4.あなたに安全を
広い洞窟の中に入ってからは魔物と出会うことがなかった。
岩山を登っている途中では、何度も魔物と戦ってきたのに、だ。この洞窟がダンジョンであれば、洞窟の中こそ魔物が多くいるはずなのに。
周囲を警戒しながら進む距離は短い。この洞窟がどこまで続いているのかは分からないが、今日明日で踏破出来るほど小さくはないだろう。それは入口の30メートルはある高さがずっと続いていることで明らかだ。魔法で作った明かりを先行させていても、天井まで照らすには覚束ない。
足場は意外と悪くない。誰かが整備でもしたように、大きな段差があるわけでもなく、歩いていける通路になっている。岩山そのままの、大半が石で出来た通路は多少の砂が浮いているくらいで、足を取られるほどでもない。
通路は広い。
一本道のように見えても、左右の壁を隙間なく照らすには、魔法の明かり一つでは足りない。しかし、どこまで続くのかも分からない洞窟で、いくつもの明かりを灯して移動出来るほどには魔力の余裕もない。今のところは魔物に出会っていないといっても、岩山には魔物がいたのだ。洞窟であれば雨風を凌げる。魔物が入り込まない訳がない。
ゆっくりと、それでも着実に魔法使いと戦士の二人は洞窟を進む。
山を登るとは違い、洞窟に入ってからは魔法使いの彼女の息が切れることもなくなったが、それでも山登りの疲労が消えるわけではない。痛み始めた足を、それでも懸命に動かして先へ進む。
休憩の度に見るペンダントの光は、洞窟の奥を示している。
それだけを頼りに歩を進める。
何度かの休憩を挟んで、二人は広い空間に到達する。
天井は更に高くなり、左右の壁は明かりの照らす範囲には見えない。しばらくの間、二人は広間の入口に身を潜めて気配を探る。広い、広い、空間は圧倒的な闇が支配して、魔法の明かり一つでは脆弱すぎて戦えない。
ペンダントの光だけを頼りに、震える足音が静かな洞窟に
*
その日はここ最近では珍しく静かな日だった。
宿に泊まっていた探索者達は、精一杯の魔物素材を担ぎ、街に帰って行った。雑貨屋が閉まっているのと、行商人が来なかったのとで、予定より長く滞在していたという。持ちきれない魔物素材はアリッサの雑貨屋に売って行ったので、実は街での滞在費や買い物の代金と合わせて現金が足りなくなる危険域だったりする。
オーガを探しに来る者も、探索者を装った強盗達の後は来ていない。大人数が向かうのを見て諦めたのか、それとも強盗達の処刑を見て止めたのか、来なくなった理由はハッキリしないが、静かなのは良いことだとアリッサは思う。
「あら、今度は刺繍?」
食後のお茶を持ってきたクロエが、アリッサの手元を覗き込んで言う。
アリッサの手元では、焦げ茶色の地味な布に模様が出来つつある。
アリッサが食事を終えてから、アメリアが食べ終わるまでの時間差を考えて、食堂に持ち込んだ物だ。
「んー、まあなー」
答えながらもアリッサの手は止まらずに、布地に模様が刻まれていく。
クロエも特別に興味があったわけではないようで、空いた皿を手に厨房へ戻る。静かな村の昼時であった。
翌日には早くも刺繍が完成したらしく、アメリアの着ている新しい服の胸元には刺繍が入っていた。服の布地が焦げ茶色なのに加え、刺繍の糸が少し明るめの同系色だ。糸の本来の色よりも随分と白く見える。
テーブルに朝食を並べながら、クロエは何着目だったかと思い出す。最初に作ったフリル付きのと、次に作ったシンプルな服。今回の刺繍入りと合わせて少なくとも三着は作っている。
アリッサ本人は変身しても破れないようにだぶだぶの服ばかり着ている。この服は二種類しか見た覚えがないが、あれもアリッサが自分で縫っていたはずだ。変なところで器用なのねと思う。
ちなみにクロエの服は、この惑星に来てすぐに購入した中古服で、クロエ本人は服を縫うつもりも、縫う技術もない。デザインを選んで、体のサイズをスキャンしたデータを送れば数日で服が届く中央では、裁縫の技術自体が趣味の領域だ。
今日の朝食はパンにジャガイモとベーコンを焼いたものだ。
巡回商人が来るまで葉野菜の類がないので、少ないメニューは更に偏ることになる。クロエとしては、こういう時の為に家庭菜園でもと思わなくもないが、手が足りない。
中央のように便利な道具があるならともかく、家事というのは重労働だ。
宿の部屋の掃除に加えて、自分達の部屋の掃除も洗濯もある。エリックはエリックで食事の準備で手一杯だ。今日のようにお客がいなくて人数が少ない時には、下拵えする材料が少なくて済む分時間に余裕は出来るが、その空いた時間はベーコンやチーズなどの保存食作りで消える。
アリッサとアメリアへの配膳が終わったら、水を入れた鍋を竈の火にかける。
ちらりとエリックの様子を見ると、パン生地を捏ねていた。
この惑星に来てしばらくは、小麦粉の質がどうとか、水の固さがどうとか言っていて、パン生地が安定しないと悩んでいたが、今は納得できるパンが焼けるようになったらしく、パン生地を作る手にも迷いがない。
勿論のこと、中央では自分の手でパン生地を作る人なんて極々少数派で、クロエはエリックと出会うまで、パンを機械なしで作れるなんて思ってもみなかった。クロエにとってパンとは専門店から買ってくるのが普通で、一部の趣味人がフードプロセッサーを使って自分好みのパンを作る物だと認識していた。フードプロセッサーすら使わずパンを作るというのは想像の範囲外だったのだ。
今捏ねているパン生地はきっと昼食の分だろう。でも気温によってパン生地の状態がどうとか言って、魔法で気温を制御までしているのは、正直、やり過ぎだと思う。魔法で竈の火を制御しながら、パン用に気温制御も行うなんんて随分と器用なことだ。
エリックはパンに拘りがあるらしく、アリッサが街からのお土産だと言って渡してきた麺棒は、使われる気配がない。
裁縫をするアリッサと、パンに拘るエリック。二人とも中央では稀に見る趣味人で、この惑星での生活を楽しんでいるように見える。
そうなるとクロエも何か趣味を見つけたほうが良いのではという気になってくるから不思議なものだ。
「やっぱり家庭菜園かしら」
周りの村が農村ばかりなせいか、なんとなく面積の狭い家庭菜園くらいならクロエにも出来るような気がしている。やはり問題は家事にかかる時間だろう。今の状態では宿のことで手一杯で、とてもじゃないが家庭菜園に回す時間が取れない。
沸いたお湯にハーブを一掴み入れて、鍋を竈の隅に移動する。この位置なら、火は直接当たらないものの、ある程度の熱が伝わるので保温に丁度良い。
お湯の色が変わり、お茶になるのを待ってからカップに注ぐ。先に出すのはアリッサ用だけで良い。アメリアのはもう少し後だ。一緒に出しても食べ終わる頃には冷めてしまう。
お茶を持って食堂に戻ると、案の定、アリッサは既に食べ終えており、欠伸をしていた。
たった二人分のお湯にそんなに時間は掛かっていないはずが、いつも通り食べるのが速い。
「今日も眠そうねえ。また書類仕事?」
お茶を置いて、空いた食器をお盆に乗せながら話し掛ける。アリッサは村に帰ってきてから連日で書類を作っており、夜中の書類仕事の代わりに昼寝をするような生活をしていたからだ。アメリアが寝ている夜中でなければ宇宙船での作業は出来ない。
「いや、書類はもう終わりだ。昨日はその服縫ってた」
アリッサはお茶に手を伸ばしながら、アメリアを視線で示す。
刺繍が入った新しい服を仕上げていたのだと言う。
「そんなに急いで縫わなくても、今日の昼間にやればよかったのに」
少しばかり呆れた顔で言う。
クロエの言う通り、昼間に縫えば朝から欠伸をするような夜更かしをせずに済んだはずだ。今日は村に探索者は誰も居ない。雑貨屋のお客が誰も居ないのだから、昼間に縫ったところで何の問題もないはずだ。
「ちょっと時間がなくてな。アーロンが来るまでに仕上げたくてな」
ずずっとお茶をすすりながら言う。
「アーロン? リューケンの街に戻るって話は聞いたけど、この村まで来るかしら」
クロエが聞いている話しでは、アーロンが人攫いから助けた少女を、リューケンの街の近くまで連れて来るということだった。リューケンの街周辺のどの村に少女を帰すのかは知らないが、仮に街の北側にある村だったりすると、この村までは3日程は掛かるだろう。わざわざ村に寄らずに、惑星本部に向かうことも考えられる。
「来るさ。向こうだってもう分かってる」
アリッサは確信しているかのように言葉を返す。
その日の午後。アーロンが村に到着し、アメリアが攫われた。
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