26 信頼の輪

 散水を浴び、シュリ達は目を細める。危険が近い。ピリピリと静電気の刺激を受けているように肌が痛む。

 水柱は高さ十メートル近くにも達すると、水圧不足からか、徐々に威力を弱めてきた。頂点が徐々に減り下り、飛散した水飛沫も少なくなっていく。だが頭上からは、また別の滴が重さに耐えかねて落ち始め、程なくずぶ濡れになってしまった。


 うっとうしい雨だ。

 奥歯を噛み、シュリは二メートル程度で落ち着いた水柱を割って出てくる影に注視を向けた。


 その影を単純に語るなら、馬と人の混合、だろう。上半身は人、下半身は馬。地球の西欧神に同じような姿の神が居たが、果たして同じ存在なのだろうか。眼前のモンスターは、マーブル状になった赤と黒い色を馬の下肢に塗り込め、人間の男性と同じ上肢の半分ほどを同じ色に侵食されている。赤黒くない部分は、しかし人の肌ではなく、鱗の様なものがびっしりと生え、暗い青緑色をしていた。顔の輪郭は人に近いようだが、馬の鬣のように生える長い髪によって顔の造作は覆い隠されてしまっている。ただその枝垂れた髪の隙間から、空間を歪ませるような敵意だけはしっかりと伝わって来た。


「何あれ……」


『なんっすか!?』


「馬みたいな、人みたいな……鱗がはえてて……」


『イポタミスっすね』


 間髪入れずニナが敵の名を呟いた。


『水陸両生のモンスターっすよ。……なかなか個体数が少ないんっすけどね』

 運がいいのか悪いのか。


 からかうような口調には、しかし緊張が聞いて取れた。これまで色々なモンスターと遭遇したが、彼女のこんな声は初めてだ。


『水を操る上、顎の力が強いっす。食われないように気をつけるっすよ!』


「分かった!!」


 首肯とほぼ同時に二の宮が地を蹴った。相変わらずの俊足だ。二者の間で警戒を剥き出しにしていた猫を回収し、遅れて走り出したイポタミスの水の矢をダッシュで回避する。

 猫を避難させるため、第一線から二の宮が退くと、今度は三好が立ち替わり、左下から右上へ拳を振り上げてイポタミスを牽制した。


「危ないから離れててね、猫チャン」


 離れた場所に猫を開放し、即座に背を向ける。

 二の宮が前線に戻ったことを横目で確認した三好は、領域の線引きに使っていた腕を引き、一歩足を延ばして敵懐に潜り込んだ。繰り出される技は《スプラッシュ・ジャブ》。まずは挨拶程度――のつもりだったのだろうが、技の終了と共に間合いを取った三好は顔を歪めて手をブラブラさせた。


「硬ってー!!」


 律儀に腹筋を的にするからだ。

 攻勢を絶やさぬよう二の宮が出、両手に握った短剣を見舞う。女王も身に宿った力で招来した雷を下す。シュリもまたエオリアと共に杖を振り、端々に生じる隙を埋めていく。


 ニナの声音から、イポタミスが強いということは容易に想像出来た。多手数でダメージの総量を重視した《スプラッシュ・ジャブ》を全て受け切り、そのくせ表情も変えない――というか見えないが――様子から察するに、手こずって長期戦になるのは百も承知だ。


 攻撃の手を緩めることは出来ない。緩急をつける余裕すらない。四人で結託し、ひたすら攻撃を加え続ける。

 クリスタルキューブのアシストのおかげか、全員の息はぴったりと合っていた。次に誰がどのタイミングで攻撃を繰り出すのか、どんな意図でどんな技を使うのか、勘に近い何かが天啓のように閃く。それを頼りに攻撃を加えること暫く――。


 ――時間の感覚などとうに失くしてしまって、それがどれだけの時を経て訪れたのかは分からない。ただぽっかりと、時間の空白が生まれた。


「!」


 短い呼気で息を呑む。

 順番通りにいけば次の攻撃は女王だったはず。戦場の一番後ろで、水棲モンスターに最も有効で、最もダメージを与え続けていた雷撃は、しかし一瞬小さく閃光を見せただけで不発に終わった。


