4-2
その翌日、サンライズ・ミュージックの首脳陣が会議室に集まっていた。どの表情も沈痛な面持ちだ。会議室の隅では、空いた方の手で口元を抑え、携帯電話でしきりに話し込んでいる社員がいる。それは石坂だった。
「私共としてはですね、なんとか放送の中止をお願いできないかと・・・ はい、はい・・・ おっしゃる通りです・・・ はい」
その横では、一人立ちんぼにされた道代が、事のあらましを説明中だ。集中砲火を一身で受けている状況と言って良かった。
「えぇ、私がスタジオに駆け付けた時には既に・・・」
一人の重役が声を荒げた。
「だからそんなことを聞いてるんじゃないっ! 何故、伊藤絵里奈にそういった過去が有ることを、事前に察知できなかったのだと聞いているんだ!」
隅で電話対応中の石坂の声は、なおも続いていた。
「いえいえ、とんでも御座いません。伊藤が作った
「ですから、彼女の母親からは何も説明が・・・」
「問題が起きた時の契約はどうなってるんだ? リスクヘッジはしていないのか?」
別の重役が道代の説明を無視して、人事だか法務だかの担当に聞いた。その担当は、手元の書類を見ながら他人事のように答える。
「契約書はこういった事態を想定しておりません。従いまして、本件の責任の所在を明確にするのは困難かと」
そこに石坂の声が聞こえてきた。
「判りました・・・ とりあえずこの件は・・・ はい、はい・・・ はい、よろしくお願いします。はい。失礼いたします」
スマホの通話を終えた石坂が、「ふぅ」とため息を吐いて顔を上げると、その部屋に居る全員が自分の顔を見つめていることに気が付いた。石坂の直属の上司が問い質す。
「で? 毎朝放送は何て言ってるんだ?」
「はい、まだ局としてどう対処すべきか、決まっていないと・・・」
それを聞いた全員が、一斉に喋り始めた。会議室は、一気に騒々しくなった。
「だから言わんこっちゃない! 俺は反対だったんだ、あんな精神病患者!」
「何とかならんのか? 何か手は有るだろ?」
「悠長なことは言ってられんのじゃないか? 先ずはプロデューサーを抑えなきゃ」
「賠償請求は幾らになるんだ?」
「てか、伊藤絵里奈を妊娠させたJSBの社員って誰だ?」
「いやぁ、ウチみたいな弱小音楽事務所が、テレビ局に何か言えるわけでもないでしょ。下手すると他のタレントも出禁になるかもしれませんよ」
「知るわけ無いじゃないですか、そんなこと」
「金で解決する手は有るかも」
騒ぎ続ける役員たちに釘をさすように、それまで黙って皆の話を聞いていた一番上役と思しき老人が声を上げた。年相応にしわ枯れてはいるが、よく通る声だった。
「この際・・・」
その声を合図に全員が沈黙し、常務と呼ばれる人物の言葉に耳を傾けた。
「この際、その事件も
それを聞いた他の役員たちが、その言葉の真意を咀嚼しかねている間に道代が声を上げた。
「まさか・・・ 絵里奈の性犯罪被害者としての過去も
石坂が慌てて道代を制した。
「下坂、落ち着け」
「ちょ、ちょっと待って下さい。それは酷過ぎませんか? 絵里奈は既に発達障害を抱えています。そこに性犯罪被害者としてのキャラを被せるなんて可哀想です!」
しかし、他の役員たちは別の価値観でこの件を見ていた。
「だってそうなんだから、しょうがないじゃないか」
「いやぁ、なかなか良いアイデアじゃないでしょうか。さすが常務!」
「今、彼女のセールスは、チョッと頭打ちなんでしょ? そろそろ違ったインパクトが欲しいところですよね?」
「発達障害が
「渡りに船かもしれないね」
「アリだよね?」
「アリだよ」
道代は腸が煮え返る思いで、その会話を聞いていた。こいつらには何を言っても無駄なのか? タレントを商品としてしか見ていないのか? タレントだって人間だ。泣きもするし笑いもする。怪我をすれば赤い血を流すのだ。それなのに・・・ それなのに・・・
その時、再び石坂のスマホが鳴った。彼は慌ててそれを手に取った。
「はい、サンライズ・ミュージック、石坂です! はい、どうもお世話になっております! で、例の件ですが・・・ はい、はい・・・ はい・・・ そうですか・・・ はい・・・」
石坂の声はどんどん萎んでいった。
「はい・・・ はい・・・ 承知いたしました・・・ はい、今後ともよろしくお願いいたします・・・ はい、それでは、失礼いたします・・・」
