第2章 第3話 彼女の孤独 その4
遠い空が鮮やかに彩られ、低い音が遅れて響いてくる。
その遠くから届いた光が、神無城うてなとヒジリカナウを照らし出す。
二人が対峙しているのは、数年前に廃園となったレジャー施設の一角だ。
かつては家族連れなどで賑わっていた施設は、人の手を離れて寂れ、草木が自由に育っていた。
撤去されることもなく放置された施設を危険視する声はあるが、住宅地からは距離があるため、今は立ち入り禁止とされているだけだった。
時折若者などが肝試しと称して訪れるが、基本的に人が近づくことはない。
それを知ったうてなは、この場所を決戦の地に選んだ。
ここに来いと示すように、膨大な魔力を放ち、彼女が現れるのを待った。
ヒジリカナウはその挑発に乗り、廃墟となりつつあるレジャー施設に現れた。
互いに言葉はない。
ヒジリの顔色が数日前より悪く見えるのは、思い過ごしではないだろう。明らかに限界を迎えつつある。
戦闘用のスーツに身を包んだうてなは、特製のグローブではなく、ガントレットを装備していた。
出し惜しむつもりはないが、先に奥の手を使うのは得策ではない。無限に使える代物ではないのだ。
前回のあれがヒジリの全力とは限らない以上、まずは自身の力だけで戦うつもりだった。
重心を低くし、うてなは全身に巡る魔力を活性化させる。
感覚が研ぎ澄まされていくと同時に、世界の流れから意識が独立する。
世界から独立したうてなの意識は、時間の流れを緩やかに感じる事ができるようになる。この感覚こそが、銃弾すらかわす事を可能としているものだ。
自己の治癒と共に、うてなの肉体と魂に刻まれたそれは、魔法と呼ばれるものだった。
緩やかな世界で攻撃を見切り、魔力で強化した肉体で強引に回避する。卓越した戦闘技能を持たないうてなが戦えるのは、それがあるからこそだ。
何度経験しても、独立した世界の流れは気分が悪くなるものだが、今はそうも言っていられない。
幽霊の如く佇むヒジリの全身に、目眩がするほどに濃密な魔力が絡みついている。
前回のように、魔術による間接的な攻撃では埒が明かないと判断したのだろう。
ヒジリはうてなに対抗するべく、極限まで身体機能を強化していた。
「いいね。殴り合いは望むところだ」
相手の意図を察したうてなは、不敵に笑う。
ヒジリがその戦い方を選んだ理由は、恐らくもう一つ。
直接殴るという感覚、うてなを攻撃しているという実感が欲しいのだろう。
銀色の髪が逆立ち、色を失いつつある瞳がうてなを捉える。
動き出しは、見えない。
ヒジリが直前まで立っていたアスファルトが砕け、風が唸る。
右後方へと駆け抜けるその姿を、うてなはしっかりと捉えていた。
空気を切り裂くように放たれた鋭い蹴りは、ヒジリが突き出した拳とぶつかり合う。
二人の魔力が鬩ぎ合い、破裂するような乾いた音が廃園に鳴り響き、魔力が霧散した。
単純な魔力の量はほぼ互角。ややうてなの方が上回っているが、貯蔵している魔力の総量で言えば、ヒジリに分がある。
ヒジリが体内に抱えている魔力量は桁外れであり、それこそが彼女の強さだ。
次はこちらの番だと言わんばかりに、うてなが先に動く。
ガントレットを装着した拳を打ち下ろし、地面を砕く。破片が宙を舞うより先に、ヒジリは後退していた。
かわされた事など気にも留めず、うてなは飛び散るアスファルトの欠片を蹴りつけた。
拳ほどの大きさがあるその欠片は、弾丸の如き速度でヒジリを追撃する。
着地したばかりのヒジリは、その欠片をかわす事ができず、右腕で打ち払う。
そして次の瞬間、視界いっぱいに漆黒が広がっている事に気づいた。
アスファルトの欠片に気を取られている隙にうてなが疾走し、飛び蹴りを放っていた。ヒジリの目に映ったのは、うてなが履いているブーツの底だった。
かつて、走っている車すら止めて破壊したうてなの飛び蹴りが、ヒジリの顔面を捉える。容赦のない一撃にヒジリは吹き飛び、地面を転がった。
