしさに囚われた。

 都市外に夢を抱く子供は多い。見知ったもので溢れかえった市内よりも、ろくに情報の残っていない外の世界は子供たちの冒険心と現実逃避の的となった。


 けれど小学1年か2年時に行われる校外学習で、だいたいの子供は浮ついた夢想を捨てることになる。

 外の世界は、見知ったものすらない、ただの無だと理解するのだ。

 零次もその1人だった。


「さっさと行こうぜ」

「い、いわれるまでもない」


 零源が扉横の操作盤に触れる。

 扉は軋みをあげながら、ゆっくりと左右にスライド。

 

「ああ、そうそうお姫様」

「なんでしょう、零次?」

「外に出たら、ぼくがいいって言うまで『イノベーション』は禁止ね。というか、騒がないで」

「え?」


 きょとんとしたスティナの顔を、隔壁の隙間から差し込んだ蒼い光が照らした。


「月の光が、こんなに明るい……イノ……おっと、駄目なのでした」


 ヘルメットの上から口を押さえるスティナ。

 可愛らしいといえる所作だったが、微笑ましく見守る余裕は零次にはなかった。肉体的にも、精神的にも。


 機械虎の左脚の付け根から、一行は外に出る。付け根から先の部分はない。

 そのまま虎の胴体に沿うようにして無言で尻尾側へ移動。


 月の光が明るく見えるのは、それだけ地上が暗いからだった。

 夜の大地には蛍ほどの灯もない。

 機動都市も外部には一切光を漏らさない。

 だが都市外作業服のおかげで、歩くのに不都合はなかった。


「……もっと、荒涼たる光景を想像していました」

「喋るなって」


 新赤牟市の周辺は荒野が広がっている。

 だが少し遠くに目を向ければ、鬱蒼と広がる森が絨毯を作っていた。

 それも人間の手が一切入っていない自然林だ。


「南米あたりの森のようですね。零次が日本人に似ているから、アジア圏にいるものとばかり思っていました――」

「だから、喋るなっつってんだろ」

「……海藤、さっきからなにを気にしているのです?」

「そんなに知りたきゃ、左上を見てみな。新赤牟市の屋根の向こう。ただし、横目で」

「マルヤ……」


 零次が咎めたときには、スティナはもう指示された方向に視線を向けてしまっていた。

 足が止まる。


「……なんなのです、あれ、は?」


 一面の星空を背景に、闇色の入道雲がその存在を誇示していた。

 それは、2本足で立ち上がった筋肉質のトカゲに似ていた。微かに動いている。


「か、か、カイジュウ――――!?」

「見ちゃいけない」


 零次はスティナのヘルメットに両手をそえ、それが幼女の目に入らないようにした。


「後でちゃんと説明するから、見なかったふりをして、黙ってついてきて」


 零次たちは、機械虎の尻尾部分に到着する。

 直径1キロにも及ぶ尻尾は虎の尻から切り離され、500メートルほどの距離を隔てた場所に転がっていた。

 力任せに引き千切られたとおぼしき断面は、突貫作業で作られた隔壁で塞がれている。

 そこに設けられたエアロックから内部に進入。


「……あれは『ディオムグア』だよ」

「ディオ……ムグア」

「全長1キロ、体重測定不能。ムノムクアオオトカゲが放射能で突然変異を起こしたもので、人類が機動都市に引きこもる羽目になった元凶」


 スティナは隔壁の外を振り返る。

 その首を、マルヤが強引に前へ向き直らせた。


「見るな。考えるな。あいつについてはほとんど何もわかっちゃいないんだ。もしあいつが視線に超敏感だったり、テレパシーが使えるとしたらマズいだろ」


 そういう非科学的な用心さえしなければならないほど、超巨大怪獣の脅威は圧倒的で、深刻だった。


「で、で、ディオムグアはいい。そ、それより、スティナ・ドゥーゼ、会ってもらいたい人がいる」

「会いましょう。そのために来たのですから」


 機械虎の尻尾は走行中のスタビライザーである。中で人間が暮らせるようにはできていないはずだった。

 だがそこは今、1個の居住空間として機能していた。

 通路があり、その脇に衝立ついたてやカーテンで区切られた『部屋』がある。


「尻尾が再利用されてたなんて、知りませんでした。手足も頭部も、めぼしい部品だけ抜き取って放置されてるとばかり……」

「じ、実際、そうだ。わ、我々は、その抜き取られた空間を利用して居住設備にしている」


 零次は応接間のようなスペースに通された。

 部屋には既に先客がいる。


