特別章1-5 ツンデレなあたしと心の声


 部室から飛び出したあたしは、迷子になっていた。


「……やっちゃった」


 毎度のことながら、事態が起こってから反省をしてしまうのが、あたしの欠点だ。


 スマホで地図は何度も確認しているけれど、ここがどこなのか、全然分からない。


「……そろそろ、暗くなるわよね」


 もう日は沈みかけてきて、このままだと本当に一人でこの見知らぬ街を彷徨うことになってしまう。


「……りく


 自然と、りくの名前を口にしてスマホを取り出すあたし。


 だけど、またすぐにポケットに閉まって、ため息を吐いた。


 あんな大袈裟に部室から飛び出しておいて、今更助けを求めるなんてできっこない。


 ただ、スマホを確認したらしお先輩からメッセージが届いていたので、それだけはちゃんと返しておいた。


 しお先輩は、毎回メッセージでは物凄く低姿勢で、今回だって『私の不徳が致すところで大変申し訳ありませんでした』という、まるで不祥事を起こした芸能人みたいな謝罪文が送られてきたときには、本当にごめんなさいと、あたしがその場で土下座をしてしまいたくなるくらいだった。


 とにかく、しお先輩はあたしから連絡があったことに安心したのか「りくくんのことは、こっちでフォローしておきます」と返事があった。


 あたしは、そのときにしお先輩に助けを求めようとしたけれど、結局はできなかった。


 しお先輩を疑っているわけじゃないけど、何となく、助けを求めたらりくまでやって来るような気がしたからだ。


 どんなときでも、りくはあたしが困ったときに助けてくれる人だった。


 あたしがどんなに我が儘で、面倒くさいことを言っても、笑って許してくれる人だった。


「……馬鹿。なんであいつのことばっか考えちゃうのよ、あたし」


 ああ、本当に、自分が嫌になる。


 なんだか、このままどこかに行ってしまいたい気分だった。


 でも、そんなことをしたら、お母さんたちが心配するだろうな、と思うくらいには理性だってちゃんとある。


 どうやらあたしには、家出をする才能はないらしい。


 それに、本当に家出なんてしたら、りくだって……。



「……華恋かれんちゃん?」



 と、そこに、聞き覚えのある声で呼ばれて、思わず振り返ってしまった。


「やっぱり華恋かれんちゃんだ。こんなところで偶然だね」


 綺麗な栗色の髪が、ふわっと揺れたような感じがして、思わず見惚れてしまった。


紗愛さら、さん……?」


 あたしが彼女の名前を呼ぶと、紗愛さらさんは柔和な笑みを浮かべた。


「でも、どうしたの? 人形演劇部の活動がお休みってわけじゃないよね?」


「えっと、それは……」


 部活の予定はりくから聞いているだろうから、あたしがこんな場所(どこにいるか自分でも分かってないけど)にいるのを不審に思うのは当然だ。


 とっさのことだったから、あたしも上手く返事ができずにモゴモゴとしていると、紗愛さらさんは表情を崩さすにあたしに告げた。


「……華恋かれんちゃんは、もう用事は終わったの?」


「えっ? は、はい……」


「それじゃあ、一緒に帰ろっか。私も、ちょうど家に帰るところだったから」


 そう言って、紗愛さらさんは、あたしに何も聞かずに横に並ぶ。


 あたしは「助かった」と思う気持ちと同時に、きっと紗愛さらさんはあたしの様子を見て、何も聞かずにいてくれたんだろうと察することができた。


 この人は、そういう人だということを、あたしは知っているから。


 だから、せめてあたしも、紗愛さらさんがどうしてここにいたのかは、聞かないことにした。


「なんだか、こうやって華恋かれんちゃんと二人でいるのは久しぶりだね」


「……そう、かもしれませんね」


 確かに、紗愛さらさんと二人きり、というのはここ最近なかったかもしれない。


 紗愛さらさんがいるときは、大抵はりくと一緒にいるときだったし。


 それに、多分あたしは、無意識に紗愛さらさんと会うことを避けていた。


 別に、紗愛さらさんが悪いわけじゃなくて、ただ、あたしの気持ちの問題だ。


 しかし、いざ話そうとなると、あたしのほうからは何も話題を振ることができない。


 元々、あたしはどちらかといえば、話を聞く側の人間なので、一対一の対話となると、どうも苦手意識を持ってしまう。


