第13話 朝のあじさい。

朝6時50分。

カーテンの隙間から差し込んで来た朝の日差しの眩しさによって自然に目が覚める。


…あと10分…


7時にセットしてあるアラームはまだ鳴っていない。


もう少し眠れるな…

そう思った俺が寝返りをうったその瞬間…


ピコンッ!


ピコピコンッ!!


携帯の通知音がけたたましく鳴り響く。

無論この連続した通知音を響かせまくっている犯人達の正体は、言わずとしれたオバケ部のグループトークだ。


『おはようございモス』


『今日も一日頑張りモス』


…あの一件以来、我々オバケ部の間では語尾に『モス』をつけるというのがすっかり流行ってしまっていた。


俺は当然その内容からして、自分がみんなからいじられているという事に気がついてはいたものの、とりあえず照れ隠しにスタンプだけをポンっと一つ残すと、そのままさらりとスクロールを済ませてスマホをその場に置いた。


…が、すぐにある事を思い出し、またもやそのスマホを拾いあげると、寝グセがついた頭を乱雑にかきむしりながらスマホを操作しはじめた。


「…ちっ、面倒くせぇな~…」


そう呟いた俺はそのままイルスタとルイッターのタイムラインを続けざまに開く。


理由は簡単。俺は有栖川 未亜から『朝起きたらまずSNSをチェックする事』とそれはもう連日のように口うるさく言われ続けていたからだ。


ちなみに俺が今イルスタやルイッター上でフォローしているのはオバケ部の部員だけで、案の定今朝のタイムラインも、『あじさいの花が綺麗!』というコメントと共に、通学途中に咲いていたあじさいの写真を載っけた麻宮先輩の記事がある以外は、全て有栖川未亜のものばかりとなっている。


内容は、『友達とパンケーキ食べに行ってきた!』とか『買い物に来た!』などという他愛もない内容ばかりなのだが、何故か不思議な事にどの写真からも主役であるはずのパンケーキやお店の姿はどこへやら。写真の中央には決まって有栖川未亜の自撮り写真で陣取られてしまっている。


「…せめてもうちょっと見せろよ、パンケーキの方を…」


俺は麻宮先輩のあじさいの記事と、その有栖川未亜の記事全てにざっくりと目を通しながら、ほぼ習慣的にいいね!のボタンを押しまくる。


ちなみに静馬は俺と同じ読む専門なのか、静馬自体の投稿はほとんどないが、有栖川未亜の記事においても、もちろん麻宮先輩の記事に対しても全てにおいて静馬からの丁寧なコメントが載せてあるので、アイツはアイツでかなりマメな男なのだとは思う。


一通りのSNSのチェックが終わると洗面所へと向かった俺は、顔を乱雑に洗うと歯を磨いて、あとは髪を軽く整えてから長くなった髪の襟足部分をゴムで結ぶ。


そしてお決まりの制服へと袖を通して靴を履いたら準備は完了だ。


朝ご飯は基本的には食べないが、気分によっては行きのコンビニで買う事もある。


こうして軽くあくびをしながら玄関の外へと出る俺だったが、いざ外に出てみても、しばらくは眠気の残った瞳に朝の日差しは強すぎて、なかなかまともに目を開けてはいられなかった。