 《コントラクター》の魔法には終わりがある。身に帯びたガーディアンの力が尽きれば、心身の回復を待たなければならない。

 それが今訪れたのだ。


「くっ……」


 それは誰が洩らした声だったのか、判別がつかなかった。自身の失敗に動揺する女王をフォローするため、三人は同時に敵を見据えた。技を選び攻撃に転嫁する。

 だが遅い。

 こちらの隙を見逃さず、イポタミスは幾多の水の矢を放った。狙いは女王。自分に最も深い痛手を負わせてくれた女を真っ先に排除する必要があると判断したのだろう。敵ながらあっぱれな思考だ。

 最後尾に後退してくれていたおかげで、水の矢が女王に到達するまでには僅かな間があった。二の宮と三好を通り過ぎ去り中衛に迫った矢と女王との間に、なけなしの速力を総動員してシュリが無理矢理割り入る。

 杖を振り、矢と同じ数だけの光弾を生み出し、エオリアへ。風の妖精を媒介した光弾は風の属性を纏って一対一の割合で水の矢と衝突する。


 シュリの目論見では、矢は全て相殺消滅するはずだった。ところが、だ。風を纏った光の弾は、矢の先端によって切れ込みが入り真っ二つに割れてしまう。それどころか、矢は光弾が纏っていた風を貫通することで氷点を越え、氷の矢へと状態変化し、尚も女王を目掛けて飛来してきた。


 まずい。


 危険を察知しても、もう遅い。氷の矢の速度はシュリの瞬発力を以ってしても回避出できない。なにより今ここから退けば氷の矢は後ろの女王を直撃してしまうし、女王を伴って逃げる術などシュリにはない。


 刹那の思考の間に、殆どゼロ距離に迫った氷の矢を、シュリはあえて甘んじて受けた。


 ビッ、シュビッ、ドス。


 衣服を裂き皮膚が浅く切れ、耳元を物質が駆け抜ける音の後、嫌な感覚がシュリの利き腕を貫く。熱い。

 だがそれも束の間、今度は神経を焼き切るような不快な刺激が傷口を焦がす。電流を流されたような、痺れた感覚。しかし一見では何の変化もない。ただそれを境に、矢が穿たれた腕から痛みが遠のく。


 痛くない――わけではない。ズキズキと鼓動に合わせ疼痛が走る。だがその痛みは傷口の大きさに比例していない。出血も同じ。擦り傷や切り傷ではないのだから、出血はもっと酷くてもおかしくはないのだ。


 これもたぶんキューブの仕業なのだろう。肉体に影響を及ぼすアシスト機能が痛覚を程よく痛覚を遮断しているに違いない。

 完全に途切れていないのは、治療の必要を訴えているためだ。

 だが今は治療を求めている場合ではない。


 集中力を阻害する痛みを無理やり意識の埒外に押し出し、攻撃されても手放さなかった杖を硬く握りなおす。

 そこへ、ずしゃり、と、足元に二の宮が倒れこんで来た。全身に泥を浴びた彼女の制服が汚れる。前衛に居た筈の二人めは、シュリが視線をくべてもそこにはいなかった。二の宮と同じ、イポタミスの剛腕に吹き飛ばされ、辛うじて受け身を取り地を舐める三好の姿を目撃する。


 隙があまりにも大き過ぎた。イポタミスの人間の口が無造作にぱっかりと開き、水の気配が集まる。

 迫る危険に肌が泡立つも、それを止める術がない。傷の痛みで集中がおぼつかず、光弾の成型も遅く、二の宮と三好は態勢を整えていない。女王も火炎系の魔法を繰り出してくれるが、この雨と敵の特性のため火力が足りず援護には至らないままだ。