 こんなとき、友達のすみれが羨ましく思う。


 けど、そんな空気を察したのか、紗愛さらさんのほうから話しかけてきてくれた。


華恋かれんちゃん、この前はごめんね。私のせいで、みんなに迷惑かけちゃったよね……」


 申し訳なさそうに告げる紗愛さらさんの言葉を聞いて、あたしはすぐに何のことを言っているのか思い当たった。


「あれは、紗愛さらさんのせいじゃないですよ。誰だって風邪くらい引いて当たり前ですし……りくだって、心配してましたから……」


「……うん、そうだね。すっごく心配してくれたし、りくくんがいてくれて、心強かった」


 紗愛さらさんは、そのときを思い出したかのように、遠くを見つめながら呟いた。


紗愛さらさん、前から思ってたんですけど、紗愛さらさんってりくに対して甘すぎないですか?」


 冗談交じりで言ってみた台詞だったけど、紗愛さらさんは表情を崩さずに、不思議そうに答える。


「そうかな? そう……なのかなぁ。ううっ。よくりくくんにも言われちゃうんだよね」


 本当に分からないというように、う~んと頭を悩ませる紗愛さらさん。


 しかし、紗愛さらさんはすぐに、はにかんだ笑顔を浮かべた。


「えへへ、でも、それはきっとりくくんが可愛いからだと思うよ」


 それって、答えになってるかなぁ……。


 ほかの人がいったら、全力で首を振ってしまいそうだけど、紗愛さらさんが口にすると本気度が全然違うので、油断していると納得してしまいそうになってしまうのが怖いところだ。


「あっ、もちろん、華恋かれんちゃんのことも可愛いよ。私の妹みたいな子だからね、華恋かれんちゃんは」


「か、からかわないでください! 妹だなんて……」


「むぅ、からかってるわけじゃないのに……」


 ぷくっ、と頬を膨らませる紗愛さらさんは、大人びた印象から急速に子供じみた印象へと変化した。


「……ふふっ」


 それが何だかおかしくて、思わず笑い声が出てしまった。


 すると、紗愛さらさんもあたしの笑い声に釣られたように、表情を緩ませる。


「よかった。華恋かれんちゃん、ちょっと元気が出たみたい」


「えっ?」


「うん、華恋かれんちゃんは笑ってる顔が一番似合うよ。あと、りくくんと一緒にいるときもかな? 華恋かれんちゃん、りくくんと一緒にいるとき、凄く楽しそうだから」


 そう言って、紗愛さらさんは自分の髪の毛を触る。


りくくんも、華恋かれんちゃんと一緒のときが一番いい笑顔になるんだよ」


 そして、彼女はあたしに向かって、こう告げた。



「だから、りくくんのこともよろしくね、華恋かれんちゃん」



 そう告げた紗愛さらさんの瞳は、本当に純粋できれいな結晶を見ているようだった。



 ああ、もしかしたら、この人には全部分かっているのかもしれない。



 あたしがりくと喧嘩をしてしまっていることも、あたしがこんなところにいる理由も。




 ――そして、あたしがりくのことをどう思っているのかも。




「あっ、電車の時間、そろそろかな? 丁度乗れたらいいんだけど……」


 紗愛さらさんがそう言ったのと同時に、あたしにも名前だけは見覚えのある駅名が書いた建物が目に入った。


 あたしたちが住んでいるマンションから最寄りの駅の、ちょうど次の駅だ。


 ここから電車に乗れば、数十分ほどであたしたちの住むマンションまで帰ることができる。


「あの……紗愛さらさん」


 少しだけ前に行く紗愛さらさんを引き留める。


「ん? 何かな?」


 あたしは、ずっと紗愛さらさんに聞きたかったことを問いただした。




紗愛さらさんは……りくのことが好きですか?」




 すると、紗愛さらさんは一拍も置くことなく、こう答えた。



「うん、大好きだよ」



 屈託のない笑顔で、そう答える紗愛さらさん。



 ――それって、どういう意味で、ですか?



 そう問いかけたいはずだったのに、あたしは怖くて聞けなかった。




 周辺の街頭に一つ一つ、灯りが点いていく。


 紗愛さらさんはまた、前を向いて、あたしに背中を向ける。



「…………負けないんだから」



 そう呟いたあたしの言葉は、紗愛さらさんには届かない。


 だけど、ほんの少しだけ、心が軽くなったような気がした。


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