第37話:驚きの魔王様の鑑定額

「なっ!? あの魔法はまさか……」


 空に突如として現れた巨大な火の玉に、コウエさんが絶句した。


「すごい……あんな巨大なファイアーボール、初めて見た……」


 ミズハさんも声を震わせる。

 ファイアーボールと言えば、せいぜいが握りこぶしほどの大きさだ。魔王様はよく頭の大きさのファイアーボールを出すけど、実際に攻撃する時は小さく分裂させる。多分、それだけ大きくなるとスピードが犠牲になって躱されてしまうのだろう。

 

 でも今、魔王様の遥か頭上に浮かぶのは桁外れに大きい。

 あんな大きなものが落ちてきて爆発したら、いくら直撃を躱せても大変なことになりそうだ。

 

 と、不意に魔王様がドラコちゃんと戦った時のことを思い出した。

 あの時はあたしを囮にして自分は姿を隠し、星落としスターフォールという大魔法を炸裂させた魔王様。いくら魔力があっても、大がかりな魔法を使うには詠唱に時間がかかるんだって言ってた。

 

 じゃあ今回はいつ詠唱したのか?

 答えは簡単。勇者様の攻撃は、一撃で倒せる力が集まるまで決して当たらない。だから魔王様は悠々と魔法を詠唱することが出来たんだ。

 

 何もしていないようで実はしっかり反撃の準備を整えていたなんて、さすがは魔王様! なんだけど……。

 

「おい、やばいぞ! あれは地獄の炎禍デス・インフェルノじゃねーか! かつて勇者ツキガタたちが魔王に倒された魔法だ!」

「だとしたらやっぱりあいつは魔王!?」

「間違いない、マジで魔王だっ!」


 火の玉がさらに膨張していくのに呼応するかの如く、周りのざわめきがも大きく広がっていく。

 ここにきてあたしは、ようやく事態がもう後戻り出来ないところまできていることを悟った。

 

 魔王様の正体をみんなに明かしてしまった勇者様。

 勇者様の攻撃を平然と受け止め、巨大ファイアーボールを作り出した魔王様。

 もはや旅芸人のパトだなんて嘘は通用しないだろう。

 ああっ、せっかくここ数日は平穏だったのに、それがこうして突然終わりを迎えるなんて!

 

「ああ、もう、勇者様のせいでめちゃくちゃだぁ!」


 例によって例の如くうちのスタンドプレイにもほどがあるバカタレ勇者様を呪いながら、あたしは冒険者の皆さんが、蜘蛛の子を散らすように逃げ出すのをただ呆然と見守るしかなかった。




 冒険者が逃げ惑う中、空高く浮かぶ巨大ファイアーボールに向けて手を伸ばして魔王様が、その腕をゆっくりと降ろす。

 ギシリッと軋む音と同時に、ファイアーボールがゆっくり、でも確実に地面めがけて落ちてきた。

 

 冒険者の多くはすでに避難している。

 それでも残って戦いの行く末を見守ろうとする数少ない冒険者たちは、皆バリアを張ってファイアーボールの爆発に備えた。


 あたしたちもミズハさんがバリアを張ってくれた。

 今ここでバリアの中に退避いないのは、まさにファイアーボールが餌食にしようとしている勇者様だけ。

 そして勇者様は圧倒的暴力を前にしても怯まず、ソードフィッシュソードを目の前で構え

 

「ふん!」


 と気合の声と共に一閃、迫り来る炎の塊めがけて振りぬいた。


 瞬間。

 世界の全ての音が、爆音に飲み込まれた。


 重戦士がかき鳴らす、ガチャガチャうるさい鎧の鉄板がこすれる音も。

 恐怖のあまりに喉の底からあげた魔法使いの悲鳴も。

 コウエさんの息を飲み込む音も、ニトロさんの感嘆も。こんな時なのに漏らすドラコちゃんの欠伸や、ぎゅっと握り締めてくるミズハさんの吐息、ドキドキと脈打つあたしの心臓の鼓動すら、爆音が根こそぎ奪い去ってしまった。

 

 しかも奪われたのは音だけじゃない。

 爆発した炎塊の破片が飛び散って、あたしたちを包むバリアにもべちゃりと張り付いた。

 一瞬にして真っ赤に染まる視界。マグマがどろどろと蕩けて下へ滑り落ちていく様は、どこか人間の体液を想像させてゾッとする。

 

「ひっ!」


 バリアが解除され、視界を覆っていたマグマがばしゃんと地面に落ちた先に広がっていた光景に、思わず喉が痙攣した。

 草花に覆われた地面は無残に抉られて地肌が剥き出しになり、マグマが四散し、至る所で火の手が上がっている。

 いつもは髪を揺らす心地よい風も、今は熱風となり息をするのも辛い。

 まるで地獄だ。

 でも、その中心で。

 

「……俺、マジでスゲェ」


 勇者様がひとり、恍惚とした表情を浮かべていた。


「スゲェ。スゲェぞ、この鎧。あんな攻撃を喰らっておきながらダメージが全然ねぇ!」


 さらに興奮のあまり、口調が元に戻っていた。


「よし。よし! よぉぉしぃ!! これならマジで魔王に勝てるぞ、コンチクショーー!」


 さらにさらに謎のダンスなんかを踊り始めてしまう。


「…………」


 そんな勇者様を黙って見つめる魔王様。

 その瞳の奥がこんな状況にもかかわらず怪しく光ったように見えたのは、あたしの目の錯覚だろうか。

 

 「うおりゃああああああ!」


 再び勇者様の猛烈な攻撃が始まった。

 魔王様は変わらず突っ立ったままだけど、また密かに何か呪文を唱えていたりするんだろうか?

 でも、耳をすませてみても、魔王様の詠唱は聞こえてこない。代わりに聞こえてくるのは……。

 

「信じられねぇ。あいつ、あの勇者ツキガタを倒した地獄の炎禍です・インフェルノを食らってもピンピンしてやがる」

「しかも攻撃がますます激しくなってきたぞ」

「おい、もしかしてこれ、マジであいつが魔王を倒すんじゃねぇか?」


 状況を確認すべく戻ってきた冒険者たちによる、どよめきばかりだった。

 そうだよねぇ、あの勇者様がまさか魔王様必殺の一撃を耐え切るとは誰も思ってなかったよねぇ。どよめく気持ちもよく分かるッ!


 ただ、魔王討伐は冒険者たちの、ううん、すべての人間の悲願だ。

 その絶好のチャンスに、やがてどよめきが勇者様への応援に変わるものだとばかり思っていた。

 でも。


「わっはっはっ。魔王、近い、近いぞ、お前の最期がなぁぁぁぁぁぁぁぁ!」


 いつまで待っても戦場に鳴り響くのは調子に乗った勇者様の叫喚ばかりで、冒険者たちの声援は聞こえてこない。

 それどころか勇者様が調子に乗れば乗るほど、それを見守る周囲の視線はどこか険しくなっていく。

 

 眉間に皺を寄せる魔法使いのおじいさん。

 憮然とした表情を隠さない剣士。

 あのミズハさんすら、いつもなら「凄い! スゴイ!! すごいよ、ハヅキ君!! これ、絶対、魔王に勝っちゃうよ!」とはしゃぐはずなのに、今はただ浮かない顔つきでふたりの戦闘を眺めている。

 なんだろう? なんだか様子がおかしい……。


「……勇者よ」


 久しぶりに魔王様が口を開いた。

 

「どうにも先ほどから皆に睨まれている様に思うのだが、余の気のせいであろうか?」


 と思ったら、まったくもってひどいボケをかましてきた!