 イポタミスに集約された水が、渦を描いて放たれる。適度に散った四人を纏めて攻撃できるほどの水量に、シュリ達は大きく眼を瞠った。


「……っ!」

「にゃー」


 チリン、という、鈴の音。

 戦場にこれほど不似合いな音があるだろうか。


「猫チャン!?」


 驚愕に震える二の宮の声と共に、敢然と水の渦に立ち向かう猫の小さな姿が見えた。

 危ない!! と、声を上げる間もなく。

 猫から、気合いと共に水の奔流が生まれ、壁となって渦を阻む。力はほぼ互角。イポタミスと猫の間で、水と水が激しくぶつかり合う。


『どうしたっすか!?』


「分かんない……猫が、水であたし達を守ってくれてて……」


『猫……?』


〔ウィカチャだ〕


 答えたのは、問いかけたニナでも、首を傾げた四道でもなく、回線に割り込んできたビッグ・マムの声だった。グローバルネットワーク・フリーパスの成せる技なのだろうが、軍の会話回線にまで侵入可とはさすがだ。


「なんだよ、それは」


〔水中に棲む怪物だ〕


「ガーディアンとは違うの?」


〔……似たようなものだ。契約者はおらぬがな〕


 そのガーディアンによく似た猫は、イポタミスとの力比べを未だに継続している。押されはしないが押し返しもしない、ほぼ拮抗した水の対立は、暫く続くと思われた。

 どちらが押し負けるにしろ、問題はその後だ。ウィカチャは水属性ゆえにイポタミスと並び立てても倒せないだろう。イポタミスを倒すには、圧倒的な火力か、強烈な電撃が必要だ。


「陛下、雷は打てますか?」


 背を向けたまま密やかに尋ねると、背後の女王は小さく首を横に振った。


「いいえ、もう無理よ。イリャパはヴァルナの支配下にあって、私の魔法にも影響を及ぼしているの。これ以上はヴァルナが決めた制限回数を超えてしまうから……」

「無理に押し通すと?」

「やったことがないから分からないわ。でもきっと何も起きない。ヴァルナは戒律に厳しいの」


 望みは薄そうだ。


『一木さん、エオリアはまだ使える?』


「使えるけど……」


 しかしエオリアは、下手に使えば諸刃の剣となる。エオリアの力を借りるのなら、慎重に扱わなければならない。


『天気図じゃ、そこは雨だ。おまけに水属性のモンスターとガーディアンもどきが対戦中。――だから、そこにある水を細かく砕きながら、全力で上昇気流を生み出して』


 上昇気流……。それは……。


「……うまくいくか、保障はないよ」


『この気圧配置ならいける。それにこっちには女王様がいるだろう。雷が発生したら、あとは彼女に任せるんだ』


「…………」


 即座に首肯は出来なかった。小さな不安が残っている。だが、


「そーゆーことなら、シュリちゃん! 前は任せて!!」

「オレとマイならしばらくもつだろ。なるべく早くしろよ!!」


 猫――ウィカチャのいる前線へと戻った二人は、水の壁を越え攻撃へと転じた。一撃重視の《ジャイアント・インパクト》を繰り出す三好、足元の猫の協力を得て水の矢を弾いて防御する二の宮。


 インカムを通してこれが不確定な作戦であると聞いただろうに、二の宮と三好は何の不満や不安も口にはしなかった。

 多少のリスクなら呑み込んでしまうほどの信頼を、彼らは四道に寄せているのだ。


 ――ならばもう、やるしかない。


「……陛下、その時がきたら――あとはお願いします」


 肩越しに言い残し、シュリは杖を握りなおした。


「エオリア、いくよ」

「きゅぴー!!」


 前衛で戦う二人の姿を見るだけで、シュリは己の集中力が自然と高まるのを感じていた。右腕の傷の痛みがシュリの感覚から完全に剥離し、意識は更に高揚する。


 これなら――いける!!


 確信と共に放つ、気合と願い。

 全てを、唯一の打ち上げに込める。


 雷は本来、雲の中で精製されるものだ。急激な上昇気流によって雲が発達し高空に達すると、雲を構成する水滴が氷結して氷の結晶となる。この結晶が上昇気流によって煽られ、衝突や破砕を繰り返すと静電気が生じ、雲の上部に正の電荷が、下部には負の電荷が蓄積されていく。この静電気こそ、雷の原因である。

 つまりこうやって上昇気流を故意に起こし続ければ、雷が自然発生する可能性があるのだ。

 そして、四道は言った。「これならいける」と。


 打つ手がないような状況だからこそ、仲間の言葉くらい信じてもいいではないか。


 …ゴ……ロロ………。


「!」


 微かな音がシュリの耳朶を打ったのは、《打ち上げ》をおよそ七回ほど繰り返した時だった。


「陛下!!」


 シュリの叫びの上に、凄まじい雷鳴が被さってくる。

 眼を瞑りたくなるほどの、白い閃光。

 女王の力で導かれる稲妻。


 ゴオオオオォォォンン……!!


