カップラーメン
「じゃあ先輩! すいませんけど、お願いします。モモ、ちゃんと先輩の言うこと聞いて、いい子にしてるんだぞ」
「おー。ま、こっちのことは任せとけ」
「ちーちゃん、いってらーっしゃーい!」
今日の後輩はグレーのスラックスにネイビーのジャケット、ただしネクタイはなしという、カジュアルとフォーマルのギリギリ境目というような格好だった。結婚式なのにそんなラフでいいのかと聞くと、いいのいいのどうせ二次会だもん、と返ってくる。どうでもいいがこの後輩、中身はともかく見た目だけは完璧なので、この手の格好をすると恐ろしく映える。腹立たしいことに。
「いいからお前はとっとと行け」
「? なんか先輩、不機嫌じゃない? ま、いいや。んじゃ、行ってきまーす」
バイバイを手を振る後輩を、百瀬と二人で見送る。さて、ここからはいよいよワンオペ開始である。子供の相手は久しぶりだ。
過去に四つ子の相手を経験しているので、独身の割に育児スキルはある方だと自負する俺だが、実を言うと一対一で子供の相手をするのは初めてだ。
四つ子のように人数が多いと、乳幼児の時は確かに大変を通り越して地獄だが、ある程度大きくなってくると子供同士で遊んでくれるようになる。なので『少しだけ預かる』難易度も格段に落ちるのだが、一人につきっきりとなると、また別種の大変さなのだ。しかし、俺も素人ではない。ちゃんと秘策を用意してある。
「うっし、じゃあ百瀬。今日は図書館に行くか!俺、カード作ったからな。好きな絵本をなんと十冊まで借りられるぞ」
そう、俺の秘策とはこれだ。図書館。室内で暖房も聞いており、尚且つ金がかからない。赤ん坊の時ならともかく、百瀬くらいの年齢にもなればもう絵本を破いたりすることもないし、読書は体力を消費もしない。百瀬は知的好奇心を満たし、俺はのんびりとできる。そのために貸し出しカードも登録した。
しかし俺の完璧な計画は次の瞬間、彼女の一言によってあっさりと打ち砕かれた。
「やだ! モモ、こうえんがいい!」
「えっ」
百瀬は明るく元気に答えた。
「モモ、こうえんでさかあがりのれんしゅうするの!とおるくんにも、モモが上手なところみせてあげる!」
「ええー……」
無駄に輝く瞳で宣言してくる百瀬に、俺は素直に尻込みした。
だって外は寒い。金のかからない遊び場という意味では、確かに公園という選択肢もあるがそれにしたって寒い。走り回る本人たちは自覚がないかもしれないが、近くで見守るだけの大人としては、冬場の公園はめちゃくちゃ冷えるのだ。なので俺は頑張った。
「いやー、今日は図書館にしとこうぜ図書館。公園はまた今度にしよう。天気も悪いしさ」
「? はれてるよ?」
百瀬は不思議そうな顔で窓の外を眺める。うむ。実に見事な冬晴れである。雲一つない晴天とはこのことだ。俺は顔色一つ変えずに言った。
「これから雨になるんだ。天気予報で言ってた」
「そっかー。じゃあ、こうえんであそぶのはあめになるまででいいよ。あめになったらとしょかんいこ。とおるくんがいきたいから」
百瀬は、さも私は理解ある大人の女ですよとばかりに、にこっと微笑んだ。
だが違う。そうではない。確かにそのプランは一見、両者の意見が隈なく叶えられているように見えるが、一度公園に行った子供がそう簡単に別の目的地に移動しないことを俺はよく知っている。あとついでに、雨が降るのはブラフなのでこのままだと図書館に行く機会はない。
俺は仕方なく路線変更を試みた。
「あー、しまった。そういえば今日の昼飯の材料が足りないんだった。駅前のスーパーに買い物行かないといけないんだけど、誰か一緒に行ってくれる人いないかなー。俺だけじゃ、荷物持つのが大変なんだけどなー」
アカデミー賞ものの名演技で困った困ったと呟き、チラッと反応を窺うと案の定。
百瀬はハッと何かを閃いた表情となり、おずおずと言ってきた。
「とおるくん……もしかして、こうえんよりおかいものいきたいの…?」
「ああ、行きたい。すごく行きたい。行かないと今日の昼にラーメンが作れない」
俺が真顔で頷くと、百瀬はうーんと心底困った顔を浮かべた。
「そんな……でもモモもとおるくんに、さかあがりできるの見せてあげないといけないし……」
