第19幕 2人で1人の怪盗マリウス


 すらり、と一満は立ち上がる。

 その手には漆塗りの太刀。引き抜かれた刃の光沢は、紛れもない真剣。


「一満、どうしてここに」

「あのような化物が、正門と塀を少しばかり崩しただけで玄関前で足踏みをしている。陽動と見るのが妥当でしょう。だとすれば、本命は」


 一満は剣の先端をスティナに向けた。そのまますっと横に滑らせ、零次の前で止める。


「ここから逃げたければ、俺を倒してからにしろ」


 一満の後ろには2人の門下生が立つ。

 もし挑戦を無視して前に進めば、マルヤたちを守りながら3人同時に相手をせねばならない。

 決闘に応じるしかなかった。


 零次は腰に手をかざす。なにもない空間に蛇腹刀の柄が現れた。引き抜く。


「便利なものだな。それも忍法ニンジャクラフトか」

「はい」


 零次と一満は睨み合ったまま、横へ身を滑らせた。

 開け放たれた広い和室に足を踏み入れる。


(まずいな。狭い建物の中では、忍法による肉体強化は逆に足枷になる)

(兄上もそのつもりで、室内ここ戦場いくさばに選んだのでしょう)


「やあっ!」


 先手必勝。零次は鞭に変えたサーペントシミターを横薙ぎに払った。

 防御の構えを取った一満だが、しかし寸前でしゃがむ。

 一満の頭上を通り過ぎた蛇腹鞭の先端が、部屋の隅に置かれたテレビに触れた。

 バチン、と火花が散り、黒煙が立ち昇る。

 物理的なダメージによるものではなかった。蛇腹鞭の刀身に流されていた高圧電流によるものだ。


電磁加熱鞭ヒートロッド。そのような機能もあるか! だがそれもあと一度放てば店仕舞いとみたが、どうかな?」

「さすが、兄上……」


 ヒートロッドの電力は柄内部の乾電池から供給されている。

 柄の容積と、そこに収納できる電池の数を考えればわかるように、そう何度も使えない。


 零次は柄頭のカバーを開いた。リボルバー拳銃から排出される薬莢やっきょうのように、電池が畳の上に落ちて小さく音を立てる。


 感電させて身動きを封じようという目論見は失敗に終わった。

 手品の種が割れた以上、もうこの手は通じるまい。

 それならば、少しでも剣を軽くしたほうがいい。

 相手よりもはやく剣をはしらせ、斬られる前に斬る。それだけだ。


「気迫だけなら及第点だ」


 一満が嬉しそうに笑う。


「もっとも、気迫でなにかが変わるなら誰も苦労しない」


 まったくもってその通り。

 零次は頭の中で何度も一満に斬りかかる。だが1度として、彼を切り伏せるビジョンは見えてこなかった。


(零次君、私に替わりたまえ)

「……できるわけないでしょ!」


 焦るあまり、思わず声に出してしまった。


(私を信じたまえ。2度も同じ間違いはしない)

「信じられるか!」


 動かない零次に痺れを切らしたのか、一満が動いた――と見た次の瞬間、零次は首筋に冷たい鉄の肌触りを感じていた。

 首にそえられた剣は、皮一枚、肉の表面ゼロコンマ数ミリを斬り裂いて、すっと離れる。

 細く赤い筋が1本、零次の喉を伝う。


「――やはりおまえでは話にならない」


 零次に背を向け、一満は歩いて距離を開けた。

 戦闘開始時点の間合いに戻る。

 その背中は無防備だったが、一満が振り向いて剣を構えるまで、零次は指先1つ動かせなかった。


「さあ、あの男を出せ。怪盗マリウス、だったか? おまえの別人格だか悪魔憑きだか、なんでもいい」


(御指名だ)

「駄目だ! ここでまたあなたに逃げられたら、もう次はないんだ!」


「袴田零次!」


 スティナの声が零次の鼓膜を刺したのは、その時だった。


「大丈夫です。おまえの中にいる人を信じなさい」

「お姫様……? 意味わかって言ってます?」

「おまえの中にはもう1人誰かがいて、おまえの身体を使うことができる。あの時のことは、そういうことだったのでしょう?」


さとい娘さんだ)


