4-5

 ある朝、山野井は騒々しい物音で目を覚ました。先ほどからしきりにインターフォンが鳴っているようだ。こんな朝っぱらから何の騒ぎだ? そう思いながら、忌々しい睡魔を振り払い、彼は枕元の時計を見た。

 「まだ6時じゃないか・・・」

 彼は布団を頭から引っ被り、安楽な眠りの中に再び逃げ込もうと試みた。しかし彼のそんな努力は、妻である結花によって台無しにされた。

 「あなた! うちの前が大変なことになってるのっ!」

 「何だってっ!?」

 結花の切羽詰まった勢いに眠気も吹き飛んだ山野井は、布団を蹴飛ばし寝室を飛び出した。そしてリビングに足を踏み入れると、何だか妙に薄暗い。だが彼は直ぐに、その理由に気が付いた。それは、部屋の内部を照らす光の全てが、室内灯によるものだったからだ。つまり、全てのカーテンが閉ざされているのだ。

 「もう朝なのに、何故カーテンを閉めている!?」

 山野井がそう言ってカーテンに手を掛けた瞬間、後ろから結花が叫んだ。

 「あなた! やめて!」

 だが彼女の言葉は遅過ぎた。山野井が結花の言葉の意味を理解する前に、カーテンは開かれた。

 その瞬間、何重もの光の雨が山野井を包んだ。そのあまりの眩しさに、庇を作る様に彼は右腕を上げる。それが作り出す陰から目を凝らす間も、目も眩むような光の束が彼に向かって発せ続けられた。その光源の脇に微かに見えるのは、見たことも無い数の人影だ。一人や二人ではない、大勢に違いなかった。

 その光の束を浴びながら、事態が呑み込めない山野井が茫然と立ち尽くしていると、結花が勢いよくカーテンを閉めた。彼女は肩で息をしている。

 「いったい何だ、あいつらは?」

 結花が口を開こうとした瞬間、インターフォンが鳴った。先ほどから夢の中で聞こえていたあの音だ。結花はインターフォンの操作盤の所に行くと、通話ボタンを押して回線を開いた次の瞬間、切断ボタンを押した。その異様な行動を目にした山野井が言う。

 「お前、何をやってるんだ?」

 その声を聴いた結花が振り返り、インターフォンの操作盤に向けていた顔を夫に向けた。

 「あなた、何をやったの?」


 家の外の喧騒とは裏腹に、家の中は静まり返っている。山野井が何を聞いても、誰も答えない。

 「まったく、意味が判らん。うちの女どもは」

 山野井はぶつくさ呟きながら味気無い朝食をかき込むと、不機嫌そうに席を立った。そして押し黙る妻と、ふてくされたような、或いは父親を侮辱するような態度の娘二人を後ろに残し、会社に行こうと表に出る。すると彼が玄関から姿を現した途端、無数のフラッシュが山野井を取り巻き、マイクを手にしたレポーターたちが我先にと絶叫した。訳が判らないながらも、短い石畳を伝い門扉を開けて道路上に出ると、それを待っていたかのように、カメラ、カメラ、カメラ、人、人、人が山野井を取り巻いた。

 「山野井さん! 伊藤絵理奈さんを妊娠させた件について一言お願いします!」

 「彼女とは、どういった経緯でそのような事になったのですか!?」

 「あなたが社内の立場を利用し、無理やり伊藤絵理奈さんと関係を結んだと言われていますが、それは本当でしょうか!?」

 「あなたが伊藤絵理奈さんを備品室に連れ込む姿を何度も見たと言う、複数の目撃情報が有ります! 会社内でそのような行為に及んでいたということでしょうか!?」

 「あのような精神疾患を抱える女性に、そのような事を強要したことをどうお考えですか!? そのような行為が許されるとお考えですか!?」

 「事件当時、あなたがそれをもみ消したと証言する人がいますが、どうなんですか!? 本当にもみ消したんですか!?」

 「答えて下さいっ! 山野井さん!」

 「あなたには答える義務が有ると思いませんか!?」

 「山野井さん! 伊藤絵理奈さんに一言!」

 「山野井さん!」

 「山野井さん!!」

 この状況では会社に行くことなどままならない。とにかく一旦、家に戻ろうと山野井はジリジリと後退した。そして何とか自宅の門扉を入ったところで、やっと遠慮無い群衆の魔の手から逃れることが出来た。山野井は踵を返し玄関に向かって歩き出すが、その間もマイクを握りしめた意味不明な連中が、彼に向かって意味不明な問い掛けを投げ付けていた。

