第20話 呪いの代償

「ありがとう。あなたのおかげで予定よりも早く終わることができたわ。」


ようやく作業を終え、空き教室から出てきた坂本先生は、自分の首に手を当てながらゴリゴリと肩を数回まわすと、麻宮伶奈に向かってそう話し、そしてそのまま安堵の溜め息を漏らした。


「いいえ、全然。私で良かったらまたいつでも手伝いますから…」


坂本先生のその言葉に、麻宮伶奈がはにかみかけたその瞬間———…


「きゃぁぁぁぁ!!」


教室の方から突然女性の悲鳴が聞こえた。


「未亜ちゃん!?」


その声にいち早く気がついた麻宮伶奈は、坂本先生と共に、その悲鳴が聞こえた教室に向かって一気に駆け出す。


「…未亜ちゃん!!」


教室へとたどり着いた麻宮伶奈が、扉を開けて中に入ると、教室の後ろの壁へともたれかかった有栖川未亜が、ひどく震えている様子が伺えた。


有栖川未亜はまるで何かに怯えているかの様子であり、教室の中は何者かと争ったように机や椅子などは薙ぎ倒され、有栖川未亜の教科書やノートなどが床の上へと散乱していた。


「有栖川さん、これは一体…ここで一体何があったの?」


そう問いかける坂本先生に対して有栖川未亜は、


「…女の人が…あの女の人が…」


とまるで譫言うわごとかのように繰り返しているだけであった。


「…ダメね。とりあえず彼女を保健室まで運んで行きたいんだけど、女二人じゃさすがに人手が足りないわ。」


全身を小刻みに震わせながら、未だ焦点の合わない瞳で、ブツブツと譫言のような言葉を繰り返し続ける有栖川未亜の肩を軽く数回叩きながら、いまだ彼女の反応が乏しい事を悟った坂本先生は、麻宮伶奈に向かってそう伝えた。


「わ…私、勇也君たちに連絡取ってみます…!」


そう言って麻宮伶奈は慌てて自分の制服のポケットからスマホを取り出すと、佐藤勇也に電話をかけはじめた。


その頃、体操服から制服へと着替え終えた佐藤勇也は北山静馬と共に廊下を歩いていた。佐藤勇也のポケットの中で、突然スマホが震えはじめる。


「あれ?麻宮先輩からの着信だ。もしもし?」


「勇也君!未亜ちゃんが…未亜ちゃんが大変なの…!!」


電話を取ったその瞬間から聞こえてきた麻宮先輩の緊迫したその声の奥で、キーンと耳の奥から頭にまで響いてしまいそうな高く鋭い音を捕らえた俺は、すぐに麻宮先輩たちのいる教室へと走り出した。


あの感覚がする時は…大体、近くに霊がいる時だ―――――…


麻宮先輩の慌てた様子と、その不快感と緊張感が入り混じったような感覚に、ただ事ではない事を悟った俺は、静馬と共に急いでその教室へと向かったのであった。


「大丈夫か!?」


教室へとたどり着いた俺が、ひとたび2年B組の教室へと足を踏み入れたその瞬間———…


「…ぐっ…!!」


思わず片手で頭を抑えながら、足元をぐらつかせてしまう俺。


それもその筈。そこは有栖川未亜を中心として、その教室の中全体をドス黒く重たい霊気が渦巻いており、それをまともに感じとってしまった俺は、一瞬で意識が飛んでしまいそうな程の眩暈に襲われてしまっていた。


「…寒…なんでこの教室こんなに寒いの?」


そう言って自分の腕を両手で抱きながら身を屈める静馬。どうやらこの異様な雰囲気を感じ取っていたのは、俺だけではなかったようだ。


…電話口で感じていた感覚はこれか…


何とか両足を踏ん張りながら、自分の意識を正常に保てるように集中する俺。


「さっき私と坂本先生が別の教室で作業をしていたんだけど、そしたらこの教室に一人で残っていた未亜ちゃんの悲鳴が聞こえてきて…それで急いで教室まで戻ってきたんだけど…それから未亜ちゃんの様子がおかしくて…」


そう言って申し訳なさそうな表情で涙を浮かべる麻宮先輩。


「…大丈夫か?有栖川。」


俺と静馬が有栖川未亜の元へと駆け寄る。


「…女が…あの女が来た…あの女が…女が…」


だが当の有栖川未亜の方は、そんな事には全く気がついていない様子で、瞳孔を見開いたまま一点を見つめ、ただひたすらにブツブツとその言葉を繰り返すだけだった。


「…ゆうやん、これって…」


そんな有栖川未亜の様子を見た静馬が、不安そうな表情で俺に投げかける。


―――――…


多分、有栖川が繰り返しているその言葉と、この有栖川の体の周囲を纏っている異様な霊気の面からみても、どうやら例の写真に写っていた女がここに来た事には間違いがないだろう。


あとは何故あの女が、こうも執拗に有栖川の前にだけ現れ続けるのか…


その理由や意図さえ分かれば――――…


俺がそんな事を思っていたその瞬間…


「ウソ~!?あの有栖川さんが!?」


突然窓の外から複数の生徒達の声が聞こえてきた。窓から覗いて見ると、校庭にあるベンチを取り囲むようにして大勢の生徒が集まっている。


…あれは…2年C組の奴ら…?


俺はその群衆の中に、あの日2年C組の教室の前の廊下で見かけた、数人の生徒達の顔をとらえていた。


「本当だって!なんかすぐイルスタの写真は消されちゃったんだけど、本当になんか幽霊?みたいな女の人が写り込んでてさぁ~!とりあえずスクショ撮ってみたんだけど、見る~?」


そう言って自慢気に髪をかきあげながら、ベンチにもたれかかっていたその人物こそ…あの金崎由香であった。


「…あのバカ…!」


俺は金崎由香が握っているスマホの存在に気がつくと、そう小さく呟いて、勢いよく教室を飛び出して行った。


「…ゆうやん!どこ行くの!?」


俺の突然の行動に驚いた静馬がそう声をかけてきたが、俺はそんな静馬の声に答える事などなく、金崎由香の元へと向かっていったのだった。


「その女の人が写り込んでる写真、実は今ここにあるんだけど…見たい~?」


そう言って挑発的な表情で、群衆達を煽りはじめる金崎由香。


群衆とは、何故このように群れたがり、そして知らなくてもいいような情報をこうも共有したがるのだろうか…


彼女のその挑発的な言葉に、より一層沸き上がり色めき立つ群衆達。そんな彼らの中を掻き分けて、俺は金崎由香の前へと立ちはだかった。


「…何よ、あんた。」


険しい表情で立ちすくむ俺に向かって、金崎由香は持っていたスマホで口元を隠すと、不機嫌そうな表情を浮かべた。


「…ちょっと来い!」


「ちょっと!痛い!何なのよ!?いきなり!!」


俺はそんな金崎由香の質問には答える事なく、その腕を強く掴むと、喚き続ける彼女の事を無言で引っ張りながらその場を立ち去っていったのだった。


「…もう!痛いわね!なんなのよ一体!」


俺に腕を引っ張られたまま保健室の前まで連れてこられた金崎由香は、俺の腕を無理矢理振り払うと、不機嫌そうに捕まれていた腕を擦りながらそう怒鳴りつけてきた。


「…お前、またあのサイトを使って有栖川未亜の事を呪っただろ。」


「…はぁ!?何言ってんのよ、そんな事するわけが…痛っ!!」


顔に少し焦りの表情を見せながらも、そう反論してきた金崎由香の両手を俺はがっしりとみ、そしてそのまま後ろの壁に彼女の体ごと押しつけると、鋭い眼差しでこう言った。


「…くっだらねぇ嘘なんかついても、俺には分かっちまうんだよ。…呪いのサイトに書き込んだお前のその手…今じゃもう真っ黒に染まってるじゃねぇか。」


そう言って、掴んでいた金崎由香の右手に向かって、俺は自分の霊力の一部を流れ込ませた。


すると…


「…ひっ!」


思わず涙目となって悲鳴に近い声を漏らす金崎由香。


それもそのはず。彼女の右手と彼女に握られているスマホには、俺の能力によって具現化されたあのドス黒い霊気がべっとりと渦巻いていたからである。


正確に言うと、霊気を具現化したというよりは、自分の霊力を流し込んで『視えるようにした』というのが正しいのかもしれない。


能力といっても俺の場合はただの霊感にしかすぎず、よく『霊感の強い人といると、霊が視えなかった人も次第に視えるようになる』などといった不思議現象を、自分なりにコントロールしやすいようアレンジを加えただけの代物である。


だが、当の金崎由香には効果覿面こうかてきめんだったようで、自分の手にこびり着いているその霊気を見せただけで、今ではもうすっかり大人しくなっている。


その霊気はもちろん、教室内で有栖川未亜の周りに渦巻いていたあの霊気と全く同じであり、つまりそれは金崎由香が例の呪いのサイトにアクセスする事により、あの女の霊と交信していたという、何よりもの証拠となった。


「…とりあえず、その有栖川を呪ったサイトを今すぐ見せろ。」


俺のその気迫に怯えながらも呪いのサイトを開く金崎由香。指先を震わせながら開いたそのサイトに表示されていたのは…


「なんだよこれ…」


残りわずかとなりつつある有栖川未亜と名前が書かれたゲージと、何故か有栖川のゲージと反比例するかのようにもうすぐ満タンとなってしたいそうな、金崎由香と書かれた二人のゲージだった。




「…どうやらこのゲージは呪いの執行度を表しているみたいだね。」


保健室の机の上で、俺達に背を向ける形で自分のノートパソコンを開きながら、この呪いのサイトに表示されているゲージについての検索結果についてそう説明する静馬。


「じゃあやっぱりこの有栖川の周りにばっかりあの例の女が出てくるっていうこの一連の現象は、このサイトの呪いによるものだったってことか。」


そう言って金崎由香の事を睨みつける俺。


対する金崎由香の方はというと、そんな俺の様子には構うそぶりすらなく、保健室の隅の壁へともたれかかりながら、なんとも不貞腐れた表情で自分の髪の毛のくるくると指でいじりながら退屈そうに過ごしていた。


「でもそのゲージが呪いの執行度によるっていうのはどういう意味なんだろう?もしそのゲージが満タンになってしまったら、未亜ちゃんは一体どうなってしまうっていうの?」


ベッドに横たわっている有栖川未亜の事を眺めながら、心配そうにそう話す麻宮先輩。それに対して相変わらずパソコンでの検索を続けていた静馬は、深刻そうな表情で言葉を続けた。


「それが…この呪いサイトに対する裏情報が載っているサイトには、大体呪いが執行されはじめた序盤には例の女の影が見えるようになってきて、その女が現れる頻度がだんだんと多くなるにつれて、失踪する人や中には自殺や事故、あとは変死体で発見されたという人が何人もいるらしいんだ。…もちろんこれは裏が取れているわけじゃないし、あくまでもこのサイト上での情報にしか過ぎないんだけどね。」


思わずその場にいた全員が机の上に置かれている金崎由香のスマホの画面を覗き込む。


有栖川未亜のゲージの青いラインが完全に消失してしまうまでは、あと数ミリといったところだ。


「…どちらにせよこのゲージがなくなる前に何とかしないと…」


そこまで言って口籠る俺に対して、


「…未亜ちゃんの命も危ないかもしれないって事だね。」


意外とあっさりと言ってのける静馬だったが、彼のその表情はかなり焦ったものだった。


保健室内にしばし流れる沈黙。そんな沈黙の中、最初に口火を切ったのは…


「…あのさぁ〜…私、もう帰りたいんだけど。」


なんと金崎由香だった。


「お前なぁ!お前のせいで有栖川が大変な事になってんだぞ!」


「…知らないもん!私には関係がな…」


「…そうとは言い切れないんじゃない?」


金崎由香の度重なるその態度に、たまらず俺が放ったその怒号に対して、さらに言い返そうとする金崎由香の言葉を静かに遮ったのは静馬の方だった。


「…ほらここ。この裏情報サイトには、実際にこの呪いのサイトを利用した人達の情報も書かれているんだけど…」


そう言ってノートパソコンを俺たちの前に差し出すと、静馬はその検索結果を掲示した。そこには…


『ここの呪いのサイトを使って、嫌いだった上司がいなくなりました。でも呪いが達成されると、呪った本人にも呪いが降りかかるという噂もあります。具体的にはどのような呪いが起こるのでしょうか…?』


『例の呪いのサイト、登録してみたけど呪った相手と自分の名前の2つのゲージがあるじゃん?あれって何か意味あるの?』


『今日、憎い部活の先輩の前に呪子さんが現れたらしく、発狂して教室を出て行ったみたいなんだけど、今サイトを見たら先輩のゲージが減ってて、同じ分だけ俺のゲージが増えてるんだけどあれは一体…』


『私の友達が自分の彼氏の浮気相手を呪ったんですが、その浮気相手が失踪したのと同時期に私の友達もいなくなってしまって…何か手がかりがないかと思って彼女のスマホを見せてもらったら、例の呪いのサイトから浮気相手の名前が無くなってて、変わりに私の友人の名前だけになっていたんですが、あれは何か関係があるのでしょうか?』


『私を利用するだけ利用して捨てたあの男が、この呪いのサイトのおかげで事故に遭って無事死を遂げました。彼のケージは消失し、今では私のゲージも満タンになっています。でも例えこの呪いの成就によってこの身が滅びようとも、私は構いません。』


思わずその文章を読んで固唾を呑む俺達。


「…つまり…呪いのサイトを使った人間も、呪いが成就した後、同じように呪いが執行される…」


その裏サイトに書かれた書き込みを見た俺は、思わずそう呟いた。


「…ちょっと待ってよ!私はただ少しだけ未亜の事を困らせてやろうと思っただけで…!呪い殺そうだなんて思ってもみなかったし、まさかこんなに…こんなに大変な事になるだなんて思ってもみなかったの!軽い気持ちでやっただけなのに!…それなのに…!」


そのサイトを見て動揺したのは俺たちだけではなく、金崎由香自身も同じだったようで、彼女はかなり取り乱してしまっている。


「…人を呪わば、穴二つ。」


「…え?」


ポツリと呟いた麻宮先輩のその言葉に、一斉に振り向く俺達。


「いや呪いを掛けた人に言う昔からの言い伝えでね。『穴二つ』の穴とは人を入れるために掘った墓穴のことらしいんだけど、それが二つっていう事は二人とも墓に入るって意味なの。…つまり、呪われた人もそうだけど、呪った人もただじゃ済まないって事なのよ。」


「…それじゃ、私は…!」


麻宮先輩のその言葉に完全に怯えきった金崎由香がそう言いかけた瞬間…


「…ダメね。有栖川さんの親御さんに電話をかけてみたんだけど、今ご両親共海外に出張中らしくて、こちらには来られそうにないそうなの。有栖川さんって寮生でしょう?明日から連休だし、このまま体調が悪いのを一人で置いておくわけにもいかないし…」


そう言って困った表情で保健室へと戻ってきた坂本先生。


「…確かに。でも女の子の部屋にいつまでも俺達が寝泊まりする訳には…」


静馬のその言葉に麻宮先輩はポンっと一つ手を打つと、笑顔でこう答えた。


「そうだ!どうせ明日からは連休なんだし、みんなで私のおじいちゃんの家に泊まりにいかない!?」


そう言ってニコニコとした表情を浮かべる麻宮先輩。


「おじいさんの家に…?」


突然の麻宮先輩からのその申し出に、その場にいた全員がキョトンとした表情で麻宮先輩の事を見つめる。


「そう!ウチのおじいさんの家、八幡宮なの。ほら、あのヴェルサス狩鴨の後ろにある…」


麻宮先輩のその言葉に、俺の頭の中には入学時にもらったパンフレットに載っていた、あの八幡宮の写真が浮かんでいたのだった。

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霊感男と鈍感女。 むむ山むむスけ @mumuiro0222

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