第20幕 あなたはそんな顔で死ねますか?
スティナを脇に抱え、強化された脚力で一気に6メートルほど後ろに跳んだ零次を、雷撃が追う。
だがしかし、少年と少女に触れる直前、稲妻は空中に霧散した。
(思ったとおりだ。その稲妻、有効射程は短い)
以前隠し倉庫で対峙したとき、ボフリーは雷撃を放ちながらも、零次にトドメを刺さなかった。
情けをかけたわけでも約束を守ったわけでもない。
単にエレベーターの上昇で射程距離から外れてしまった、ただそれだけだったのだ。
「見抜いたか。小賢しい」
ボフリーは忌々しげに舌打ちする。
「だが、わかっているのかな袴田君。忍者たる者、秘伝の忍法を知られたからにはその口を封じねばならない。君はあの世への階段をまた1歩のぼったのだ」
マギアプリには2種類ある。
忍者が共通して持つ、動物の名を冠するコモン・マギアプリ。
そして、各忍者個別のジョーカー・マギアプリ。
後者は各
その内容ばかりか弱点をも知られた以上、ボフリーにとって零次は息の根を止めねばならぬ標的となったのだ。
(伯爵。忍者同士、平和的に解決とはいかないんですか)
(よしてくれ。忍者は仲良しグループではないのだよ)
伯爵の声には憎悪がにじむ。
苛酷な環境で生きてきた者たちとはそういうものか、と零次は思う。
(チャットグループを作ったことを私にだけ伝え忘れ、いないことに気づきもしなかった連中など、仲間であるものか)
(……伯爵……)
(それは冗談としてもだ。彼は伊勢湖を殺した。おそらく殺さずに済んだ相手だっただろうにだ。私の趣味とは相容れない)
(その点は同意します)
零次は隼白を引き抜いた。銀色の小型拳銃から放たれた弾丸が、雷撃の射程外から赤い忍者を襲う。
しかし銃弾は、忍者の眼前に現れた金色の岩塊に弾かれる。
隠し倉庫で見せたものと同じ、黄金の盾。
ボフリーは左前腕を金の岩で包んだ。それを小型盾として、まっすぐ突進してくる。
駄目元で撃った弾丸は、やはり弾かれた。
「伯爵、同時稼働可能なマギアプリをありったけ!」
全身に力がみなぎるのを感じる。同時に頭痛が襲いかかってきた。
肉体が危険を訴えている。全能感に浸る余地さえ与えてもらえない。
スティナを零源に預け、零次はボフリーを迎え撃つ。
常人の目には止まらぬ速度で、忍者刀と蛇腹刀の
剣閃が竜巻を起こすのを、スティナは見た。
そのすさまじさに見蕩れる心に水を差すように、誰かが
零源だった。
「……い、行くぞ」
「おまえは、零次の親ではなかったのですか」
大義大望のためには情を捨てる。
そういう戦略はスティナにも理解できないことはない。
だがスティナの目には、零源はあまりにもドライすぎるように映る。
「れ、歴史が変われば社会も変わる。君の世界の価値観を、我々に押しつけないでくれないか」
「歴史と言いましたね。ではあの赤い忍者が言ったことは本当なのですね? わたくしが、失われた歴史の残り滓というのは」
「そ、そうだ。き、君の知っている歴史は、過去のある一点で何者かによって塗り替えられた。当然その後の歴史も変動する。その結果が今あるこの世界。今年、東暦1446年――いや、西暦2020年を数えるこの世界だ」
「…………」
「だ、だが、なぜか改変前の歴史の情報を持った人間が現れるようになった」
「それがわたくしのような、マロウドと呼ばれる存在なのですね」
「れ、歴史は、元に戻さなくてはならない」
零源の口元が三日月を描く。
「そ、それには君たちが必要だ。君は君が考えているより、ずっと重要な命なのだ」
「息子の命は重要ではない、と?」
「れ、歴史が変われば、この世界に今いる人間はどう変化するかわからない。お、億万長者は物乞いになっているかもしれないし、さ、殺人鬼が聖人になっているかもしれない。ひ、ひょっとしたら生まれてさえ来ないことも、あ、ありうる。そ、その程度の存在なんだ」
「おまえも?」
スティナが冷笑交じりに問いかけると、零源は一瞬、はっきりと不快感を露わにした。
「わ、私は、違う。私がいなければ、そ、そもそも、ぎぎ、儀式が……進行しない……」
かすれていく語尾に、スティナは悟った。
歴史を再改変する儀式に関わることが、目の前の男のプライドになっている。
けれど実際のところ、その儀式で彼が果たす役割というのは、それほど大きくはない。いくらでも首をすげ替えられる程度なのだろう。
ボフリーの身体がふたつに増えた。分身。一方が忍者刀で零次を引きつけ、もう一方が電撃を放つ。
「うわっ!」
弾き飛ばされた零次が、スティナのすぐ目の前まで転がってきた。
(伯爵、変わってもらえませんか)
(残念だが、1度交代するとしばらくは無理らしい)
(上手くできてるよな……!)
