第21幕 激突!


 ワゴンが走り出す。

 零次は車主席を後ろから覗き込み、そこに座る女をまじまじと見つめた。

 少しほつれた黒髪。生活に疲れた感じの、辛気くさい横顔。 


「お姉さん……?」

「そうだよ」


 車主席に座っていたのは、灰木矢鶴だった。

 彼女がここにいることも驚きだったが、零次の目は彼女の握っている見慣れないパーツに引きつけられる。

 ダッシュボードから突き出した大きな輪っか。


(手動運転装置だな)

(これが? 初めて見ました)

(私も久しぶりだよ。自動運転が確立して久しいのに、手動運転の愛好者がまだいたというのも驚きだ)


 矢鶴は時折、輪を左右に回す。それに合わせて車は向きを変えた。


「アーミッシュ区の人って、電子通信だけじゃなくて自動運転も信用しないんですか……?」

「え? いや、これは違うよ。私に零次君を迎えに行けって言ってきた人が、どうしても手動で運転しろって」


 自発的に来てくれたのではないらしい。

 わずかな不満の塊が零次の胸でとぐろを巻いたが、来てくれただけでも感謝すべきだと考え直す。

 それにしても、あれだけ区外に出るのを怖れていた矢鶴を動かした人間とは、何者なのだろう。


「誰ですか、それ?」

「えっと……銀兎会ぎんとかい

「銀兎会……!?」


 最近街を騒がせているテロ組織の名前だった。

 零次は矢鶴をまじまじと見つめる。目の前の女性がテロリストの関係者で、得体の知れない教義のために平気で人を殺す――とは思えない。いや、思いたくなかった。


「な、なんだおまえ、その反応は」


 零源が青筋を立てて零次を睨んだ。

 日頃感情を表に出さない父が怒るのを、零次は初めて見た気がする。


「ぬ、盗人に銀兎会を馬鹿にされる筋合いは、ない! そ、そもそも、ぎ、ぎ、銀兎会が悪質な反社会勢力というのは、ガセネタだ。わ、我々は、は、はめられたんだよ、し、市長に――」

「なんで父上が銀兎会の擁護なんて」

「知らないの? その人、銀兎会のメンバーなんだけど」

「えっ!?」


 零次は、父の顔を見た。

 父が否定する様子はない。むしろ、なにか文句があるかと言いたげだ。 


「……あの人、キミのお父さんって本当?」


 小声で問いかけてきた矢鶴の顔には、嫌悪感が滲み出ていた。


「零次君がまだ来てないのに、早く車を出せ出せってうるさかったのよね」

「でしょうね」

「でも、あの銀髪の子はキミが追いかけてくるって信じてたよ。もしかしてカノジョ? 零次君も隅に置けないねえ」

「そんなんじゃありません!」

「ムキになっちゃって、怪しいな?」

「いわれのない不都合で不愉快な誤解を解くために必死になるのは、当たり前です!」

「ふふーん、本当にそれだけか――にゃっ!?」


 いきなり急ブレーキ。

 零次はつんのめり、ダッシュボードに鼻をぶつけそうになった。


「あはは、危ない危ない……」


 矢鶴は額の汗を拭う。

 フロントガラスには赤信号で停車した前方車両の尻が大写しになっていた。


「……悪いんだけど零次君、私ペーパードライバーでさ。続きは運転してないときにしてもらえるかな」

「ペーパー……って、なんです?」

「いいから、今話しかけないで。というか大人しく席について。死にたかないでしょう?」


 無理して手動で運転しなければいいのでは――と文句を言いたくなったが、確かにこんなことで死にたくはないので黙った。


 ……『こんなことで死にたくはない』。

 じゃあ、どんなことなら死んでもいい?


 マルヤのためなら死ねると思っていた。

 さっきはまさに、その機会だったはずだ。

 親友を逃がすため、赤い忍者を足止めして死ぬ――最高のシチュエーションではないか。


 なのに――あのときの零次の心には、納得いく死を迎える者にあるべき安らぎなどなかった。


 どういうことだ。

 今までの自分が言ってきたこと、考えてきたことは全部嘘なのか。

 自分は親友のために命を捨てることさえできない、腰抜けだというのか。


(違う! 今度機会があれば、絶対に――!)


