明後日の生まれる空

「あの、私、急いで帰らなきゃ」

「それは何故ですか?」

「ミュリに会わなきゃ……大切な命が、危ないって感じる」

「それは事実かもしれません……ですが、行けばあなたの命も刈られる運命だとしたら?ここにいれば誰も手出しはできません。永い安寧に身を沈めることもできましょう」

「そんなの要らない!」

 ウィゼルは古城を閉ざす光の層の中で、姿なき声と対していました。もやの中は来たときとは全く様相が異なり、足下から天上までどこか知らない夜空の星の海が広がっていました。歩いても、歩いても夜明けにはたどり着かず、途方にくれていた所、一筋の尾を引く彗星が遠い夜空に現れ、どこからともなく輪郭のぼやけた中性的な声が語りかけてきたのです。


「え……父さま、母さま!」

 ウィゼルの眼前に父ファダルと母ウィーネの在りし日の影がおぼろげに浮かびます。

「あなたの大切はここにもあります。あなたが知ったであろう真実と絶望を抱えて、それでも哀しい現実の待つ場所へ帰るというのですか?」

 ウィゼルは思わず両親の影に駆け寄ろうとして、踏みとどまります。一歩だけ踏み出した足の先、涙の雫の一滴だけが星屑の中に落ちていきました。

「……できないよ……私、みんなの過去を知って、ほうっておくなんて、できないよ!私に何ができるかもわからないけど……それで、いつかミュリと、みんなと一緒に暮らしたいよ……」

「それがあなたの答えなのですね。……畏まった。我が主よ、今このときから私はあなたと共にあろう」

「え……?どういうこと」

「私はあなたの中にわずかばかり生きたもの。名はあなたに賜った」

「もしかして……ツェクレク?」

 ウィゼルがその名を口にした瞬間、遠い空の彗星がひときわ輝きました。そのきらめきから小さな光が分かたれ、流星のように音もなく、空を切り裂くような高速で降ってきて、ウィゼルの前にピタリと止まりました。

「はい。ようやく言葉を交わすことができました。これまでは私の目を通してお伝えするしかなかった」

「あの光景はあなたが見たものだったのね」

「今なら直接意識へお伝えすることも叶いましょうが、疑問には問答でお答えする。急いでおられるのは承知の上。力を正しく使うには理解いただくことが必要ですから」

「……うん」

 ウィゼルはひとつ深呼吸して目の前にゆらゆらと浮かぶ青白い光を見つめます。にじむ輪郭は広げた翼を思わせ、不思議と眩さを感じないこの感覚にもどこか覚えがありました。



「今となっては果てない過去のこと。一羽の渡り鳥であった私は偶然にこの地へ飛来し、枯れ果ての地にみるみる緑の溢れていく様を見ました。聖性満ちる森に、それを生み出した彼の人の肉体は朽ち果てようとしていた。愚かか、運命か、私は何も知らずその肉を喰らったことで、聖域守りの宿命を受けたのです」

「聖域守り……」

「彼の人の遺した聖性をこの地にあまねくもたらさんと、私はその亡骸をついばんでは森の上空を巡っていった。何故そのようなことを始めたのかはもはや解りません。彼の人の遺志が肉体を通じて私の中に宿ったのでしょう」

「いったいどのくらいの間そうしていたの?亡骸はいつか朽ちて土になってしまうでしょう?」

「幾万もの夜を経て森は広がり続け、やがて亡骸の眠る場所からは水が湧き、泉となりました」

「もしかして……それがマクアの霊泉?」

「はい。民は泉をそのように呼び崇め、やがてその水と交わることでその身に聖性を纏おうとしました」

「洗礼の儀式……」

 

 ――これまでの記憶がすべて繋がっていく。目の前で表と裏が翻って、別々に見えていたそれらが背中合わせだったと認識する――

 ツェクレクの物語は遥か過去の大いなる真実を抱えたウィゼルにとって、めまいがするほど長い旅路を光の速さで駆け抜けるようなものでした。一瞬気が遠のいて倒れそうになっても、新たな疑問がウィゼルを覚醒させます。

 

