第2章 第4話 デンジャラス・マジシャン・ガール その1

 頬を掠めた一撃に、鉄の柱がひしゃげる。

 ほんの数センチの差で、うてなの顔面は無事だった。

 うてなは冷や汗を掻く間もなく、前方に右足を蹴り出し、ヒジリの身体を吹き飛ばす。

 腹部を強打されたヒジリは吹き飛びながら、魔術を発動させていた。

 首筋に走る悪寒から逃れるように、うてなは左へと身体を投げ出す。その直後、うてながいた空間を氷の槍が貫いた。

 背後から心臓を狙った氷槍は、ひしゃげた鉄柱から生えている。

 初めて戦ったときと同じだ。

 格闘だけでは押し切れないと判断したヒジリは、他の魔術も併用することにしたようだ。

「遊びは終わりって感じ?」

 そう言って鼻を鳴らしたうてなは、地面に膝をついた状態から一気に加速する。

 風雨に晒され、ところどころがひび割れた地面を這うように接近し、ヒジリの足元を薙ぐ。が、そこにヒジリはいなかった。

 目視することすら困難なうてなの動きを見切ったかのように、寸前で後方に大きく跳躍していた。

 すぐさま追いすがろうとしたうてなの視界が、紅蓮に染まる。

 眼前に生み出された炎の塊はみるみるうちに膨れ上がり、爆発する。

 うてなは咄嗟に身を捻って直撃を免れるが、爆風から逃れることはできなかった。荒れ狂う炎と暴風に身体を嬲られ、勢いよく地面を転がる。

 地面に這いつくばるような格好で止まったうてなは、視界に頼るのではなく、魔力の気配を探る。

「上か」

 うてなは吐き捨てるように言うと、すぐにその場から離れる。

 頭上の錆びたレールに着地したヒジリは、うてな目掛けて魔術を雨のように降らせ始めた。

 遠くの花火より更に激しく、多彩な魔術の花が次々と咲き乱れる。

 可能な限り回避しつつ、無理と判断したものをうてなは魔力で相殺していく。

 どうにかしてヒジリがいるレールの上まで辿り着こうとするが、悉くを阻まれて距離を詰めることができない。

 そんなうてなを嘲笑うように、絶え間なく魔術が撃ち込まれる。

 室内に逃げ込むべきかと考えるが、それは悪手だとうてなはすぐに却下した。

 下手に室内へ逃げ込んだりすれば、今以上に強大な魔術を使われたら逆に追い込まれる。

 質と量、どちらも厄介なことに変わりはない。ならば自身が戦いやすい場所を選ぶべきだ。

 全身を巡る魔力を活性化させ、世界の速度を更に緩める。

 込み上げてくる吐き気は気合で堪え、雨のような魔術の隙間を縫って駆ける。

 ヒジリがいるのは、ジェットコースターを走らせるためのレールの上だ。その支柱や別のレールへと飛び移り、少しずつ距離を詰めていく。

 うてなが足場にしたレールは魔術によって溶け、凍てつき、切断されて崩れる。

 それらが崩れ落ちるより早く、うてなは確実にヒジリへと迫っていた。

 時間にして数秒。

 あと一度の跳躍でヒジリに届く、そう思ったうてなは、視界に映った光景に舌打ちした。

 そこにヒジリの姿はなく、更に上空へと移動している。

 足場のない、空中だ。

 ヒジリを見上げるうてなの足元が崩れる。

 重力に囚われて落ちていくうてなを、ヒジリは嘲弄しながら見下ろし、手のひらを向ける。

 宙に放り出されたうてなに対し、容赦などするつもりはない。

 うてなの周囲に魔力が集い、複数の術式が起動する。

 自由に動くことのできない空中では、とてもその全てを捌くことはできない。

 数瞬先の未来――神無城うてなが無惨な姿で地面に這いつくばる姿を想像し、ヒジリは愉悦する。

 そして、うてなを握り潰すように、魔術が同時に炸裂した。

 驚愕は、ヒジリの喉から漏れる。

 互いに干渉しあって魔力の渦となった中心から、なにかが飛び出してきた。

 それはうてなのガントレットから射出されたワイヤーだ。

 防ぎきれずにダメージを負いながらも、うてなはワイヤーでヒジリの足首を捉えた。

 引きずり落とされる感覚に反応できず、ヒジリはうてなと共に落下する。

 地面に激突する衝撃を、両足で着地したうてなはどうにか抑えることができた。が、ヒジリは別だ。

 うてなはワイヤーを手繰り寄せるようにして、ヒジリの身体を地面へと叩きつけた。

 地面が陥没するほどの衝撃に、ヒジリの口から血の混じった苦鳴が漏れる。

 全身がバラバラになるような痛みで動けないヒジリを、うてなは馬乗りになって取り押さえた。

「守りが疎かになってたね」

 ヒジリの両腕を押さえつけ、うてなは口角を上げる。咄嗟の思い付きだったが、予想通りの結果になった。

 あれほどの魔術を連続して放ちながら、高度な浮遊魔術まで同時に行使していたのだ。いくら無尽蔵の魔力があるとしても、同時に扱える術式には限度がある。そこに例外はない。

