第八話

 私に我が子を殺せというんですか――確かに父はそう言った。もしそれがそのままの意味ならば、父は自分を殺そうとしている、いや、所長が父に殺せと命じたということになる、沙耶はそのように理解した。

 だがいくら考えても自分が殺されるような要因は思いつかない。だとしたら、一体何の話をしていたのか。

「ケーキは美味しいかい?」

 急に声をかけられて、沙耶はハッと父を振り返った。

「うん、あたしの好きなケーキ屋さんのだった。ねえ、二つ食べてもいいかなあ? 太るかなぁ」

「たまにはいいんじゃないか? 生ものだから、どのみち今日中に食べないといけないんだし」

「そうだよね!」

 沙耶はもう一つケーキを出すと、セロファンを丁寧に剥がしながら、それとなく父に声をかけた。

「ねえ、所長さん、何の用事だったの?」

「ああ、お父さんの巻き込まれた事故で、いくらか研究所の設備が壊れたらしいんだ」

「ふうん」

 大人はみんな嘘が上手い。だが、やはり自分の父だけは例外だと沙耶は思う。彼が嘘を言わざるを得ない時は、必ずと言っていいほど声が上ずる。

 そこへノックの音が聞こえ、看護師が入って来た。

「大豆生田さん、レントゲン撮りますからね。移動しますよ」

 父は無事だった右腕と左脚で上手に車椅子に乗ると、「じゃ、ちょっと行って来るよ」と言って看護師と一緒に病室を出て行った。

 しばらく父は戻らない。今しかない。所長から受け取った何かの封筒があったはずだ。

 沙耶は父が戻ってこないのを確認して、ベッドサイドの机の引き出しを開けた。

 封筒が入っていた。恐らく、先程所長から受け取ったものだろう。父はこれを読んで泣いていた。

 一体何が書いてあったというのか。彼女ははやる気持ちを抑えて、丁寧に封筒の中身を引っ張り出した。

 これは?

 封筒の表には『はかせへ、ケニャンより』と書いてあった。ケニャンからの手紙か。

 沙耶は中から紙を取り出して広げた。


 はかせへ。

 今までありがとう。それから、けがをさせてごめんなさい。

 早くなおってください。

 ぼくはあばれてしまうのががまんできません。きづいたときには、もううごいているから、がまんする前にはもうおわってます。

 なん人もけがをさせました。みんなびょういんへ行きました。

 ぼくはたぶん、そのうちにだれかをころしてしまいます。それはいやです。

 だれかをころしてしまうくらいなら、じぶんがしんだ方がいいと思います。

 はかせとおわかれするのはすごくさみしいけど、ヴェルやソイをころしてしまいそうでこわいです。いっしょにいたら、ぜったいころしてしまうと思います。

 これからどくを体に入れてもらいます。くるしまないでかんたんにしねるってエンドウさんが言ってたから、しんぱいしないでください。

 ぼくはしぬのはこわくないです。しんだらメラのところに行くから、きっとメラがぼくをむかえにきてくれると思います。

 ぼくの体はかいぼうしてけんきゅうにやく立ててください。

 はかせ、すごく楽しかったです。メラとニグといっしょにうたったりおどったり、ヴェルやソイといっしょにパズルしたり絵をかいたり、はかせやサヤとのおしゃべりも楽しかったです。ぼくはとってもしあわせでした。

 ソイたちが長生きできるようなけんきゅう、がんばってください。

 さようなら。大好きなはかせ。


 ――毒を体に入れて貰いますってどういうことなの? 苦しまないで簡単に死ねるって、これじゃまるでケニャンが遠藤さんに殺されるような……殺される? まさか「私に我が子を殺せというんですか」って、これのことでは。

 沙耶は父が所長に言った言葉を思い出していた。他の言葉は小声で聞き取れなかったが、これだけは間違いなくはっきりと言ったはずだ。

 もしも父の言う『我が子』が研究所の子供たちのことならば、説明がつくではないか。

 そして今回はケニャン、事と次第によっては他の子たちもその対象となる可能性があるということにはなりはしないだろうか。今回は父が入院中だったため、父の代理で遠藤がその役を引き受けたと考えることに矛盾はない。

 一つだけ疑問が残るとしたら、ケニャンがなぜ自ら死を選ぶことになったのか、だ。彼は、自分が誰かを殺してしまうことを懸念していた。なぜそんなことになってしまっているのか。

 そして、ケニャンは今、どうしているのか。

 沙耶はその文面をスマートフォンで撮影すると、丁寧に畳んで再び封筒に入れた。何事もなかったかのように机の引き出しにそっと戻し、チョコレートケーキの続きを食べた。父が戻ってきたときにケーキが減っていなかったら怪しまれるに違いないからだ。

 父は何かを隠している。『長く生きられない』子たちが収容されている筈の研究所。きっとその『長く生きられない理由』が何か大きな問題を抱えている。

 ふと、沙耶は小さい頃のことを思い出した。研究所でソイと一緒にお喋りしていた時のことだ。

 ――いばらの森の奥深くに立派なお城があるの。お城にはお姫様が閉じ込められていて、お姫様はそこから出たことがないの。ある日、王子様がお城の前を通りかかって、お姫様を助けるの。

 ――お姫様はどうするの?

 ――王子様のお城で、王子様と仲良く暮らすの。

 ――お姫様はいばらのお城が気に入ってたかもしれないよ。

 ――そうかもしれないけど、王子様と一緒にいる方が嬉しいの。

 ――僕はサヤと一緒にいる方が嬉しい。

 ――じゃあ、あたしがソイをここから連れ出してあげる。

 あの時、ソイは何と言っただろうか。沙耶には思い出すことは出来なかった。

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