石坂は電話を切った。またしても全員が彼の報告を待っていた。彼はスマホをポケットにしまうと、全員に向かって顔を上げた。もうどうにもならないという、半ば諦めの表情だ。
「例の収録は・・・ 予定通り放送するそうです」
進退窮まるとはこのことだ。またしても会議室が騒然となった。
「いったい、どういうことなんだ?」
「君の所で責任取るんだろうな?」
「理由は? 理由は言ってなかったのかっ!?」
「ウチは関係無いからなっ!」
「代わりのタレントじゃ不足だと言ってるんだな? 誰だったらいいんだ?」
重役たちが口々にぶちまける不平やら不満が一通り出切るのを待って、石坂は再び喋り始めた。
「あの番組のメインスポンサーはヨコスカ化学です」
皆がポカンとした。一人が言った。
「それがどうかしたのか?」
すると、別の一人が大声を上げた。
「あっ!」
今度は全員がそちらに視線を向ける。その男は、難解な推理小説のカラクリを、誰よりもいち早く解き明かしたかのような得意気な顔で言った。
「ヨコスカ化学はJSBのライバル会社です!」
その推理が、全員にジワジワと広がっていった。そうか。そういうことか。そこで一人の重役が心に浮かんだ疑問を、そのまま口にした。
「でも、随分早いな、ヨコスカ化学の反応は。局から報告が行ったってことだろうか?」
その疑問には別の重役が答える。
「いやぁ、スポンサーがスタジオに見学に来ているってのは、よく有りますからな。おそらくそっちの線で話が流れたんでしょう」
「いずれにせよ、この話を封じ込めることは出来なさそうですね・・・」
事は、サンライズ・ミュージックがどうこう出来るレベルの話ではなさそうだ。皆が「ムムム」と黙りこくった。
そして最年長の常務が再び口を開いた。
「どうやら、他に選択肢は無さそうだね」
その週末、直己と千夏はリビングでテレビの前に控えていた。絵里奈が出演した番組を見るためだ。テーブルにはコーヒーとお茶菓子が置かれ、それらを口にしながら「今か今か」と、二人は心待ちにしている。当の本人は、久し振りのオフということで、まだ自室のベッドの中にいるようだったが。元々彼女は、自分が出演した番組などには全く興味が無く、「シンガー絵理奈」に対する、世界で最も冷淡で無関心な人間と言えた。逆に、世界で最も熱心なファンである二人は、娘が取り上げられた雑誌の切り抜きをスクラップしたり、出演番組をDVDに焼いて知り合いに配布したりと大忙し。伊藤家のそんな日常が今日も繰り返されていた。
「ルールル、ルルル、ルールル・・・」という、有名なテーマソングが流れた。
「お父さん、始まったわよ!」
千夏が隣に座る直己の腕を掴む。番組が始まるまでの間、新聞を読んでいた直己が目を上げる。
「お、おぉ。そうか」
この伝統と格式の有る対談番組に出演するということは世に認められた証であり、道代から出演が決まったとの連絡を受けた時は、二人して飛び上がって喜んだものだ。中身が無く薄っぺらな言葉ではあるが、絵理奈が「一流芸能人」の仲間入りを果たしたような高揚感が二人を包んでいた。
「皆さま、ご機嫌如何でしょうか? 下柳徹子でございます」
番組の看板である女性司会者が、テレビ画面の中から挨拶した。
「さて本日は、今、日本中で大変な人気を誇るシンガーソングライターでいらっしゃいます・・・」
直己の腕を握る千夏の手に力が籠った。
「・・・伊藤絵理奈さんをお招きいたしました。絵里奈さん、どうぞこちらへ」
スタジオの脇から絵理奈が姿を現した。清潔感のある白いブラウスに、ベージュのスカート。足元はウェスタン調の編み上げブーツで固めている。腰に巻かれた深紅のベルトは細かったが、その浮き上がった色合いがアクセントとなり、全体を引き締めているのが好ましかった。
「ルールル、ルルル、ルールル・・・」
女性司会者に促されてソファに座る絵理奈を映しながら、番組は一旦CMとなった。
馬子にも衣裳とはよく言うが、かつてJSBで清掃作業をしていた頃の味気ない作業着姿を知る二人にとっては、今の絵理奈は直視するのもはばかられる程の眩しさであった。千夏はこれまでの苦労を思い出し、僅かに涙を浮かべた。直己も、そんな千夏の感傷を感じ取ったのか、いつになくシンミリとした気分で感慨に耽っていた。色々有ったが、遂に全ての障壁を絵里奈は踏み越えたのだ。彼女はもう、一人で立派にやって行ける
CMが明けた。ソファが鈍い角度を付けて並べられ、その右側に女性司会者、絵理奈が左側に座していた。左側のゲストは、カメラに対しほぼ正対するような角度だ。
