第61話:愛おしい世界
「……今日もいい一日でしたね」
こっちの世界に戻ってきてから6日後の夕暮れ。
あたしは世界が次第に移ろいでいくのをぼんやりと眺めながら、隣の魔王様に話しかけた。
目の前に広がるのは、ごくありふれた日々の風景。
陽が傾き、赤く染まる村のあちこちで、今日という一日をお互いに労う声が聞こえてくる。
――こんな大きな芋、すごいねぇ。掘り出すの、大変だったでしょ?
――イノシシ狩りも若いもんが頑張ってくれたおかげで、上手くいったぞ。
――塩の備蓄が少なくなっていたからね。補充してくれて助かったよ。
やがて広場に設置された大きな鍋から食欲をそそる匂いが漂い、村中を優しく満たしていく。
温かい食事と、美味い酒。
誰からともなく始まる、楽しげな唄。
子供たちが無邪気に踊り、女性が美しく舞う。
ニーデンドディエスみたいな大きな街ではお祭の日ぐらいにしか見られない光景でも、こんな片田舎の村では毎日のように繰り広げられる、今日に感謝する宴だった。
それは人間も魔族も変わらないらしい。
「なぁ、キィよ」
あたしの隣で同族の様子に目を細めながら盃を傾けていた魔王様が、ぽつりと言葉を漏らす。
「世界はどうしてこうも愛おしいのだろうな」
☆☆☆
勇者様たちの決起集会を見届けた後、あたしはようやく魔族の里へと向かった。
街から街へと瞬時に移動できる『移動ロケット花火』でばびゅーんと飛ばされた私の降り立った先は、夜も更けて、しんと静まり返った長閑な村。
誰も彼も寝静まった村の中央、広場の焚き火だけが時折ぱちりと音を立てる。
「キィよ、遅かったな」
その焚き火の前で、魔王様があたしを待ってくれていた。
「まったく、早くこちらへ向かえと命じたというのに、お前というヤツは」
怒るというより、呆れたといわんばかりの口調。
魔王様らしかった。
「あの、魔王様……」
そんな魔王様だからこそ、あたしは言わずにはいられない。
「勇者様、いっぱい仲間を集めてきましたよ」
「うむ。そうか」
「そのミズハさんも戻ってこれましたけど、魔王様のおかげだそうですね」
「ああ、余の方から神に意見しておいた。ミズハのあれは無効にすべきだ、と」
「……どうして?」
ミズハさんが復活したのは素直に嬉しい。でも、
「どうして、魔王様はそんな自分に不利なことをするんです? それに」
本当にあたしには分からないことばかりだ。
「自分が殺されるかもしれないのに、なんでそんなに楽しそうなんですか?」
思えば、魔王様はいつもそうだった。
レベル99になった勇者様が戦いを挑んできた時。
強力な装備を得た勇者様の、目にも止まらない突きを受けた時。
大勢の勇者様の仲間が集結した、校庭の景色を眺める時。
魔王様は、とても楽しそうだった。
「ふむ。楽しそう……か。なるほど、言われてみれば、そうかもしれぬな」
しばらく虚空に視線を彷徨わせ思案した後、ふっと目尻を緩める魔王様。
それでもあたしはぎゅっと握り締めた両手から、まだ力を抜けずにいる。
「神も言っておったが、余は強くなりすぎた。多くの英雄と呼ばれる冒険者たちと
学びすぎたとは変な言葉だった。
まるで悪いことのように聞こえる。
「こんな攻撃してきたら、こう対処すればよい。あんな戦術を駆使するものには、この対応が効果的だ。そんな知識がどんどん積み重なって、いつしか余は他の追随を許さぬ存在となっておった」
他の追随を許さない圧倒的な戦力差……それは常に命を狙われ続ける魔王様にとって、自身の安寧を意味しているはずだ。
なのに
「だが、それが世界を破滅へ導くことになるとはな……」
魔王様が自虐的に笑ってみせた。
「魔王様にそんなつもりは全くないのに……」
「ふ、そうだな。まったく『魔王が世界を滅ぼす』とはよく言ったものだと思わぬか、キィよ?」
