ミズハさんに腕を引かれ、勇者様たちから距離を取っている最中ですが、ここでちょっと薀蓄を。

　武器職人曰く、ソードフィッシュのツノを加工して作り上げた剣は鋼よりも硬く、それでいて羽のように軽いのが特徴だそうだ。

　あまりにも軽いので本来の攻撃力を引き出すのは至難の技だけど、使いこなせれば圧倒的な攻撃速度で敵に反撃の暇すら与えないらしい。

　

　だから

「勇者よ、今更なんだが余はもしかしたら魔王ではないのかもしれぬ」

　突然のソードフィッシュソードの攻撃を避けるだけでなく、

「ふん、仮にそうだったとしてもお前は俺が倒す！　恨むなら俺をここまで強くしてしまった自分自身を恨むんだな！」

　その刀身を中指と人差し指で挟み、

「……そうか。そうであったな。余は己の目的を果たさんために勇者を育て上げたのであった。いかんな、思わぬ展開にすっかりそれを忘れていた。礼を言うぞ、勇者」

　攻撃を受け止めるなんて芸当を出来るのは、

　

「ぬかせ」　

　

　魔王様が魔王であることを雄弁に語っているんじゃないかなとあたしは思う。

「てめぇはここで死ね！」

　勇者様は剣を魔王様の指から引き抜くと両手に持ち替えて一度構え直した。

　胸の前あたりで握り、高々と持ち上げた刀身に陽の光が反射する。魔王様が眩しそうに目を細めるのを、勇者様は決して見逃しはしなかった。

「きぇぇぇぇぇいいいいい！！」

　気合の篭った発声とともに繰り出されるのは、魔王様の顔面を狙った無数の突き、だと思う。

　と言うのも、あまりに勇者様の攻撃が早すぎてよく見えないからだ。

　刀身も、勇者様の腕も、まるでそこだけ水平に土砂降りの雨が降っているかのように霞んでよく見えない。

「すごい。ハヅキ君の攻撃も凄いけど、パトさんもあんな連続攻撃を紙一重で躱し続けるなんて信じられない。やっぱりあの人が魔王……」

　ミズハさんが感嘆の声をあげる。

　確かに。傍から見たらその通りだろう。でも。

　

「違いますよ、ミズハさん」

「え？　魔王じゃないの？」

「あ、そうじゃなくて。攻撃を躱されているわけじゃないんです。だって勇者様は……」

「んー？　あ、そうか！　ハヅキ君のパーソナルスキル！」

　ミズハさんがなるほどと頷いた。

　そう、勇者様のパーソナルスキル・一撃必殺（キラータイトル）は一撃で倒せる攻撃力に達するまで敵に当たらない。だから魔王様もわざわざ避ける必要なんてないんだ。

　思い返せば最初に勇者様がレベル９９になって決闘を挑んだ時、魔王様は結構派手に動き回っていた。

　勇者様の攻撃に魔法障壁を張り、半身を動かし、バックステップすらしている。

　それが戦いを繰り返すうちに、そんな派手な立ち回りはしなくなった。

　そして今、強力な武器を手に入れ、おそらく勇者様がこれまでで一番のパワーアップを遂げたにも関わらず、魔王様は一歩も動かない。

　勇者様のパーソナルスキルを完全に理解したからだろうけど、それでも殺意が充分に籠もった攻撃にピクリとも反応しないなんて、さすがは魔王様だ。凄まじい精神力！

　ざわざわざわ……。

　勇者様の攻撃がどんどん鋭さを増していく中、周囲のざわめきもますます大きくなっていく。

　当初は勇者様の「魔王」発言に驚いていた。

　それが勇者様の攻撃の早さ、躱し続ける（ように見える）魔王様の機敏さへの感嘆に変わり、やがて全然当たらないことに戸惑い始める。

　が、勇者様のパーソナルスキルを知っている人に状況を説明され、改めて驚きの声をあげるのだった。

「へぇ、お前の弟さん、大したもんじゃねぇか」

「……そうだな」

　もっとも、私たちの近くで戦いを見守っているニトロさんとコウエさんはあまり驚いてはいない。

「レベルカンスト状態に加えて、サムライにソードフィッシュの剣という組み合わせも最強。インセ樹アーマーで防御の方もばっちり。こいつは手強いぜ」

「見たところ能力値の振り分けもよく考えているようだ」

「それにあいつのパーソナルスキル……一撃必殺（キラータイトル）って言ったっけか？　あれもよくよく考えたらとんでもないチートスキルだよな！」

「ああ。対ボス戦では強力な切り札になる」

　冷静に勇者様の能力を分析していく。

　そう言えばふたりともかつては魔王様に戦いを挑んだ高レベル冒険者だったって言ってたっけ。

　

