33

 夏は思考を中断する。

 これ以上考えると、私は、私ではなくなってしまう。それはだめ。それだけは、だめ。

「ここじゃ走れないね」夏が言う。

「でも、ここならその代わり泳げるよ」と遥が言う。

「そりゃ、そうだけどさ」

「夏はやっぱり、走りたい? 泳ぐのじゃ、だめ?」遥が言う。

「うーん、だめ、じゃないけどさ」

 でも、やっぱり走りたい。

 走ることと泳ぐことには大きな違いがある。走ることと泳ぐことの間には山に登ることと、洞窟に潜ることくらいの違いがあると夏は考えていた。

 夏は山に登りたいのだ。

 洞窟の中に潜りたいわけではない。

「スキあり」

「え?」

 夏が驚く。

 しかし、それはもう手遅れだった。

 どぼん、という音が二つした。

 それは夏と遥が、海に落下した音だった。


 青色の海の中で、遥は子供のようにはしゃいでいた。

 遥って泳ぐことは好きなのかな?

 青色の中で、夏はそんなことを考えた。

 暖かい水が夏の全身を包み込んでいる。

 あったかい。

 それに、とても優しい感じがした。

 なるほど、と夏は思う。

 遥は抱きしめていた夏の体から離れると、にっこりと笑い、それから指で上、上、というジェスチャーをした。夏はこくんと頷いて、水面に向かって上昇を開始する。

「ぷはぁ」

 と、息を吐いて空を見る。

 そこには青色の月が浮かんでいる。

 視線を戻して周囲を見渡すと、水面から遥が顔を出していた。長い黒髪を後方にかきあげたあとで遥は夏を見る。

「どう? 気持ちいでしょ?」遥が言う。

「うん。まあ、悪くはないかな」夏が言う。

 白いボートは二人のすぐ近くに浮かんでいる。

 慣れない水の中の世界で戸惑う夏の手を遥が優しく握って、二人は夏、遥の順番でボートの上に上がっていく。

 それから夏と遥は狭いボートの中で横になった。

 お互いの腕がぴったりとくっついている。

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