二話 おしごと


 今、オレの目の前には『呆けた美人』という、中々に見応えのありそうなモノが存在している。


(い、いつの間に!?)


「っお……お、おぉぅ。――ど、どぉー……したの、カナ?」

(さっきまで居なかった……よな?)


――のだが、今はそれを堪能している余裕が全く無い。



「え? あ! あぁ……す、すいません……」


 放心していた彼女は、コチラの問いかけで我にかえると、オレの顔色を見て少し距離をとった。



「あ、あのー……ぉ、お疲れ様です。えっと……ど、どうですか? 体調の方は?」


「――ぅ? う、うん……そうだね、だいぶ良くなってきた……と思うよ」


 続けて発せられた台詞は、問の返事にはなっていない。


「そう……ですか、それは良かったです。――あっ、で、でも無理はなさらない様に……して、下さい」


「えっ? あ、はい」


 しかし、言葉を選びながらもコチラを気遣ってくれているようには感じた。



「あーえっと、それでー……どうしたのかな?」


 再度質問を投げかけてみる。


「あっ、あぁそうでした。――あのーすいませんトートーさん……」

「ぶほぉ! えっ、は?」


「と、トートーさん!? どうかされましたか?」


 話し相手が突然異音を発した事に対し、驚きながらも心配の声をかけてくれる彼女。


「えっ……あ、あぁー……イヤ。うん、何でもないよ、だいじょうぶ大丈夫、つづけて……」

(聞き間違えじゃ無い……だと!?)


 先程は驚きのあまり気付かな無かったのだが、オレへの呼称が娘と全く同じという事に、今更ながらかなりの衝撃を受けていた。


「は、はぁ……では。ぁ、あのぉ……そちらの篭の事なのですが……」


 そんなオレの動揺をどう受け取ったのか、彼女は上げかけた手をユックリ下げると、節目がちな目線を洗濯カゴに向け、申し訳なさそうに話を再開した。


「――もし、一杯のようなら持ってくるようにと、カーカーさんから……」



「あっ、あぁー……そういう事」

(ソッチもその呼び方なんだ)


 なんてことはない、奥さんからの手伝いを頼まれて来たらしい。

 呼び方の方もアチラとセットらしいので、一応の納得もした。

(疑問が消えたとは言っていない)



「は、はい、そうなんです! なので一応、そう言われて……、来たのですがぁ……」


「――あぁー、そっかぁ……」


 カゴ内の余白を確認してみるみる声のトーンが落ちていく彼女、それに対し苦笑いを返す。


 作業開始からある程度経過していたので、奥さんからしたら終わっているとの見立てだったのだろう。しかし、この二日酔いのポンコツ作業者を舐めてもらっては困る。


 ごめんなさい、もう暫く掛かりそうですゴメナサイ。


「そ、そのぉー……ゴメンね。せっかく手伝いに来てもらったのに」


「い、いえいえ、こちらこそすいません。トートーさんの体調も考慮せずに……」


「イヤイヤそんな事は全然っ!」


(ビクッ)


「――あ、後先考えずガバガバ飲んだオレが悪いんだからさ」

(慣れねぇなー)


 謝罪する彼女に対し、慌ててコチラの落ち度を主張するが、勢いが強すぎだようだ。


「ねっ、気にしないで」


「はぃ……」


 それにより顔こそ上げはしたが、未だ不安の色は張り付き、背中は丸まったままだ。


(――いや、オレと対峙してからはずっとこんな感じか)


 会話が増えた事で多少緊張が和らぎ、彼女を伺う余裕も出てきた。


 ぎこち無い言葉もそうだが、伏し目がちの視線は探り探り、コチラを1秒も直視出来ていない。

 萎縮し縮こまった体は、そこまで大きく無い彼女を更に小さく見せ、お腹の下辺りで組まれた両手は震えてこそいないが、固く握られていた。

(アイツ、こんな子によく手伝い頼んだな……)


「――ど、どうかいたしましたか?」


「あっ、え? あぁ……イヤなんでも無い、ナンデモナイヨ!」

(観すぎたか!?)


 前髪の隙間から怪訝そうにコチラを伺う彼女。


「あのぉ、もしかして……」


(まずい早く何か言い訳を……いや、ジロジロ見てたし普通にセクハラ案件か。――あ、詰んだ?)