 玄関ドアを閉めると、表の騒ぎがくぐもった音となって伝わって来る。微かに「山野井さん! 山野井さん!」という叫び声が聞こえた。靴を脱いで家に上がりリビングに戻ると、彼が家を出た時のままの状態で、妻と娘二人がダイニングテーブルに向かって座っている。彼が平らげた物以外、誰も朝食は口にしていない。結花は呆然としていた。今年高三になる上の娘は、ゴキブリでも見るような辛辣な視線を自分の父親に向けている。中二の下の娘はメソメソと泣きながら、「私、もう学校に行けないよ・・・」と漏らしていた。

 山野井は力無く自分の席に座ると、三人の女たちに向かって聞いた。

 「いったい、何が起こってるんだ? ていうか、伊藤絵理奈って誰だ?」

 その発言を聞いた上の娘が、キッとなって山野井を睨みつけた。

 「てめぇ、人間のクズだなっ!」

 そう言い残すと椅子を蹴って立ち上がり、ドカドカと音を立てて二階の自室に上がって行った。結花がワッと泣き出し、テーブルに突っ伏した。下の娘はまだ泣き続けている。山野井がリビングに残った二人をボンヤリと見回した時、再びインターフォンがけたたましく鳴り出した。


 その日から山野井家の面々は、一歩も外へ出ることが出来なかった。出ればハイエナの様な連中がしつこく後を追いまわし、何処に行くにも付いてきた。それは山野井本人に対してだけでなく、妻や娘たちに対しても執拗に続けられたのだ。あなたと同じ年頃の女性を犯し、妊娠させ、中絶にまで追い込んだお父さんをどう思いますか? そんなことを聞かれて平気でいられる者などいる筈が無い。

 買い物にも行けなければ、食事も出来なくなってしまう。仕方なしに結花は、店屋物やピザの宅配などで急場を凌いでいた。しかし、山野井家の玄関先に立つ配達人ですらテレビのワイドショーネタにされ、「家の中はどんな様子でしたか?」などと取材陣に取り囲まれる有様だ。国民は山野井を血祭りに上げることに決めたのだった。その為であればどのような非道な行為も許容されるのが、この国とその国民の本質だ。その欲求に応えるべく、マスコミ各社は辛抱強く山野井家を取り巻いた。結花はリビングで、他の者たちは自室に籠り、ただただ嵐が過ぎ去るのを待っていた。


 事件発覚後、一週間が過ぎようとしていた。当初から比べれば、報道陣の数は半減したものの、いまだにしつこい連中が残っていた。それでもさすがに24時間体制の張り込みは影を潜め、夜中には僅かばかりの安息が山野井家に訪れようとしていた。ところがそんな安らぎも直ぐに突き崩され、山野井家の動向報道がまた過熱し始めた。報道陣が居なくなるのを待って、何処かのバカが山野井家のフェンスに、デカデカとスプレー缶でイタズラ書きをしたのだ。

 「エロオヤジ、出てこい!」

 「お前らはブタだ!」

 赤や青の色鮮やかなスプレーで書かれた文字が、通りに面したフェンスに踊った。山野井家を取り巻く深刻な状況に対し、それはあまりにもカラフルでポップな字体である。その浮き上がった感じが一層、一家の悲惨さを際立たせ嘲笑った。それこそ格好のワイドショーネタだ。一旦は減った報道陣がまた増え始め、ハゲタカの様な国民に与えるエサを求めて、再び過熱報道が始まった。

 このイタズラを機に、嫌がらせはより悪質な方向へと移行していった。どこかで山野井家の電話番号を調べた奴がそれをSNSで拡散すると、昼夜を問わず嫌がらせの電話が鳴り響いた。

 「ばーーーか」

 「死ねや」

 「お前ら、エロ家族」

 そんな幼稚なで心無い言葉を言い放つと、それらの電話は掛けた方から切られるのが常だった。無論、山野井はその日のうちに電話線を壁から抜き取っているが、注文した覚えの無い家具やら花輪などの配達は後を絶たなかった。その後、彼らをいたぶる行動はどんどんエスカレートし、遂には住所、電話番号だけでなく、二人の娘の顔写真や通っている学校なども晒され、瞬く間に日本中に拡散した。


1: 名無しさん@おーぷん 2018/11/24(土)01:04:05 ID:YWx

この娘、クソエロくてワロタww


2: 名無しさん@おーぷん 2018/11/24(土)01:05:49 ID:pTg

ヤリマンで草


3: 名無しさん@おーぷん 2018/11/24(土)01:07:32 ID:HpT

親父がヤってんだから、娘をヤってもオケ?