俺は再び整えたはずの頭を、無意識にわしゃわしゃと自分の手で掻き毟ると、何の気なしに隣の部屋のドアへと目を写した。


404号室…


麻宮先輩はすでに学校に行ってるようだ。

別に何の約束をしているわけでもなんでもないが、ここのところ麻宮先輩と一緒に登下校をする事がいつの間にか日課となっていた。


「…そういや今日は日直だって言ってたな…」


俺は何気なしにそう呟くと、ポケットの中に手を入れながらけだるそうに歩き始めた。


…なんだかんだで、今日はみんなに早起きをさせられちまったから、このままコンビニに行って弁当を買うついでに朝ご飯にでもするか…


そんな事を考えながらしばらく歩いていると、道の脇に見事なあじさいの花が咲いているのが目に入った。


一つの大きな花のように見えて、実は一つ一つの小さな花弁にきちんと薄紫と水色が混じりあって色づいているという姿はとても綺麗だ。


…今朝先輩が綺麗だって書いてたあじさいはこれだったのか…


ふと今日の先輩の投稿を思い出した俺は、そっとそのあじさいの花弁に触れてみた。


が、その瞬間―――――…


「…あーッッ!!」


このあじさいの持ち主であると思われる家の方から、叫び声にも似た大きな声が響いてきた。


「わぁぁぁ!ごめんなさい!ごめんなさいぃぃぃぃッッ!!」


その声に驚いた俺は、思わずあじさいに触れていた手を引っ込めると、その場を足早に立ち去ろうとした。


…が、誰も追ってくる気配はない。


不思議に思った俺がそっと門の外からその家の庭先を覗いてみると…


「…困ったのぅ~、困ったのぅ~…」


と玄関先に荷物の中身をぶちまけながら、何やら探し物をしているおばあさんがいる事に気がついた。


そのおばあさんは時折自分の額からしたたり落ちる汗をハンカチで拭いながら、必死に何かを探し続けている。


俺は小声で「失礼しますよ~」と声をかけながら、おばあさんの元へと向かった。


「…どうかしたんスか?」


「…ひゃっ!?」


背後から俺にそう声をかけられて驚いたおばあさんだったが、俺の姿を確認するやいなや、いきなり慌てた様子で俺の両手を掴んできた。


「あぁ!学生さん!鍵が…家の鍵がなくなったんじゃ!!」


「…鍵…?」


おばあさんのその言葉に、思わず俺は玄関先に散乱している荷物へと目線を落とす。


荷物の中には扇子や小さな手鏡などはある中、確かにざっと見た限り肝心の鍵のような物は見当たらない。


「あぁ~…どうしようかのぅ…今日は天気が良かったもんじゃから近くのコンビニまで散歩がてらに行ってみようと思って出かけたんじゃが、帰ってみたら鍵がなくての…いつもはこのカバンのここに入れるようにしていたんじゃが…」


そう言って空になってしまったカバンの中を見せて来るおばあさん。


俺は荷物の間に鍵が挟まっていないか、散乱している荷物の一つ一つを丁寧に調べはじめた。


すると…


下を向いて作業をしている俺の目の端に、ささっと黒い物体が横切った事に気がついた。


…まさか…!!


その事に気がついた俺は、すぐさまその黒い物体の後を追って、庭の奥へと走っていった。


「…やっぱりお前か…だからそれはお前達のもんじゃねぇっていつも言ってんだろ…」


背の低い庭木の下をくぐり、その物体を隅へと追い詰めた俺は思わず呆れた表情でため息をついた。


俺の目の前にいたのは…もちろんばあさんの物であろう小さな家の鍵を大切そうに抱えて震えている、例のこげちゃんの仲間だった。


こげちゃんに比べたら、ソイツの体の色の方がかなり黒に近い。


俺はソイツにお得意のデコピンを一発食らわせると、その衝撃でソイツが落とした鍵を拾いあげ、そして自分の頭や膝についた土や枯れ葉を一通りはたき落してから、おばあさんの前へと鍵を差し出した。


「ありゃ!こりゃあ一体…!?」


「あそこに落ちてましたよ。何か荷物を出そうとした時にでも間違って落としてしまったんですかね?」


「あぁ!そうじゃ!今日は外に出た瞬間からあまりに暑くての…汗を拭こうとハンカチを出したんじゃ!その時に落としたんかの…」


俺から鍵を受けとった瞬間、安心した表情へと変わったおばあさんは、胸を撫で下ろしながらそう安堵の言葉を洩らした。


…まぁ実際のところの原因は、全く違うところにあるんだがな。


俺は頭の中でそう呟くと、いまだに家の影からこちらを覗いているこげちゃんの仲間の事を睨み付けた。


こげちゃんの仲間の存在を伝えたところで、ややこしくなる以外に道は残されていないので、俺はおばあさんにその事実を隠しておく事にした。


どちらにせよ決して警察が介入出来ないような小さな窃盗犯が、自分の庭先をうろちょろしていると分かったら、彼らの姿が見えないおばあちゃんにとってはそれこそ恐怖でたまらないだろう。


…どうせ視えやしないんだから、視えない人にはいらぬ心配はかけない。


それが俺のポリシーだ。


「…ありがとう…本当にありがとう…息子夫婦は遠くに住んでおるし、あいにく今日は携帯も家の中に忘れてしまって、どうにも連絡のとりようがなくてな…一人でどうしようかと思って迷っていた所だったんじゃ…」


そう言って再び俺の手を大切そうにさすりながら、涙まじりにお礼を繰り返すおばあさん。細くたるんだ二の腕に、表面へと高く浮き出た血管と沈んだシワが、その人の歩んできた年月を思わせる。


「まぁこの季節は熱中症とかも怖いですからね。無事鍵が見つかって良かったッスよ。じゃ、俺はこれで…」


「待って下され!せめてお礼を!お礼をさせてもらわねば、ばぁの気がおさまりませぬ!せめて、せめてお茶だけでも…!!」


そう言って一度優しく振り払ったはずの俺の両腕を、今度は力強く自分の方へと引きよせながら騒ぎはじめるおばあさん。その力はとてもかよわい老人の力とは思えない。


「そんな事をしていたら遅刻しちゃいますって!このくらいの事でお礼とかいいですから!」


「いやいや!婆はそれでは納得できませぬ!それでは金銭で解決を…」


そう言って突然財布の中から大量の札束を取り出す婆さん。


「ぎぃやぁぁぁぁ!!こんな所でそんな大金ちらつかせないで下さい!!今度は泥棒とか物騒な人とかに狙われちゃいますよ!」


無論、その大金に目を光らせているのは物影からこっそりとこちらの様子を伺っているこげちゃんの仲間も同じだった。


その事に気がついた俺は、急いでその大金を婆さんの手ごとカバンの中へと無理矢理押し込むと慌てておばあさんに反論をした。


「とにかく!お礼なんて本当にいいですからっ!」


「でもそれでは婆の気が…」


そう言って再び俺の腰元にすがりついて、おいおいと泣きはじめるおばあさん。


…こりゃあ、本当に何かお礼の品でももらわないと帰してくれなさそうだぞ…


そう思ってすっかり観念した俺は、「…じゃあ変わりと言ってはなんですが…」と軽い前置きを済ませてから、目の前にあるあの立派なあじさいの花を指差したのだった。



「今日は麻宮ちゃん、日直だから1日オバケ部に来れないみたいよ。だから今日の夕方は全員休部だってー。」


昼休み。いつもの通りオバケ部に行くと、机の上で寝そべりながらポテチを片手にファッション誌をめくっている有栖川未亜の姿があった。


「日直ってそんな大変なのか?」


そんな有栖川未亜のお行儀の悪さに、俺は一瞬呆れた表情を浮かべたが、深くは気にせずそんな事を言いながら目の前の席へとついた。


「坂本先生、人遣い荒いって有名だからね~…伶奈さん大人しいし、真面目だからここぞとばかりにコキ使われてるんじゃないかな。」


俺のそんな問いかけに何故か有栖川未亜と同じく女性ファッション誌を読んでいる静馬が答える。


「そりゃ心配だな。麻宮先輩も何も部活までは休みたくないだろうに。」


目の前の机の上で悠々と寝そべっている有栖川 未亜に弁当を広げるスペースを開けるようジェスチャーで合図をしながら俺はそう呟く。


俺からのその合図を受け取った有栖川未亜は不機嫌そうにぷぅっと頬を膨らませると、少しだけ体をよじらせてスペースを開けた。


「あれ?それだけ?」


有栖川 未亜がやっとこさ開けてくれた小さなスペースに、サンドイッチとミルクコーヒーを並べている俺の姿を見て、珍しそうにそう声をかけてくる静馬。


「あぁ、今朝は色々あってな…」


結局今朝の婆さんとの押し問答によって、コンビニで弁当を買う時間がなくなってしまった俺は、仕方がなく先程購買に寄ってサンドイッチを買ってきたのだ。


「二人はもう昼飯食べたのか?」


「うん。麻宮ちゃん来ないって分かってたし、あんたも遅いからとっくに食べちゃったよ!だから今は甘美なお昼のオヤツた・い・むなのだ!」


そう言って人差し指で無理矢理俺の口の中へとポテチを押し込んでくる有栖川未亜。


サンドイッチの蓋を開けることに夢中になっていた俺は、無意識にそれを頬張った。


…コンソメ味か。有栖川にしてはなかなかいいチョイスだ。


「…ってゆーかもうだいぶSNSの使い方には慣れてきた?」


そう言って机の上に寝そべったまま、小首をかしげながら俺に尋ねてくる有栖川。少しの動作で優しく揺れるその柔らかそうで艶やかな髪と、時折魅せる何とも意地悪そうなその眼差しが、何となくペットショップなんかにいる高級できまぐれな猫を思わせた。


