第三話 闇の目覚め(5)

 もう一度問うカームに、今度はミュールも口を開いた。

「【深淵】は、闇の大戦を引き起こした張本人――いえ、アレは闇そのもの」

「闇……そのもの」

 長い間にわたり四大国間で起こっていた大陸戦争。

 その戦争に横やりを入れるように突如として現れた謎の集団。

 秩序も規律もなく、ただ攻め入り、殺し続ける存在。

 言葉は通じず、命乞いさえも無視し、女、子ども構わず、その手にかけた。

 全身に黒い霧を従え、まるで意思のない操り人形のような動きで自らの命など省みることなく、捨て身で火の国をきっかけに、他の大国へも攻め入ったのだ。

 目的は不明。

 部隊のような統率もなく、それはつまり頭が存在しないということ。

 だから、どうしてこの戦争が始まったのか、戦争に参加したエレメンタラーたちでさえ理解していない。

 ただ、四英雄と呼ばれるエレメンタラーが勝利を宣言し、事実上、黒い霧をまとった人々もその動きと止め――死んだ。

 それから各国の代表と四英雄たちの協議により、恒久的な戦争放棄を結び、同盟を組んだのだ。

 その証としてアルコイリス、そしてイリダータ・アカデミーを設立した。

 そうして世界に平和が訪れた。

「でもね、【深淵】は消えていなかったの」

 ミュールの表情が、悔しそうに歪む。

「私たちは【深淵】を倒したと思っていた。だけど、【深淵】の残滓が残っていて、それがノアに取り憑いていたの。そして終戦時、ノアは身籠もっていたの」

「それが、ソラ……ですか?」

「ええ。そして――」

 ミュールの口が閉ざされる。

 ミュールほどの人間が口にすることを憚るほどの事実。

「そして……【深淵】は、生まれたソラの体内に――心に取り憑いたのよ」

 その事実を聞かされたカームは、自分でも驚くほどに落ち着いていた。

「ノアは特殊な事情で、出産も公ではできずに、私と楓、アビーの三人だけで行ったわ。でも【深淵】の影響を受けていたノアの体力は弱りきっていて、本当は産める状態じゃなかった。それでも、ノアは産むと言った。あの子の強情さはみんなが知っていた。だから、私たちにソラを託した。そして彼女は命懸けでソラを産んで……息を引き取った。託された私たちは、ソラを三人で育てることにした」

 ソラの過去が、ミュールの口から次々と語られていく。

「ソラから出てきた黒い霧――アレが【深淵】なんですね」

 ミュールが小さく頷く。

「【深淵】は、すなわち心の闇。人が抱く負の感情や欲望に反応し、宿主を惑わせる。力を与えると言ってもいいわ。そして、闇から力を得たエレメンタラーは、その力に溺れ、そして自分でも知らない間に、闇に堕ちる。ただ稀に、その闇の力を得ても自我を失わず適応し、人外の力を手に入れた者たちもいた。実際、決戦の場で私たちが戦ったのは、そいつらなの」

 後に最高位と呼ばれるエレメンタラーたちと対等に戦った者たち。

 考えただけでもゾッとする。

「でもソラは、そんな感情抱いてませんでした」

「今回の場合は違うわ。【深淵】は闇そのもの。そんな闇にも弱点があった。闇は光を嫌う。その光と言うのが、つまり――」

 ミュールが、カームを見据える。

「私……いえ、火のエレメントですか?」

「ええ、【深淵】は火のエレメントを嫌う。火は、光を発するから。だから闇の勢力は、まず火の国の攻めたのだと言われているわ」

 闇の大戦は、情報が開示されているにも関わらず、多くが謎に包まれていた。

 次々と飛びこんでくる、おそらくは死ぬまで知るはずのなかった真実。

「この子が火のエレメントを習得できないのは、ソラのなかにいる【深淵】が、それを拒絶しているからなの。ソラのなかに【深淵】がいる限り、この子が火使いになることはない。それを無理にしたり、近くで強烈な火のエレメントが使用されると、拒絶反応のように【深淵】が活性化して、ソラを取り込もうとする」

 ソラの周囲に広がる黒い霧。

 そして、それがソラに集まっていく様子が、頭の中で再生される。

 事実を知った今、あの光景を思い出すだけで、悪寒が走る。

「あの子を今まで人から隔離して、楓とアビーだけで育てていたのも、幼少期などの不安定な時期に負の感情を出さないようにするため。成長すれば、理性が働くようになる。そうすれば、無意識に【深淵】を抑えることができる。実際、小さい頃に一度、【深淵】がソラを支配しようとして、それを楓とアビーが命懸けで止めたことがあったらしいわ。アビーは闇の大戦で足を悪くしていたのだけれど、それがきっかけでついには歩けなくなるほどになってしまったの。これはソラには知らされていないことよ」

