第四章 変わり、うつろう

27 つかの間の休息

 快く晴れ渡った空には、雲ひとつ浮いていない。

 いや、ひとつだけの何かが、歩いていた二人の近くに影を落とす。

 その物体が何なのか――確かめるべく上を見上げた二人は、太陽の光の破片に目を細めつつも、青く抜けた空を背景に、黒い人間のシルエットを見た。


「ャ――っっっっっほ―――――――――い!!」


 至極楽しそうな絶叫とともに降って来た人影は、しかし地上数メートルほどの高さで万有引力の法則に逆らう。手のひらから生み出された白い魔法陣が彼の体を受け止めるたびにぐっと減速し、理想的なスピードまで落ち込むと、彼はゆるりとその場に着地した。


「よお、お帰り」


 にこやかに帰宅を歓迎するその姿に呆れる。近所迷惑もいいところだ。

 しかし、シュリの隣に並び立つ二の宮には、彼の飛翔は違って見えたようだった。キラキラと目を輝かせ、手が胸の前で組み合わせられている。


「すごい! ジンクン、いまのどうやったの!?」


 賞賛を浴びて気を良くしたのか、三好は鼻高々に胸を張った。


「いやー、屋上で筋トレしてたらお前らが見えたからさ、早く見せたくて飛んできたわけだ」


 子どものように笑う三好の顔は満足げだ。二の宮の奇襲攻撃並みに驚かせられたのが、よほど嬉しいのだろう。

 鳥のようにとはいかないが、まさに「飛んだ」三好。


 シュリはやんちゃな子どもを持った母親のような溜息をついた。


「いくら念願の重力制御だからって、やりすぎ」


 重力制御そのものには特別な力は必要ない。魔法のように《コントラクター》だけに捧げられるものでもなく、ただ単純に、アクセサリーの様な小さな装置を身につけるだけでいいのだ。アクセサリーを擦るという単純な動作だけで制御は発動し、術者の任意の場所に展開できる。


 約三カ月前に我が家を構えた集合住宅の屋上から飛び降りた三好は、着地地点前に三つの陣を形成し、段階的に減速して着地した。いくら特別な力が必要ないとはいえ、同時期に三つなど、使い始めたばかりの装置に負荷がかかる。

 重力制御という、その属性類のガーディアンには至極簡単な装置は、物理学的に見れば危険を孕んでいるのだ。


 四道いわく――そもそも重力というのは物を下にひっぱる力なんて単純な力ではなく、物の存在によって引き起こった「空間の歪み」であり、歪みを制御するということはすなわち歪みを矯正したり故意に造ったりするのであって、それによるバタフライ効果が懸念される云々かんぬん。空間などという大規模な場でのバタフライ効果は結果の規模も大きくなってしまう云々かんぬん。それはつまり仮に時間移動が出来るならば過去の歴史を変えてしまうほどの規模で云々。


 延々と続いた説教の様な解釈を三好が理解したはずもないが、せめて機械くらいは繊細に扱って欲しい。


「なんかお前、最近タカみたくね?」


 三好が相手では四道のようになって当然だと思うが、それは口にせず心に止め置く。言ったが最後、ケンカに発展するのは三好と四道を見ていれば学べることだ。


「そっか、やっと貰えたんだね」

「おうよ。あんなに苦労したの久しぶりだぜ。試験受けて訓練受けて、頭がパンクするっつーの」


 そんな苦労を経てようやく支給が認められた品なのだ。ごくごく普通の集合住宅の屋上から飛び降りるなんて一般人の心臓に悪い行動をしたくなるのも無理はない。尤も、実際実行してしまうのは三好くらいだろうが。


「だからその苦労に見合うくらいのコトはやりたいんだよなー」


 うっとりと蕩ける三好に、いささかの不安を覚える。

 苦労に見合った何を実行しようというのか。


「なになに?」

「〈ノウア〉最高峰の「墓地」からダイブ」


 無茶過ぎだ。


「墓地って、首都にあるやつ? 一番高い建物でしょ。眠る人のためのビルとかなんとか、そんな名前の」

 正しくは、「眠れる人々の堅固な高楼」。モンスターによって死亡した人々の慰霊碑を中央に、政府直属軍ブルーコートに在籍していた戦死者たち専用の墓地だ。しかし「地」という名称とは裏腹に、その建物は地上九〇一メートルに達する〈ノウア〉一高い自立型建造物で、最上部からの眺望は墓「地」ではなく墓「天」に相応しいと聞く。


