〇〇と記憶


――――――――――――――――

――――――――


――――



――再び戻ってきた、光の無い世界。


 その暗闇の中、一つ一つ意識を巡らせていく。


 目の奥から始まり、頭、首……。


 胴体、手足……、そしてつま先。


 少しづつ蘇っていく感覚が、徐々に身体、四肢を形成していく。


 意識が末端まで行き渡ると、脚や背中から、今まで感じてい無かった感触が伝わってくる。意識はそちらへと自然に引っ張られていく……。

 身体は、少しの窮屈さも訴えかけていた。


 瞼を開け、自身の状態を確認すべく首を傾ける。


(あぁ……)

 指示通り身体が動いた。


 ようやく動かせる様になった首と視線を、ゆっくりと下へ動かす。

 最初に目に入ったのは……机。

(――だろうか……)


 そのモノの高さや大きさから、そう判断する。

 色の白い幅広い天板が、目の前に広がっていた。


 視線をさらに下へ……。

 白い着物を纏った自身の脚が確認できた。揃えられた腿の上には、両手が組み置かれている。

 そして、先程から感じている窮屈の正体である……椅子。

(――で……あってる?)


 と、そう称するには随分と幅広いモノだったが、その座面部分の様な場所に座っていた。

 接している部分は異様に沈み込み、指先で撫でると不思議な感触が伝わってきた。

(綿……よりは滑らか……。革にしては……沈む。それに、こっちも……)


『トントン』


 目前のモノへと腕を伸ばし、指先で軽く叩く。

(陶器……じゃない。――まさか漆器? でも白い漆塗りなんて……)


 形状、用途などから、それぞれの名称はおおよそ予想がつく。しかし、その全てが目新しく、特に素材に至っては記憶に当てはまるものが無い。


(というより……)


 出てこない。 


(――え?)


 出てくる記憶が無い。

 呼び起こす事が出来ない。


(お、おかしい……)


 芽生えた不信感。それを早急に摘み取るため、意識をより深く探る。

 集中し、思考する。


(――してる……よね、私。私は何故……)


 戸惑い、焦る。


(――此処に…………え? なん、で……私……)


 思考は霧散しまとまらない。

 目の前のモノ、ココが何処なのか、思い出せない。


(――っ! わたし、は…………なんでっ!)


 そして、更に深刻な事態に気付いてしまう。



(――わたしは…………なに?)



『異常』


 不信感は、はっきりとした言葉に変わる。


 鮮明にならない意識。

 分からない周囲のモノや場所。

 更には自身の事まで……、普通じゃない。


(普通な訳がない!)



――記憶障害。


 そんな言葉が頭を過る。

 自身に何らかの異常、特に、頭や意識に問題がおきている。それにより、今のこの状況が引き起こされている……のでは無いか。

 内外どの様な要因で引き起こされたのかはもはや知る由もないが、それでも、記憶に障害を来すほどの何かが。


(私に……)


――鼓動が早くなる。


(息……苦しぃ)


 引いていく血の気。

 代わりに満ちていく暗い感情……。


(怠い)


 体がだんだんと重くなる。

 意識がとどんどん沈み込んで行く……。



(――っつ!!)

 突然、目の前が暗くなった。

 強張る身体。



――自身の両手が、顔を覆っていた。


 『自らが取った行動』そう理解が追いつくと、一気に力が抜けた。 

 自然と瞼が降りる……。


 そのまま、ゆっくりと鼻から空気を取り込む。


 そしてそれを体の奥深くへと馴染ませ、心に溜まり始めていた黒い感情と共に、口から静かに吐き出す。


 焦る意識に反し、淡々と動く身体。

 そんな見知らぬ自分に対し、疑問と頼しさを同時に感じつつ、後者にそのまま身を委ねる事にした。



「すうぅー…………、ふうぅぅー…………」


「すぅ……ふぅぅ……」


 幾度か深呼吸を繰り返す……。

 そうすることで、自分の身体がここに有る、それをする自身の意思が確かに存在する。そう感じる事が出来た。


 徐々に焦りの色が薄くなっていく。

 大きかった鼓動が静かになっていく。


 呼吸音以外の音が無くなっていく……。



『……』


 暫くして自身の中、意識の奥く深くで微かに音が響きはじめる。


 それは滾々と溢れだし、段々と大きくはっきりしたものになっていく。


『……、……』


 頭の中に響くその音に対して、不思議と驚きや恐怖は無い。それどころか、懐かしさや安堵を感じていた。



『……、――では……』


『――どうか、どうか……うけ……』


『――よい……? これは……ちの……』


 聞こえているものが声だと分かると、会話へ変わるまでにそれほど時間はかからなかった。


『はい……、重々承知いたしております。それでも……』


『相わかった。しかし……。どうだ……はこの地、ひいては此処の民の為に……』


(――誰?)


『承知いたしました。――それでは私の……』


(これは……)


『【…………】の、【永久高潔】という名にかけ、享受してみせましょう』

(――私……)


『はははっ、それはなんとも頼もしい事だ。安心して……』


(――と、だれだろう?)


『ふふふ、では、そんな頼もしい私から、貴方様へ……』



(【…………】)


 その懐かしい響きに心が震えた。


(――そう、それが私の……)


『――! そ、それこそおぬしの……』


『――私には、これが……』


『……、……』


『……』




 その後も会話は続くが、少しづつ小さく、聞き取り辛くなっていく。

 そして、最後には意識の奥深くへと溶け、完全に聞こえなくなった。


――しかし、気持ちは落ち着き感情は静かなまま。

 先程の様に焦るような事はない。

 それにはある理由が有る。


 一つは、『名』という確かな存在、自分を取り戻した事で得られた安心感。


 それともう一つ、ここに至るまでの過程で気付いた事があった。


 この異常な状況下にあっても、意識を落ち着かせ保とうと、冷静に行動する身体。

 それに伴い感じたあの懐かしい感覚と、溢れ出して来る記憶……。


(恐らく自分は……)


――このような状況に慣れている。


(そうで無くても、初めてでは無い……はずだ)


 ならば、先程の様に自分を保ってさえいれば、自身が対処をしてくれる。そうすれば然べき時、然るべき場合に、自ずと記憶は蘇えってくる。


(はず……)


 根拠は無いが、少しでも要素を集め、そう希望を持つことで、気持ちを落ち着かすに至った。



「ふぅー……」


(よしっ!)


 もう一度息を大きく吐き出し、両手から視界を開放する。


 先程までは分からない事が多く、答えを焦りすぎ視野が狭くなっていた。

 しかし、余裕の生まれた今の状態なら……。


 顔を上げ周囲を見渡す。

 視線と思考を巡らせ、周囲から得られる情報を探す。


「私が……」

(ワンネーンカイ、ウビユンクゥトゥムヌ……)

〘わたしが、覚えているもの……〙


 目の前の机。

 少し光沢の有る四角く白い天板は、凹凸が全くなく、全体的に丁寧な仕上げが施されている。


 自身と机を挟んだ向かい側に壁がみえた。

 そこには、長方形の黒い額縁が掛けられている。しかし、書や絵は飾られておらず真っ黒だ。


 目線を上へと移す……。

 空は無い。代わりに白い天井が目に入った。


「――ん、屋根?」

(アラン、クマンカイ……ムルユダユファーヤ……)

〘違う、此処には……沢山の枝や葉が……〙


 天井の中央には、円形状の白い何かが付いている。和紙の様な素材にみえるが、骨組みは見当たらない。


(例えるなら……)

「大きなサザエの蓋……、でしょうか……をぉ!」


 首が柔らかさに包まれ、視線が止まる。

 椅子の背もたれ部分に寄りかかったようだ。その姿勢のまま、背後の状況を確認する。


 後方、椅子のさらに後ろに壁が見え、波打つ大きな幕が壁の上部から垂れ下がっている。


「幕……何か遮って? 刺繍が細い……」

(ナンウチョン……ヌーンチ? ンー……ナン、ナンウチ……ミジ……、ヒージャー?)

〘波うって……なんで? んー……波、波うつ……水、湧水?〙


 一瞬脳裏に揺れる水面が映った。


「――あぁ、こちらにも……」


 もたれた首を支点に顔を横と倒すと、そちらにも壁があり、同じ様に布が垂れ下がっていた。

 しかし、こちらの布は、後方の物よりも面積が少ない。


「同じ柄の布だ……でも短い、なにか意味が? 布……生地……あっ!」

(有った!)


 自分に覚えの有りそうな物、自身が唯一身につけていた物……白い着物。

 なんともなしに触れていたその生地、その感触に懐かしさが溢れてくる。


(クヌチングワァーヤ……)

〘この布は……〙

 記憶が湧き上がってくる。


「芭蕉布? そう芭蕉だ! 芭蕉布……よかった、分かる! ――でも、白……どうして……」 

(クマヤ、ウタキヤネーラ……ヤサ!)

〘ここは、御嶽じゃな……そうだ!〙


「御嶽! 御願所!?」


 頭に過ぎった場所を確認しようと、首を持ち上げ細かく見渡す……。

 しかし、目的のものは見当たらない。


 見えたのは壁や扉、それと未だ見知らないモノたち。


「樋川は……無い……ですかぁ」


 力なく再度椅子にもたれ掛かる。

 見上げた天井に、空が現れるような事は無い。

(ネーランヤ……)

〘ないかぁ……〙


 此処が閉鎖された空間である事は、確認出来た。


『――――』


 静寂が耳に痛い。


 分からない事は多いままだ。

 しかし、断片的に浮き上がる言葉、記憶を拾い上げる事で、ゆっくりとだが状況の把握は出来てきてきた。


(ヨンナーヨンナーヤクゥトゥ……)

〘ゆっくりとだけど……〙


「ちゃんと進んでる……」


 先程よりも、気分は幾分か軽かった。


「大丈夫……」


 自身を鼓舞する言葉を吐いてみる。



『――――』


 しかしそれは、直ぐに静寂の騒音に飲まれ溶けていった……。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

モモと 〜夜に墓場で運動会は流石にしないが、昼間にピクニック程度なら毎年する県のお話し〜 U-10 @u-10

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