 みんなに睨まれているって、そんなの

 

「魔王様があんなことをしたからに決まってるでしょ!」


 戦闘中のところ申し訳ないけれど、ツッコミを入れずにはいられない。


「あんなこと、とは?」

「勇者様だけじゃなくて、危うくみんなも巻き添えを食らうところだったじゃないですか!」


 そりゃあみんなも怒って当然ですよ。それが分からないって魔王様もアホか? 勇者様と同じお馬鹿さんなのか?


「ふむ。確かに。だが、ならば問おう。余が憎ければ、普通は襲いかかってくるものではないのか? しかるに、いくら待てども誰も余と勇者の戦いに入っては来ぬ。何故だ?」


 ……あ!

 魔王様の言葉に、あたしは小さく声をあげた。

 先ほどの魔王様の発言がただのボケじゃなかったから、じゃない。

 ようやく気になっていた状況の異常さがはっきりしたからだ。


 そうだ。なんでみんな見ているだけなの?

 どうして魔王様に襲いかからないの?

 酷いことをされた上に、そもそも魔王様は人間の宿敵だ。

 ここぞとばかりに総攻撃を仕掛けてもおかしくない。

 いや、おかしくないどころか、ミズハさんなんて絶対、勇者様の手助けに入りたがるはずだよね。なのにどうして?


 ミズハさんの様子をそっと覗き見する。

 ミズハさんは、もどかしいとばかりにかすかに拳を強く握りしめていた。


「はっ、何を言い出すかと思えばそんなことかっ!」


 ところが勇者様はあたしや魔王様の疑問を鼻で笑い飛ばす。

 どうやら勇者様には明確な答えを導き出せるらしい。

 教えてください、勇者様っ!


「奴らはな、今、戦闘どころじゃねぇんだ。なんせ」


 そしてやにわに頭の上で剣を水平に構え、精一杯格好つけた勇者様はニヒルな笑顔を浮かべてのたまうのだった。


「みんな酔っ払っちまってるんだからな、レベル99の俺様の妙技によ!」


 …………あー、うん、期待したあたしがバカでしたよ、勇者様っ!


「アホか! てめぇなんか早く殺られちまえ!」

「ふざけるのもいい加減にしろ!」


 もちろん、当然の如く浴びせられる罵声、罵声、もひとつ罵声。


「うっせぇ! お前たちはただそこで黙って見てればいいんだよ! 俺様が魔王を倒し、お前たちみんなが羨むような名誉と、莫大な金を得るその時をな!」


 苛立たしげに剣を振りまわす勇者様。うん、サムライにクラスチェンジした頃の重厚さが露とも感じられないっ。


「ともかく、魔王! 貴様はそろそろ倒されちまえ!」


 それでも何とか威厳を取り戻そうと、勇者様は再度剣先を魔王様に向けて構えを取る。

 が、

 

「ふむ、金か……。どうやら余の首に賞金がかけられておるようだが、参考までに訊いておきたい。一体幾らの値がついておるのだ?」


 肝心の相手である魔王様はこんな調子で、勇者様の意気込みを見事にいなしてみせた。


「そんなもん、お前が知る必要ねぇだろ?」

「そうツレないことを申すな。一体幾らの金をおぬしが得るのかを知らぬままでは、余も死んでも死にきれぬではないか」


 うーん、なんだか漫才みたいになってきたなぁ。

 てか、あの魔王様が自分の死をほのめかすなんて信じられない。「死ぬ前に教えてくれ」だなんて、似合わないにもほどがある。


 それにもうひとつ、気になることがある。

 魔王様に懸けられているという賞金のことだ。


 そんなの聞いたことない。

 自慢じゃないけど勇者様にこき使われて長いあたしは、ギルドに張り出されている賞金首モンスターをしっかり記憶している。

 でも、魔王様に賞金なんてかけられてなかった。魔王様どころか、ドラコちゃんも同様。どうやら魔王様やドラゴンなんてのは、賞金のかけようがないってことなんだろう。

 