4: 名無しさん@おーぷん 2018/11/24(土)01:08:01 ID:d4L

俺は妹。ブヒるぅぅ!


5: 名無しさん@おーぷん 2018/11/24(土)01:09:55 ID:Z4D

キター! ロリーーッ!


6: 名無しさん@おーぷん 2018/11/24(土)01:10:39 ID:aBB

母親も捨てたもんじゃねぇぞ!


7: 名無しさん@おーぷん 2018/11/24(土)01:11:42 ID:ODx

ばーーか。年増は要らねっつうの!ww


8: 名無しさん@おーぷん 2018/11/24(土)01:12:42 ID:Iyk

バカはお前だ! 熟女の良さ、判ってねぇでやんの!


9: 名無しさん@おーぷん 2018/11/24(土)01:14:11 ID:8S0

妹がイイんだって草


10: 名無しさん@おーぷん 2018/11/24(土)01:16:15 ID:meZ

>>9

マジレスかよwww


12: 名無しさん@おーぷん 2018/11/24(土)01:18:14 ID:7a3

ロリコン、オワコン


11: 名無しさん@おーぷん 2018/11/24(土)01:27:25 ID:qR6

ダンナがアレなら、ニョウボもアレだべ?


12: 名無しさん@おーぷん 2018/11/24(土)01:29:24 ID:xBc

>>11

この幸薄そうな顔ほんま好っきゃねん


13: 名無しさん@おーぷん 2018/11/24(土)01:30:59 ID:Wc5


 こんなやり取りが日常的にネット上に溢れ、特に娘二人は身の危険すら感じる状況となっていた。警察に相談しても、「直接、犯行を匂わせる書き込みとは言えない」という理由で、刑事案件となる被害は存在しないという判断である。タテマエとして防犯を謳う警察も、その実情は被害が無い限り動きはしない。結局、娘たちも登校することが出来なくなり、家族四人が肩を寄せ合って ──だたし、会話することも、お互いの目を見ることも無く── 集団墓地に眠るむくろの様に時の流れの下に入り込んだ。互いが立てる微かな物音にさえ闖入者に対した時の如く心をざわつかせ、物理的な静寂とは異なり、心中では得体の知れない何かが絶えず蠢いていた。それは、怒りや憎しみだけでなく、悲しみや諦め、嘲りと軽蔑、後悔と懺悔がない交ぜとなった嘔吐物のようだった。


 当然のことながらJSBにもマスコミが押し掛け、社員の不祥事に対する対応を強く糾弾した。山野井の犯行が確定したわけでもなく、被害届が出されているわけでもない。しかし、正義の面を被った国民は貪欲に生贄を求めるのだ。たった一人の社員のせいで、会社全体、ひいては一万人以上の他の社員たちの生活を脅かすわけにはいかない。これが元でJSB製品の不買運動などが起こったりしたら、どう対処すれば良いのか? 事実、山野井の件が世間に暴露されて以降、世の中の動向に敏感な投資家たちからJSB株の売り注文が殺到している。起業以降、順調に ──リーマンショックの一時的な低迷も乗り越えた── 推移してきたJSB株は、一挙に急落の憂き目に遭っているのだ。生贄は山野井一人で充分だ。言ってみればJSBも被害者ではないか。経営陣がそう考えるのも無理は無いし、それ以外の選択肢は無いだろう。国民側も本気でJSBを血祭りに上げようと思っているわけではなく、情け容赦無い裁定を山野井に下す様に促して・・・いるに過ぎない。

 本部長にまで昇りつめ、近々、役員として選出されることが確実視されていた山野井であったが、現在は本部長職を解任され、長期休養中の人事部付主任部員という曖昧模糊とした立場に追いやられていた。もし、山野井の犯罪行為が確定的となれば、業務に支障を来さずいつでも切り放せるような態勢を整えつつ、無実が証明された暁には復帰させることも可能な、どうにでもできる・・・・・・・・ポジションである。冷酷無比な会社として、これ以上の悪いイメージは植え付けたくはないが、とは言え、仮に潔白が明らかになったとしても彼が戻る場所は無いわけで、実質的に山野井が戻って来る事を想定した組織体制にはなっていない。