「やはり、無理をなさっているのではないですか?」



「――へぇ?」


「昨晩ほど言葉数もありませんし、作業にも集中出来ていない様なので、身体がお辛いのではないかと……」



「ぁ、あぁ……大丈夫! ソレは全然ダイジョウブダカラ!」



「そう……ですか。ならばいいのですが」


 傍から見ればかなり怪しいで有ろうオレの態度に対しても、彼女は不信感より心配の方が勝ってしまう様だ。


「一応、昨晩はかなり酔ってらした様なので、無理だけはなさらぬよう……」


 コレも、対峙してからはずっと変わらない。彼女の性分なのだろう。


(はぁー……何やってんだよオレも……)



「と、トートー……さん?」


「あぁイヤ、ただの二日酔いだから、ホントに大丈夫だよ」

(こんな相手に……、萎縮させるだけだろ……)


「――でも心配ありがとね、ちゃんと気を付けるから」


 恐縮しっぱなしの彼女への警戒を緩める。そして、出来るだけ何時もどおりの感じで会話を続ける事にした。


「でもそっかぁー、オレそんなに飲んだんだ……。あ、ごめんね、昨日の記憶がちょっと曖昧でさぁ」



「は、はぁ……えっ、えぇ! そうだったのですか?」


 昨晩の記憶は余り無かったかったが、その事実と今の体調を鑑みれば、彼女の大袈裟な心配も概ね理解できる。


「――だからこんなに……。そうですよね、昨日はもっと……)


「ん? どうかした?」


「い、いえいえ!! 何事もございません!」


「ぁ、そ、そうっすか……ならいいです。」



「ぁー……あっ! 昨晩の話しでしたよね」


「う、うん、記憶は無いんだけどね……イヤ、記憶が無いからか。かなり飲んだとは思うんだけど」


「えーはい。それはもう……勧められるまま、注がれるままに飲み干されておりました」


「おぉ、もう……」


 冗談めかしながら軽い感じで会話を進めていく。最初こそ話し方が変わった事で、彼女も少し戸惑っている様子だったが、すぐに会話も弾み始めた。


「量もそうですが、飲み干す早さが……。失礼ながら、あまり褒められた飲み方では無かったかと……」


「いや! アレはキミッ――う"っう"ん"っ! い、以後……気を付けます」


「――?」


 つい「君のせいだからね」などという言葉が出掛かる位には、オレもいつもの調子に戻っていた。

 しかし、前髪の隙間から覗くあの不安げな瞳を思い出し、寸前で思い留まる事が出来た。


「めっ、迷惑とか……掛けてなければいいんだけどね!」


 バツの悪さを誤魔化すため、矢継ぎ早にそんな言葉をはなった。


「へっ? い、いえ特にそういった事は、あっ……えー……はい。無かったかと思われます、よ?」



(なぜ疑問形? というか今、妙な間が……)

「そ、そっかー、それなら良かったヨー、ハハハハハ……」


「は、はい。本当に何も無くて良かったデス、ハイィ……」



 先程よりも気まずい空気が流れ始めた。

 咄嗟に発した言葉だったが、藪蛇だったかもしれない。


(な、なにを……オレはナニをした!? まさか、酔った勢いで……でも今までそんな事……。イヤ待てよ、そもそも彼女には……)


「か、カゴだったよね! ゴメンね、コレもう少し掛かりそうだなぁー」

(どちらにしろ、蛇が出てくる前に話題を変えなくては!)


「あ、あぁ、そうでしたそうでした! 畏まりました、ではぁ……」


 余程いたたまれなかったのか、彼女もこれ幸いと、すぐさまそれに便乗してきた。


「そ、そうだね。終わったら持っていくか……お願いするとは思うから」

「は、はい! では、カーカーさんの所に戻っ……ておいた方がいいですかね?」


「っ……そう! そうそう、それがいいと思う」


「そう……ですね、承知しました! では、また後ほど」


 そう言い残すと、彼女はそそくさと2階の方へと向かっていった。


 『この空気をどうにかしたい』そんな双方の思いの合致から、ぎこち無い連携プレーによって会話は早急に打ち切られた。




「はぁー、しんど……」


 両目を瞑り、溜息と共に緊張を身体から逃がしていく。

 彼女の姿が見えなくなってから暫くして、ようやく一息つく事が出来た。


(いつまでつづくんだよコレ……)