普通の人間が受ければ、再起不能に陥りかねない破壊力を秘めた一撃だった。
地面に倒れ伏すヒジリから視線を逸らさず、うてなはしたり顔を浮かべる。
今の一撃には特別な意味がある。
前回の戦いで、うてなは結局、一度としてヒジリに攻撃を加えていない。
その時に抱えていた躊躇いを、今の一撃で払拭したのだ。
ヒジリにもわかっただろう。
うてなにも、戦う覚悟があると。
「そうだ……そうこなくっちゃ、殺し甲斐がない」
ゆらりと立ち上がったヒジリは、そう言って笑う。
傷はおろか、ダメージを受けた様子もない。
完全に不意を突いた一撃だったが、ヒジリの防御魔術を完全に突破する事はできなかったようだ。それでも、僅かに上回っていたうてなの魔力は、その残り火とも言える衝撃をヒジリの顔面に伝えていた。
鼻から静かに垂れた血を、ヒジリは忌々しげに拭う。
今の攻防で十分把握できた。
うてなと同じく、ヒジリも秀でた格闘技能を持っているわけではない。
いや、彼女に限ったことではない。
この世界に、格闘技能をあわせて習得しているような魔術師はいなかっただろう。
彼らにとってそれは、不要なものだったはずだ。
精々、うてなのように魔力で身体機能を強化して戦う程度だ。
それならば、うてなにもやりようはある。
ヒジリは魔術のプロフェッショナルであって、戦いのプロフェッショナルではないのだから。
「ま、それはお互い様だけど」
自嘲気味に言ったうてなは、下から這い上がってくる悪寒に身体を引く。前髪を掠めるように、ヒジリの爪先が通り過ぎていく。
たとえ魔力で防ぐことができたとしても、僅かな魔力の差でダメージを負うことはある。先ほどのヒジリがまさにそうだ。
微々たるものとはいえ、それが積み重なれば防御は綻んでいく。
なにより、ヒジリの魔力量は膨大だ。
その気になれば、容易にうてなの防御を突破してくる。
だから可能な限り、うてなは回避するしかない。
とは言え、そういった理由よりも、攻撃を受けるのは癪に障る、という感情的な理由のほうが大きくもある。
思いきり蹴り上げたヒジリの足首に狙いを定め、うてなは手を伸ばす。
足首を掴んで投げ飛ばしてやろうという算段だが、それはヒジリの追撃に阻まれた。
伸びきったヒジリの足が、物理法則を無視した動きで急降下してくる。うてなの肩を狙った踵落としだ。
咄嗟に身体を捻ったうてなは、その振り下ろされるハンマーの如き足を横から殴りつけた。
予想外の攻撃にバランスを崩したヒジリは、転びそうになる身体を無理矢理捻り、うてなの足を狙う。
自身もバランスを崩していたうてなは、なすすべなく足を払われた。
宙に浮いたうてなの身体を、強烈な一撃が襲う。
魔力で防ぎきれなかった衝撃は、うてなの身体を思いきり弾き飛ばした。
放り投げられたボールのように吹き飛んだうてなは、廃墟の一室に叩き込まれた。
入口のガラスを突き破り、中にあった商品棚をなぎ倒してそのまま奥の壁へと叩きつけられる。
粉塵にまみれたうてなは咳込みながら立ち上がった。
ダメージというほどのものはないが、見事にやり返されたと口元が綻ぶ。
楽しいなどという感情は湧かないが、遠慮なく魔力をぶつけ合えるという事実には、高揚を覚えてしまう。
全身を駆け巡る魔力の余熱とも言える感覚だ。
かつてはお土産などを売っていた施設から飛び出したうてなを、ヒジリの拳が待ち受けていた。
正面から打ち合うように、二人の拳がぶつかる。
魔力は相殺されるが、うてなの拳はガントレットで守られている。
その差に、ヒジリの顔が歪む。
痛みは感じない。
それ以上の痛みが、常に全身を駆け巡っているからだ。
「神無城……うてなぁ!」
苦痛を吐き出すように叫ぶヒジリの魔力が、更に膨れ上がる。
猛り狂う魔力の嵐を前に、うてなは一歩も引かない。
命を削り合う二人の戦いは、まだ始まったばかりだった。
「助けに行かなきゃ」
うてなが交戦中だと知った龍二の第一声は、そんな浅慮極まりないものだった。
