第三章 ニグ
第九話
昼前に研究員の人たちがバタバタしていたのは気づいていた。いやに騒がしかったから、乳幼児居住棟で一度に何人も死んだのかと思ってた。
人が死ぬのはあまりいい気持ちはしない。それが僕の行ったことのない居住棟のことであってもだ。
幸い、騒がしかった理由は誰かが死んだとかそんなことではなかった。だけどそれを「幸い」と言っていいのかと聞かれたら、僕には否定しかできない。
お昼過ぎにエンドウさんが来たんだ。ちょっと様子がおかしかった。いつも冷静な彼が、なんだか落ち着きが無かった。
彼はヴェルに「ニグはどこ?」と聞いていた。もちろんヴェルは「乳幼児棟じゃないかな」って言ってたけど、乳幼児棟なんか真っ先に見に行くはずだ。そこにいないからわざわざ僕たちに聞きに来てるんだ。
それで僕は何があったのか察しがついてしまった。
「ソイはニグがどこにいるか知らないかい?」
「僕は知らない」
「そうか、ありがとう」
エンドウさんはすぐに行ってしまったけれど、ヴェルは僕の方に訝しげな眼を向けて来た。
「ソイ? 何か知ってるの?」
「何も知らないよ」
「そんなことないよね。何か心当たりがあるよね」
僕はヴェルを相手に嘘がつけない。適当に誤魔化したって、誤魔化しきれるものじゃない。
仕方なく、僕はニグが外に出たがっていたことを話した。もちろんその可能性があるというだけのことだけど。
ヴェルは「なんてこと」って言ったまま固まってしまった。気持ちはよくわかる。僕だって同じこと考えてる。
外なんかに出たら僕たちは死んでしまうのに!
ヴェルは寂し気に、窓際のドラセナの葉っぱを撫でた。メラが死んだときもそうしていた。気が紛れるのかもしれない。
とにかく僕たちは何も知らないふりをして、エンドウさんたちの動きを見守ることにした。
きっとニグは外へ出た。ネグロイドの陽気さを以て、ひょっこりと戻って来てくれるはずだ。僕たちは彼を信じるしかなかった。
夕方、エンドウさんが僕らの居住棟に顔を出した。ニグはまだ戻っていなかった。
エンドウさんは僕たちにココアをいれてくれて、「少し話そう」と言った。きっとニグのことを聞かれると思った僕らは、彼に対して無意識に身構えた。
「ソイ。君は外に出たいと思ったことはあるかい?」
「僕はないけど」
「正直に言ってくれるかい?」
エンドウさんの目は真剣だった。だから僕も嘘を言っちゃいけないと思った。
「外へ出たいと思ったことはないよ。目的のために、ならあるけど」
「どんな目的かな」
「サヤに会いに行きたいと思ったことはある。だけどどこに行ったらサヤに会えるのかわからないから、外に出たいとは思わない。ここで待っていれば、いつかきっとサヤは来てくれる。それまで僕が生きていればだけど」
エンドウさんはウンウンと何度か頷いた。
「ヴェルはどうかな」
カップを両手に包んでいた彼女は、チラッと顔を上げると「私も」と言った。
「外に出たら死んでしまうことわかってるのに、わざわざ出たいなんて思わない。だけど、私もサヤに会いたい。私たちが関われる人は少ないから」
「そうだったね。沙耶ちゃんに伝えておく。約束するよ」
約束。それは嬉しい。だけど、それって一体いつなんだろう?
でも忙しいエンドウさんにそんな事聞けない。僕たちが少しでも長生きできるように研究してくれているんだから。
そのとき、窓の外を眺めていたヴェルがボソリと呟いた。
「ねえエンドウさん、雪が降ってる」
窓の外には白いものがふわふわと舞っていた。
「ああ、今日は雪か。寒いだろうな」
雪が降ると外は寒いらしい。建物の中は完璧に温度調整されているし、僕は外に出たことがないからわからない。
「ねえエンドウさん、ニグ、いたの?」
ヴェルの言葉に、彼は目を泳がせた。それは全てを雄弁に物語っていた。見つかっていないんだ。
「ニグ、外へ出たの?」
「いや、わからない。まだ見つかっていないからね。かくれんぼにしては随分長いしね」
僕は覚悟を決めた。
「エンドウさん、もし、もしもだけど、ニグが外へ出たら……生きて行けるの?」
ヴェルが僕の方を振り返った。エンドウさんがごくりと唾を飲み込む音が聞こえた。
「生きられる確率は限りなくゼロに近いよ」
「そう……」
エンドウさんが立ち上がった。重苦しい空気が彼の白衣にまとわりついているように見えた。
「さあ、ココア休憩は終わりだ。私は仕事に戻らなくてはね」
「ねえエンドウさん、サヤの事、約束だよ」
「わかったよ」
彼は作り物の笑顔を顔に張り付けたまま、静かに彼らの居住棟を出て行った。
残された僕らはそれぞれに同じことを考えながらも、なかなか言葉を発することができずにいた。
しばらく黙ってココアを飲んでいたけど、僕の方が先に沈黙を破った。
「ニグ、もう戻ってこないのかな」
「多分もう戻れない。今ニグは外にいる、ここからずっと離れたところにいる」
「ネグロイド、立て続けにみんな居なくなっちゃったね」
スーパー個体はアルビノの姉弟のみになった。そう考えて間違いないだろう。そして僕らの寿命はさほど長くない。
「ソイ、探しに行こうなんて思ってないよね?」
「大丈夫だよ。わざわざ死にに行くようなことはしない。ヴェルを一人ぼっちになんてしないから心配しなくていいよ」
「うん、私も約束する」
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