 疲れがどっと押し寄せて来た気がした。


『パタンパタンパタン……』


「なーにそんなに疲れてんの、まだ終わってないんでしょ?」


 小気味よい足音と共に、聞き慣れた声が聞こえてくる。

 別に見なくても分かるのだが、投げかけられた小言が聞き捨てならなかったので、声のした階段の方をジト目で睨む。


「気付かれですよ! 誰かさんのせいでね!」


 そこには予想通りの人が立っており、何故か衣服で一杯の洗濯カゴを抱えていた。


「そう……。でも、あまり自分をを責めない様にね」


 奥さんの憐れむような視線が返ってくる。


「いやキミだからっ! 君の事だからね」


「あらそうなの? ワタシは、てっきり女性に不慣れな自分を卑下しているのかと」


「おかしいでしょ!? 話の流れ的に……」


「――っしょっと」


 彼女は、コチラの言葉など意に返さんといわんばかりにスタスタとすぐ側まで来ると、何食わぬ顔で持っていたカゴを下ろした。


「何であの子と二人っきりになんかした……、どうなるかくらい大体予想がつくだろ?」


 そんな涼し気な横顔に、今度こそしっかりと抗議の意をとなえる。


「何でって……『新しい娘』とは、早く仲良くなって欲しいじゃない」


「荒療治すぎんだろ! やっぱり易度が高過ぎるって……昨日今日会った女性が、急にだとか」


 そう、コレが今抱えている問題の1つ。オレが冒頭の現実逃避へと至った一因である。



「えぇー、アタシは全然気にならないけど? 子供達だって、前から知ってるみたいだったし……」

「オレは寝耳に水なんだよ! 一応自分、一家の長ですけど? ここの家主なんですけどぉ!」


 一言ぐらい、相談があってもよかったはずだ。

(そうすればオッケーしたがって? んなもン拒否するゥ!)



「そんな事いったらアンタ、先にこの家に居たあの子はどうなんの? あの子の方も、この家の主って言っていいんじゃない?」


「えっ? あぁー……まぁ……う、うん。うん?」


 思いもしなかった反撃に言葉がつまった。

 すると彼女は、ここぞとばかりに言葉を畳み掛けてくる。


「それを後から来たアタシ達が追い出すの? 昨日のあの子の話を聞いても、アンタにそれが出来る?」


「い、いや、それはぁ……」

(まぁ、簡単に出来てたらこんな苦労はしないけど……)


「困っている子が目の前に居るのよ、大人のアタシ達が手を差し伸べなくてどうするのよ!」


「それは、そうなんだけどさぁ……」

(次元が違うんだよなぁ……)


 芝居がかった口調が少しムカつきはしたが、一応の事実を言われてしまい言い返せなくなってくる。


「子供達も懐いてるみたいだしさ、もうウチの娘として迎え入れてもいいと思うのよ」


「まぁ、それもそうか……イヤイヤそうはならんだろ! 飛躍しすぎでしょ」

(それに根本的な問題もまだ残っている)



「えぇーっ! どうして? こんな面白そうな事の何がそんなに不満なのよ」


「おい本音漏れてるぞ。やっぱりかよ」


「おっと……でもまぁいいじゃない。ほら、何時もの事だと思って」


「それ君が言うセリフか?」


 確かに彼女のおかしな行動は今に始まった事ではないが、本人に言われると何だか釈然としない。



「それにさぁ、見たでしょあの容姿! それと名前!! この場所でだよ!? もうこれってさぁ」

「はいはい抑えておさえて、また話が飛躍しはじめてますから。容姿についてはやぁ……否定しないデスけど」


 興奮気味の奥さんをなだめつつ、あの整った容姿を思い浮かべる。


「そう! カワイイは正義、正義は必ず勝つの! それにアタシ達が抗う事なんて、出来るはずが無いのよっ!」


「何だよその謎理論……。知ってる? カワイイは作れるらしいよ」


「謎でも理論は理論よ。英語ではセオリーだし、大抵のものはセオリー通りやれば上手く行くわ、だからこれも大丈夫!」


 訳のわからない言い草で、力強く断言された。不思議な事に、この人に言われれば「そうかもしれない」と思えて来るから厄介だ。



「はぁー……。へいへい、わかりましたよぉ」


 言いたい事はまだまだあったが、こうなってしまった以上、コチラが引くしかないという事は経験上分かっていた。



「よろしい! じゃあさっさとそれ終わらせて、コッチも願いねぇー」


 オレの返事に満足したのか、彼女は上機嫌にそう言うと、持ってきたカゴを指差しながら、追加の仕事を提供してくる。


「――一応聞くけどコレは?」


「朝イチで干しといた冬服。大体子供達のだから、そのケースが空いたら詰めといて」


 奥さんも朝からくイロイロと動いていおり、衣替え作業着々とこなしている。

 とっとと終わらせたい様子だが、時計はそろそろ長針と短針が11の手前で重なろうかと言う所まで来ている。

 コチラは諸事情により朝ご飯を食べれていない、自業自得と言われればそれまでだが、ようやく復活してきた内臓が空腹を訴えはじめており、ここいらで一旦一区切りを付けたい所だった。