「その方は、あなたが思っているほど悪い人ではありません。あの時も、わたくしたちを助けてくれました」

「え……?」

「……自分の身体のやっていたこと、気づいていなかったのですか?」


 前回の決闘の時だ。

 サーペントシミターで一満を襲うと見せかけて、その実、伯爵はマルヤとスティナを縛る縄を断ち切っていた。さらに見張りの男たちをも薙ぎ倒し、逃げるチャンスを与えていたのだ。


「……わたくしたちは彼の与えてくれた機会を活かすことができませんでした。それはわたくしたちの失態であって、彼の落ち度ではない」

「…………」


 本当なのか。零次は隣の空間に目をやる。

 伯爵は照れくさげに人差し指で髪を弄った。


(……まあ、そういうことだ)

「らしくもない。いつもならこういうとき、これ見よがしに自慢するじゃないですか」

(私はそこまで図々しくはないよ。もっとも2人がちゃんと逃げおおせていたら、しっかり恩に着せただろうがね)


 そこで一満が、爪先で軽く床を叩く。


「そろそろ、勝負に戻ってもらいたいのだが?」

「ああ、すまない。待たせたね、チャンバラボーヤ」


 そう答えたとき、既にその顔は気弱な次男坊のそれではなかった。

 一満は嬉しそうに顔を緩める。


「また会えたな、怪盗マリウス。もはや逃げはすまいな?」

「ああ」

「それは重畳ちょうじょう。いざ、尋常に勝負!」


 ぱん、と乾いた破裂音がした。


 一満の手から刀が落ちる。次いで天才少年剣士の膝が床を打った。

 肩口に広がっていく赤黒い染み。

 そして一方、怪盗の左手には、細い煙をたなびかせる銀色の小型拳銃があった。


「レミントンモデル95ダブルデリンジャーレプリカ、名付けて『隼白はやしろ』」


 怪盗はニヤリと口の端を吊り上げる。


「生身の人間が銃弾をかわすなど不可能だよ。外れることはあってもね。降参したまえ兄上殿。でなければ、もっと強い敵と戦うどころではなくなるぞ」


(……伯爵)


 零次の咎めるような声に、怪盗は肩をすくめた。


「安心したまえ零次君。いつも零距離射撃に走るどこかの誰かさんと違って、私はそこそこ腕に覚えがある。急所はちゃんと外したよ。養生すれば、また元通り剣を振れるようになるさ」


 2人の部下が一満に駆け寄る。

 兄の手当は彼らに任せていいだろう。零次はマルヤたちと一緒に、そっとその場を離れた。


 が、庭に出たとき。先頭を行く零源の足元になにかが突き立った。

 そこには六芒星の形をした手裏剣ニンジャ・チャクラム。月光を浴びて鈍く光る。


「あれを!」


 スティナに示されるまでもなかった。

 手裏剣の飛来した方向に視線を向ければ、土塀の上、月を背にして立つ赤い影がまっすぐこちらを見下ろしていた。


 金色こんじきの兜を被った赤い忍者――ボフリー。


「これはこれは驚いた。生きていたのか、君」

「おかげさまで」

「せっかく拾った命を無駄にしたくなければ、こちらの邪魔はしないことだ」


 だがボフリーが塀の上の瓦を蹴った瞬間、零次はありがたい忠告を無視していた。

 反りのない片刃の剣――忍者刀ニンジャ・セイバーがスティナの胸を斬り裂く寸前、赤い忍者と幼女の間に零次の小さな身体が滑り込む。

 ぶつかり合う忍者刀と蛇腹刀。火花が煌めき、硬質な残響が夜を震わす。


「どうして、その娘をかばう? 君は海藤マルヤだけいればよかったのだろう?」

「なぜって――」

「その娘は、もう失われた歴史の残滓ざんしだ。いないことが本来正しいのだ、命を賭して守るほどの価値などないよ?」

「残滓……歴史の?」

「伊勢湖のように死にたくはなかろう?」

「社長が、死んだ?」

「高く売りつけようと余計な欲を出すから、ビルと一緒に焼け死んでもらった。お望みであれば、君も!」


 ボフリーは右手1本の力で零次を押さえつけたまま、左手を引く。

 その指先にスパークが起こる。


「仲良くあの世に旅立つといい!」


 ボフリーの手から雷光が迸った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る