第三話 闇の目覚め(6)
夜が更け、アルコイリスが眠りについた頃――
ソラは瞼を開き、ゆっくりと上体を起こした。
暗闇に、椅子に座って眠るカームがぼんやりと見えた。
何も考えずにじっと見ていると、雲の切れ間から月が顔を出したのか、保健室が明るく照らされた。
彼女は頭を垂らし、足を揃え、両手を膝の上に置いていた。
カームは眠っていても様になっていた。
かすかに漏れる寝息さえも聞こえるほどの静寂。
ソラはそっとベッドから降り、自分にかかっていた毛布を引っ張り、それをカームの肩に背中からかけた。
「……ん」
カームが小さく呻く。
起こしてしまったのだろうか、と心配して動きを止めるが、カームは眠ったままだった。
そのまま対面するようにベッドに腰を下ろし、顔を伏せる。
ここでカームとミュールが話していた内容を、ソラは聞いてしまっていたのだ。
自分の身のうちに潜む――闇の存在に。
怖い、という気持ち。
そして、どうすることもできない自分。
「カームさん……ボクは……」
どうすれば――
だけど、言葉にならない呟きが彼女に届くことはなかった。
※
翌日の休息日。
ソラとカームはアルコイリスに出ていた。
今回はカームの提案だった。
「それにしても、今日の朝練、キミは張りがなかったわね」
「そうですね」
アハハ、と笑って見せるソラに、カームは内心で様子がおかしいと感じていた。
今日の朝練も予定通り行った。
だが、ソラは精彩に欠けていた。
どこか上の空というか、考え込んでいるようだった。
「悩みごと?」
「いえ、大丈夫です」
そう言って、また笑って見せる。
いつもの少年の笑みじゃない。
どこか無理して作っている。
「それで、今日はどこに行くんですか?」
これ以上詮索されないようにするためか、ソラの方から話しかけてきた。
「私の行きつけの店よ」
それだけ言って、裏通りに入る。
人混みを縫うように歩きながら、やおら目的に店の前に着いた。
「ここよ」
「ここって……」
ソラが看板を見上げる。
「何の店なんですか?」
「入ってみれば分かるわ」
店の外観だけでは分からないだろう。
実際、宣伝もしていないため、知る人しか知らず、新規の客も、口伝いで来る人のみ。
そしてこの店を利用するのが全員、火使いだということ。
アルコイリスは新しい都市だ。
だから、町並みの建物もすべて新しく、きれいだ。
それなのに、この店だけはまるで百年前から引っ越してきたかのように古かった。
いや、古いというより、黒い。
半端に焼けたような木材で造られた小さな店だ。
趣があるといえばそれまでだが、訪ねるたびに耐久性に不安を感じる。
ドアを開けると、見知った店主が迎えてくれた。
「いらっしゃい」
「こんにちは、マスター」
狭い店のカウンターの奥で、六十過ぎの男性が顔を上げる。
「おや、珍しい。今日は連れがいるのかい」
男性がカームの後ろを覗き込むようにする。
「初めまして、ソラです」
「ソラか……東の果ての出身かな?」
「ボクではなくて、名付け親が」
「ふむ……そうか」
男性は柔和に笑む。
「あの、この店はどういった店なんですか?」
ソラの言葉に、男性がカームを見やる。
「なんだ、話していないのか」
「ええ、驚かせたくて、つい」
首を傾げるソラに、男性が手を述べる。
「少年、利き手を出しなさい」
「あっ、はい」
言われたとおりに手を出すソラ。
少年の手を取った男性は、その手を両手で包み、指の一本一本を探るように触れる。
「あの、カームさん、この店は……」
触られながら肩越しに振り返るソラに、カームは笑って見せ、「いいから、いいから」とそのまま待つように言った。
「よし、ちょっと待ってなさい」
男性はソラの手を解放すると立ち上がり、奥の部屋に通じているドアの向こうへ消えていった。
「ソラ、これを覚えてるわね」
そう言って、カームは上着の内ポケットに入れていた黒い手袋を取り出した。
「火使いが使う、手袋ですよね」
「ええ、私が使うこの手袋は、量産品ではなく手作りなのよ。そして、これを作っているのが、この店のマスターってわけ」
「自分専用だったんですか」
「そうよ。手に馴染むか馴染まないか、一本一本の指に合うか、この些細な感覚の差違が、火使いにとっては大事なのよ。火のエレメントを使うきっかけの、この――」
パチン、と指を鳴らしてみせる。
「寸分狂いなく指に合う手袋は、この指慣らしが気持ちいいくらいに音を立ててくれるのよ」
「手袋をはめているのにですか?」
「ええ、鳴るわよ。気持ち的には、ね」
そう言って、どこか意地の悪い笑みを浮かべてみせると、ソラも笑ってくれた。
「やっと見られた」
「え?」
「キミの笑顔よ。キミ、今日はどこか笑顔がぎこちなかったから」
さっき見せたソラの笑顔は、心から笑っているように見えた。
「やっぱり、誤魔化せませんでしたね」
「バレバレよ」
「カームさん……ボク……」
ソラが何かを言おうとし、言葉を途切らせる。
カームは促さず、じっと続きを待つ。
そうして沈黙を続き、やおら奥の部屋のドアが開かれた。
「ほら、できたよ。微調整が必要かもしれないから、はめてみて」
そう言って男性が差し出した相手は――
「え、ボクですか?」
カームではなく、ソラだった。
「ええ、そうよ。これはね――」
戸惑う少年に代わって、カームが手袋を受け取る。
「私から――」
そして少年の手を取り、手袋をはめさせる。
「キミへの贈り物よ」
ぴったりとはまった手袋を持ち上げ、まじまじと見つめる少年。
カウンターの奥でそれを見ていた男性は、ひとり納得したように頷くと、そっとドアの向こうへと消えた。
「どうしてボクに……だって、これは……」
「これは、火使いが使うもの」
「だから……」
「キミは火使いになれる。いえ、火使いになるの」
手袋のはまったソラの手を両手で掴む。
「でも……ボク、聞いてしまったんです。ミュールとカームさんの会話を……」
ソラが顔を伏せ、体を震わせる。
「そう」
カームは、静かに頷いて見せた。
「怖い……怖いんです。もし、またあんなことが起きたら……大切な人を傷つけてしまう。死なせてしまうかもしれない。僕が火使いになって、【虹使い】にならないと……でも、ボクは火使いになることができない。できないんです……」
俯き、涙を零すソラの肩に、カームはそっと手を置いた。
「顔を上げて……」
優しく言うカームに、しかしソラは泣いたまま俯いていた。
「顔を上げなさい! ソラ!」
突然の怒声に、手を乗せていた肩がびくりと震え、ソラが顔を上げた。
「キミは火使いになる。私がしてみせる。私は、あの
ソラが首を振る。
「この手袋はお守りよ。いつかキミがこれをはめて、私の前に立つの。最高の舞台で、最高の能力で、最高の戦いを大陸中に見せつけるの」
「カームさん……ボク……ボク……」
「ほら、男の子なんだから、泣かないの」
頬に手を当て、指の腹で涙を拭ってあげる。
「よし、じゃあ早速特訓よ! 休息日だろうと関係ないわ。行くわよ、ソラ!」
「はい! カームさん!」
二人並んで店を出る。
カームもソラも、ここに入ったときとは、気持ちががらりと変わっていた。
今なら何でもできそうで、そしてそれはお互いの隣にいる人のおかげで――
だから、二人ならば、頂すらも越えることができるだろう。
決して手の届くことのない虹――それすらも手を伸ばせば、きっと……
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