　魔王様と人間との戦いと言えば、やはり有名なのは十年前の大決戦だ。

　ふたりが言っているのはその時のことなのかな？　でも、そのわりにはふたりともあまり年齢がいってないように見えるけど。

「それにしてもあのパトって野郎、なんで反撃しないんだ？」

「…………」

「このままじゃいつか弟さんのパーソナルスキルが発動しちまうぞ？」

「…………」

「なぁ、コウエ。お前、パトの正体って何だと思う？」

「……分からない」

　コウエさんが呟いた。

　

　コウエさんは魔王様が魔王様じゃないと断言した。

　理由は、かつて戦ったことがある魔王様と全く違うから。

　私としては魔王なんだから変身の二回や三回はあるんじゃないのって思うんだけど、魔王様の様子からするとどうやらそんなのはないらしい。

　でも、魔王様が魔王じゃなかったら一体何だって言うんだろう？

　そりゃあ聞いていたのと違って、優しかったり、礼儀正しかったり、方向音痴だったりするけど、あの無尽蔵な魔力とか、あたしを非情な作戦で囮にするあたりなんかはとても魔王らしいって思うんだけどなぁ。

　実際、魔物たちを率いてもいるしね。

「だが、もしかしたら」

「奴は魔王じゃぞ」

　突然、コウエさんの答えに被せた形で、誰かが私たちに近付いてきて言った。

　

「ドラコちゃん！？」

　声をかけてきたのは、いつの間にか私の隣に立っていたドラコちゃんだった。

「何やら冒険者どもがあちこちから集まってはこの丘を登っていくのが見えてな。慌てて来てみたら案の定じゃ」

　ドラコちゃんが答えながらあたしの腰をがしっと掴むと、わっしわっしとよじ登ってくる。

　うーん、ドラコちゃん、あたしが肩車しなくてもふたりの戦いは見えるんじゃないかなぁ？　いや、別に重いわけではないんだけどさぁ。

「それにしてもえらく冒険者が集まったもんじゃ。ったくこんな大勢の中での戦いとは、すべては魔王の思う壺ではないか」

「へ？　いや、でも今のところ、勇者様が圧倒的に押しているように見えますけど？」

「それも魔王の手の内よ」

　そうなの？　全然わからんっ！

「会話中、申し訳ありません」

　そこへコウエさんが割り込んできた。

「なんじゃ、おぬし？」

「僕は冒険者のコウエと言います。あなたはもしや紅蓮竜のアリスローズではありませんか？」

「ほう、こんな姿をしているのによく見抜いたものじゃ。おぬし、冒険者になって日が浅いようじゃが……ああ、そうか復帰者（リターナー）じゃな」

「その言葉を使っていいのですかっ！？　ここには彼女がいるのに」

「構わん。どのみちすぐキィも知ることになるじゃろう」

　はい？　すぐ知ることになるって、一体なんのことですのん？

「彼女が！？　しかし、彼女はごく普通の……」

「うむ。だが、こやつは魔王お気に入りの奴隷であるからな」

「……どういうことですか？　彼女は弟の従者だと聞いていますが？」

「元は、な。じゃが魔王は勇者を破った後、こやつのステイタスカードを操って自分の配下にしよった。だから今は魔王の下僕じゃ」

　ちょ、ドラコちゃん、それ言っちゃダメッ！

　だってここにいる人、みんな冒険者なんだよ？　冒険者の敵＝魔物で、その魔物の親玉がすなわち魔王様っ！

　そしてあたしはその魔王様の忠実な……とは言えないし、そもそも無理矢理配下にされたんだけど、立場上はものの見事に魔物クラスタなわけですよ。

　こんなこと周りに知られたら、冒険者たちにボコられるスライムみたいになっちゃうよっ！

「あ、あのぅ、コウエさん、このことはどうかご内密に。あたし、確かにステイタス上は魔王様の奴隷ですけど、別に人間と敵対するつもりはまったくありませんし、そもそも私も人間ですしおすし」

　おすしってなんだよ、あたし。ちょっと落ち着け。

　まぁ、でもコウエさんは勇者様と違ってしっかりした常識人だ。あたしの複雑な立場もきっと理解してくれるはず！

「……はぁ」

　オーマイゴッド！　ため息で返事って、絶望的すぎじゃありませんかねっ！

「あ……ああ、ごめん。大丈夫、君の立場は理解している。襲ったりはしないし、他の連中にも言いやしないさ。……僕が溜息をついたのは、弟が言ったことの意味が分かったからだよ」

　非常事態に備えてジリジリと距離を開け、いつでも開幕スタートダッシュ逃亡をかませるようしていたあたしに、コウエさんが苦笑いを浮かべて言った。

「勇者様が言ったこと、ですか？」

「ああ。あいつ、魔王を倒して取り戻したいものがあるって言ったんだ。僕はてっきりそれをあいつ自身の自信とか、プライドとか、そういうものだと思っていたんだけど……」

　コウエさんがじっとあたしを見つめてくる。

「な、なんでしょうか？」

「……いや、なんでもない。そうだ、それよりもアリスローズ、僕には貴方に聞きたいことがある」

　む、露骨に話を変えられた。

　でもまぁ、さしあたってあたしがボコられる危険は去ったみたいだからよしとしよう。

「お察しの通り、僕は復帰者（リターナー）です。前回はツキガタと名乗っていました」

「「ええっ！？」」

　あたしとミズハさんは思わず声をあげた。

　驚いた。

　勇者ツキガタと言えば、十年前の大戦で冒険者たちを率いた大英雄だっ！

　それが勇者様のお兄さんだったなんて……これは驚かずにはいられないよっ。

「うそっ。コウエさんがツキガタ様っ！？」

　ミズハさんも目を見開いて、コウエさんに憧れの眼差しを送っている。

「ご存知の通り、僕たちは魔王に戦いを挑んで破れた。よく敗北から学ぶことは多いと言うが、魔王との戦いにおいて学んだのはただひとつ。『これはとてもじゃないが勝てない』だ」

　そんなあたしたちの反応を他所に、コウエさんはドラコちゃんとの会話を続ける。

　

「だけど、もうひとつ学んだことがあった」

「なんじゃ？」

「魔王の容姿だ。僕たちはあの戦いの中で魔王の姿をはっきりと見た。それは今、弟と戦っている奴とは似ても似つかぬ相手だったよ」

　居間でコウエさんがこの話をした時、魔王様は随分と考えておられた。

　そりゃそうだ。今まで自分は魔王なのが当たり前だったのに、突然否定されたんだもん。

　

　とは言え、結論は簡単だよね。

　コウエさんが何を見たのかは知らないけど、あたしがキィ・ハレスプールであるように、魔王様は魔王様に違いない。誰が何と言おうと、自分のことは自分が一番知っている。

　

　だからきっとコウエさんは何かのモンスターを魔王と勘違いしたんだと、その時は思った。

　だけどコウエさんの正体があの勇者ツキガタだと分かった今、それは一気に疑わしくなる。

　だってさ、何千人という冒険者が束になっても敵わなかった相手と戦った人だよ？　それが相手は魔王じゃありませんでしたって、そんなの悲劇を通り越して喜劇になっちゃうよ。

　

　んー、でもそうしたら魔王様が魔王じゃなくなるわけで、それはそれで大問題なわけで……。

「あ、そだ。実は魔王って何人もいたりするんじゃないですかね？」

　あたしたち人間だって国ごとに王様がいるように、魔物の世界にもそういう仕組みになっていてもおかしくないはずだっ！

　でも。

「それはない。ありえないんだ」

　あっさりコウエさんに否定された。

「ありえないってどうしてですか？」

「僕からは教えられない。ただ、それはありえないんだ、この世界の生い立ちを考えると」

　世界の生い立ちって、なんだかすごく壮大な話になったよ！

　思いも知らぬ規模の話になってぽかーんとするあたしをよそに、コウエさんは押さえ切れない興奮に体を震わせて続ける。

「だから僕は混乱している。僕たちが戦ったのは魔王だ。それは間違いない。だが、だとしたら今、弟が戦っているあいつは何者だ？　あいつは勇者病の正体を知っていた。おそらくはこの世界の真の姿にも気付いたはず。そんな思考に至ったあいつは一体……」

　その時だった。

　

「おい、あの魔法はまさか！？」

　ニトロさんが空を指差して話に割り込んできた。