「本日はゲストに伊藤絵理奈さんにお越し頂きました。絵里奈さん・・・ 絵理奈ちゃんでいいかしら?」
「はい・・・」
「今日はよろしくお願いいたします」
絵理奈は黙って頭を下げた。
対談は、大ヒットした心境は? とか、仕事の無い時は何をしているのか? などと最近の話題から入り、徐々に過去へと遡る様な形態で進んだ。そして彼女がデビューに至る切っ掛けに話が及ぶと、JSBで清掃作業をしていた頃の話題となった。ここまでは、前もって道代と練習した通りに受け答えが出来ていると、絵理奈は思っていた。
女性司会者が聞いた。
「その会社でお掃除の仕事をやっている時は、辛くなかったですか?」
少し考えてから、絵理奈は首を振った。
「お掃除は・・・ 大好きです」
「あら! 絵理奈ちゃん、きっと良い奥さんになれそうね。お掃除のどんな所が好きなの?」
あまり多くを語らない絵理奈相手に、その女性司会者はいつもより多めに話すことで、言葉少ないゲストが作りがちな沈黙を埋めようとしているのが感じられた。元々、喋り過ぎの感が有る女性司会者は、ここぞとばかり会話の主導権を握っていた。
またしても、ちょっと考え込む絵理奈。
「キレイになると楽しい・・・」
「あらそう。絵里奈ちゃんにも意外な一面が有るのね」
女性司会者が、絵理奈の言う『楽しい』という言葉に反応した。
「じゃぁ絵理奈ちゃん。今までで一番楽しかったことは何かな?」
「うぅ~ん・・・ 歌を歌うこと」
「歌の他には、何か有る?」
絵里奈は同じ答えを繰り返した。だってそれ以外、無いのだから。
「・・・歌を歌うこと」
「そっか、そうだよね。絵里奈ちゃんは歌が大好きなんだもんね。じゃぁ、悲しかったことは?」
誰かが部屋をノックする音が聞こえた。その時、絵理奈はベッドの上で起き上がり、ボンヤリと窓の外を見ていた。ベランダに降り立った二羽の雀が忙しそうに、餌を求めてピョンピョン跳ね回るのを眺めていたのだ。ノックの音に反応し、絵理奈が膝元に掛けてあった布団をまくると、それに驚いた雀がパタパタと飛び立ち、青空をバックに浮かび上がる電柱の方へと移動した。絵里奈はベッドに座る様な姿勢になると、小さな声で応えた。「はい」。これも道代に教わったのだ。テレビ局などの控室にいると番組スタッフがやって来るので、ノックに対し反応する必要が有るのだ。
躊躇いがちに開いたドアの向こうには、直己が立っている。
「絵理奈・・・ ちょっといいかな?」
実の娘とは言え、男親が年頃の娘の部屋にズカズカと入るわけにはいかない。直己は絵理奈から入室の許可が下りるのをその場で待った。絵里奈は直己の顔を見ながら、黙って俯いた。
直己はぎこちない様子で足を進め、パジャマ姿でベッドに腰かける絵理奈の前で止まった。そして意を決するように言った。
「これを・・・」
絵理奈が不思議そうな顔をしたまま、差し出された直己の右手を見る。そこには小さなメモ用紙が握られていた。無言のまま受け取ったそれを覗き込んだ絵理奈の目には、見慣れない文字が並んでいた。『福岡県、北九州市、小倉』意味が判らず、彼女は直己を見上げる。
「ナディムが・・・ ナディム君が今、住んでいる所だ。すまん・・・ 細かい住所までは判らない。小倉に引っ越したってことしか・・・」
その言葉を聞いた絵理奈の瞳が輝いた。表情は優し気な光で満たされた。このメモ紙に記された文字が、いったい何処を差しているのか絵理奈には判らない。でもそれは、自分とナディムを結びつける魔法の言葉なのだ。これさえあれば、いつの間にか絵理奈の前から姿を消してしまったナディムに、再び会えるに違いない。きっとそうに違いないのだ。
絵理奈はメモ用紙を大事そうに両手で包み込み、それを自分の胸元に持っていった。そして神に祈りを捧げる敬虔なクリスチャンのように上を向いた。
「ナディム、コクラ、ナディム、コクラ・・・」
「すまん・・・ 許してくれ・・・」
直己はそう言って深々と頭を下げた。しかし絵理奈の目には、そんな父の姿すら映り込んではいなかった。だって、この魔法の言葉を心に刻み付けることに必死だったのだから。絵里奈は何度も何度も繰り返した。
「ナディム、コクラ、ナディム、コクラ・・・」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます