第四章:対談番組

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 これまでのアイドル全盛時代に一石を投じる存在として、絵理奈は受け止められていた。それは衝撃的だったと言っても良い。男性、女性共に昔ながらの、つまり王道のアイドル路線というものは今もなお健在であったが、絵里奈は彼らとは一線を画す存在として認識されていたのだ。それは、歌唱力など二の次の見た目重視アイドルとは異なる、絵理奈の圧倒的な表現力による要素も大きかったが、やはり最大の要因は発達障害という特異性にあった。

 従来であればそういった精神疾患は、当然ながら負の要素と捉えられ、あえて自ら公言するような類の話ではなかったはずだし、ましてや人前で歌を歌うような職業に就くことは無かったと言ってよい。しかし身体的、或いは精神的なハンデを抱える人々に対する許容性が社会に求められるようになり、その後に訪れた、LGBTに代表されるマイノリティにも優しい環境が必要だとの機運の高まりに併せ、絵里奈は時代の寵児となり一躍脚光を浴びた形だ。そういった意味から、サンライズ・ミュージックの打った博打は当たった・・・・のだ。いやそれは、予想以上の大穴だったと言うべきか。

 とは言うものの、デビューした当初は特に話題にも上らず、「やはり無謀だったか」という空気がサンライズ・ミュージック内に流れ始めていた。その責任問題が言い出しっぺ・・・・・・である道代や、その上司の石坂に降りかかりつつあった頃、SNSや口コミで「B面がいい」という噂が流れ始めた。付随してラジオ各局も取り上げるようになったが、それはさして重要な要素ではなく、やはりこの時代の流れを創るのは昔ながらのメディアではなくインターネットである。絵里奈の知名度はネット社会の波に乗り、指数関数的に、それこそあっという間に高じていったのだ。

 唯一、思惑が外れた要素と言えば、B面であるはずの "The end of the world" の方がヒットチャートの上位に食い込んだことか。この事態を受けたサンライズ・ミュージックは、追加ロットのCDからは密かに『両A面』と変更し、ネット配信ソースにおいても同様の変更を加えた。こうして本来のA面楽曲の作者への配慮と、世間の欲求を両立させる玉虫色の扱いを適用したのだったが、当然ながら、テレビ、ラジオで取り上げられるのは旧B面・・・の方で、それは絵理奈を発掘した道代にとっては思惑通り、或いは希望通りと言えた。このような経緯を経て、1960年代に世界中でヒットしたあの曲のリメイクが絵里奈の代表曲となり、実質的なデビュー曲となったのだ。


 絵里奈は歌という魔法の杖を手に入れた。言葉で感情を表現することを覚えたことによって獲得した新たな世界が、彼女の日常生活にも良い影響をもたらし、それは徐々にその裾野を広げ始めていた。その最も顕著な例が彼女自身による作詞である。会話に問題を抱えているのは相変わらずであったが、これが歌詞になると、普段の彼女からは想像も出来ないような豊かな感情が言葉となってほとばしり出た。家具が少なく殺風景なモノトーンの部屋のように思われていた絵理奈の心の中に、実は眩いばかりの色彩が存在していたことが判ったのだ。歓喜や悲哀だけでなく、哀愁や感傷、渇求と光明と希望と絶望。ありとあらゆる心情が歌詞となって躍った。それは着飾った美しさではなく、趣向を凝らした作り物でもなく、強いて言えば産まれたばかりの赤ん坊が持つ、無垢な生命力に満ち溢れた美しさと力強さである。その飾らない独特の感性は、紋切り型のアイドル像に食傷気味だった同年代の心ある女性たちの支持を集め、彼女は順調にスターダムを昇りつめて行った。



 こうして絵理奈を取り巻く環境が劇的に変化している頃、ナディムも来るべき変化に向けた準備を始めていた。九州に引っ越して丸二年以上が過ぎている。ナディムも今や高三となり、いよいよ本格的な受験勉強の日々に突入しているのだ。そして今日は、受験を控えて大学の下見であった。長期休暇を利用し、小倉から乗ってきた新幹線を降車し駅の改札を出たナディムは、伝統と進歩が共存する不思議な街、京都に降り立っていた。道行く人々が口にする言葉もテレビなどで聞く関西弁だ。そのような言葉を話す人々が、この日本に実在することを知って、なんだか不思議な気持ちがした。無論、京都の人にしてみれば、ナディムの住む九州の言葉の方が随分とショッキングなのであろうが、産まれも育ちも東京の彼にとっては、どちらも同じくらいくすぐったい・・・・・・感じだ。

 そんなナディムの隣には悦子が寄り添っている。二人は共に京都の大学に進学することで、親元を離れた後も一緒に過ごす将来を語り合っていたのだ。悦子は京都女子大が第一志望。ナディムは今よりももう少し頑張って、京都大学を受験するつもりだが、万が一失敗したとしても、同志社と立命館を併願することで、少なくとも二人で京都に住む計画は実行されるはずである。

 バスに乗ったり地下鉄を乗り継いだりして、二人は未知なる街を探索し、色々な大学を見て回った。元々学業成績は優秀な二人だ。大学受験そのものは大きな問題ではなく、その先にある生活をどう構築するかが、二人にとっての当面の課題と言えた。

 手を繋いだり腕を組んで歩く京都の街並みは新鮮だ。地元では、どちらが言い出したというわけでもないが、付き合っていることすら表に出さないようにしている。二人の肌が触れ合うのは、『Grand Boisグラン・ボア』の店内でだけなのだ。だが、ここ京都では違う。普通の恋人たちが行う、普通のことが出来る。その勇気さえあれば、古めかしい路地の隙間に入り込んで唇を重ねることだって出来るのだ。ナディムは彼女にもその勇気が有るか試してみることにした。賀茂川沿いの道を歩いている時、手ごろな木を見つけたナディムはいきなり悦子の前に立ち塞がり、その木に彼女の身体を押し付ける様な形で唇を重ねた。悦子は一瞬、驚いたような素振りを見せたが、旅先での解放感も手伝ってか、直ぐにそれを受け入れた。抱き合う二人の姿は辺りを歩く通行人から丸見えだが、それでも二人はお互いの唇を求め合った。

 その唇同士がようやく離れると、悦子はナディムの顔を見上げるように言った。

 「どうしたの? いきなり・・・」

 「うん。なんだか急に悦子が欲しくなっちゃって・・・」

 「バカねぇ・・・ ホテルにチェックインすれば好きなだけ出来るのに」

 そう言って悦子は彼の胸に横顔を添えた。

 そうである。二人は親に内緒で ──同性の友人と行く、と嘘をついて── お泊り旅行に来ていたのだ。それはたった一泊の小旅行ではあったが、受験勉強に追われる毎日に挟み込まれた、ほんのひと時だけの息抜きが非難されるはずも無い。二人の両親は、こんなことになっているとはつゆ知らず、二人の京都行きを承諾したのだった。

 「そうだね」

 ナディムはその頭を抱きかかえ、そして包み込んだ。

 二人の目には、お互いに相手が存在する輝かしい未来が見えていたし、それは夢ではなく、もう既に現実のものとして感じられるのであった。約束された将来。そんな言葉が彼の頭に浮かび、賀茂川の水面が反射する傾きかけた日差しに弄ばれて、ユラユラと揺らいだ。



 「じゃぁ絵理奈ちゃん。今までで一番楽しかったことは何かな?」

 「うぅ~ん・・・ 歌を歌うこと」

 「歌の他には、何か有る?」

 絵理奈は毎朝放送の対談番組に出演していた。対談と言っても、芸能人の女性司会者と向かい合わせで、雑談の様に会話を繋いでゆく構成で、日本を代表する長寿番組の一つと捉えられている。絵里奈は人とのコミュニケーションが苦手なことは周知の事実であるため、女性司会者も優し気に問いかけているようだ。絵里奈も出来得る限りの一生懸命さで、彼女の質問に答えていた。

 「・・・歌を歌うこと」

 「そっか、そうだよね。絵里奈ちゃんは歌が大好きなんだもんね。じゃぁ、悲しかったことは?」

 幼い子供に話しかける様な態度が、幾分、過剰にも思えたが、その女性司会者はそういった・・・・・人たちと触れ合った経験が無いため、どう対応していいのか判らないのだろう。その相手を下に見るような態度こそが、ハンデを抱える人々の心を傷つけていることも知らないに違いない。だが、世の中の殆どの人がそうなのだ。だからこそ道代は、番組プロディーサーに特別な配慮を求めるようなことは一切言わなかった。絵里奈たちを取り巻く環境が、取り繕うこと無しに放送されることの方が意義深い。

 道代は控室のモニターで絵理奈の受け答えを見つめていた。絵里奈の自主性を育てる為に、スタジオ内でも付き添い保護者としてベッタリと張り付くことを、あえてやめるようにしていたのだった。デビューしたての頃に比べれば、随分と話せるようになったものだ。氷の様に透明で冷え切った視線によって、相手の心を凍てつかせるようなことも減ってきたし、感情の籠らない表情を向けて、相手を居心地悪くさせるようなことも無くなった。道代は少しだけ、絵理奈を頼もしい・・・・と感じることさえ有るのだった。

 「んん~・・・ 赤ちゃんが死んだこと」

 「赤ちゃん? それは悲しかったわね。絵里奈ちゃんの兄弟になるはずだったのかな?」

 道代は目を見張った。「赤ちゃん?」そんな話は、絵理奈の母親である千夏からも聞いていない。いったいいつのことだ? いったい誰のことを言っているのだ?

 「ううん。私の赤ちゃん」

 絵理奈の何事も無いかのようなサラリとした言い草に、女性司会者は目を丸くした。

 「えっ? 絵里奈ちゃん、出産したこと・・・ 赤ちゃんを産んだことが有るの?」

 「産まれる前に死んじゃった」

 控室から道代が飛び出していった。

 スタジオ中が沈黙した。絵里奈はいったい、何を言い出したのだ? 「産まれる前に死んだ私の赤ちゃん」絵理奈は確かにそう言った。そして不気味な地響きが徐々に近付いて来るかのように、ザワザワとした喧騒が巻き起こった。女性司会者は明らかに狼狽している。だが彼女は妙なプロ意識で、沈黙しては収録がダメになるという恐怖に駆られ、特に考えをまとめもせずに思ったことを口走ってしまった。昔ながらの放送業界を知る彼女にとっては、沈黙こそが罪悪なのだ。

 「そ、その子のお父さんは・・・ どなたなのかしら?」

 探るような視線を女性司会者が絵里奈に向けた。

 「前にお掃除してた会社の人。JSBの部長さん」

 その場にいた全てのスタッフが息を飲んだ時、収録スタジオのドアを蹴って道代が飛び込んできた。

 「収録を止めてっ!」


 騒然とするスタジオから逃げ出す様に、道代は絵理奈を引っ張り出した。そして番組のことなど考えもせずにテレビ局の玄関を飛び出ると、タクシーを捕まえて絵理奈と自分の身体を押し込んだ。「六本木」とだけ告げて考え込む道代。彼女はタクシーが走り出したことにすら気付かなかった。

 マズい。途轍もなくマズい事態になっている。道代はパニックに陥ったかのように、タクシーの中で貧乏揺すりをした。歪んだ口元は唇を噛んで、寄る辺ない指先がその辺りを神経質に弄んでいた。取り出したスマホで、まず何処に電話をかければ良いのだ? テレビ局に詫びを入れるべきか。それともサンライズ・ミュージックにかけるべきか。あるいは絵理奈の実家か? いや、そんなことより、絵理奈の口から出た衝撃の事実が公表されないように手を尽くすべきではないのか? その前に、事の真相を絵里奈に問い質すのが先か? そんな悠長なことをしていたら、あの話が拡散してしまうではないか。かと言って、自分がテレビ局の対応に釘を刺すようなことが出来るわけは無い。スマホを持つ左手が震えていれば、ディスプレイに指を走らせる右手も震えている。何とかせねば。でも何を? どうやって? こんな事態、想像したことも無かった。スマホに乗せた右手の人差し指を凍り付かせたまま、道代は隣に座る絵理奈を見た。彼女は、車窓を流れる首都高環状線のフェンスの向こうに広がる風景に見入りながら、次にリリースする新曲のメロディを口ずさんでいた。


 「直ぐにもどるから」とタクシーを待たせた道代は、絵理奈を三鷹の自宅まで送り届けると、そそくさと立ち去った。いつもなら玄関先で「今日はどんなことがあった」とか「こんな仕事をした」とか、千夏と立ち話をするのが習わしになっていたし、時には家に上がってお茶などを一緒に愉しむことすらあったのに。今日はなんだかよそよそしい感じで、むしろ千夏と目を合わせることを避けているようにすら見えた。不思議に思った千夏が問い質す暇も与えず、絵里奈を玄関に残し彼女はドアを閉めた。

 仕事で何か失敗でもしたのだろうか? 千夏は玄関で靴を脱ぐ絵理奈を見つめたが、その様子は普段と何ら変わらない。若干なりとも、絵理奈が感情を表すようになって、道代とちょっとした言い争いにでもなったのかもしれない。千夏はそう考えることによって、これも良い兆しなのだと考えることにした。

 「絵理奈、お風呂湧いてるわよ」

 「うん」

 絵理奈はいつも通り、そうとだけ答えると部屋着に着替えるために階段を上り、自室に入って行った。

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