第11話 遥香来襲

「あなたぁ」

「遥香!」

「いいから、ドアぐらい閉めろ!」

 目の前で熱い抱擁をかわす両親に圭太は冷たく言い放った。


 玄関のドアを開けてコートも脱がずに二人の世界に入っている両親にその声が届くことは無い。圭太は深いため息をついてサンダルをつっかけると母親が開け放ったままのドアを閉めて施錠する。お互いの唇をむさぼり合うのに夢中な二人を見ながら、先日、父親には少し優しくするかと思ったことを反省していた。


 圭太は両親の顔のそばで両手をパチンと打ち鳴らした。

「圭ちゃん、びっくりするじゃない」

「心臓が止まったらどうするんだ?」

 絶対止まるか。止まるならとっくに腹上死しとるわ。圭太は思う。


「俺は学校があるんでもう寝るが、風呂には絶対に2人で入るなよ。隣はもう空き地じゃないんだ。さすがに近所迷惑だからな」

 とりあえず抱擁で満足したのか遥香はきょとんとしながら質問する。

「隣は雑木林だったじゃない?」


「今では立派な家が建って、女の子が住んでるよ」

「ご挨拶はすんだのかしら?」

「一応、俺が行った」

「そう。それじゃあ、気を付けるわ」


 遥香がなおも何かを言いたそうにしている。

「なんだよ?」

「お隣に住んでる女の子ってお名前は?」

「深草さんだけど」

「深草さんって、美人さんでしょ?」

 疑問形を装っているが、これは確信している声だった。


「な、なんでだよ」

「そりゃあ、分かるわよ。それで、どこまでいったの?」

「は?」

「だから、その子と圭ちゃんはどこまで関係が進んだのかなあ、ってお母さんの疑問に答えて」


「答えるか、普通? ていうか、初対面だぞ。初対面」

「なんだ、父さんたちの馴れ初めを……」

「何度も聞いた。聞いて忘れようとしてるんで思い出させようとしてくれなくていいから。会ってその日のうちにペッティングしたとかそういう話はお腹いっぱい」


「ふううん」

 遥香が意味ありげな声を出す。

「ねえ、あなたは深草さんには会ってないのね?」

「仕事が忙しくてそれどころじゃなかったからなあ」


「そう。圭ちゃんの態度が怪しいから、何かあったんじゃないかと思ったんだけど気のせいかしらね?」

 さすがは母親である。子供の細かな変化などお見通しであった。単にお盛んなだけではない。


「な、何もねえよ。じゃあ、くれぐれも近所迷惑になることだけはするなよ」

 どっちが親なんだかと思いつつ圭太は自室に引き上げる。自室のカーテンの隙間から覗くと隣家の北側の部屋から明かりが漏れていた。ベッドに潜り込む。幸いなことにこの家なら音漏れの心配はしなくていいはずだった。


 で、翌朝であったが圭太は早起きをしていた。音は聞こえなくても確実に奴らがやっていることは間違いない。本来聞こえないはずの幻聴が聞こえてしまい、朝早くから目が覚めてしまった。これはこれで辛い。いい加減、自分の親のことには慣れたつもりだったがやはり完全に慣れきれるものではなかった。


 二人と顔を合わせるのが気恥ずかしく、圭太はそそくさと朝食を済ませると身支度をして家を出る。家を出ると同時に隣家で警報が鳴ったことを圭太は知らずに駅への道を歩き出した。石見の計画が狂った瞬間だった。


 ウーウーと低く警報音が鳴る中、こころなしかやつれた山吹が駆け寄って来て告げる。

「た、大変です。圭太さまがもう家を出られました」

「な、なんですって?」

 シンプルなエプロンを身に着けた宇嘉が菜箸で肉をひっくり返しながら焦った声で文句を言った。


「これじゃあ、圭太を迎えに行けなかったじゃない」

「多少の計画の齟齬に慌てる必要はありません。どうせ、圭太さまは学校にいらっしゃるのです。逃げやしません。まずはお弁当を仕上げてしまいましょう。あとは山吹と引き受けますのでお嬢様は身支度をなさいませ」


 石見は任せなさいとばかりに胸をドンと叩く。お嬢様と同様に慎ましやかで控えめだから、ドンという胸骨と拳がぶつかる音がするのだ。山吹だとこうはいかない。ボヨンと気の抜けた音がするはずだ。宇嘉はエプロンを脱いで畳むと私室に向かって着替えを始めた。


 ***


 これはすごい。圭太は秘かにごくりと唾を飲み込む。窓際の一番前の席に座る少女が何か動作をするたびに別の意思を持った生き物のようにそれは揺れた。少し広範囲に消しゴムをかけたときなど、ゆさゆさ揺れるものに目が吸い寄せられる。


 圭太と同じクラスの後藤寺純。その名の通り大人しめで純真そうな感じだった。黒縁のメガネが野暮ったく顔立ちは美人という感じではない。ただ、あどけない表情と発育の良さとのアンバランスさがたまらない。え、エロい。見とれる圭太に厳しい声がかかる。


「おい。前川。新学期早々、何をぼーっとしてるんだ。ちゃんと話を聞いてないだろう?」

 教壇の方に向き直ると教師が圭太の事を睨んでいた。

「一応、聞いてるつもりですが」


「なら、6ページの問3はどう解く?」

「えーっと」

 圭太は適度な時間をかけて、その場で解いている風に解法を説明する。実はちゃんと予習済みであった。


 高2ともなると勉強ができることはマイナスにはならない。圭太のような一見脳内ピンク一色に見えるいい加減な男が実は頭は悪くない、という意外な一面で関心を引こう作戦であった。真面目そうな後藤寺さんには、効果的だろうという目論見である。


「なんだ。ぼーっとしてるのは顔だけなんだな」

 教師のひどい発言に対しても頭をかきながら平然とした態度を示す。

「そーなんすよ。今までもよく誤解されてるんです」

「そりゃ、悪かったな。よし、続けるぞ」


 涼介と目が合う。天井を見上げる仕草をした。どうやら、涼介にも意外だったらしい。ふふ、悪いな。敵を騙すにはまず味方からってね。圭太は笑み崩れそうになる表情を引き締める。


「お前、後藤寺さんのことガン見しすぎるなよ。さっき、見とれてただろ」

 休み時間に涼介がやって来て小声で言う。

「しかし、そう見えて、一応話は聞いてて、ちゃんと回答できるとはな」

「偶然だよ、偶然。まあ、数学だしな。英語だとヤバかった」


「相変わらずなんだな。しかし、さっきのは悪くなかったと思うぜ。彼女は基本バカは相手しないからな」

「そうなんだ」

「ああ。昨年は学年で5位以内をキープしてたぜ」



 


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