第十話

 沙耶は湯船に浸かりながら、嫌な妄想にとらわれていた。今日も所長がやって来たのだ。

 何やらトラブルがあったらしい。一昨日来たばかりなのにこうしてすぐに来るということはかなり大きなトラブルだろう。

 嫌な感じがした。先週メラが亡くなり、数日前にはケニャンが亡くなったばかりだ。そういう類の話ではないことを願うばかりだ。

「もう、さっさと厄除けに行けって言うのに行かないから。トラブルが立て続けに起こるのだってきっと厄払いしてないからだよ」

 お風呂の中での独り言は、必要以上に声が反響する。わざわざ嫌な予感を音声化した自分に腹が立った。

 風呂から上がると、部屋の中ががらんとしていることがなんだか恐ろしく感じた。

 いつもいるはずの父がそこに居ない。入院しているのだから当然だが、メラが居なくなり、ケニャンが居なくなり、父も居なくなったら自分はどうなってしまうのだろうか。

 気を紛らわせようとテレビをつけるが、特に面白い番組があるわけでもない。学年末テストに出るであろうニュースでもチェックしておいた方が良さそうだ。

 ニュース番組にチャンネルを合わせると、見たことのある場所が目に飛び込んできた。この近くだ。

 どうやら身元不明の男性の遺体が見つかったらしい。身長は百九十センチ前後、年齢は十五から十八歳くらい、アフリカ系の黒人。雪の中上着も羽織らず、白い部屋着のような出で立ちで足元は裸足にサンダルだったようだ。外傷もなく争った形跡もない。

 推定される死因は凍死。それはそうだろう、雪の中、サンダル履きで部屋着のままウロウロするなど自殺行為だ。

 だが、アフリカ系の黒人男性? 十代? この辺りでアフリカ系の黒人男性など、父の研究所にしかいないのでは……。

 そしてメラとケニャンが死んだあと、その条件に合致するのは一人だけ。

 そんなわけはない。ニグもあそこから出たら生きていけないことくらい知っているはず。

 だがこの雪の中、雪国の人ならあんないかにも凍死確定な格好で出歩いたりしない。それをするのは『外に出たことが無い人』だけだ。

 沙耶は自分の考えを否定するように、乱暴にテレビの電源を落とした。



「所長、ニグの遺体を回収しました」

「わかった。ご苦労さん。君は少し休んだ方がいい」

「いえ、大豆生田博士の代わりは私にしかできません」

 所長が心配するのも無理はない。遠藤の顔には疲労の色が見えていた。

 実際彼はこのところ過労気味だ。精神的なダメージも手伝って、かなり参っていることは誰の目にも明らかだった。

 朝は確かにここに居た。だが午前中の段階で姿が見えなくなっていた。スタッフ総出で探したが見つけることができず、昼過ぎに探索チームを組んで近隣を探し回った。

 だが昼前から雪が降り出し、足跡などから判断するのが難しくなってしまった。初動の遅れが致命傷となったようだ。

 やることはたくさんあった。外へ出たとなれば恐らく生きて戻るのは不可能だろう。何が何でも自分たちで見つけ出して回収しなくてはならない。

 二次災害を出さないために、ヴェルとソイの監視も必要になって来る。

 そうこうしている間にスタッフよりも先に近隣住民に発見されてしまった。最悪のパターンだ。

 一般人が見つければ、間違いなく救急車を呼ばれる。そして警察に通報されるのは免れない。

 問題なのはその後だ。ニグは日本国籍も無ければ住民登録もしていない。身元不明なのだ。

 何故なら、彼は実験用モルモットなのだから。

 身元不明のアフリカ系黒人として警察は調べ始めるだろう。だがそれ以上首を突っ込まれては困る。この研究所は科学技術省の管理下にある施設なのだ。

 しかも表向きは主に家畜のクローン栽培と、病害虫に強い作物のための遺伝子組み換え技術の研究を行っていることになっている。しかし実際に行われているのはヒトと別の生物との交配、即ち『異種間交配――新種の生き物の創生』なのだ。

 そうしてできた個体はヒトとは異なる細胞の作りを見せる。何かあった時の治療が、ヒトのそれとは違うのだ。

 幸いニグは見つかった時に既に死亡していたため、運ばれた病院でもさほど治療らしい治療もされずに済んだが、もしも生きていたら彼が普通のヒトではないことが明らかになっていただろう。

 いや、ニグなら大丈夫だったかもしれない。近隣霊長類同士の交配だ。もしもそれがヴェルだったら……想像するだに恐ろしいことになっていただろう。

 なにしろ、のだから。

 そんなことが明るみに出てしまう前に、迅速に対応しなければならなかった。科学技術省に一報を入れ、病院側と地元警察に政府から圧力をかけた。遺体を研究所側で回収し、関わった人間には徹底した箝口令を敷いた。これでニグのことは揉み消されたはずだった。

 だが、報道の方が僅かに早かった。研究所側の初動が遅れたことが原因だったと言えよう。圧力がかかる前にニュースで第一報が流されてしまっていた。

 それは尾ひれ背ひれを纏ってSNSで拡散された。皮肉なことに、誇張して付加された憶測は『正しい情報』だった。

 ――遺伝子組み換え技術の研究の為に、ヒトが実験台にされているのではないか、と。

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