本部から入った緊急通信の内容を話してしまったことを深月は後悔するが、今更どうにもならない。
なぜ咄嗟に誤魔化さず、素直に話してしまったのか、深月自身も首を傾げてしまう。ついうっかり、としか言いようがなかった。
もちろん、うてなの加勢に行くことに反対するつもりはない。深月もそのつもりだ。
ただ、龍二には秘密にしたまま、作戦基地に送り届けてから向かうべきだった。
このタイミングで他の勢力などが龍二を狙う可能性もなくはないが、それはゼロに近いだろう。
ヒジリカナウは間違いなく、単独犯だ。
それも報酬などが目的ではない。
彼女が求めているものはただの私怨、復讐だ。
この件は本来、龍二にはなんの関係もないもの。
護衛対象である彼を現場に連れて行くなど、選択肢に上がりもしない。
「どこで戦ってるの? 相手はこの前の女の子だよね?」
だが、龍二は助けに行く気でいる。
「落ち着いて。あなた、自分がなにを言っているのか、ちゃんと理解しているの?」
逸る気持ちを抑え、深月は冷静に語り掛ける。
「わかってるよ。うてなが危ないんでしょ? だから早く助けに行かないと」
「そうではなくて。どうしてあなたが行く必要があるの? おかしいでしょう?」
「そ、それはそうなんだけど……わかってる。足手まといにしかならないってわかってるよ。でも、でもさ……ほっとけないよ」
本当にわかっているのかと問い質したくなるほど、龍二の言葉は単純だった。
そこにあるのは、深い考えや英雄願望ではない。
ただ純粋に、うてなを心配しているだけだ。
「それだけの理由で、自分の身を危険に晒すつもり? 言っておくけど、あなたは当然として、私も正直、彼女たちの戦いにはついていけない。駆け付けたとしても、なにもできない可能性が高いの。それこそ、足手まといになるかもしれない。だからあなたを連れて行くわけにはいかないわ」
深月は包み隠すことなく、自身の無力さも含めて龍二に話した。
その裏表のない言葉に龍二は頷き、少し笑ってみせる。
「足手まといになるかもしれないって思ってても、君は行くんだろ? だったら僕と一緒じゃないか」
「それとこれとは別の話でしょう。私は自分の身を守れる。けどあなたは違う。自分を守りながら、あなたを守り切れるという保証もない。あなたが行こうとしている場所は、ある意味世界でもっとも危険な場所よ。本当に理解しているの?」
「わかってる。どれだけ危険なのかも、僕が無茶なお願いしてるのも。でも、だけど……君が……君と彼女が一緒にいる場所が、僕にとっては世界一安全な場所だよ」
龍二は自信満々に、揺るぎない信頼をもってそう断言した。
深月は一瞬、思考が止まってしまう。
あまりにもバカげている。
たった今、深月は彼に守り切れるかわからないと言ったばかりだ。
護衛する者としては、自身の無能さや無力さを認めるようなものだ。
だというのに、彼は信じると言い切った。
思考停止の信頼ではなく、押し付けるような信頼でもない。
それは呪いのようでもあり、祝福のようでもあった。
重いと言えば、確かに重い。
だが、その重さをどこか心地良く感じてしまう。
甘く、危険を孕んだ信頼だ。
「……どうして、そこまで」
もはや説得することは不可能だと、深月は悟っていた。だからこそ、訊いておきたかった。
「もう、友達を失いたくない」
あぁそうか、と深月は納得する。
結局彼は、まだあの夜に囚われているのだ。決して癒えることのない傷を負った、あの嵐の夜に。
そして、踏み出そうとしている。
忘れるのではなく、その傷を抱えたまま、歩き出そうと。
「まったく……困った護衛対象ね」
「ごめん」
深月のため息に、龍二は苦笑する。
「でもさ、なにかできるかもしれないって思ってるよ。ほら、僕ってなんか、うてなにとって特別っぽいし」
「……そうだったわね」
失念していたわけではないが、確かにそうだ。
龍二の体液は、神無城うてなの魔力に作用する。