「そんな……そんなの残酷すぎますよっ!」
「……ありがとう、キィ」
世界の残酷さに思わず大きな声で反論してしまうあたしに、魔王様が微笑む。
さっきまでの自虐さは消えたけど、それがかえって痛々しく感じられたあたしは、つい涙腺が緩みそうになる。
「キィ、おそらく余はきっとこの時を待っておったのだ」
そんなあたしを魔王様はそっと抱き寄せた。
「余は魔王。世界に混乱と破壊をもたらす者。そして世界を救う勇者に倒されるのが、余の役割。ずっとその勤めを果たしたいと願っておった。それが今、現実のものになろうとしておる」
声を押し殺してその胸を濡らすあたしに、魔王様はこれに勝る喜びがあるだろうか、と穏やかに言い聞かせてくる。
「それに余が討たれれば、世界を存続させると神々は約束したのだ」
「……やっぱり、そうなんですね?」
「ほう、気付いておったか」
「ドラコちゃんが……それとなく話してくれました」
「あやつめ、余計なことを。これではキィを安心させて涙を止めさせるという余の陰謀が台無しではないか」
「……魔王様」
悔しそうに呟く魔王様には悪いけど、そんな陰謀が仮に成功したとしても、あたしの涙が止まることなんてなかったと思う。
なんで……なんでこんないい人が魔王なんだろう!?
魔王様は自分の役割を受け入れているけれど、あたしには無理だ!
誰に何と言われても、あたしは魔王様が魔王だなんて運命を受け止められない。
受け止めてなんかやらないっ!
「キィよ、泣き止まぬならそれまで余の話を聞いてはくれぬか?」
「……話?」
「そうだ、とある学者を生業とする魔物の話だ」
魔王様があたしの頭をやさしく撫でながら、ゆっくりとある魔物の物語を語り始める。
昔、あるところに世界の全てを知りたいと願う魔物がいたそうだ。
しかし、魔物の里で得られる知識には限りがある。だから魔物は大図書館があると言われる人間の町・ダイギリンへ行くことに決めた。
「幸いにも魔物は頭に角がある以外は人間そっくりであった。角さえ隠すことが出来れば、人間の社会に紛れ込むことも出来よう」
「……はい」
「しかし、角を隠す魔法を覚え、意気揚々と里を出たはいいものの、魔物にはある困った欠点があった」
「……欠点、ですか?」
なんだろう? 語尾に必ず『まもの』って言ってしまう、とか?
「魔物は極度の方向音痴だったのだ」
「…………」
「おかげで魔物の旅は、思いもよらぬ場所にばかり辿り着くのが常であった」
「…………」
「だが、おかげで魔物は実体験で様々な知識を身に着けることができたのだ」
例えば人間の吟遊詩人と仲良くなって、楽器の弾き方を教えてもらったり。
また例えば海辺の町では獲れたての魚を捌いて刺身で食べることを覚えたり。
「もっともその知識欲のせいで相当無茶なこともした。ギャンブルカクテルで危うく石になりかけたり、とかな」
「……魔王様、その魔物って」
「そんな魔物ではあったが、冒険者と魔王の大戦争後、とある研究に没頭することになる」
魔王様があたしの言葉を遮る。口調は変わらず穏やかだけど、まるで余計な詮索はせず今は黙って話を聞いてほしいと言わんばかりだった。
「研究対象となったのは、勇者病だ。考えてもみるがよい。発病するやいなや老いも若きも冒険者になり、治った途端、冒険者だった頃の記憶がなくなるのだぞ。他に類の無い、恐ろしく奇妙な病気ではないか」
「……はい」
「それに魔王との大戦争後、勇者病の患者たちが次々と完治し、発病数も極端に減ったのだ。これはどういうことなのだろうと魔物が疑問に思い、調べた結果、魔物は恐ろしい仮説――この世界が実は魔王を倒すために作られた舞台なのではないか――を導き出した。もしそれが真実であるのなら、この世界は今後危機的状況に陥ることもありうる。魔物はなんとかせねばと苦悩した」
