第7章火継ぎの港町⑩

その夜、私はなかなか寝付くことができなかった。

宿の角部屋にあたる自室のテラスから遠くに見える灯台の灯りを眺めながら、私は先日見た夢の中の景色を思い出していた。せり上がる亡者の波を背景に、不気味な笑い声をあげる渡り烏の姿が脳裏に焼き付いたまま、私はある最悪の予感を胸に抱えていた。


「やつが、この街にいる。」


我知らず呟いたその言葉に、私は身体中に悪寒が走るのを感じた。暗い魂の覚醒とともに、魔法とは異なる、超自然的な感覚が己の身に宿りつつあることを感じていた。もし、渡り烏の正体が『沈黙のユーリア』であり、不死人であるのなら、彼女と自分との間には、言葉にできないほどの強い繋がりがあるように感じた。

暗い気分の中での思考は、控えめに扉をノックする音で中断された。

部屋の扉を開けると、そこにはエルマが立っていた。ラフな部屋着に着替えており、湯浴みでもしてきたのか、湿った髪が頬に張り付いていた。


「ごめん、もしかしてもう寝てた?」


「いえ…眠れずに夜風にあたっていました。何かありましたか?」


エルマは僅かに視線を泳がせながら、

「うん、そうね…私もちょっと眠れなくってさ。エルザは明日の朝早くから用事があるっていうから夜更かしさせたくなくて。少し付き合ってくれる?」


そう言うと、宿の主人からもらってきたのか、手に持った水筒とグラスを掲げて見せた。


「エルマさん、生憎と僕はまだお酒は…」


「心配しないで、ただの果実水よ。よかったら、部屋に入れてくれる?」


私はエルマを自室に招き入れた。

私とエルマは一人分の間隔を空けてベッドに腰掛け、グラスを傾けながら、しばらく窓の外から遠くにちらつく灯台の灯りを眺めていた。


「エルマさんは…」

口をいったん開いて、私はその先の言葉を躊躇ったが、思いきって質問することにした。

「…エルマさんは、人を殺したことはありますか?」

返事はすぐには帰って来なかった。

永遠とも思えるような気まずい沈黙が、彼女と私の間に横たわったが、やがていつもの口調で返してきた。


「…有るわよ。もうずいぶん昔の話だけど。それこそ、数えきれないほどにね。…どうしてそんな事聞くの?」


「…怖いんです。誰かを殺したいほど憎む、自分の心が。普段は何気なく生活しているのに、ふとした拍子に、渡り烏のことを思い出して、怒りのあまり、何もかもめちゃくちゃにしてやりたい衝動に駆られるときがあるんです。」


私は灯台の火を眺めながら、一人で抱えていた悩みを吐き出し始めた。


「僕の故郷、セント・アリアでミラルダの魂(ソウル)を傷つけたとき、僕はついに魔女と戦うことのできる力を手に入れたと思いました。暗い魂の力は底が知れず、不死人になるということがどういうことなのか、自分も真に理解はできていません。でも、渡り烏と戦える力を持つことができたのであれば、それは喜ぶべきだと思ったのです。でも…」


「…でも…?」


先を促すエルマの語調は優しかった。


私は喉の奥につかえそうな言葉を少しずつ送り出した。

「…でも、果たして、それは本当に喜ぶべきことなのか、わからなくなってきたのです。人を、魔女を"殺せる力を持つことができたことを喜ぶ"というのは、"人を殺せるようになったことを喜ぶこと"と変わらないのではないかと。」

私は両手に持ったグラスが震えているのを自覚していたが、止めることができなかった。

「僕は、両親を殺した渡り烏を殺したい。でも、それは人を殺すという、罪を犯すことと変わりがないことに今さら気づいたのです。当たり前のことなのに、僕は未だに、復讐の先に人を殺すという現実があることをわかっていなかった。自分が人を殺すことを、当たり前に考えているようになっていくことが、たまらなく怖いのです…」


言葉にしたことで、私はようやく自分の心のなかにあった悩みの形をはっきりと知った。私は戦いそのものを恐れているのではなく、戦いの中に身を投じていくなかで、変化していく自分そのものを恐れていたのだと。


またしばらく重い沈黙が続いたが、やがてエルマが口を開いた。


「私の二つ名ね…」


「…え?」

思わぬ話題の転換に、私はエルマの方を向いた。

彼女は指先にグラスをひっかけたまま、両膝を抱えてベッドの上に座り込み、その瞳の中には灯台の灯りが写り混んでいた。


「私の魔女としての二つ名『深い森』のエルマ。これは私が魔女になる前に所属していた、ある部隊の名前なの。」


エルマは小さくため息を着くと、視線を私に向けた。

「ここから海を渡って、東にある小さな国。もう1000年以上も前に滅びたその国の王家直属の部隊。表沙汰にできないような、暗殺専門の影の存在、通称『深い森』。私はその部隊の副隊長だったの。」

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魔女の弟子 @shiori-001

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