 三好のことだ。中腹辺りの一般にも開放されている階からではなく、文字通り天辺から飛び降りたいに違いない。


「いくらジンクンでもそれは無理じゃない? そんなことよりタカクンは?」

「ここにいるよ」

「わっ!!」


 突然の背後からの声に、二の宮は文字通り飛び退いて驚いた。

 クリスタルキューブが発動して以来、たび重なるモンスターとの戦闘で確実な経験値を稼いできたシュリ達は、他者のそれよりも五感が敏感に反応する。当然、気配には敏く、目を閉じてもそれが誰なのか分かる時もある。

 特にシュリは、他の三人よりも格段に気配を読む精度が高いのだが、時折、四道にはそれが通用しない場合があるのだ。

 それが本人の気質なのか、はたまた天賦の才なのか、キューブのアシストによって開花した能力は、しばしば日常生活にも影響を及ぼしている。支障をきたしてはいないからと当の本人は気にしていないが、周囲の人間の心臓にはよろしくない。


「びっくりした……いつからそこに?」


 早鐘を打つ心臓を内包した胸を押さえ、二の宮が背後を振り返ると、四道は「少し前」と短く答えた。どうやら四道もどこかへ出かけていたようだ。


「研究がちょっと煮詰まって気分転換。ジンの馬鹿な悲鳴が聞こえたから外に出てみただけだよ」

「誰が馬鹿だ、誰が」

「じゃあ今までずっと部屋にいたの?」

「……まあ」

「ええー!? だって昨日遅くまでやってたんでしょ? ま……まさか徹夜?」

「…………」


 返事がない。事実のようだ。


「もー、信じられない!! ほどほどにしなきゃ体壊すよ!? 肌荒れるよ!?」

「肌は別に……。それに朝になればちゃんと太陽を拝んで体内時計はリセットしているし、ビタミンを作る程度に光は浴びて――」

「そーゆーコト言ってるんじゃなーいっ!!」


 おお、とおののいたのはシュリだけではなかった。三好、それに批難されている四道も、二の宮の剣幕に押されて一歩後ずさる。


「たまにはちゃんとお休みしたってバチは当たんないよ! 決めた! これからみんなでどっか行こ」

「どっかって、どこだよ」

「うーん」


 三好に指摘され、二の宮はしばし難しい顔で唸った。


「そうだ、通りに新しく出来たカフェは? 歩いて行けるし、少し遠いけどこの際丁度いいでしょ。それに美味しそうだったし」


 シュリにも心当たりのあるお店だった。見落としてしまいそうな小さな看板に、おっとりとした色合いで整えられた入り口が印象的で、ケーキがメインのお店だったと思う。


「それってあれだろ。チーズケーキが美味い店」

「それそれ」


 三好も既知だったらしい。二の宮が嬉しそうに肯定すると、四道は途端に顔を曇らせた。ケーキの単語に反応したに違いない。


「オレはパス。甘いの苦手」


 三好が両手を上げ、降参を宣言する。


「僕もケーキは――」

「タカクンは行くの」


 四道がそれに便乗しようとしたが、二の宮にがっちり捕獲され、あえなく撃沈した。


「シュリちゃんは?」


 期待の眼差しが注がれる。一方からは嬉々とした、もう一方からは恨みがましそうな、生贄を求める目を向けられる。


 困った。これでは、生半可な言い訳は通用しそうになさそうだ。


「……予定があるの。久し振りに連絡もらうことになってて」

「誰と?」


 突っ込んでくるか。


 二の宮の追撃にシュリは一片の遺憾を覚えつつ、うっかり名前が挙がっても言い訳が立てられそうな――あるいは嘘の裏付けをしてくれそうな相手を思い浮かべた。

 とはいえ、元から友達以下知り合いが少ないため、消去法で選択することになる。セラフィムなど論外、ライト少年とは親しくないし、後はヴィクスかニナくらい。その二人ならシュリの嘘にも付き合ってくれそうだが、ヴィクスは遠征に出ている可能性も否めない。どちらかというと時間に融通がきくのはニナだ。


「ニナと」


 脊髄反射のような思考を経て、一秒も要さず答えると、二の宮は「そっか」と納得してくれた。ほっ。


「私も最近あんまり連絡取ってなかったからなー。残念だけど、ニナによろしくね、シュリちゃん」

「うん」

「じゃ、行こうか」

「いや、ちょっ……!!」


 完全にスケープゴートと化した四道を、殆ど引き摺るようにして二の宮が連れていく。

 合掌、と。シュリと三好は憐憫の目をせめてもの思いで捧げた。

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