第八章 白藤銀次は剣を振るう(5)

 しばらくアリスは泣いていたが、少しして落ち着くと、

「ごめん」

 そっと銀次から離れた。

「いえ、ここにはお一人で?」

「優里からメールが来たの。あのあと、ここにいるって。シュナイダーに言ったら、止められると思ったから」

 わかっているなら、なぜ。

「でも、見届けなければいけないと思ったから」

「そうですか」

「ごめんね」

 アリスの謝罪が何に対するものだかわからなかったが、謝られる覚えはなかった。だから、首をただ横に振った。

「帰りましょうか」

「待って。その前に」

 アリスはポケットからハンカチを取り出すと、

「優里を、少し、ここに」

 銀次に差し出す。

「優里が宇宙人で、諸悪の根源だってことは、わかってるの。でも、私も優里のこと大好きだったから。だから」

「そうですね」

 また泣きそうなアリスを遮り、そのハンカチを受け取る。

「お墓、作りましょうね」

 銀次の言葉に、アリスは頷いた。

 そのハンカチに優里だった塵をそっと包むと、ジャケットのポケットにしまった。

 そっと両手を合わせる。

 それから、振り返ると、アリスが自分の力で車椅子なおし、戻ろうと悪戦苦闘しているところだった。

「お嬢様!」

 慌てて駆け寄る。

「そんな、無理しないでください。やりますから」

「だって、自分の力でやらないと。もう、優里はいないんだから」

 うつむいたまま、アリスが言う。

「私の面倒を見てくれていた優里はもういないんだから。自分で、やらなくっちゃ」

「私がいます」

 車椅子を起こすと、アリスを抱きかかえようとし、

「本当に?」

 疑うような声が返ってきた。

「いるじゃないですか、ここに」

「嘘つき」

 しゃがんだ銀次の首筋に、アリスが抱きつく。

「どこかに行くつもりでしょ、白藤。自分は化け物だから、もうここにはいられないとか言って、どっか遠くで私のことを見守るつもりでしょ」

 耳元で囁かれた言葉に、どきりとする。それはうっすら考えていたことだった。メタリッカーと自分が切り離せないのだとしたら、いつまでも人間として生活していくことはゆるされないと思ったのだ。

 優里に、とどめを刺したのも自分なのだから。たとえ、放っておいても同じ結末だったとしても。

 優里がたとえ異星人だったとしても、優里は自分と同じ鈴間屋の人間だった。それは同族殺しと、何が違うのだろうか?

「行かないでよ、どこにも」

 ぐっと腕に力をこめてくる、そんなアリスの背中を撫でる。

 確かに、考えていたことだった。だが、それをいますぐ実行するつもりはなかった。

「行きませんよ。お嬢様を目的地に連れて行くのが私の仕事です」

 今はまだここにいるつもりだった。まだ、しばらくは。本当に、Xの危難が去ったのか、さだかではないし。

 でも、いつか、もっとXと、メタリッカーと自分がくっついたならば。完全に癒着しそうな時は。その前に、離れよう。もっと、うまく。そう決めていた。

 納得したのか、アリスが離れる。

 今度こそ、彼女を車椅子に座らせると、

「帰りましょう。ひとまず、お屋敷に」

 そう微笑むと、瓦礫に気をつけながら、車椅子を進める。

「白藤」

「はい?」

 名前を呼ばれて返事をする。アリスが何かをつぶやいたが、小声で聞き取れない。

「すみません、もう一度」

 よく聞き取ろうと、上体をかがめ、顔を近づけると、アリスが腕を伸ばしてきた。そのまま頬を押さえられ、唇が触れる。

 今日二回目の事態に驚いていると、ゆっくりと唇が離れ、

「これは、優里がムカついたから」

 こちらを見上げながら、アリスが呟いた。ああ、あそこから見られていたか。

 少し悩んで、手押しハンドルから手を離すと、

「アリス」

 彼女の前にしゃがみ、名前を呼ぶ。

 驚いたような顔をする彼女に触れようと、右手をあげて、思い直して左手にする。右手は、ダメだ。あと、手袋も失礼な気がして、そっと外すと、彼女の頬に触れる。

 顔を近づけると、アリスは目を閉じた。

 今回は、シュナイダーの邪魔もなかった。

 顔を離すと、赤い顔をしたアリスがそこにいた。そんな顔をしているくせに、説明を求めるようにこちらを睨んでくる。

「やられてばかりは、俺も悔しいので」

 ふっと笑って言うと、手袋をはめ直し、後ろに戻ろうとする。その手を、アリスに掴まれた。右手を。

 とっさに振り払おうとするのを、

「背負わせてって、言ったよね」

 その言葉が止めた。

「白藤は私が傷つくのが嫌っていったけど、白藤が傷つくこと、私は平気だと思った? 思ってないよね? だから、背負わせてっていったの」

 ごめんね、と続けて銀次の右手から手袋を外す。左手とは違う、銀色に包まれた手。

 その手をそっと、両手でアリスは包む。

「パパも、優里もいないんだもん。私にも、責任を取らせて」

「ですが」

「約束したでしょ。あなたが万が一、Xに乗っ取られることがあったら、私が責任をとるって。だから、私のそばからいなくならないで。絶対に。これから先も」

 そしてアリスはふっと笑った。

「あなたの考えることぐらい、お見通し。いつか、離れるつもりでしょう?」

 図星をつかれて言葉に詰まる。

「あなたは私の運転手でしょ? もちろん、それ以上になってくれてもいいのだけれど。ねえ、銀次」

 狙っているのか、天然なのか。ここで下の名前を呼ばれて、心臓が跳ねる。

「私のことがどうしても、嫌いで憎くて顔も見たくない、そうなったら離れてもいい。だけど、私のためを理由にして離れないで。お願いだから。そんなことしたら、私、泣くよ」

 自分の弱いところを的確についてくる脅し言葉に、苦笑する。

「アリスに泣かれたら、困るな」

「そうでしょう?」

 そっと手を引くと、アリスは素直に掴んでいた右手を離した。

「首にならない限り、働きますよ、鈴間屋で」

 おどけてそう言うと、手袋をはめ直し、今度こそ家に帰るために歩き出す。アリスの車椅子を押しながら。

「ねえ、白藤。帰る前に寄って欲しいところがあるんだけれども」

「どこにですか?」

「区役所」」

「はい?」

「婚姻届でも取りに。なんか、いっそ籍をいれてしまったらいいような気がしてきた」

「寝言は寝てからおっしゃってください。あと、多分、区役所やってませんよ、いま」

「ああ、それもそうか」

 もちろん、本気ではなかったのだろう。アリスが楽しそうに笑う。それに思わず、いたずら心が湧いた。

「それに俺、プロポーズは自分からしたい派なんで」

 さらっと言うと、アリスはしばらく時間をかけて、その言葉を認識し、

「な、それ、いま」

「まああくまで、俺の人生の一般論ですが」

「もー、やだ」

 アリスが顔を覆う。耳まで赤い。でも、くすくすと笑っている。

 不自然なくらい、二人で笑う。そうすれば、いまだけは忘れていられるから、

 こんなに大事になって、ある意味では巻き込まれていただけとはいえ、鈴間屋の人間が黒幕だったのだ。しばらくは、いろいろな事後処理があるだろう。本当に地球の危難が去ったのかも定かじゃない。

 それでも、今だけは二人で笑っていよう。

 少なくとも、守らなければいけない一人を、しっかりと守れたのだから。自分の使命は果たせたのだから。

 そう思った。

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メタリッカー 小高まあな @kmaana

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