 それを聞いたカームは、思わず眠るソラを見た。

 あんなに一生懸命で優しい子が、今よりも幼い頃に、最高位の地使いに致命傷を負わせた。

「力は闇を引き寄せる。幼いソラは素質もあって、エレメントへの適応が尋常ではなかった。だから、そこを闇につかれ、無理やり力を引き出されたのよ。だから、アビーはそれから徹底的にソラにエレメントの制御を叩き込んだの。二度と同じ目に遭わせないように。アビーは自分が嫌われるのを承知で、ソラにエレメントの制御を身につけさせた。アビーは残る命をすべて、ソラに捧げた」

 アビーという人の顔も知らないカームだが、彼女がどれだけソラを愛していたのか、それが痛いほどに心に染み、涙が出そうになった。

「【深淵】が宿っている限り、あの子には常に暴走という危険がつきまとう。それも暴走したが最後、誰も抑えられない。楓とアビーでさえ無傷では済まなかった。それに今のソラは、昔よりもエレメントの能力が上がっている。成長している分、理性もある。だから滅多なことはない。でも、万が一にも暴走したら、もう私でも止められない」

 ミュールはソラを見やり、それからカームを見据える。

「でも、あなたは違う」

 伸ばされた手、コップを掴んでいた手に被される。

「私の思っていたとおり、あなたの火が、あの子の闇を抑え込んだ」

 ミュールがとっくに飲み干していた空のコップを事務机に置き、それからカームが持っていたコップをそっと受け取り、並べて置く。

 そして、カームに正面から向き合うようにし、その空いた手を両手で包むようにして握ってきた。

「あなたにお願いがあるの」

「お願い……」

「あの子を火使いにしてほしいの」

「でも、それは――」

 できない、はず。

「あの子から【深淵】を消し去るには、あの子自身が火使いとなり、【虹使い】になる必要があるの」

 【虹使い】という言葉に、カームは反応せずにはいられなかった。

「【虹使い】は四大をマスターした称号であると同時に、五つ目のエレメントを習得したことを意味するの。それが、光のエレメントよ」

「光のエレメント……そんなエレメント、聞いたことがありません」

「当たり前よ。光は、【虹使い】――四大をマスターしなければ扱うことができない。そして、過去に四大をマスターした者は一人だけ。それがノアよ」

 ソラの母親が、事実上初の【虹使い】――そして、光使い。

 その事実は、カームを大いに落胆させた。

 史上初の【虹使い】を目指していた彼女にとって、すでに【虹使い】がいたことは想定外だった。

「闇の大戦で【深淵】を倒したのは、ノアの光によるものなの。でも、ノアは光使いになって間もなかった。だから光使いとしても不完全で、【深淵】を完全に葬り去ることができなかった。だから、私はソラとあなたに託したい」

「私とソラに……」

「あなたが【虹使い】を目指しているのは知ってるわ。私が知る限り、【虹使い】になれる可能性があるのは、あなたとソラだけ。そして、あなたたちはお互いに欠けているものを持っている。お互いを補い合える。だから――」

 ミュールに包まれた手に、力が込められる。

「ここからは学長の言葉じゃなくて、ソラの母親としての言葉として聞いてほしいの。あの子のことを救ってあげてほしい。あの子には、傍にいてくれる存在が必要。でも、私ではダメ。あなたじゃないと、あなたでなければいけない。あなたになら、あの子を託せる。お願い、あの子を……あの子を……」

 ミュールが顔を伏せる。

 背中を震わせ、ぽつぽつとスカートに雫を落とす。

「学長、私はソラを火使いにすると約束しました。それと同時に、あの子は私に水、風、地を教えてくれると言ってくれました」

「あの子が……」

「はい」

「フフッ。あの子は本当に……すごく純粋で、まっすぐで――」

「誰よりも努力家で、絶対に諦めない」

 お互いにソラを見やり、やおらカームが口を開く。

「私が【虹使い】になって、ソラから【深淵】を消してみせます。そしたら、あの子も火使いになれるはずですから」

 安心させるように、自身の決意を表すように微笑む。

「期待しているわ、カーマイン・ロードナイト」

 ミュールは、カームから椅子を後ろに引き、距離を空けると、頭を下げ、

「あの子のこと、よろしく願いします」

 それからミュールは保健室を後にし、カームはここに寝泊まりすることにした。

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