 車内にマルヤの姿を探す。

 後ろのほうの席で、マルヤはじっと窓の外を見ていた。

 零次はそっと隣に腰かける。


「……怪我はない、マルヤ?」

「ああ、なんもねえよ、おかげさまでな」


 窓を向いたまま、ふてくされたようにマルヤは言う。

 助かったのに、なにが気に入らないのだろう。

 もしや零次が死ななかったから――これまでの友情が嘘だとわかって、怒っているのか。

 その可能性に気づいて、零次の背筋に冷たいものが走った。


「ね、ねえ、マルヤ――」


 違うんだマルヤ、ぼくは君のことを親友だと思ってる。

 次の機会があったなら、必ず君のために命を投げ出そう。

 だからぼくを見捨てないで――。


「ちくしょう」


 マルヤが歯を食いしばる音を、零次は聞いた。

 膝の上に乗った拳が固く握りしめられるのを見る。


「忍者が目の前にいたんだ。やっと、忍者を見つけたんだ。なのにオレはなにもできなかった、なにも」

「マル――」


 素早く伸びたマルヤの手が零次の胸倉を引っ張った。


「おい、いつだよ! いつになったらオレは忍法帖ニンジャ・グリモアを手に入れられる!?」

「ま、マル――」

「このままじゃ仇と会っても、指を咥えて見てるしかねえ! どうしろってんだよ!」

「そ、そういわれても――」

「おい、クソ伯爵! 聞いてんだろ?」

「やめてよ、マルヤ――伯爵の悪口言うのは」


 自分の発した言葉に零次は首を傾げる。

 どうしてぼくは、伯爵をかばっているのだろう?


「……忍法帖は、いつか手に入るよ」

「いつかっていつだよ。いつなんだよ、いつになったら……!」


 絞り出すようなマルヤの声に、零次は耳を塞ぎたくなった。

 親友がこんなにも傷ついている。自分が役立たずだったばかりに。


「……ごめん、マルヤ」

「『ごめん』か。『ごめん』。おめえ、いっつもそうだよな。謝りゃそれで終わりだと思ってんじゃねえの? 悪いと思ってんなら、さっさとオレに忍法帖をさしだしてみやがれ! 自分だけ手に入れやがって!」


 そこでマルヤは、なにかに気づいたように目を見開いた。


「……おめえ、オレが忍法帖を欲しくても手に入れられないでるの見て、楽しんでんじゃねえのか……?」


 零次はぽかんと口を開ける。

 あまりにも予想外の言葉をぶつけられたせいだ。

 どう返せばいいかわからなくて、とりあえず笑い飛ばそうと、口を動かしたとき。


 背後からの衝撃が車体を揺さぶった。

 砕けたバックグラスが微少な粒になって床に散り、シートベルトをまだつけていなかった零次の身体は通路に転がる。


「なに、が……?」


 へしゃげた荷台ドアの向こうから、まばゆい光が投げかけられるのを、零次は見た。

 それは双眼を煌々こうこうと光らせた、巨大な魔物のようだった。


 零次たちを見据えたまま、魔物がわずかに後退。

 おかげで全体像が判別できた。細長いボンネットが特徴の、ピータービルト型トラック。

 光はそのヘッドライトだった。


 唸りをあげて再接近してきたトラックが、再びワゴンの尻を突き上げる。

 車体が浮きあがった。こちらがウシならあちらはゾウほどもあろうか。勝負にならない。


 トラックが後退。もちろんあきらめたのではなく、次の体当たりのためだろう。

 もげた荷台ドアが後を追うように転がり、無情にも轢き潰される。


「ちょっと、どこのヘッタクソ!? 運転手は!」

「い、いや……、誰も乗っていない、ように見える」


 零源の言うとおり、トラックの車主席に人影はない。


(矢鶴嬢が事故を起こすならともかく、クナド・システムがこんな初歩的な失態を見せるとは思えないな)


 伯爵のコメントに零次は全面的に同意する。

 これは事故ではなく、攻撃だ。


「夢見忍だ。ぼくと同じ忍法ニンジャクラフトをもった敵が、トラックを操ってるんだ」

「なんだと……?」


 銀兎会が矢鶴を連れ出した理由がわかった気がした。

 もしこのワゴンが自動運転であれば、この車自体が操られ、もっと簡単に始末されていただろう。

 だが手動運転中はクナド・システムの影響を受けない。


「だったらその夢見忍を止めてこい、零次!」

「わかったよ、マルヤ。お姉さん、停まっちゃ駄目です! もっとスピードを! 逃げて!」

「……これだから、区の外に出たくなかったのよ!」


 矢鶴が泣き言を漏らすのを聞きながら、零次は電夢境へ飛び込んでいった。


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