 ヒジリはうてなを殺すため、攻撃に魔術を偏らせすぎていた。そこがうてなにとって、付け入る隙となった。

 その殺意の一割でも防御に割いていれば、今の不意打ちでダメージを負うことはなかっただろう。

 もしくは、叩きつけられるまでの一瞬で防御するという判断ができていれば、違ったはずだ。

 だが、やはりヒジリは戦闘におけるプロフェッショナルではない。

 魔術ではなく、現代の道具を使われるという可能性を、全く考慮していなかったのだ。

 唇を血で濡らしながら、ヒジリは悔しげに唸る。

 未だ挫ける気配のない意志に反し、身体がまだ動いてくれないのだろう。

 もとからコンディションは最悪に近かったはずだ。うてなのように魔力で傷を癒す手段のないヒジリにとって、長期戦になればなるほど不利になる。

 それは誰よりもヒジリがわかっていたはずだ。それでも接近戦を望んだ理由は、復讐を果たす実感が欲しかったからに他ならない。

「まだ、足りない? このままじゃあんた――」

「黙れ」

 衰えを知らぬ殺意が、ヒジリの双眸と唇から漏れた。

 血と憎悪を吐き出すその姿に、あの夜が重なる。

 ほんの一瞬、うてなは怯む。身体ではなく、心が怯んだ。

 その僅かな隙に、ヒジリは魔術を炸裂させた。

 うてなとヒジリの中間に、自身が巻き込まれることなどお構いなしに。

 肌を焼くような熱風にうてなは弾き飛ばされる。辛うじて腕を交差させて直撃は防いだが、軽度の火傷を負ってしまった。

 ヒジリもうてなと同じような火傷を負っているが、そんなものは意に介さない。

 よろめきながら立ち上がったヒジリは、全身に魔力を纏わりつかせる。

 圧倒的な魔力の渦に、足に絡みついたままのワイヤーが断ち切られる。極細でありながら、百キロを超える重さにも耐えられる特殊なワイヤーをものともしない。

 それだけではなく、制御しきれてしない余剰な魔力が、純粋な破壊エネルギーとなって周囲の地面を削り取っていた。

 唇の端から零れる血を拭うこともせず、暗い瞳を憎悪で輝かせる。

「満たされることなんて、望んじゃいない……もういい……あとはお前を殺せれば、それでいい」

 戦っている実感などもはや不要だと、淡い光を纏った銀色の髪が逆立ち物語る。

 鬼気迫るヒジリの雰囲気に、うてなの頬を汗が伝う。

 ヒジリはなりふり構わず戦うつもりだ。これまで以上の攻撃を繰り出す余力は、十分にあるだろう。

 対するうてなは、あまり芳しくない。

 かれこれ三十分以上、魔力による強化を施した状態が続いている。

 ダメージは問題ないが、時間魔法をこれ以上使い続けるのは無理だった。

 肉体面での負担ではなく、精神と神経が限界だ。先ほどから絶え間なく込み上げてくる吐き気に、負けてしまいそうだった。

 ふと、先ほど跨ったときにヒジリの顔面にでも吐き出してやれば良かったと、邪な考えが頭をよぎり、うてなは口元を綻ばせる。

 それが癪に障った、というわけではないだろうが、渦巻いていたヒジリの魔力が一気にうてなへと牙を剥いた。

 地を裂く二対の烈風がうてなに迫る。

 口の中に広がる胃液の味に顔をしかめつつ、うてなは横に飛んで回避した。

 今はまだダメだと自分に言い聞かせ、歪みそうになる視界に抗って目を見開き、連続して放たれる疾風から逃れ続ける。

 これまでの魔術は量を重視したものだったが、今放たれている魔術は質を高めたものばかりだ。

 うてなが速度で上回るというのなら、周囲を全て巻き込んで破壊する。

 ヒジリの思惑通り、徐々に回避することが厳しくなっていた。

 どれだけ素早く動いたとしても、破壊が及ぶ範囲を読み切って動かなければならない。

 今のうてなには、いつまでもかわし続けられるだけの余裕はない。

 数メートルに及ぶ地面が魔力によって陥没し、更に足場を悪くする。

 錆びついた遊具が破壊され、部品をまき散らして弾け飛ぶ。

 数ヵ所で火の手が上がり、雷を受けた機械がショートを起こして音を立てていた。

 ここまでか、とうてなは口元を拭い、時間魔法の使用をやめた。

 これでうてなは、ヒジリの魔術を把握してから回避することはできなくなった。

 後手に回っても挽回できる方法は、もうない。

 その変化にヒジリが気づくことはない。彼女はうてなが時間魔法まで扱っているとは想像もしていないからだ。

 それも当然のこと。

 時間を操る魔法など、ヒジリが知る魔術体系には存在しないものであり、まさに神域の業だ。

 だが、知っているかどうかは関係ない。

 うてなの動きが変わったことには、すぐに気づく。

 もしくは気づかれる前に、魔術をかわしきれず決定的な一撃を受けてしまうだろう。

 そうなれば後は、畳みかけられるだけだ。

 ヒジリの魔力切れを待って防御に徹するのは、得策とは言えない。

 仮にうてなが残された魔力を全て防御に回したとしても、ヒジリが極限まで凝縮した魔力を込めて放つ一撃ともなれば、防ぎきれはしないだろう。分の悪い賭けにすらならない。それほどまでに、ヒジリが宿す魔力量は絶対だ。