痺れる身体に鞭打ち、零次はサーペントシミターを杖にして立ち上がる。
「なにしてるんですか、父上。マルヤとお姫様を連れて逃げてください。あいつの狙いは彼女です」
「おまえはどうするのです?」
「……ぼくは、マルヤのために、死ねるなら……」
零次は口元が勝手に笑みを形作るのを知覚した。
自分の幸せが、みんなの不幸になる。ならば自分の不幸はみんなの幸せ。
己1人の死で3人が救われるなら上出来だろう。
「わかった。行こうぜ」
マルヤがスティナの腕をつかむ。
腕にこもる力には零源と違って遠慮がない。スティナは為す術なく引きずられる。
「海藤……! 零次、おまえは本当にそれでいいのですか!?」
「抵抗すんな、あいつの覚悟を無駄にすんじゃねえ」
遠ざかる3人の足音を零次は背中で聞く。
ああ、ひとりぼっちになってしまった。
なぜか矢鶴の顔が目に浮かぶ。
「どうしたんだい」
ボフリーが嘲るように言った。
「なんだね、その泣きっ面は?」
「泣きっ面……?」
「おや、自覚してなかったのかな」
外から見れば、零次は今にも泣きそうに見えた。
哀れにもたった1人取り残された生贄の顔。
信念の元、仲間のために自ら命を捨てた英雄からは、程遠い。
「残念だが君は無駄死にだ。君は為す術もなく刈り取られ、助けようとした命もすぐに後を追う。君の献身はまったくの無価値だ」
嬲るようにうそぶいたボフリーの身体が揺らぐ。
来る、とわかっても零次にはどうしようもなかった。ただ身を竦ませただけ。
まっすぐに突き出された忍者刀の切っ先を見守るのみ。
「――袴田流剣技、
横合いから垂直に振り下ろされた一撃が、忍者刀を叩き折った。
ボフリーが目を見張る。その横っ面に間髪入れず叩き込まれた肘打ちが、赤い忍者を弾き飛ばす。
「……兄上?」
片腕を包帯で縛った一満が、零次を守るように立っていた。
「どうして」
「俺に勝てば、袴田家はおまえに助勢すると約束したはずだ。次期当主として、二言はない」
「……あれは勝ったと言えるんですかね……?」
剣の勝負で銃を使うのはさすがに反則だと、零次は思う。
「その卑怯に対応できなかった俺が悪い。だから俺の負けだ」
「……兄上がそれでよいのでしたら」
一満の部下たちが赤い忍者を取り囲む。
ボフリーは苦々しげに呟いた。
「1対2、いや1対4か。ちょっと卑怯じゃないかな?」
「対応できないおまえが悪い」
兄は他人にも厳しかった。
「行け、零次。奴もまた孤軍とは限るまい。本丸を守れ」
「わかりました、兄上。ありがとうございます」
自分がいても、兄たちの連携に水を差すだけだ。
一礼して、零次はマルヤたちの背中を追った。
屋敷を出る。すぐ手前に1台のワゴンが横腹を開けていた。
そこからスティナが顔を出す。
「こっちです、零次!」
ああ、待っていてくれたのか。
零次は幼女の手をつかんだ。暖かい。
「みんな乗った? じゃあ出発するね?」
車主席に座った女がこちらを振り返る。
彼女の顔を見て、零次は顎が外れそうなほど口を開ける羽目になった。
言葉が出てこない。
灰木矢鶴の少し困ったような笑顔が、そこにあった。
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