 もっとも、賞金はかけられていなくても「ドラゴンを倒しました」「魔王を倒しました」なんて実績だけで、お金儲けはいくらでも出来ちゃいそう。

 実績をウリにしての道場経営はもちろん、『私はこうして魔王を倒した』なんて自伝を出せばベストセラー間違いなしだもん。別に賞金がかけられてなくても、実にオイシイ……ってそういう話じゃないか。

 

 と、とにかく魔王様に懸賞金なんてない。ただ、副次的にお金儲けが出来るだけだ。

 勇者様が「魔王を倒すことで莫大な金を得る」って言ったのもあながち間違いではないけど、魔王様が想像したような賞金の類じゃない。だから具体的な金額なんて言えるはずがないんだけど……。

 

「……一千万だ」


 勇者様が吐き捨てるように答えた。

 ちなみに一体どういう計算で出てきたかは不明。でも、いくらざっくりと計算したとしても一千万はちょっと……。


「ほぉ。一千万エーンか。大層な値段ではあるが、さて」


 魔王様が勇者様の握り締める剣を指差す。


「ソードフィッシュの角と同じ金額というのは、さすがに安すぎではないか、勇者よ?」


 ですよねぇ?

 魔王様を倒せば色々な方法でお金儲けが出来て、収入たるや、ざっと見積もっても一千万エーンは軽く凌駕するはずだ。だいたい、魔王様を倒して素材と同じ値段のはずが……。

 

「てか、なんで魔王様、ソードフィッシュの換金額を知ってるし!?」


 気がつけばまたまた思わずツッコミを入れていた。


「ふむ。余にはこれがあるのでな」


 と、懐からお馴染みの究極魔導書アルティマニアを取り出す魔王様。

 

「『第六章・素材の入手場所と入手方法、及び換金額について』に載っていたのだ」


 なんて便利! ベストセラー間違いなしの『私はこうして魔王を倒した』よりも売れそうじゃないかっ。


「故にそのような高級素材をネコババしようとするキィを果たしてどうしたものかと頭を悩ませたものである」

「うわん、魔王様にもバレてたの!?」


 これは恥ずかしい。恥ずかしすぎるっ。だから、こんな時は!


「で、でも、勇者様のどんぶり勘定も相当酷いですよねっ」


 恥ずかしいので、話の矛先を勇者様に向けてやりましたよ、ええ!


「魔王様倒して一千万エーンぽっちなんて、あるわけないじゃないですよねー。あたしでもその五倍くらいは軽く稼げ」

「一千万エーンじゃねぇよ!」


 憮然と。

 勇者様が私の言葉を遮った。


「一千万は一千万でも、エーンじゃねぇんだよ」


 はえ? なんだそりゃ? また勇者様ったら負けず嫌いでテキトーなことを。


「エーンじゃない一千万か。それは興味深い」


 だけど魔王様は、なぜか勇者様の言葉にのっかかる!


「魔王様、そんなの勇者様が口からでまかせを言ってるだけですってば」

「否。今の勇者の発言は」


 魔王様がニヤリと嗤った。


「決して聞き捨てならぬ興味深いものであった」


 やにわに魔王様は開いた掌を軽く掲げ、天に向ける。すると勇者様や魔王様の足元から、無数の、なにやら淡く光り輝くものが立ち昇り、ふんわりと空中を漂い始めた。


「なっ、なんだこれ?」


 戸惑う勇者様をよそに、無数の光はゆっくりと勇者様を中心に回り始める。目を凝らしてよく見れば、光はとても細い線のようなものが発光しているようだった。

 ひとつひとつは白く輝くものの、次第に結合していくにつれて、光は金色を帯びていく。やがて金色の糸のようになって勇者様の周りをぐるぐると回転し、そして。


「勇者よ、ここからは余の番だな」


 魔王様が掲げた掌をぎゅっと握り締めると同時に、勇者様は光のロープによって拘束されたのだった。

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