 絶望的なまで不利な状況に追い込まれている。それは事実だ。

 だがうてなは、まだ手を残している。

「潰れろ」

 動きが鈍った隙を見逃さず、ヒジリは広げた手のひらを握り潰す。呼応して発動した魔術が、うてながいる空間を内側へと歪曲させた。

 空間歪曲の魔術は一線を画す威力を持つ。それこそ、全力で障壁を張ったとしても防ぎきることは困難なほどに。

 禁呪の域に達する魔術を瞬間的に発動させたヒジリの右肩が、反動で爆ぜる。

 必殺を成し得る魔術だが、そこにうてなの姿はない。

 仕留め損ねたことに舌打ちし、ヒジリはすぐにうてなの姿を探す。

 が、見つからない。

 視界で捉えることは当然として、魔力の感知すらできない。

 ここまで常に殺意を注ぎ続けていた怨敵の姿を、ヒジリは完全に見失っていた。

「どこに……どうして……」

 周囲に視界を巡らせながら、ヒジリは不思議な感覚に囚われていた。

 あの瞬間、確かにうてなの姿は見えていた。

 どれだけうてなが素早く動こうとも、魔力の残滓は見える。それは決して消すことができない。見えないとすればそれは、うてなが魔力を行使していないときだけだ。だから人並の動体視力しか持ち合わせていないヒジリでも、うてなの移動先はわかる。

 だが事実、魔力の残滓は見えなかった。

 まさに空間がうてなの身体を押し潰す瞬間、そこに存在などしていなかったかのように掻き消えたのだ。

「空間転移……やつなら、可能か」

 忌々しい事実だが、神無城うてなならばその魔法を使えたとしても不思議でない。が、空間転移を行ったようには見えなかった。

 仮にそうだとしたら、魔力の残滓が見えたはずだ。その形跡はない。

「それにあれは、もっと異質な……」

 そう、まるでコマ落としのように、存在が消失した。

「そんな――」

 バカな、と言いかけた瞬間、ヒジリの身体は吹き飛んでいた。

 完全な不意打ちを受け、なすすべなく地面を派手に転がっていく。

 ヒジリの腹部へ掌底を打ち込んだうてなは、深く息を吐き出す。

「……おま、え」

 体内を駆け抜けた衝撃に、血と唾液が唇からこぼれる。

 今にも倒れてしまいそうな危うさでありながら、ヒジリは立ち上がってうてなを睨みつける。

 今ならはっきりと見える。

 掻き消えていたはずの魔力が、嫌というほど色濃く彼女を映し出している。

 確かにそこに、神無城うてなは立っていた。

 だが次の瞬間、また掻き消えてしまう。

 音も残滓もなにもなく、世界から消えてしまった。

「……隠れても……いるのが、わかれば」

 不可解な事実に戸惑いつつも、ヒジリは目を血走らせて周囲の全てを巻き込むように魔術を乱舞させる。

 見つからないのならそれでいい。ならば全て、破壊するまでだ。

 身を隠せそうな場所を中心に、目につく物を片っ端から引き裂き、吹き飛ばし、爆発させる。

 どれもが、一撃必殺を可能にする破壊力を秘めていた。

 そして同時に、ヒジリの身体があちこちで爆ぜ割れる。

 漆黒の服が赤い血でより深く、濃く染め上げられていく。

「はぁ、はぁ……かむ、しろ……うて、な……」

 周囲数十メートルを破壊し尽くしたヒジリは、息も絶え絶えに憎むべき相手の名を呟く。

 それに返ってきたのは、背後からの一撃だった。

 背中から心臓を狙い撃つような掌底を受け、ヒジリは目を剥いて血を吐き出す。

 痙攣しながら膝をつくが、それでも倒れることだけは拒否した。

 壊れた人形のように振り向き、月を背にしたうてなを見上げる。

 うてなは波のない水面のように静かな目で、ヒジリを見下ろしていた。

「いつから……そこに……」

「あんたが暴れる前から」

 はぐらかしや誤魔化しではなく、うてなが告げた言葉は事実だった。

 ヒジリが見失い、手当たり次第に破壊し始める前から、彼女はそこにいた。

 ただ、気付くことができなかっただけだ。

 ――神無城うてなが、異邦人ストレンジャーであるがゆえに。

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