「そっかー。残念だなー。もし一緒にお買い物行ってくれるなら、御礼にお菓子買ってあげようと思ったんだけどなー」
「おかし!?」
駄目押しに俺が必殺の王手を放つと、百瀬は狙い通りに物凄い勢いで喰らいついた。
「おかしっておかしですか!? おせんべいとかコチョのやつ?」
「そう。そのお菓子だ。しかも、なんでも好きなものを選んで買っていい」
俺がここぞとばかりに大人の財力を見せつけてやると、子供は夢見るようにきらきらと瞳を輝かせた。
「すごい……クリスマスじゃないのにそんなぜいたくなことがゆるされるなんて……なんこでもかっていいなんて」
「いや、何個でもとは言ってない。なんでもだ。勝手に改竄すんな」
いくら好きなものとはいえ、スーパーの駄菓子コーナーでは値段の上限もたかが知れているが、何個でもとなると話は別だ。特にこの兄妹は食に関しては貪欲で遠慮がない。妹はともかく、兄の方は少しぐらいあれよと思うが全くない。
下手に個数制限をつけないと、この娘は本気で容赦なく買いまくる可能性がある。俺が慌てて修正すると、本人は分かったのか分かってないのか嬉しそうに頷いた。
無事目的地の合意が取れたので、出発の準備をする。とはいえ相手は四歳児。大人と違って身支度にそう時間がかかるわけではない。コートを着て、俺はポケットにスマホと財布を突っ込んだらそれで完了だ。
「百瀬は何のラーメンが食べたい?」
一口にラーメンと言ってもラーメン道は奥が深い。塩、醤油、味噌。あとちょっと番外で豚骨。麺の太さも、細麺からちぢれ麺に太麺と色々ある。
しかし百瀬は、そんな俺の予想を裏切ってぱっと嬉しげに答えてきた。
「カップラーメン!」
「……そう来るとは思わなかったな」
確かにあれもラーメンといえばラーメンだが。そして美味いが。
「カップラーメンはねー、とくべつにしかたべられないんだよ。ちーちゃんは、からだによくないから、おやすみの日だけって。でもおいしい。かなり」
「まあ、確かに。カップ麺つか、インスタント系ってたまに猛烈に食べたくなるよな」
そういえば俺もしばらく食べていない。現金なもので、そんなことを話した途端に食べたくなってきた。
「うし。なら今日の昼はカップ麺にするか」
「えー!」
何気ない気持ちで言ってみたら、想像以上に喜ばれた。
どのくらい喜んだかというと、百瀬はその場で飛び上がって無意味にくるりんと一回転したぐらいだ。
「いいの!? 今日は!とくべつな日でないけども! いいの!?」
「あー、いいぞいいぞ。ついでにお菓子も買うしな」
後輩の家ではカップ麺はあまり歓迎されていないようだが、たまにならいいだろう。別に食べても死ぬわけではあるまいし。
とことこと歩いてスーパーに向かう。通勤経路以外でこの辺を歩くのは、なんとなく久しぶりだ。
「この道しらないみちだー。ちーちゃんと通ったことない。とおるくん、あれなぁに?」
「あれは橋。下に川が流れてる」
「じゃあがっこうある?」
「ん? なんで学校だ?」
「だって川のなかにあるっていってたよ。がっこう」
さも当然のように言われて、一瞬なんのことかと首を傾げるが。不意に閃いた。もしやと思うがこの娘、
「……お前ひょっとして、めだかの学校がどこにあるのかって聞いてる?」
「うん。そう」
平然と頷く。おおかた、保育園の合唱か何かで習ったのだろうが、しかし俺もこの歳まで生きてきてめだかの学校を目撃したことはない。
「あー……めだかの学校はー……多分、この辺にはない」
「なんで?」
「……冬休み、だから?」
我ながら苦しい説明だとは思ったが、今回の百瀬質問タイムはそこで終了したらしい。本人は「そっかー。ふゆやすみだからかー」と、絶対に分かってない口調で納得しながら、今度は道端に生えてる雑草に突撃しに行った
駅前のスーパーに着くと、百瀬が魔法の呪文を唱えて自動ドアを開ける。そのまま中に入るなり迷わず真先にお菓子コーナーへ向かった彼女は、神妙な様子でおずおずと尋ねてきた。
「とおるくん。ほんとうになんこでも買っていいの?」
「いや、だから何個でもじゃねえよ。なんでも、だ」
懲りずに事実を改竄しようとする百瀬に律儀に訂正をしてから、俺はすっと指を二本立てた。
「ただし。何個でもとは言わんが、今日は特別に二百円までなら好きに買っていい」