 履帯キャタピュラ式車椅子に乗った老婆だった。

 枯れ木か干物のような身体を神主のような格好に包んでいる。膝の上には5歳児ほどの大きさがある大和人形が乗っていた。能面の被せられた人形。不気味極まりない。


「はじめましてと言っておこう。わしが銀兎会会長、土御門つちみかど羅磐らばんだ」


 老婆がそう答えた――といっていいのか。声は確かに彼女の位置から聞こえてきた。だがそのひび割れた唇は、卓越した腹話術師のように動かない。


「土御門って……! 代々陰陽頭おんみょうのかみを輩出してる、あの……」

「なんだよ、陰陽頭って」

「陰陽課の1番偉い人だよ」

「へーえ、そのお偉いさんが、今やテロ組織のリーダーか」

「て、ててて、テロ組織ではないと、言っているだろう!」


 マルヤの揶揄に青筋を立てる零源だったが、羅磐が「おやめ」とひと声かけると引き下がった。

 まるでよく訓練された番犬だ。見ていて零次は悲しくなる。 


「とりあえず座ってくれ。老人の話は長いからね」


 長方形のテーブルの左右に置かれたソファに零次たちは分かれて腰かける。

 零次はマルヤの隣に座ろうとしたが、マルヤは素早く立ち上がって反対側に移動した。


 ああ。嘘をついて仇討ちをやめさせようとしたこと、かなり怒っている。

 可能なら今すぐ釈明したいが、そうもいかない。

 自分の軽率さを怨むしかなかった。


「来たのだね、灰木矢鶴」


 矢鶴のほうは見ぬまま、羅磐は言った。


「協力してくれる気になったと考えていいのかい?」

「勘違いしないでください。私は、零次君たちの付き添いです」

「そうかい。――おい、客人に茶を出さないか」


 零源は腰を浮かせたが、それより早く子供が2人、盆に人数分の湯飲みを載せて入ってきた。

 年の頃はスティナより下か。水干すいかんという、大昔に公家の子供が着ていたような服を身につけている。

 時代錯誤の格好よりも、人間離れした大きな眼窩がんかが目を引いた。

 昔の本に描かれた宇宙人グレイみたいだと零次は思う。

 

 湯飲みを配り終えると、子供たちは一礼。

 次の瞬間、2人の子供は人型に切り抜かれた紙切れに姿を変え、羅磐の手元に吸い込まれていった。


「!?」


 スティナたちが目を丸くするのを見て、なぜか零源が自慢げにほくそ笑む。


(あれも式神だよ。やれやれ、陰陽師はこうやってすぐ技をひけらかすから好かない)


「……スティナ・ドゥーゼ、あんたはどこまで自分のことを聞いてる?」

「この世界が異世界ではなく、歴史を書き換えられたわたくしの世界である、ということくらいです」


 零次たちの世界は1度、何者かによる歴史改変を受けている。

 その改変される前の歴史から来たのが、スティナたちマロウドだ。


「銀兎会は、その変えられた歴史を元に戻したいと考えている」

「なんでだよ」

「問うまでもないと思うがね? 巨大怪獣と都市の耐用限界に怯えながら暮らす世界と、そんなものに気兼ねすることなく約80億人が太陽の下で生きられる世界。どっちがマシかは明白だ」

「80億……?」


 聞き間違えたかと零次は思った。そんなたくさんの人間を養えるほどの水や食料が、地球に存在するのか?

 きっと地表は人間の住居で埋め尽くされ、山も森も無くなっているに違いない。


「もともと、歴史再改変計画は陰陽課が中心となって進められた公的プロジェクトだった。それがある日、市長によって強引にストップさせられ、それに反対する者は犯罪者の濡れ衣を着せられて放逐された。だがそれでもやる意義はある。そう信じているからこそ、我々はテロリストの汚名を着せられてなお、計画を続行しておる」


 そんなにいい世界でもないけどね、と矢鶴が呟いた。


「歴史再改変のためには、1人でも多くのマロウドと、ビフの忍法帖ニンジャ・グリモアが必要だ」

「ビフ……?」

「忍者の1人で、通称、時空忍者。シジル・コードではなく別の手段で自分をバックアップしたという」

「別の手段?」

「ああ。マルシャの箱と呼ばれるパズルボックスに――」

「……そのことなのですが、羅磐様」


 零源が言い辛そうに口を開く。

 

「マルシャの箱には、なにも入っておりませんでした」


 羅磐の表情は変わらなかった。

 だが零次は、彼女が絶句する気配を感じ取っていた。


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