「…………」
「そして魔物はこのことを魔王に進言することにしたのだ」
「……どうして魔王様に?」
「魔王がこの世界で最強の力の持ち主だからだ。魔王ならばなんとかできるかもしれないと思ったのであろうな」
そうして魔王様はこの世界の真実(仮定)を知らされたのだろう。
「……そう言えばミズハさんたちの世界へお邪魔した時に『不思議な奴からこの世界のことを知れと言われた』とかなんとか言ってましたよね。それがその魔物さんなんですね?」
「うむ」
「あれ、でもなんでそんな不思議な人のことをこんなにも詳しく……それにその魔物って」
「さて、キィよ。そろそろ眠るがいい。明日はこの村を案内してやろう」
突然、魔王様がそんなことを言ってきた。
いや、こんな中途半端に話を聞かされて眠ることなんて……。
でも。
「いい夢を見るがよい」
突然訪れた不可思議な睡魔で急激に遠のいていく意識の中、そんな魔王様の声を聞いたような声がした。
☆☆☆
一日の終わり。今日という日を労うささやかな宴を前にして、魔王様は「世界はどうしてこうも愛おしいのだろうな」と口にされた。
翌日以降、魔王様に案内してもらった魔族の村は、とても活気に溢れていた。
魔族というイメージに反して朝はとても早く、健康的な運動から始まる。
軽く体を動かした後は、それぞれの仕事へ。谷底へ水を汲みに行くゴーレム。狩猟に出かけるミノタウルスやホブゴブリン。驚いたことに村のはずれには畑まであって、ワーウルフやスケルトンが汗を流していた。
そしてあたしを案内しながら、魔王様も様々な仕事をこなす。
刈りに出かけるという者には、獲物に気配を悟られぬよう呪文を施し。
ゴーレムが汲んできた水に手をかざし、畑に撒かせると、農作物があっという間に実った。
それを他の魔族に混じって、ひとつひとつ丁寧に手で収穫もする。
雨漏りがするという話を聞いては、屋根にも登るし。
時には子供に混じって「魔王ごっこ」に興ずることもあった。
あ、ちなみに「魔王ごっこ」は、世界各地で悪行の限りを尽くし、ついに魔王城に乗り込んできた勇者様を魔王様が華麗に撃退するというもの。魔王様の役どころが悪逆非道な勇者様ってのは面白かった。
ここでは誰もが魔王様を慕っていて。
魔王様も全ての魔族に分け隔てなく接していた。
ただ王座でふんぞり返っているだけなんてことはなく。
仲間の魔族とともに、今日という一日を精一杯生きる魔王様がいた。
「働かざる者、食うべからず。まぁ、当たり前であるな」
その日の収穫を元に作られる鍋から自分の分をよそい、ついであたしの分も取り分けてくれた魔王様が「ほーれ、ほーれ。欲しかったら手に入れてみるがよい」と椀を天高くふわりふわり。
「えーえー、そりゃああたしは何にもしてませんでしたよ。でも、魔王様がそんな子供みたいなことをするなっ!」
笑っちゃうほど無邪気な魔王様に、ぴょんぴょんとジャンプして椀に手を伸ばすあたし。
そんな光景にみんなも爆笑する。
のどかで、温かい、本当にどこでもあるような一日の風景。
あたしが人間のみんなに知ってほしい、魔王様の本当の姿がそこにあった。
「魔王様……」
魔王様の仰る、愛おしい世界をあたしも見つめる。
「この世界が、誰一人欠けることなく、いつまでも続くといいですね」
翌日。
魔王様は最後の戦いに赴かれた。
あたしひとりだけを従者として連れて。
仲間にはまるで散歩にでも行ってくるような気軽さで別れを告げ。
決して戻ることのない。
愛しいこの世界を守る戦いに身を投じた。
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