「私……その人に、きっと夢の中で会っている。それで、その人の最期を……摘み取ってしまった。霊泉が涸れてしまったのはやっぱりそれが……?」

「それは違います。彼の人はあなたに託したかったのでしょう。この希望もいつか終わるときが来ると、わかっていたからこそ……」

「私、これからどうしたらいいか……また迷ってる。大事なこと、たくさん知ったのに……」

「一人で抱える必要はないのです。彼の人も、一人で答えを出したわけではなく、共に生きた仲間とともに未来を見たのですから」

 ウィゼルはクスッとかすかに息をついて微笑みを浮かべました。

「どうしたのです?」

「ツェクレクって、まるで人間みたいなことを言うんだなって、ちょっと意外。もしよければ、私の肉も食べてみる……?」

 そう冗談めかして、ウィゼルは右腕を差し出しました。

「とんでもない。肉を喰らうなどもうこりごり。ただの渡り鳥には過ぎた罪でございました」

「あら?あなたはただ罰として聖域守りをしていたの?」

「それはある意味では真ですが……いやはや、新たな主に早速弄ばれるとは」

「うふふ、ごめんなさい。……で、そろそろ私帰れそう?流石にミュリが心配」

「ええ、もう十分です。彼の人から預かった力で主をお連れする時……しかし、主の中には何か昏き痕がある様子。いや、これは……」

 左腕が自然に浮かび上がって指先が天を指すと、袖が落ちて、手の甲から肘にかけて黒く変容した下腕が晒されます。ウィゼル自身もその様子に目を見張りました。その左腕は、眼前に広がった夜空の天球に浮かぶ星々と同じ煌めきを宿し、まるでその存在が完全に透明であるかのように映ったのです。

 口を開け唖然としたままのウィゼルにツェクレクが問いかけます。

「これは……影であり、呪いであり、聖域が退けてきたもの。しかし、中にはまばゆい生命の灯火が確かに宿っている。……主、一体何があったというのですか?」

「え……そっか、ツェクレクはアイルのこと、知らないのね」

「アイル?」

「私とミュリが影に襲われて、ツェクレクが初めて護ってくれたとき、覚えている?」

「はい。この身をもってそれを退けることになろうとは思いもよりませんでした」

「あの後、もう一度あの影と会ったの。そのとき、あの影はミュリを助けてくれた。初めて会った時とは様子が違って、話すうちに私はその子を『アイル』と呼んだんだ。そしたら、アイルはまるで別人のように変わって、真っ暗な洞窟の中、私たちを導いてくれた。その間も色んなことを話したの」

「そのような形で影と接触されていたとは驚きです。主にはその正体が解かったのですか?」

 ウィゼルはわずかに首を振って答えます。

「いいえ。アイルは昏き淵から来たと言ったけど、それ以上のことは何も……でも、目を背けちゃいけないものだっていうのは感じた。間違いなくアイルの半分は私なんだって思えた。もしかしたら、ずっと昔、ここにいた人達を苦しめていたのは、こういうことだったのかな」

「モドリムの渦……」

「えっ?」

「昏き淵というのは、聖域の向こう、北の果てにあるとされるモドリムの渦の事かもしれません」

「北……ずっと昔、記録にあったあの人達が目指していた……?」

「わかりません。そこはおぞましき念を孕んだ靄が常に渦巻き、空からも見通すことは叶わないのです。ですが、その中心には何かがあり、今なお呪われし影達を生み出し続けているのは間違いありません」

「アイル……そんなところから来たんだね……」

「影よりなる主の一部に私が触れてはどうなるかわかりません。もう片方の手で私に触れてください。主の望むままこの空の向こうへお連れしましょう」

「あ、もしかして、左腕だけ置いていかれちゃうかな?」

「それはご心配なく。それも間違いなく主の一部でありますから」

「うん、わかった。それじゃあ、お願い。ツェクレク」

 ウィゼルはゆっくりと右の手のひらを光に向け一歩前へ踏み出します。光に触れた瞬間、それは放射状に拡散してウィゼルを包み込み、やがてウィゼルの中に収束していきます。光の一条一条が記憶となって流れ込み、場所も、時間も超えて鳥の目から世界のすべてを見下ろすような感覚に目が回り立っていられなくなりそうでした。

「今は見ようとしないでください。主の大切なものだけを思っていてください」

 目を閉じてもなお脳裏に瞬く人智を超えた光景に圧されぬように、今まで出会った人々の顔を思い浮かべます。


 ――考えなきゃ、みんなと、これからのこと。ミュリ、もう少し待っていて――


 そのうち、いつかと似た浮遊感に包まれ、ぐんぐんと加速していくのを感じます。ここでは聴こえない風の音を幻聴するほど、どこまでも落ちそうな感覚にウィゼルは卵のように体を丸めて耐えています。

「もうすぐこの空間を抜けます。少し衝撃があるかもしれません。外ではここのように自由がききませんから、この一息で力の許す限り主をお連れします。行先は主の思う方へ」

 一瞬だけ開いた目には、大きな青い光の翼と遠く大小の星々が軌跡となって流れる空が焼き付きました。ウィゼルは再び目を閉じてミュリの何気ない普段の顔を思い浮かべます。


 ――今行くね――

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セイレン島の秘密 連星悠音 @a_notes

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