二百円。大人にとっての二百円はそれこそカップ麺一つが限界だが、どっこい子供にとっては大金だ。しかもここは駄菓子コーナーである。一個十円のガムとかもある。
俺の恐るべき富豪発言に、百瀬は驚愕に目を見開いた。
「にひゃくえんも…!?」
「ああ。二百円はすごいぞ。たとえば、そこのガムなら二十個も買える」
「にじゅっこも!?そんなに!?じゃあ、ポテトチップスも買える!?」
「ああ、勿論だ。しかも、子供用の小さいやつなら三個買える」
「三こ! ?でも……そんなにぜいたくにかったら、ちーちゃんにおこられちゃわないかなぁ……」
途端に不安げになる百瀬に、俺は大人の余裕を持って宣言した。
「心配するな。たとえポテチを三つ買っても、お前の兄ちゃんに怒られることは絶対にない。なぜなら俺は……あいつの先輩だからな!」
そうだ。普段からタメ口で失礼なことばかり言われるせいでうっかり忘れそうになるが、俺はあいつの先輩なのだ。つまり年上であり、人生の先達者でもある。常識的に考えて、たかが二百円分の菓子を買ったところで怒られるわけもない。
「そっかー。とおるくんはせんぱいだから、お菓子たくさん買ってもちーちゃんにおこられないんだ。せんぱいってすごいんだね」
「え、あ、うん。そうだな」
考えてみると先輩だからといって別に怒られないわけではないというか、実は割と怒られているような気もしてきたが。俺が太鼓判を押してやると、百瀬はようやく安心したようにしゃがみ込んでお菓子を吟味し始めた。
とはいえ、彼女はまだ足し算ができない。どころか、数字の読み方さえあやふやだ。なので、セレクトしたお菓子を持ってくるたびに、これとこれだと予算オーバー、これならまだ買える、と何度も何度もリトライを繰り返し、ようやく満足のいくお菓子を買えた。
カップラーメンとお菓子がよほど嬉しいのか、ぴょんこぴょんことスキップする百瀬と一緒に帰路につく。ふらふらとご機嫌で道を歩く彼女は、迂闊に目を離すと車にひかれそうで大変に危なっかしい。糸の切れたタコのように自由に飛び回る彼女に、油断なく目を配っていた俺は、ふとその人影に気づいた。
休日の駅前。地元とはいえ、一応都内なのでそれなりにひとけもある。それでも俺が相手の存在に気づいたのは、ひとえにその人物がとても人目を引く容姿をしていたからだ。
ネイビーのジャケットにグレーのパンツ。妹と同じ栗色のふわふわした猫っ毛と、雑踏の中でも埋もれることのない整った甘いマスク。
後輩だ。
一瞬見間違いかとも思ったが、あんな派手な顔の奴をそうそう見間違えるわけもない。これから友人の結婚式に行くはずの男は、しかし到底そんな風には思えないひどく醒めた表情をしていた。見覚えがある。あれは、仕事中にあいつが時折見せていた表情だ。主に、クソ厄介な案件にぶち当たった時とかに。
それだけでも不自然だが、さらに妙なのは後輩の隣にいる連れらしき男性だった。初老といっても差し支えない年齢で、着ているものは暗いグレーのスーツ。同級生の結婚式に向かう友人にしては、些か歳が離れすぎている気がする。それにちらりと見えた、あの老人の胸元に付いているバッヂ。あれは確か──
「とおるくんどしたの? 早くかえろうよ」
「──あ、ああ。そだな」
百瀬に声をかけられて、俺はようやくその時、自分が足を止めていたことに気づいた。呆然としていたこちらに、幼児はやれやれと言わんばかりに腰に手を当ててプンスカと怒った。
「もう! とおるくんってば、みちでよそ見してたらあぶないんだからね! 迷子にならないように、モモがおててつないであげる」
「え? 俺が心配される側?」
はい、と当然のように差し出された手を、無視するわけにもいかずに握り返す。すべすべとした百瀬の手は、驚くほどに小さくて、だけど確かに暖かった。
百瀬に手を引かれながら考える。あの老人が胸元についけていた金色のバッヂ。金色の。俺の見間違いでなければ──弁護士バッヂではなかろうか?
もう一度確認しようと、振り返ってみたが。
まるで、先程見たものが俺の夢だったとでも言うように。既に後輩の姿は影も形もなかった。
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