第30話:魔王様、人間のお酒を嗜む

 今後、勇者様にどうやって接するのか?

 

 さっきまでそんなことを考えていたけれど、待ち合わせ場所の『復活の呪文亭』に急ぐあたしの胸のうちはとうに決まっていた。


 とにかく一発殴りつける!


 それで怒られたって構うもんか。

 勇者様はそれぐらい、あたしに対してひどいことをやった!

 だってあたしに相談もせず、素材を売り払うのではなく、それで武器と鎧の製造依頼を出しちゃったんだもん!


 ギルドの規定により、冒険で得られた素材や宝物は換金金額の十分の一を従者に支払うことになっている。

 でも、あの超高級素材を換金しなかったってことは、勇者様に千三百万エーンは入ってこないわけで。

 それでいて勇者様があたしの取り分である百三十万エーンなんて大金を持っているとは到底思えなかった。


 ふざけんなっ! あたしが貰えるはずだったお金を返せ!


 ふくれっ面をしながら、大通りをずんずんと歩く。

 日が沈んですっかり暗くなったものの、復活の呪文亭の辺りはお店の窓から溢れる優しい炎の光でぼうと浮かび上がっていた。




 復活の呪文亭は私が知る限り、ニーデンドディエスで一番安く飲み食いが出来る酒場だ。

 それゆえにいつもお客さんでごった返していて、今日もまた満員御礼の繁盛ぶりだった。


 ただ、いつも以上に盛り上がっていると言うのなら、その理由は間違いなく、旅芸人という触れ込みでゴチになっている魔王様とドラコちゃんによるものだろう。


「キィ、こっちだ」


 勇者様を探してきょろきょろしているあたしを、魔王様が片手を上げて手招きする。


「ま、じゃなくて、パトさん、うちの勇者様見かけ……って、なんですか、コレっ?」


 魔王様のテーブルを埋め尽くす、空のグラスやジョッキの数々を見てぎょっとした。

 一体どれだけ飲んでるんですか? てか、これだけ飲んで素面って魔王様スゴイ……。


「おい、次はコイツだ。『ストーンコールド』。その名の通り、石化率五十パーセント、凍結率三十パーセントのヤバい奴だぜ」


 しかも、もうテーブルにはグラスの置き場なんてないのに、まだ飲み物が振る舞われてくるし……って、オイ!?


「石化とか、凍結とかって、なんて危ない物を飲んでるんですかっ!?」


 あたし、知ってる。これってギャンブルカクテルとか言うヤツだ。

 普段は携帯用の小瓶に入っていて、ボス戦の前とか、あと今のレベルでは危険な場所で経験値稼ぎをする時に飲むものらしい。

 上手くいけば攻撃力とか、防御力が一時的に跳ね上がるけど、代わりに下手すれば深刻なステイタス異常に見舞われるとか。

 当然、失敗した時の為の回復剤も常備しておかなければ使えないもので、うちのケチな勇者様は「そんなのは邪道だ」とか言ってたのを覚えている。


 でも、石化とか凍結って相当に危ないヤツだぞ。

 ゴチとはいえ、こんなのを飲まされてはたまったもんじゃない。


「ほう、なかなか美味そうではあるな。では、遠慮なく」


 ところが魔王様、グラスを受け取るなり躊躇なく一気に飲んじゃった!

 えええええ? ちょっと魔王様、さっきの人の話、聞いてた?


「……どうよ?」

「ふむ」


 魔王様の周りに集まった人々が、その反応をじっと見守る。


「しつこくない甘みと渋みに加えて爽やかな喉越しが実に素晴らしい。これも美味であるな」


 おおおおおおお、と歓声が上がった。


 それはもちろん、魔王様に何ら変化がないことに対するものだけれど、その感情は様々だった。

 例えばあたしは何事もなくてよかったと安堵によるものだし、単純に魔王様の運の強さに驚いている人もいれば、驚きを通り越して呆れ返っている人もいる。そして


「ちくしょう! これでもダメか!?」


 ギャンブルカクテルを魔王様に差し出した、えらくガタイのいい冒険者は、顔を顰めて地団駄を踏んだ。


「おいおい兄ちゃん、もう諦めろや。この御仁、ステイタス異常への耐性がハンパないぜ?」

「ふざけんなっ。どう考えてもこの賭け、オレの方に有利なんだ。ここまできて諦めるなんて冗談じゃねぇぞ」


 ん? 賭け? 奢りじゃないの?


 あたしの不思議そうな表情を察してか、魔王様はグラスのひとつを指差す。

 見ると、中には緑色に発光している大きな魔法石。ああ、これはかなりのお宝だ。

 それでなんとなく事情は分かった。

 きっと最初は普通にご馳走になっていた魔王様だけど、ギャンブルカクテルも飲んでみたくなったのだろう。

 でも、それらは基本的に普通のお酒よりも遥かに高価だから、奢ってもらえるようなものじゃない。そこで賭けという手段に出たのだろうけれど……これって色々危険だよっ。


 事実、相手側はかなりエキサイトしてるし!


「いくら耐性があるって言っても、せいぜい三十パーセントぐらいしか上げることが出来ねぇんだ。ここまでは単にヤツの運が良かっただけ。次でこいつを沈める!」

「次って、もうあらかたギャンブルカクテルは試しただろうに」

「ふん、まだ『ヘブンズドア』があるじゃねーか」

「『ヘブンズドア』って……あんた、あんなのを飲ませるつもりか!?」


 いくらなんでもアレはヤバすぎだって、とガタイのいい冒険者を止めようとする周りの人たち。

 うん、名前からして危険な香りがぷんぷんするよね。

 さすがにこれはそろそろ撤退時期ですよ、魔王様?


「うむ、名前から察するに自分の命を賭したカクテルのようであるな。面白い、それも戴くとしよう」


 ナンデスト?


「おう、さすがだな! 断わっておくが、こいつは下手したらお陀仏な激ヤバカクテルだぜ? それでもいいんだな?」

「勿論だ。死と隣合わせとは、さぞかし美酒であろうな」


 全く物怖じしない魔王様に、冒険者がニヤリと笑うとカウンターに向かった。さすがにバーテンダーと揉めているけど、遠目から見てももはや引かない様子がよく分かる。


 だったらあたしが魔王様を説得するしかない。


「もう、一体何やってるんですか? こんなアホな勝負をして」

「アホとは酷い言い草であるな。余はせっかくの機会であるから様々な酒を楽しもうとしておるだけであるのに」

「それで石化しちゃったり、死んじゃったりしたらアホ以外の何者でもありませんよっ!」


 ほら、今のうちに逃げますよと、魔王様を席から立たせようとする。

 でも、魔王様は涼しげな表情で席に座ったまま、あたしの頭に手を掛けると耳元で小さく囁いた。


「余は魔王ぞ。ステイタス異常や即死なぞ無効に決まっておる」


 あ、納得。




 かくしてこの夜、復活の呪文亭は開店以来初となる、アルコール及び食材が底を尽きるという事態に陥る。

 その原因となったうわばみの長身痩躯の男と、大喰らいのドラゴンハーフの女の子は、やがてニーデンドディエスはおろか世界中で話題となるのだけれど、それはもう少し後の話だ。

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