 目では捉えられない音の膜が、シュリの真面から、肌を撫で、まるで幽鬼が通り過ぎたかのように去っていく。


 そして。

 テラコッタへの侵入者は、とてつもないワットを内包した雷撃により、倒れた。



 *



 イポタミスから受けた傷は深かったが、女王の治癒魔法と村医者の治療もあって翌日にはきれいに完治した。魔法の効力もさることながら、自分の回復力にも驚嘆を禁じ得ない。今なら風邪をひいても一秒で治せそうだ。


「はい、終わり。傷も消えているし問題ないよ」

「ありがとうございます」


 包帯から解放された腕をひとさすりし、村医者に頭を下げると、朴訥そうな白衣の男はにっこりと顔を綻ばせた。


「いやいや。君達のおかげで村の損害は井戸だけだ。本当にありがとう」

「いえ……」


 人とあまり向き合わないシュリは、こうやって真正面から感情をぶつけられるのに慣れていない。特に感謝の心は苦手だが、素直に受け取り制服の袖を戻した。


「私が子どもの頃にも似たようなことがあったが、今回と同じように、外から来た軍人がモンスターを倒してくれてね」


 商売道具をしまいながら、医者が昔を懐かしむ。消毒液の匂いが、彼の過去の記憶を刺激したのだろうか。


「軍の中に君よりも小さな――当時の私と同い年くらいの少年もいたんだ。……君達の背を遠くから見ていた時、それを思い出したよ」


 懺悔のようにも聞こえる自重めいた言葉に、シュリは何も答えなかった。

 代わりに、視線と話題を逸らす。


「二人はどうですか?」


 二の宮と三好のことだ。

 前衛でずっと戦線を支え続けていた二人の容体は芳しくなく、出発を一日遅らせてゆっくり休ませる運びとなった。医者の話によれば、体ではなく精神の疲れが大きいらしい。無理もない。四人で手古摺った敵を二人で相手取っていたのだから。

 体の傷は癒せても、摩耗した心を癒すには暖かい人の手と時間が必要だ。


「起きているよ。会ってあげるといい」


 隣の部屋への入出許可を貰ったシュリは、診療室を出、さっそく二人を見舞った。シュリの姿を見るなり暇だなんだと喚くあたり殆ど回復しているように見えるが、この際だからゆっくり休んでおけばいいのだ。


「……熱はないみたいね」

「ぷきゅー」

「ったりめーだろ。風邪じゃねーんだし」

「シュリちゃんの手、冷たくて気持ちー」


 それはなによりだ。

 換気のため開け放たれた窓から、心地よい風が吹き込み、カーテンの裾を弄ぶ。

 その風に乗って、歌声が聞こえてきた。女王の声だ。か細い声ながらもよく通った、ガラスのように繊細な歌声。幼い子どもたちの午睡を誘う子守唄。


「ガキどもはネンネの時間か。昼飯も終わったし、オレも……あふ……」


 大きなあくびを一つしたかと思うと、三好はものの数秒もせずに三好は安らかな寝息を立てた。

 なんともまあ、おそろしく寝付きの良い男だ。感心半分、呆れ半分で弛緩しきった寝顔にため息を零す。


「ジンクンすごいよね」


 声を立てて笑う二の宮に、シュリは素直に同意した。ここまでくれば特技だと自慢してくれても納得せざるを得ないだろう。


「二の宮さんも休むといいよ。私、そろそろいくから」

「うん……あ! あのねシュリちゃん!」


 引きとめられ、扉を抜けようとする体を停止させる。

 二の宮は少しもじもじとして見せたが、


「ううん、なんでもないや」


 結局よく分からず、「お大事に」と言い残し、シュリは診療所を立ち去った。

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