味噌煮込みうどんと約束
病み上がりなんだから消化にいいものをという俺と、もう治ったから大丈夫それよりガッツリしたものが食べたいという後輩と、チョコが好きと言い張る百瀬の謎の主張により、夕飯は味噌煮込みうどんになった。
これならば、後輩の希望通り肉も入っているし俺の主張である消化の良さもクリアできる。チョコチョコ騒ぐ百瀬には、コンビニでチロルチョコを買った。三十円で喜ぶ四歳児は偉い。
煮込みうどんは簡単だ。土鍋にたっぷりの出汁と長ネギや人参など好きな野菜を入れ、出汁が沸いたら削ぎ切りにした鶏肉ときのこを入れる。そして蓋をし、再びポコポコ煮たってきたら、今度はうどんを入れる。
せっかくなので、ここでは生うどんを使いたい。生うどんと一緒に具を煮込むと、汁に適度なとろみがついて美味しくなってくれるからだ。
うどんを少しだけ煮て汁にとろみがついたら、あとは合わせ味噌を溶いて、焦がさないようにぐつぐつと煮込むだけである。最後にポトンと人数分の卵を落とせば完成だ。
ぱかりと蓋を開けると、もうもうとした湯気と共に部屋いっぱいに食欲をそそる香りが広がる。その匂いにつられたか、興奮した百瀬が椅子の上でぴょんこぴょんこ跳ねた。
「とおるくん! もうつまみぐいしていい!?」
「なんでこのタイミングでつまみ食いだよ……もう出来上がってるんだから、普通に食えばいいだろが。ほら、熱いから気を付けろよ」
念のため、注意しながらお椀にうどんを入れてやると、百瀬はさっそく冷まさずに食べて熱がっていた。人の話を聞かない子供である。
「とおるくん、もっとめんがほしい! あとモモね、たまごの黄色いところいらない」
「えー、モモは分かってないなー、この半熟でとろっとした黄身を汁に溶かして食べるのが美味いのに。なら君の黄身は兄ちゃんが貰おう」
ヘイヘーイと実にくだらない駄洒落を言いながら、後輩がノリノリで妹の分まで卵を奪っていく。俺の後輩が思った以上に馬鹿だった。
この馬鹿が女性に人気であるという事実に、そこはかとなく納得し難いものを感じる。ついでにふと昼の会話を思い出し気になったので尋ねてみると、後輩はちゅるりんとうどんをすすりながら言ってきた。
「へ? 俺の好みのタイプっすか? そですね。適度に淫乱な巨乳美女が好きです」
聞く前から分かっていたが、とてもクズな答えだった。
「ちーちゃん。このみのたいぷってどういうこと?」
「んー、兄ちゃんはどんな人が好きかってこと」
「モモ知ってるよ。ちーちゃんの好きな人はねー……モモでしょ!」
「うお、すっげ! 大正解だよモモ、なんで分かったの?」
「えへへへへへぇ」
目を丸くして驚いてみせる後輩に、百瀬が得意げに笑う。この後輩は確かにクズだが、妹の側にいる時はだいぶ軽減される。逆説的に、こいつ百瀬がいないとただのクズだなとしみじみ思った。
「にしても、なんで唐突にそんなことを? 先輩が誰か紹介してくれるんですか?」
「ざっけんなよ。なんで自分の彼女もいねぇのに、お前に紹介しなきゃいけねぇんだよ。会社で堀川さんに今日聞かれたんだよ。お前がどんな相手がタイプなのかって」
答えると、後輩はなぜか怪訝そうに目をパチクリさせた。
「堀川さんがぁ? どして?」
「どうしてってそりゃ……堀川さんがお前を憎からず思ってるからじゃねーの?」
きょとんと不思議そうに訪ねてくる後輩に、なんとなく腹が立ってくる。考えてみればどうして俺が、わざわざこんなことを解説してやらねばならんのだ。
が、後輩はそれでも納得いかなかったらしく、不可解な表情を浮かべていた。
「堀川さんが、俺を……? いや、それはないっしょ。あの人、俺にぜんっぜん興味ない感じだし」
「え、うちの会社でお前に興味ない女性なんているのか?」
割と意外だったので驚くと、後輩は呆れ顔になった。
「……先輩って、俺のことなんだと思ってんの。そりゃ確かに、俺は顔もよくて優秀ですけど、人の好みなんて千差万別なんだから、万人に好かれるなんてあるわけないでしょ。そういう意味じゃ、堀川さんは俺に対して一切興味持ってないと思いますよ。むしろ、どちらかというとあの人は……」
後輩は言いかける途中でふと何かに気づいたように、途端に黙り込んだ。そしておもむろにうどんをすする。
「んだよ。言いかけたんなら最後まで言えよ」
「いやいや、俺の憶測で勝手なこと言うのも堀川さんに失礼でしょ。それよか先輩、今度の休みって予定ありますか? どうせないんで、一つ頼みがあるんすけど」
「うるせえ決めつけてんじゃねェよ。内容による」
こいつの言うことを認めるのはシャクだが、確かに今のところは特に予定があるわけではない。いやせいぜい、買い出しに行って平日はできない部屋の掃除をするくらいだ。いや、別に友達がいないわけではなく。
俺だって、たまの休みに飲みにいく友人の一人や二人はいるが、学生時代とは違い、お互い社会人同士ともなると、遊ぶ予定を合わせるのだって一苦労なのだ。あと、そろそろ年末も近いので、ぼちぼち大掃除の準備を始めたいというのもある。従って、あまり面倒なことなら引き受けたくはない。
そんな俺の思惑などお見通しとばかりに、後輩は隣で必死にうどんと格闘している妹の頭をポンポンと叩いた。
「もしよかったら、ちょっと半日ほどモモをお願いしたいんです。学生時代のダチの結婚式に呼ばれてて」
「あー……そうか、お前はそういう年齢か」
結婚式。懐かしい響きだ。入社してから数年も経つと、わりとラッシュでそういう時期が訪れる。そしてしばらくするとピタリと止まり、その後はポツポツと思い出したように呼ばれるだけになるのだが。
俺も一時期は学生時代の友人から同期やらに呼ばれまくって財布が局地的危機を迎えたものだが、最近ではもうサッパリだ。つまりあらかた結婚すべき者はして、そうでないものが残ったということだろう。
「まあ、それなら別に構わんぞ。いつだ?」
「今度の土曜の午後。いやー、助かります!予定してたシッターさんが、急に予定はいっちゃって。他のところ頼むにも、モモは結構人見知りするタイプだし」
「そういえば当初はそんな設定もあったな」
初対面の時をふと思い出す。あの時は随分と警戒されていたものだ。そこから考えれば、よくもまあ懐かれたものである。
温かいうどんを食べているせいか、リンゴのように赤くなっている百瀬の頬をなんとなく指でつついてみると、本人から「やめろー!」迷惑そうにキレられた。
「まあ、今のこいつとなら半日くらいは平気だろ。ていうか結婚式って半日で終わるのか?」
「あー、それは大丈夫す。式からじゃなくて、二次会だけ参加する予定なんで。ちゃちゃっっと顔出しだけしてソッコーで帰ってきますよ。もちろん、御礼はしますんで」
「いや、いーよ。知らねえ仲でもねえし、今更その程度で礼とかいらんわ」
というか、妹の面倒で礼というならば、まずその前にこいつには返して貰うべき貸しが山ほどある気がする。面倒なので特に要求する気もないが。
俺がひらひらと手を振って告げると、後輩は例の人好きのする笑みでありがとうございます助かります、とにこやかに言った。ここで下手な遠慮をせずにこう返せるのが、こいつの凄いところだよなぁ、としみじみ思う。
「つーか、俺の方はいいとして、百瀬は俺と二人で留守番するのは平気なのか? 当日になって泣かれるのはさすがに困るぞ」
この兄妹との付き合いも、もうそれなりだ。当初はともかく、今ではそれなりに懐いてくれてきたとは思うが、あくまでそれは保護者である後輩のいる前でのみ。俺と百瀬が二人きりで過ごしたことはまだない。念のために確認すると、後輩は自信満々に請け負った。
「その点なら心配ないです。モモにもちゃんと話はしてあるし、先輩ならってことで本人も納得してくれましたから。なー、モモ!」
「うん! あのね、ちーちゃんがね、とおるくんはといっしょにお留守番したら、おいしいものたべさせてもらえるっていってたよ!」
なるほど。実に明確な買収方法である。俺が黙ってじっとりとした眼差しを後輩に向けると、相手はさっと視線をそらした。
「……ちなみに、百瀬はなにが食べたいんだ?」
「らーめんとちゃーはんとぎょーざ」
まるで成長期の男子高校生のような四歳児からのリクエストに「了解」と返すと、百瀬は嬉しそうにわーいと飛び跳ねた。
そんな和やかな空気のせいで、俺は結局この日も、先日の自称探偵の件について後輩に切り出すことは出来なかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます