69

 先導しているのは夏ではない。

 それは雛の選択だった。

 夏はその意志にさからわないで、ただ黙ってついていく。

 そうすることに、さっき決めた。

 この先が地獄でも構わない。

 そう夏は思う。

「夏さん」

「なに?」

「死んでしまった人は、もう二度と生き返ったりはしません」

「うん」

「時間を巻き戻して過去に行ったりとか、逆に時間を早回して未来に行くこともできません」

「うん。そうだね」夏は言う。雛の言う通りだと思う。

「死んだ人が生き返ったりするのは、それは死者にもう一度出会いたいという、こちら側に残された人たちが生みだした空想に過ぎないからです。それらはただの架空の物語なんです。本当のことではありません」

「うん。わかるよ」

 わかる。

「なら、いいんです」雛は言う。

 そして二人は無言になった。

 無言のまま、どんどん、どんどん、研究所の奥に向かって進んで行く。

 するとだんだんと夏は自分が今、いったいどこにいるのかわからなくなってきた。時間と空間の感覚が曖昧になっていくのを実感できた。

 私は今、どこにいるのだろうか?

 そんな当たり前のことが、わからなくなってくる。

 遥の部屋を出てから、どれくらいの時間が経ったのだろう?

 お腹は空いていない。

 トイレにも行きたいとは思わない。

 あれ?

 今は現実?

 それとも、今は夢?

 ふらふらと揺れる感覚の中で夏は現実を見失っていく。

 確かに感じるのは握っている雛の手の感覚だけ。

 無垢な子供。

 可愛い子供。

 木戸雛は確かにここにいる。

 神様の正体は大地。

 世界には現実と非現実の二種類の世界がある。

 それは正確に表現するとどちらも非現実なのだけど、人間は一応、自分のたっている大地のことを現実を認識する、らしい。ずっと昔に遥に教えてもらった言葉。

 夏は遥の声なら、遥の言葉なら、どんなに難しいことだって何年でも覚えていられる自信があった。

 夏がどう思っていても、世界は夏とのつながりを求めているんだよ。人々は手をつなぎたがっている。他人とのつながりを求めるのは、人の無意識の欲求なの。それを否定することは、誰にもできないのよ。

 遥も? 遥も私と、つながりたいって思っているの? 私と関係を持ちたいって、本当に思っているの?

 思っているよ。

 嘘だよ。

 嘘じゃないよ。

 じゃあどうして、遥は私の前からいなくなってしまったの?

 夏の問いかけに答えはない。

 ……しかた、なかったんだよ。

 しばらくして、小さな声で、つぶやくように、まるでひとりごとのように、遥は言う。

 あったかもしれない自分。

 あったかもしれない可能性。

 自分に似ている他者。

 新しい世代。

 新しい私。

 古くなった私は、いらない。

 くるくると回る世界。

 動くものは生を止まるものは死を連想させる。

 どこかで天使が歌を歌っている。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る