「えぇー直ぐにですか?」


「おぉ、直ぐがいいね」


「オレ一応、体調不良者なんですどぉ……」


「知ってる。でもただの二日酔いなんでしょ?」


(聞いてたのかよ……)

「休憩とかは貰えないんですかね?」


「求刑を言い渡す!」


(罰なのかぁ……)

 ビシッ! と指を指されなから、無慈悲な判決を言い渡された。

 納得行かないので反撃を試みる。


「異議あり!」


「駄目です!」


「いや聞けよ! ――被害の主な要因は、アナタが大量に提供した『ストロングナ缶酎ハイ』によるものだからだ!」


 もちろん手を出した自分が悪いのだが、幇助した人に言われたい放題なのは気に食わない。


「だって、現実に耐えられそうに無かったら飲ませろって、ネットにあったから……」


「ネタを鵜呑みにするの、辞めてもらってもイイですか?」

(やはりヒロユキは正しかった)


「白髪ロン毛の博識そうな方もそうおっしゃってましたし」


「彼等は特殊な訓練を受けてるからね」

(伝承者は伊達じゃない!)



「まぁ冗談よ……。でも、愛する人の苦痛を和らげてあげたいと思うのは、当然の事でしょう?」


 ニコッと微笑みながら、そんな台詞を言う。冗談だと分かっていても、少しドキッとしてしまった。


(くっ、嫁がまじ天使……)

「だ、だったら……他に方法は無かったんですかねぇ? ほら、原因を作らないとかさ」

「却下ね」


「なんでだよ!」


「だって、その方が面白いじゃない」


「理不尽……」


「でもその代わり、沢山お代わりをさせてあげたわ」


「悪魔かっ!!」


「だから、アンタも沢山言う事聞きなさいよ」


「マッチポンプがすぎるぅ」


 いつもの事ながら、奥さんとのこういったやり取りにはかなりの体力を使用する。

 向こうはかなり楽しそうだが……。


 しかしだ、そもそもの原因を作ったのはこの目の前の(堕)天使様だ、そう何度も振り回されてはたまったものじゃない。


「オレが、何でも言う事聞くイエスマンだと思ったら大間違いだからな!」


「もう、冗談に決まってるじゃない。ひとを暴君みたいに言わないでくれる」


(いや、オレの良く知る某君は、オーケーしたらそのままさせる様な人だが?)

 口では勝てそうもないので、目線にてそう訴えかける。


「うぉほん! んー……でも真面目な話、ソロソロお昼作ろうと思ってるから、出来るまではソレお願いしたいんだけど?」


 無言の圧に耐えかねたのか、わざとらしく咳払いをしながらそう提案を持ちかける。


「――それまでなら、まぁ……」


 出口が見えてるだけでも、気持ちは大分変わってくる。


「それでどう? 食べれそ?」


 コッチの体調を気にしているのだろう。

 吐き気もすっかり落ち着いて来た今、食べられなかった朝食分の栄養も合わせて、胃が絶賛要求中だった。


「正直、かなり空いてます」


「そっ、じゃあ……お昼は消化に良さそうなヤツでも作ろっかな」

「マジでっ! 助かりますぅ!!」


「そ、そう……。それじゃ、パパッと作っちゃうから、出来るまでソレお願いね」


「イエス マァム!!」


 キッチンへ向かう彼女の背中へと、そう元気よく敬礼をした。



《奥さん・カーカー》


『何とかなる、何とかする、何でも楽しむ』が信条の、1つ歳の違う姉さん女房。

 勝手に娘が増える事からも分かるように、少し……イヤ、かなりの変わり者だ。


 10歳からの付き合いになるので、巷で言う『幼馴染』という括りになるのだろう。

 彼女の性格はその頃から既に猛威を振るっており、初対面の時の衝撃は15年たった今でも鮮明に覚えている。

 しかし、今までイロイロと振り回されて来てはいるが、それでも何だかんだ楽しい思い出が多いと感るのは、彼女特有の優しさや明るさから来るものなのだろう。


 そんな彼女とだからこそ、乗り越えて来れた事もあるし、救われてきた部分も沢山あったりする。


 最愛の人だ。


 そんな推しの娘に、軽くあしらわれ続けている気もするが、それもこれも付き合いの長さからくる仲の良さの表れだろう。


(たぶん、イヤきっと……だよね? そうだよね!?)


 先程ぶら下げられた餌(お昼ご飯)に引っ張られ、どうでもいい葛藤を交えつつも作業を再開する事にした。

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