 その事は山野井自身が一番良く判っている。有罪が確定していない以上、会社としては首を切るわけにはいかないだけで、決して山野井の無実を信じているわけではない。ましてや、山野井が復帰して来ることを望んでいる筈は無く、会社の信用を著しく貶めたお荷物社員の処遇に苦慮しているのは明白だ。仮に自分が復帰できたとしても、会社のイメージダウンに大きく貢献・・した人間に温情的な配慮は期待できないだろう。

 それよりも何よりも、自分が無実ではないことは自明なのだ。あの娘の名前すら知らなかったが、彼女を妊娠、中絶させた意識だけは、絶えず心の中の何処かに有った。その後、彼女が会社に姿を見せなくなって自身の行いも彼の思考回路から揮発し、いつの間にか犯罪を犯したことすら記憶から抹消されていた。そのツケを払う時が今やって来た。ただそれだけのことなのだ。自分の人の道にも悖る卑劣な行いにも拘らず、あの娘が歌手として立派にやっていることを今更ながら知って、山野井は少しだけ自分を慰めた。それで自分の罪が帳消しになるわけではない。でも良かった。本当に良かった。

 山野井はある種の安堵と共に、二階の廊下へと続く階段脇の手摺の根元に括り付けたネクタイを自分の首を巻き付けて、全体重をそこに掛けた。ギシギシと手摺が軋んだ。暫くの間、ピクピクと痙攣していた彼の身体は直ぐに大人しくなり、薄暗い山野井家のリビングを見下ろす様にユラユラと揺れた。薄れゆく意識の霧の中で山野井は、家族に何も書き残さなかったことを思い出した。でももう、どうでも良かった。何を残したところで何も変わらないという確証は、彼の意識と共に絶望的な深淵に飲み込まれていった。


 救急車が走り去った。近隣住民は好奇心に駆られて家の窓から、或いは通りにまで出てきて、けたたましいサイレンを鳴らしながら走り去る赤と白の車を見送った。赤黒く変色した山野井が担ぎ込まれたそれには結花が同乗していたが、彼女は取り乱す風でもなく、ただ淡々と救急隊員の指示に従って乗り込んだだけだ。鬱血した夫の醜い顔を見降ろす彼女の顔には、何の表情も浮かんではいない。その目に映る物と思考の間には、何の因果関係も無いのであろう。時折、薄ら笑いのようなものを浮かべる姿は不気味とすら言えたが、愚かな夫が巻き起こした騒動による心労から解き放たれるのだ。彼女の顔に訪れる笑みは安堵の笑いだった。

 それを二人の娘は、玄関先で抱き合うように見送っていた。妹は姉の腕に抱かれながら、涙を流していた。ただしそれは、父を失った悲しみの涙ではない。これから先、どうやって生きて行くのだろうという、漠然とした不安に圧し潰されて流す、心細さからの涙であった。それでも、娘たちも母と同様、これからは万事が良い方向に進むであろうという好ましい予感で満ち溢れていた。

 「もう、大丈夫だよ。これからは、もう大丈夫・・・」

 そう諭す姉の胸に顔を埋め、妹は「うん、うん」と頷いた。

 この山野井家の騒ぎは格好のワイドショーネタになる筈であったが、何故だか報道陣は人っ子一人山野井家の前には居なかった。あれだけ大騒ぎしていた連中が、花火の後の様に一瞬にしてその姿を消したのだ。

 その理由はいたって簡単だ。もっと重大な・・・事件が起こったからだ。その日からマスコミは、日本を代表するアイドル男性ユニット、SWIFTの電撃解散に関する報道にシフトしていた。元々メンバーの仲違いが噂されていたが、遂に解散となったわけだ。『ビートルズ解散以来の衝撃!』などと騒ぎ立てるマスコミを国民は嘲笑混じりに見ていたが、そろそろ新しいネタが欲しかった頃合いでもある。一般企業の一社員の不祥事よりも、SWIFT解散劇の方が重要な話題であるにに決まっているではないか。国民は新鮮な餌に飛びついて、その揮発性メモリーから山野井の不祥事という使い古された記録を消去したに過ぎない。しゃぶり尽くした後には、味気なく口当たりの悪いカスが残っているだけだ。JSBも内々に山野井を二階級特進させ、通常より多額の退職金 ──という名の手切れ金── を払うことで、一切の面倒に終止符を打った。こうして山野井は人知れず命を絶ち、その事実は親族以外の誰の記憶にも残らなかった。誰も気にしていなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る