3-4

 教室の中で小さな人だかりが出来ていた。男子と女子を取り混ぜた数人が集まって、しきりに何か騒いでいる。その中心でナディムだけが自分の席に着いていた。

 「河島君のバンド、今度ライブやるんでしょ? スッゴーイ!」

 「俺も衣山から聞いたぜ。小倉のライブハウスだって?」

 「えぇっ、何処何処? どこのライブハウスでやるんだよ? 俺、ぜってぇ行くから!」

 「私たちも聞きに行っていいかな? ライブハウスなんて行ったこと無ーい!」

 ナディムはそんな友人たちの矢継ぎ早な質問に答えながら、その人垣の隙間からふと悦子の姿を垣間見た。彼女は少し離れた席に着いていて、クラスメイトたちの騒ぎなど聞こえないかのように、広げた文庫本を読みふけっている。いかにもお勉強のできる文学少女といった風情だ。だがナディムだけは、そんな悦子の隠された一面を知っている。ナディムと二人っきりの時に限って、決して学校では見せない秘密の姿を彼女は開示するのだ。

 ナディムを取り巻く女子の一人が声を掛けた。蔭山知子だ。以前、ナディムに告白したことがあったが、そんな気の全く無い彼の牙城を崩せず、あっけなく撃沈したあの女生徒である。その後も彼女はナディムとは仲良くやっており、変に気まずい感じにならなかったのは、ナディムにとっては有難い限りであった。

 「ねぇ、悦子も行こうよ! ライブハウス! 河島君たちが出るんだよーーっ!」

 悦子は文庫本から顔を上げ、半ば無表情に視線をよこした。少し気怠そうな雰囲気だ。

 「んん・・・ どうしよっかなぁ・・・」

 一瞬だけ、悦子とナディムの視線が合った。ナディムが微笑むと、悦子も目だけで笑った。

 「行こうよ! みんなで! 河島君たちの応援だよ!」

 「うん・・・ そうだね。私も行こうっかな」

 知子に押し切られる形で、悦子はそれだけ言うと、また本の世界に戻って行った。



 『MOBO』という看板を掲げるライブハウスに、ナディムの友人たちが集っていた。その中には、勿論、悦子も含まれている。まだ高校生の彼ら彼女らは、ライブハウスというものに慣れていなくて ──アルコールを摂取することも無いので── どのように盛り上がったらいいのかが判らない様子だったが、それでもナディムたちの演奏に必死で声援を送る。それ以上にナディムとそのバンドメンバーは一生懸命に演奏し、バンドとして初めてのライブは成功裏に進んでいた。彼らは決して十分な技量を持っているとは言えなかったが、バンド活動に真面目に取り組む姿勢が節々から感じられて、それは好感の持てるものだ。近隣の大学に通うアマチュアバンドの前座・・として演奏させて貰った形で、演奏できたのはたったの3曲。それでも彼らは、この初ライブに燃え尽きたと言ってよかった。

 彼らの演奏が終わった後、ライブハウスの前で悦子たちがたむろしていると、裏口の方からナディムたちが現れた。そのバックドアを開いた一瞬だけ、ナディムたちの次に演奏している大学生バンドの音が漏れて聞こえた。別にここで落ち合う約束をしていたわけでも無いが、何となく帰りそびれたクラスメイトたちがバンドメンバーの出待ち・・・をしていた格好だ。当事者にとってだけでなくクラスメイトたちにとっても、友人がライブハウスに出演したというのは、ある種の誇らしい感情をもたらしていた。その興奮を鎮めてしまうのが勿体なくて、ついダラダラと時間を潰していたのだ。

 そこで暫く無駄話をしていたナディムたちであったが、誰からというでもなく、そろそろ解散かなという雰囲気が漂い出した。ライブハウスでかいた汗も冷えてきている。そこで彼らは、バンドメンバーのグループ、男子のグループ、そして女子のグループという具合に、何となく三つのグループに分かれてその場を後にした。バンドメンバーは反省会・・・と称して、軽い食事をする約束になっているが、他のグループもまた、更に二次会的な場を持つのかもしれない。バンド仲間と一緒に歩きだしたナディムが振り返ると、小倉の艶やかな繁華街を背景にした女子グループが浮かび上がった。そこに混ざった悦子もこちらを振り返っているのが見える。彼女は小さく手を振り、ナディムも小さく手を挙げた。そんな二人の様子を知子がジッと見つめていた。


 ナディムは悦子の華奢な体を、背後から強く抱き締めていた。彼の左腕は悦子の腰のあたりから前に延び、捲り上げられたスカートを越えて彼女の薄水色の下着の中へと差し込まれている。悦子の左腕は、自身の股間に延びるナディムの腕の動きを受け入れるように添えられていた。ナディムの右腕は悦子の上着の裾から入り込み、その中で押し上げられたブラからこぼれ出る左の乳房を掴んでいる。ナディムの左手が悦子の敏感な部分に触れる度に、ナディムの右手が固くなった乳首を軽く摘まみ上げる度に、悦子は溜息のような声を漏らした。彼女の右腕は自分の右肩から覗くナディムの頭の後ろに回されており、両腕は丁度、S字を描くような格好だ。彼女は彼の後頭部の髪を鷲掴みにしてそれを引き寄せ、二人は先ほどから舌を絡ませ合っている。ライブハウス後の二次会・・・が終わった後、二人がこっそり落ち合ったのは、勿論、他には誰も居ない『Grand Boisグラン・ボア』の薄暗い店内だ。

 ナディムが悦子の下着をずり降ろす。それはクルクルと小さく丸まって彼女の太腿辺りで落ち着いた。二人はまだ濃密に舌を絡め合っている。悦子は鼻から熱くなった息を漏らす。ナディムが少し慌てた様子で自分の腰ベルトを緩めると、彼のベージュ色のチノパンはベルトの重さによってスルリと床にまで落ちていった。ついで彼は、自分の下着もずり降ろす。この動作によって一瞬だけ、二人の間に生じた隙間を埋めるように、ナディムはまた悦子の身体を抱き寄せた。身長差のある二人がそうすると、ナディムの硬くなったものが悦子の腰骨の上に当たる。悦子はその感触を背中のくびれで感じながら更に強くナディムの頭を手繰り寄せ、より一層深く舌を差し込んだ。

 悦子がその舌を抜くと、二人は額を突き合わせるような形になった。若干、荒くなった息を整える。

 「イク時はコンドーム付けてね」

 悦子の囁くような声にナディムは応える。

 「うん」

 悦子は店のカウンターに両手を添えると、剥き出しになった尻をナディムに向かって突き出した。ナディムはそれを両手で受け止め、彼女の腰回りに残るスカートをたくし上げてから、そこに自分自身を突き刺した。悦子の喉から声が零れ出た。それは今までの、苦痛を耐え忍ぶかのような抑制されたものではなく、一段階段を上った明らかな交わりの声だ。歳は17歳。それでも悦子の肉体は、大人の女のそれと同じようにナディムの身体を求めていた。二人の影が揺れる度、悦子の甘い喘ぎ声とナディムの荒い息遣いが薄暗い店内に満ちた。コーヒーの香りが二人の秘め事を包み隠すように漂っていた。



 教室で数名の男女生徒が立たされていた。ナディムと悦子の他、その他数名だったが、そのメンツを見ただけで直ぐに担任の意図が判った。立たされているのは、先日のライブハウスに来ていた連中だ。

 小島の口調はあくまでも穏やかだ。

 「君たちがいかがわしい・・・・・・店に出入りしているという報告を受けました」

 いきなり、悦子が挑みかかるように問い返す。

 「それはライブハウスのことでしょうか?」

 「それが何と呼ばれているのか、私は知りませんし興味も有りません」

 小島の人を鼻で笑うような態度に、悦子がカッとなった。

 「ライブハウスはいかがわしい・・・・・・店なんかじゃありません!」

 「はたしてそうでしょうか?」

 今度は、小島が挑みかかる様な視線を投げかける。

 「酒類を提供する店に未成年が出入りする・・・ はたしてそれが健全のことだと言えるのでしょうか?」

 悦子は一瞬追い込まれたかのように言い淀んだが、直ぐに体勢を立て直した。

 「でも、私たちは飲酒なんてしていません!」

 だがその気勢を削ぐ勢いで、小島の声が高くなった。併せて叩いた教卓の「バンッ」という音で、生徒たちが一瞬にして委縮する。

 「飲酒したかどうかを問うているんじゃありません! そういった店に出入りすることの是非を問うているのです!」

 そして睨みつけるような視線が、立たされている生徒達を順繰りに舐めていった。最後にその視線がナディムの顔を捉えた。

 「それともあなた達は、飲酒さえしなければどんな店に出入りしても良いと思っているのですか?」

 さすがの悦子も、俯いて言葉を飲む。小島はナディムを睨みつけながら、いつもの台詞を持ち出した。

 「君のお国・・ではどうだか知りませんが・・・」

 その顔は教育者とか恩師とか、そういったものとは対極にある様な醜いものだった。愚劣で卑しく、人を蔑み愚弄することに喜びを感じているような下衆で浅ましい心が滲み出ている。

 「・・・我が日本では健全な高校生がその様な店に出入りすることは許されないのですよ、河島君」

 しかしナディムは、小島の挑発的な目ではなく、握りしめた拳をブルブルと震わせる悦子の後ろ姿を見ていた。彼女の怒りがビリビリと伝わって来る。でも、そんなに怒らなくても良いんだよ。ナディムはそう話しかけてあげたかった。

 「子供の頃からそうだった。大切なものは、いつも誰かに取り上げられてしまうんだ。いつだって善人面した誰かがやってきて、何かもっともらしい理由を口にしながら持って行ってしまうんだ。泣いたってわめいたって無駄さ。彼らは自分がしている事こそが正しい事だと信じているんだから。自分の正義を成すためにそれをしているんだから。また同じことが起きただけだよ。だから悦子、君がそんなに怒ったり悲しんだりする必要は無いんだ。僕を取り巻く世界って、そういうものなんだよ。僕はきっと、そういう星の下に産まれたんだと思う」

 そんなナディムの想いを断ち切るように、小島が宣言した。

 「今後、そのいかがわしい・・・・・・ライブハウスとやらへの出入りは、その一切を禁止します。違反した者は相応のペナルティが課せられることを肝に銘じること。今回の件に関する処分は、職員会議で結論が出次第、通知します。以上」

 小島はそう吐き捨てて教室を出て行った。静まり返っていた教室が、徐々にざわつき始める。悦子は力なく椅子に座り込んだ。ナディムはボンヤリと窓の外を眺めた。

 その時、ライブハウスに来ていて、ナディムと共に立たされていた男子生徒の一人が声を上げた。

 「てか、おかしくね?」

 「何が?」と誰かが聞き返す。

 「だって、ライブハウスに来てたメンツ全員を正確に名指しするって、不可能じゃね?」

 クラス全員が、その言葉の意味を飲み下す。そして一人が恐る恐る口を開いた。

 「確かに・・・ ってことは何? 誰かがチクったってこと?」

 それを聞いた悦子が自分の席から振り返った。眉間に皺を寄せ、途轍もなく不愉快な顔でクラスメイトたちを眺めまわす。

 「誰が言ったの?」

 悦子の尖った言葉に、クラスメイト全員が口をつぐんだ。教室が沈黙に沈んだその時、ナディムが悦子の肩に手を置いた。

 「いいんだよ、悦子」

 悦子がナディムを見上げた。その目には涙が浮かんでいる。唇は悔し気に歪んで、色が変わるくらい強く噛み締められている。ナディムは彼女の肩に腕を回し優しく抱き寄せると、彼女の耳元で囁いた。

 「大丈夫だよ、悦子。大丈夫」

 悦子は潤んだ目で言った。

 「大丈夫じゃないのはナディム、あなたでしょ?」

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