「…ん~…まぁまぁってトコかな。」


今度はミルクコーヒーの紙パックを開けるのに戸惑って、気のない返事で答える俺。


「イルスタとか実際使ってみてどうだった?」


彼女のそんな言葉に、俺の頭の中では無意識に今朝自分が見た有栖川未亜の写真だらけイルスタがふとよぎった。


「…お前で…埋め尽くされていた…」


そう気のない返事をした俺に向かって、


「もぅ!やだ!それって未亜の事が気になるって事ー?やだー!分かるー!」


そう言って俺の肩をバシンバシンっと勢いよく叩きながら、片手で赤くなった頬を押さえてくねくねと体をよじらせている有栖川未亜。


「…いただきモス。」


そんな有栖川の事など完全に無視して、もはやオバケ部特有の挨拶となってしまったその言葉を呟きながら、俺はサンドイッチを口に頬張ったのだった。



夕方6時50分。

学校を終えた俺は404号室のドアの前にいた。


「…麻宮先輩、俺です。佐藤勇也です。」


少しだけ寄り道をした俺が、このよどみ荘へと戻って来た頃には、辺りはすでに暗くなりはじめていた。


ドアの横の小さな窓から部屋の中の電気がついている事に気がついた俺は、麻宮先輩の部屋のドアをノックしてから、ドア越しにそう声をかけた。


「勇也くん!?どうしたの?」


404号室の扉が開かれると同時に、部屋着姿の先輩がひょっこりと顔を覗ける。


お風呂上がりなのか、シャンプーの甘い匂いが俺の鼻をくすぐった。


「…えっと、これ!」


普段の制服姿とは全く違う先輩の雰囲気に戸惑いながら、俺は先輩に向けて花束を差し出した。


その花束は、今朝の例の婆さんからもらったあじさいで、どうしてもお礼がしたいとせがんできた婆さんに、学校帰りに寄るからあのあじさいの花を分けてもらうようにとあらかじめ約束をしていたのだ。


…とはいえやはりあじさいの花だけでは済まず、お茶とお菓子までいただいていたのでこんな時間になってしまったのだが。


「…これって…」


突然目の前へと差し出されたあじさいの花束に驚いた先輩は、大きな瞳をぱちくりとさせながらこう言葉を続けた。


「勇也くん、もしかしてこのあじさい…盗んできたの?」


「ちっがーう!今朝このあじさいの家のお婆さんが困ってて!そんで助けたお礼にってもらったんです!…その…先輩今日、日直ものすごく大変だったろうから…」


そう言った途端に自分でも急に恥ずかしくなってきた俺は思わず俯いてしまったが、先輩はそんな俺の腕からそっとその花束を受けとると、優しく微笑みながら答えた。


「ありがとう。私、あじさいの花ってすっごく好きなの。一つ一つの花はとても小さいのに、沢山集まる事でこんなにも大きく綺麗に咲き誇って…小さな花でも沢山集まることで、こんなにも存在感を出せるんだなぁって本当に素敵に思えて。だから私もいつかオバケ部もこんな風にしていけたらなぁって思って…」


そう言って花を大切そうに抱えながら微笑む先輩の姿は本当に綺麗で。


俺がそんな先輩の姿に思わず見とれてしまったその瞬間――…


バンッッ!!


突然先輩の部屋の中の窓を、外から強く打ちつけるような音が生じた。


「…何!?今の音!」


思わずその音に驚いた先輩が、急いで部屋の中へと駆け戻り、音のした窓を確認する。


俺も先輩の後をついて玄関先までは入ってきたものの、さすがに女の子の一人の部屋に勝手に許可なく上がり込んでしまうわけにはいかないので、とりあえずその場にとどまって先輩が窓を調べている様子を眺めていた。


「…え~…何だったんだろ?今の音…別にガラスもなんにもなってないし…風かなにかだったのかな?」


そう言ってくまなくそのガラス戸を調べる先輩。


…風なんかじゃ、ない。


俺には一瞬でそれが分かった。


そして同時にこうも感じた。


…もしかして先輩にはが見えていないのか?


そう思った俺の目には確かに、先輩がしきりに開け閉めをしているそのガラス戸に、くっきりと人の手形のようなものが残されているのが、はっきりと見えていた。

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