第18幕 式神の攻城


 袴田家の手前まで来た零次は、絶望した。

 まるで零次が殴り込みに来るとわかっていたかのように、敷地内の警備は万全の状態だったからだ。

 もちろん零次は予告状など出していないし、何者かがマリウスの名を騙ってそうしたことなど知る由もない。


「こんなのって、ある……?」

(そうだね。引き返そうじゃないか零次君)

「引き返しません!」


 そこへ、さらに零次の混乱を誘うものが現れた。

 警備にあたっていた門下生たちがどよめきを発する。


「……ぼく、夢を見てるのかな」


 できれば宝物殿でスティナと出会ったあたりから夢であってほしい、と零次は心から祈った。

 もちろん、何度目をしばたたいても、あるいはどれだけ頬をつねろうとも、目の前の現実にはいささかの揺るぎもなかった。


 地響きを伴って、巨大な影が袴田家の正門を押し潰す。

 蛇の尾をもつ巨大な軍馬。ゾウほどにも大きなその背中には、ライオンの頭をした人間の、腰から上が生えていた。


「なに、あれ……!?」


(あれは式神シキガミだ)

「……しき、がみ? 機械なんですか?」

電算式神コンピューターとは違う。本家本元の式神だ。陰陽師の使役する人造生命体ホムンクルス、あるいは使い魔)

「陰陽師? 陰陽課の役人が、なんでそんなもの……!」


 陰陽課は機動都市モビルコロニーの天候や季節の管理、祭礼行事の進行、コロニーの上空監視を行う部署だ。そこに勤める者を陰陽師という。


 基本、ただの役人である。怪物を操って妖怪退治なんてのは、零次の世界においても創作上脚色された陰陽師像でしかない。忍者と戦った安倍孤門は例外中の例外だ。


(そんなことより、好都合とは思わないかね?)


 伯爵の言うとおりだった。

 式神は相変わらず正門付近で暴れている。

 1度は恐慌に見舞われた門下生たちも気を取り直したらしく、木刀片手に巨大な怪物へ飛びかかっていく。その姿は、マンモスを狩る原始人の図を思い出させた。


(おかげで正門以外の警備は手薄だ)


 零次は怪物の暴れる正門を迂回して、屋敷の西側に回り込む。

 塀を跳び越えた先に見張りは1人しかいなかった。叫ばれる前に顎を蹴り上げて昏倒させる。


 零次は建物の陰から戦う門下生たちの様子をうかがった。

 みな、どこか楽しそうに見えた。


(まったく、士族というものは血を見るのが好きな野蛮人ばかりだから手に負えない)

「心外ですね」


 一応は自分の家ともなれば、マルヤを閉じ込めている場所の見当はつく。

 零次は北西棟地下階に忍び込む。

 予想していたとおり、座敷牢にマルヤとスティナはいた。

 だがそこに父親の姿までがあるのは、零次にとって完全に予想外だった。


「父上……?」

「れ、零次、なんで、ここに」

「それはこっちの台詞ですよ」


 零次か、と奥の座敷牢からマルヤが、手前の牢からスティナが声を出す。


「袴田零次、来てくれたのですね!」


 分厚い格子の隙間から、銀髪の幼女が太陽のような笑顔を覗かせた。

 夏服を着ている。白いワンピース。避暑地に遊びに来た上流階級のお嬢さま、そんなイメージを零次は抱いた。


「……その服」

「三果が用立ててくれました。似合いますか、零次?」


 スカートの裾をつまんで、スティナがクルクルと踊る。


「……よくお似合いです」

「Tack。そう言ってくれると思っていました」


 考えるよりも先に、本心の言葉が漏れた。

 こみ上げてくる気まずさを、零次は咳払いで吹き飛ばす。


「そ――それにしても、お元気そうでなによりです、お姫様」

「はい。皆様よくしてくださって。体重、2キロくらい増えてしまったかもしれません」

「……それはよかった」

「コミックで座敷牢を見たことはありますが、入ったのは初めてです。なかなか良きイノベーションでした」

「もういっそ住みます?」


 そうはいかん、と父が言った。


「か、彼女には私と一緒に来てもらわねばならない」


 零源の手には鍵束がある。彼はスティナの牢を開けようとしているところだった。


「2人を助けてくれるんですか?」

「わ、私が連れ出せと言われたのは、この娘だけだ」

「言われた? 誰に? まさか、表の式神は、父上が?」

「そ、そうだ」

「嘘でしょう……?」


 零次は思わず、包み隠すところ一切無い不信の目を父に向けてしまっていた。

 フィクションの中に出てくるようなアクの強い陰陽師たちならいざしらず、ごく平凡な中年男性である父があの怪物を使役しているというのはしっくりこない。

 零源はむっと顔をむくれさせた。


「わ、私はある方の密命によって、い、いい、一時的に式神を借用させていただいている。こ、こう言えば満足か。わ、私なぞが式神を使っているのが、そんなに不満か」

「あ……すみません、そういうわけでは」

「ふん」


 零源はスティナの牢の鍵を開けようとする。

 だがその手つきはたどたどしい。気が焦っているのだろう、鍵の先端を穴に上手く挿せないでいる。

 もどかしくなって、零次は父から鍵束をひったくり、代わりに開けた。

 初めて会ったときから身につけていたポシェットをつかんで、スティナが出てくる。


 零次はマルヤの牢を開く。

 鍵が開いた途端、マルヤは牢から飛び出した。その勢いのまま零次の首に腕を回し、締め上げる。


「く、苦しい……! ギブ! ギブ!」

「この野郎、自分1人だけ逃げやがって!」

「悪かったよ……。でも、ぼくがそうしたかったんじゃなくて、伯爵が」

「言い訳すんな! ……ってオイ、どこに行くんスか、旦那様?」


 スティナの手を引いた零源は、息子やその使用人などどうでもいいと言わんばかりに、階段をすたすた上っていく。

 子供の頃、珍しく散歩に連れて行ってくれた父に置き去りにされたときのことを零次は思い出す。


「おまえ、わたくしをどこに連れて行こうというのです」


 スティナが踏ん張って、零源の足を止めた。


「き、君だって、こ、ここから出たいのではないのか」

「その先がもっとひどいところだったのでは、話になりません」

「は、はな、いや、長話をしている、場合ではないんだが」

「わたくしはおまえの部下でもなければ道具でもない。納得のいかぬことに従ういわれはありません」


 いっそ力ずくで――と言わんばかりに、零源の目が邪悪な光を帯びる。

 だがスティナの強い瞳に見返されて、彼はすぐに白旗を揚げた。


「……き、君がどうしてここに来たのか、か、帰るにはど、どうしたらいいのか、そこで説明する。い、今はそれくらいしか、い、言えない」

「わかりました。零次、海藤、わたくしはこの者とまいります。おまえたちはどうしますか?」

「オレたちも行くぜ」


 マルヤは零次の首に腕を回す。

 もう勝手にしろ、と零源は背を向けた。


 式神が暴れているのだろう、地響きが起きるたび天井からパラパラと砂のようなものが落ちる。


「おいおいおい! 景気よく暴れてらっしゃるが、ちゃんと自分が逃げること考えてんだろうな? 生き埋めはゴメンだぜ?」


 零源は返事をしなかった。

 それどころか1階に出たところで足を止める。


「おいどうしたんだよ、あとがつっかえ――」


 零源の脇から前方を覗いたマルヤと零次は声を失う。


 一満が廊下に正座して、零次たちを待っていた。

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