どうしてなのかを深月は知らないが、それだけは間違いない。
だとすれば、もしかしたらなにかの助けになるかもしれない。
護衛対象を死地も同然の場所に連れて行く、というリスクに見合うかは難しいところだが。
「……後悔、しない?」
「しないよ」
答えはわかりきっていた。
が、そこまであっさりと、力強く頷くとは思っていなかった。
深月は仕方ないと言いたげに小さく息を吐き、端末を取り出す。
「なら、急ぎましょう。近くに用意はしてあるから」
「用意って?」
「見ればわかるわ」
意味深な笑みを浮かべる深月に連れられ、歩いて三分ほどの空き地に向かった。
売地と書かれた看板があるその場所に、大きめのコンテナが設置されていた。
「これって、なに?」
「緊急時に備えて、一応配置だけはしておいたの」
「こんなこともあろうかと、的な?」
龍二の言葉を理解できなかった深月は、怪訝な顔をする。
なんでもない、と龍二は恥ずかしそうに手を振って誤魔化す。
それに頷いた深月は、コンテナの操作盤に認証コードを打ち込み、入り口を開く。
自動で静かに開いたコンテナの中にあったそれを見て、龍二は息を呑む。
「こ、これ……」
「うちの開発部から回して貰った試作品よ。と言っても、一通りのテストはパスしているから大丈夫」
目を輝かせてそれを眺める龍二に説明しながら、深月は適当な装備を見繕う。
「少し待っていて。すぐ着替えるから」
「うん……って、今なんて?」
物珍しそうに内部を眺めていた龍二は、危うく振り返りそうになった。ギリギリ踏み止まれたのは、理解と共に聞こえてきた衣擦れの音があったからだった。
コンテナの入り口は自動で閉じられたとは言え、いきなり着替え始めるのは不用心ではないかと頭を悩ませる。
頬を赤らめる龍二は目を閉じ、壁に向かって頭をつく。間違っても覗いたなどと嫌疑をかけられないようにするためだ。
そんな龍二の感情などお構いなしに、深月は手早く服を脱いで戦闘用のスーツを着用する。可能な限り急ぎたいが、相手が魔術師となればそれなりの装備はしておきたい。
この程度の装備では、焼け石に水かもしれないが、ないよりはマシだろう。
最後に防護用のジャケットを羽織った深月は、もう大丈夫だと龍二の声をかける。
「ほ、本当に?」
「嘘をつく理由があるの?」
「……だよね」
普通はそうだ、と口の中で呟き、龍二は目を開いて振り返る。
深月はいくつかの装備を入れたポーチを腰に装着し、防護ジャケットと護身用の道具を龍二に手渡す。
「ジャケットは羽織っておいて。あとこれも」
「あぁ、うん」
龍二は渡されたものを素直に受け取り、ジャケットに袖を通す。思った以上の重量に一瞬ふらつき、僅かに頬を赤らめた。
「最後にこれを」
ヘルメットを龍二に手渡した深月は、コンテナの中央に置かれたそれに跨り、ハンドルの中心に備え付けられた計器を操作する。
解除キーを入力されたそれ――漆黒に染め上げられた大型のバイクが、唸りを上げる。
「もしかしなくてもこれ、君が……?」
「問題はないわ。さぁ、後ろに乗って」
問題なく作動していることを確認した深月は、ヘルメットをかぶって龍二を促す。
龍二は唾を飲み込み、覚悟を決めてヘルメットをかぶり、深月の後ろに跨る。
「私の腰に手を回して。絶対に離さないこと。いい?」
「う、うん……えっと、失礼します」
ドギマギしつつ、龍二は後ろから深月の腹部に手を回す。
「もっとしっかりつかまって。振り落とされないように」
「……了解」
遠慮している場合ではないと思い出した龍二は、深月に抱きつく。
バイクのシートから伝わるエンジンの振動と、自身の鼓動がシンクロしているようだった。
「それじゃあ、行くわよ」
背後で龍二が頷くのを確認した深月は、ハンドルを握り締め、獣のような唸りを上げるバイクを発進させた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます