第19話 呪いの執行②
「…結局あれから何も起きなかったっスね。」
昨晩麻宮先輩が合流してからというもの、皆で有栖川の家で寝泊まりをしてはみたが、結局その後は何の怪奇現象も起きる事はなく、無事に朝を迎える事ができた。
「でも、何も起きない事に越したことはないよ。未亜ちゃんも、あのまま皆が帰ってしまっていたらとても不安だっただろうし。」
俺の言葉に、そう答える麻宮先輩。先輩の有栖川の事をいたわる様子は、とても優しい。
一方、当の有栖川の方はといえば、まるで俺達の会話など全く聞こえていないかのような虚ろな瞳で、ただ俺達との歩みを共にしているだけかのような状態であった。
「…でも昨日は皆で未亜ちゃんの家に泊まれたから良かったけど、これからはどうする?ずっと俺達が泊まっているワケには…」
静馬がそう言いかけた瞬間――――…
「おはよ~!」
俺達の背後から、鈴の鳴るような可愛らしい声が聞こえてきた。
「あ、おはようございます!」
俺達は反射的に自分達の話を中断し、その声の主に向かって挨拶を返した。
肩まで伸びた柔らかそうで艶やかな髪をふわりと揺らしながら、並んで歩く俺達の横をまるで春風か何かのように爽やかに通りすぎて行ったのは、家庭科の因幡先生だった。
その美貌と優しさから、男子生徒からの圧倒的な人気を誇っている因幡先生は、ピンクのカーディガンにふんわりとした真っ白なワンピースを身につけていた。真新しいそのワンピースのあまりの白さに、もはやその生地自体が輝いているのかと錯覚さえしてしまう。
…まさに女神…。
その場にいた全員の感想はきっとこうだったに違いない。
朝の澄みわたるように爽やかな風をその生地いっぱいにまといながら、ひらりと揺れるその白いスカートを見た瞬間…
「あーっっ!!」
先程まで俯いていたはずの有栖川が突然奇声に近い大声をあげた。
「…なっ!何だよ!?急にっっ!」
突然発せられた彼女のその大きな声に、驚いた俺がつられて大きな声を出す。
「フルーフランの新作ワンピっっ!!…くっそ~!次のお小遣いをもらったら買おうと思ったのにぃぃっ!因幡先生に先越されたぁぁぁぁ!!」
そう言って両手で頭を抱えながら悔しそうにその場で地団駄を踏みはじめる有栖川。
「…なんだ、全然元気じゃねーか…」
「この調子なら心配なんていらないかもね。」
そんな有栖川の行動に思わず呆れ返った俺に対して、麻宮先輩は少し苦笑いを浮かべながらそう答えた。
五時間目の授業が終わった放課後。
この日の有栖川は、昨日の疲れもあってか授業中も常に浮かない顔をして過ごしていた。
…心ここにあらず。
まさにそういった様子であったが、昨日のような事があればそれもまぁ当然の事であろう。
この日の全ての授業が終わり、みんなが帰り支度をはじめてからも、有栖川は一向に自分から動くような気配はみせず、ただひたすらに窓辺にある自分の席へと座ったまま、うつらうつらと浮かない表情を浮かべていた。
カーテンを揺らしながら中へと吹き込んでくる風がとても心地よい。
「…未亜ちゃん、大丈夫?昨日の疲れがまだとれてないんでしょ。」
そう声を掛けながら、机の上に乱雑に置かれたままとなっている有栖川の教科書やノートを丁寧にまとめはじめる麻宮伶奈。
「未亜ちゃん、私坂本先生に呼ばれてるから部活に行く前にちょっとだけ先生の所に行かなきゃなんないんだけど、未亜ちゃんも一緒に行く?」
そう言ってまとめ終わった教科書類を手渡そうとする麻宮伶奈に対して、有栖川未亜は軽く目を逸らしながら、少しふてくされたような表情で答えた。
「…いい。未亜、坂本先生の事苦手だし。」
そんな有栖川未亜の反応を見た麻宮伶奈は、RINEのグループトークを開きながら、
「じゃあ先に部室に行っとく?…とは言っても、勇也君達も体育の授業の後片付けがあるらしくて、ちょっと遅れるみたいなんだけど…」
と、声をかけた。
そこには、体育教師である川村先生に捕まったので、部活に行くのが少し遅れますと書かれた静馬のコメントが表示されていた。
「…いい。ここで麻宮ちゃんの事待っとく。」
そう言って有栖川は虚ろな表情のままそう答えると、そのまま机の上へと突っ伏せてしまったのだった。
「…いつも悪いわね。麻宮さん。」
教材室という名目を掲げながら、まるで物置小屋かのように扱われていた空き教室の中から、明日の授業で使用する為の教材をいくつか運び出しながら、坂本先生は麻宮伶奈に向かってそう声をかけた。
「大丈夫ですよ。このくらい。」
坂本先生から手渡された数冊の本を自分の胸元へと抱え込みながら、笑顔でそう答える麻宮伶奈。
二人の担任でもある坂本先生は、彼女の印象を聞いてまわれば聞かれた人全員が満場一致で『いかにも厳しそうな人』という答えが返ってきそうな程に堅物そうな見た目をしており、決してオシャレとは言い難い眼鏡と、見ているこちらの背筋までもが思わずピンっと伸びてしまいそうなスーツ姿によって、彼女の厳しさをより一層助長させていた。
坂本先生に連れられて、別の空き教室の中へと入った麻宮伶奈は、坂本先生が丁寧にその端を揃えながら手渡してくるプリントを受け取ると、その端の部分をホチキスでとめていった。
作業が進むにつれ、麻宮伶奈の手際もだんだんと良くなってきた頃に、坂本先生が静かに口を開いた。
常に『口を動かすよりまず手を動かせ』というスタンスを貫いているはずの坂本先生が、何かの作業の合間に雑談を吹っ掛けてくるというのは非常に珍しい。
「いつも私から声を掛けといてなんだけど、あなた…もう私の手伝いなんてしに来なくてもいいのよ?」
決して書類を揃える手を止めることなくそう告げる坂本先生。あいにくその眼鏡の表面は既に光で照らされていて、麻宮伶奈からの位置からでは、そう突然言い放った坂本先生の意図や表情といったものが、全く読みとれはしなかった。
「…それってどういう…」
その言葉の意味が分からなかった麻宮伶奈の作業の手が思わず止まる。
一方坂本先生の方はというと、全く作業の手を止める様子すらなく、淡々と言葉を続けていた。
「…あなた、今までクラスでもずっと一人ぼっちだったでしょ。あれじゃ休み時間とかも時間がもたないかなぁと思ってね。だから色々と雑用を頼んでみたりしてたけど、それももう必要ないかなぁって。…だってあなた…ちゃんと友達、できたじゃない。」
そう言って坂本先生はすっと眼鏡を外すと、ポケットから取り出したハンカチでレンズの表面を拭きはじめた。
小さい頃からの近視によって、仕方なくドきついレンズが入れられたその眼鏡を外した彼女の顔は、意外にもものすごく端正で、多少のキツさを残すその瞳の事を差し引いても、彼女が相当な美人であるという事になんら変わりがなかった。
…先生、眼鏡かけるのもったいないなぁ…
それが麻宮伶奈の素直な感想である。
「まさか麻宮さんと有栖川さんが仲良くなるなんてね~…いや、担任の私としては実に嬉しい事なのよ?…ただ私にはパッと見、二人は全くの真反対のタイプのように見えたから…まぁもっとも私は、あなたにはゆくゆくウチのクラスの委員長になってもらいたかったし、だから無理言って色々とお願いをしていたんだけど。…でも、興味ないんでしょ?そういうのも。」
そう言って拭き終えたメガネを再び身につける坂本先生。やはり眼鏡をつけている時と、外している時ではその印象はかなり変わる。
「はい。今はやりたい事が見つかったので…」
麻宮伶奈は、そう笑顔で答えると再びホチキスでとめる作業を再開しはじめた。
彼女の手際のよい手の動きを眺めながらも、坂本先生はさらに言葉を続けた。
「…あのオバケ部の部長の事ね。実際あなたには似合ってるわよ、あの部活の部長。一緒にいるメンバーの下級生の男の子達も、とてもいい子そうじゃない。」
ふいに出てきた二人の話題に、思わず麻宮伶奈は顔を赤らめる。誰かから、自分の部の人間を誉められるという体験自体が初めてで、しかもそれがいつも尊敬している坂本先生からの言葉であれば、その喜びもひとしおだった。
「はい。勇也くんも、静馬くんもとってもいい人達です。それに未亜ちゃんも…私、未亜ちゃんの事が前から羨ましかったんです。行動力もあるし、クラスの皆から慕われてるし、なのに女の私から見ても本当に可愛い。未亜ちゃんを見るたびに、あぁ、神様って本当に不公平だなって…」
そう言って顔を赤らめたまま言う麻宮伶奈。
そんな彼女の様子を見た坂本先生は、じっとりとした眼差しを向けながらこう答えた。
「…あなただって、相当可愛らしい顔してんじゃないのよ。」
「…わ…私なんて全ッ然!!…でも未亜ちゃんがたまに見せる弱いトコだったり、疲れてぐったりしてる時なんかを見たりすると、何だか守ってあげたいな~って思ってしまったり…」
そう言って自分の事は全力で否定しながらも、普段から有栖川未亜に抱き続けていた自分の感情を素直に表にだして坂本先生へと伝える麻宮伶奈。
そんな麻宮伶奈の様子に、坂本先生は椅子にもたれかかりながら、少し重だるそうに自分の肩を回しつつこう答えた。
「…安心したわ。ほら、有栖川さんって私の事嫌いでしょ?」
「…そっ!そんなことっ…!」
「い~の、い~の。長年教師やってるんだから、そのくらい分かるわよ。生徒と先生の間にもやっぱりどこかしら合う合わないって必ずあると思うし。」
いきなり突かれたそんな図星に、慌てて弁解しようとする麻宮伶奈であったが、当の坂本先生の方はそんな事など全く気にはしていない様子で、手をパタパタと振りながら笑顔で言葉を続けていった。
「実はあなた意外にも、私には気にしていた生徒がいてね…それが有栖川さんだったのよ。」
そう言ってまるで内緒話でもするかのようにそっと麻宮伶奈に近づきながら、静かにそう話す坂本先生。
「…未亜ちゃんが?」
坂本先生の口から出てきた意外な事実に、麻宮伶奈も思わず声を漏らす。
「…そう。あの子は見た目はあんなだし、勉強も出来るし、運動だって出来ちゃう上、絵を描かせれば超一流、歌を歌わせれば何故か感動して涙を流しはじめる生徒まで出てくる始末。…とにかく何から何まで完璧すぎるのよ、あの子は。」
そう言って窓の外を眺める坂本先生。
外では野球部の元気な掛け声が響いている。
「その点ではあなたもかなり彼女に似てるわね。あなたは黙って黙々と課題を確実にこなすタイプだけど、彼女の方は皆の期待を一心に背負いながら日々を過ごしているって感じね。しかもそれは決して彼女が望んでいる事ではなくて、いつの間にか周りに作り上げられて、自然にそうなっちゃったって感じ。あんなに周りに人が集まっていても、きっと彼女の方から自分の本音を話せる人なんて、今まで一人もいなかったと思うの。友達っていうよりは、彼女をまるで偶像か何かと勘違いして、崇拝している人間ばかりだったと思うから…でも人って完璧を求めすぎると本当に疲れちゃうの。多少の逃げ場を用意してあげないと本当に追いつめられちゃて、自分が自分でなくなっちゃうから。完璧であるがゆえに一人ぼっち。あの時の有栖川さんは、そんな感じだったわね。…だから私は彼女があなたと仲良くなれて本当に良かったと思っているの。そういう意味では二人はとても似た者同士だと思うから。」
そう言って麻宮伶奈に微笑みかける坂本先生。普段厳しい彼女のこんな笑顔を見るのは、本当にはじめての出来事だった。
穏やかな表情のまま、坂本先生の話はさらに続いてゆく。
「この前あなたが日直の日に私が仕事を頼もうとした時にね、有栖川さんが私に向かって必死に抗議をしてきたのを見て、あぁ本当に有栖川さんは麻宮さんの事を大切に思ってるんだなぁって思ってものすごく安心したわ。だって今までの有栖川さんは、人は人、自分は自分って感じで去るもの追わない主義のスタンスだと思っていたから。だけどこんな風にあなたという存在に執着出来たってことに、私はものすごく喜びを感じているの。」
坂本先生のその言葉に、麻宮伶奈の胸と目頭は少しだけ熱くなりはじめていた。
「…さ、早く作業を終わらせて部活に行かないと。みんな待ってるんでしょ?」
「…はい!」
そう言って、二人はさらに作業を進める手を早めていったのだった。
一方、有栖川未亜の方はというと、相変わらず机に伏せたままうとうとと浅い眠りについていた。
カーテンを揺らしながら、外から吹き込んで来ていたはずの暖かい風は、いつの間にか冷たい風へと変わってしまっている。
「…寒…」
急に感じはじめた肌寒さに、有栖川が顔をしかめながらゆっくりと薄目を開けてみると、自分の伏せている机の上をゆっくりとなぞるかのように人差し指を動かしている人物がいた。
その動きはとても滑らかで、机の上をすぅっと滑らせるかのようなその優雅な動きに、いつしか有栖川未亜自身も目を奪われてしまっていた。
…誰…?
まだはっきりとは醒めやまぬ頭のまま、有栖川は目の前の机の上を優しく撫でているその指の動きをぼんやりと眺めていた。
頭をあげていないので、その者の姿は腰元くらいまでしか見る事ができない。
それでも、その者が着用している真っ白なスカートを見て、有栖川未亜はその者が誰であるのかをすぐに想像することが出来た。
…因幡先生、いいなぁ~…
私もそのワンピース欲しかったな…
そんな風に夢うつつにまどろみながら、薄目で彼女のスカートを羨ましそうに眺めていた有栖川未亜だったが、ふと突然ある事に気がついた。
…あれ?確かフルーフランの新作スカートって、真っ白な生地に細やかなプリーツがついてたんじゃなかったっけ…
こんな全身真っ白なだけのなんの飾りっ気もないワンピースじゃ、まるで幽霊…
そう思った瞬間、有栖川未亜の脳裏に昨日4人で撮った写真の中に写り込んでいた、例の見知らぬ白い服の女の姿が浮かんだ。
…ポタン…ポタン…
有栖川がその事に気がついた瞬間、驚きのあまりその場ではっきりと瞳を開けた有栖川の目の前に、数滴の水滴がしたたり落ちた。
溢れ落ちた雫は、ほんの僅かに小さな音を立てながら、不規則に机の表面を叩き続ける。
…そんな…まさか…
不吉な予感に
目の前いたのは、家庭科の因幡先生などではなく…
顔の表面をドス黒い何かでぐちゃぐちゃに塗り潰されたかのような、あの白いワンピース姿の女であった。
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