第19話「アフターワールド・新月トンネル①」

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 森の中の、木。

 夜の中の、黒。

 闇の中の、闇。


 木を隠すなら森の中とは言うけれど、この闇はちょっと違っている。

 森が木を隠しているのとは反対に、闇が、周りの闇を塗りつぶしている。

 そんな、摩訶不思議な穴。ぽっかりと空いた穴。決して戻れない、深淵の穴。

 その先に何があるかなんて、誰も知らない。知る由もない。

 ……どうしてかって? それは愚問だ。

 ――――理由は単純、極めて明快。

 そこに行った人は、一人の例外もなく消えてしまったのだから――――。




アフターワールド・エピソード02『新月トンネル』




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 今年も七月に入った。本日は晴天なり。

 さすがに梅雨も明ける気になったのか、ここのところ晴れの日が続いている。

 基本的に湿っぽい空気が嫌いな俺としては、この連日に次ぐ晴れは素晴らしくいいものだ。


 ―――だが、それにしても、だ。


「……暑すぎない?」

 一週間ずっと真夏日なのはいかがなものか。


「そらそうだろゲンスケェ。いくら半袖とはいえ、真っ黒じゃ日の光浴びまくって暑くなるに決まってるだろうが」

 俺が座るカウンターの向かい――つまりは厨房――に立つ大男がそんなことを言ってきた。


 その男の名は進堂真守マモル。俺が常連になるまで通い詰めている定食屋『しんどう』の店長さんである。


「確かにマモルさんの言う通りっす。……けど、この黒いジャケットは俺のトレードマーク。例え夏であろうともクールビズモードにしてまで着なければならないってやつですよ」

 俺こと山下玄助ゲンスケは持論を展開する。

 が、それをマモルさんは一笑に付した。


「――え、なんで笑うんすか!?」

「そりゃあ笑うさ! 自分でヘンな拘りやってるくせに、その拘りが原因になっていることをぼやいてるんだからなぁ!」

 がははははは、と豪快に笑うマモルさん。


 ……ぐ。正論だ。どうしようもなく正論だ。でもその拘りを止められないし止まらない!


「たっだいまー。おとーさん、昼ご飯なにー?」

 厨房から少女が出てきたのは、その直後のことであった。


「よお、霧花キリカちゃん。出前ごくろうさん」

 俺はその少女に声をかけた。


「あ、ゲンちゃん。ちーっす。今日は冷やし中華なんだ」

「そりゃあそうだろ。入口にでっかく告知されてりゃあ、食べたくもなるぜ。こんなクソ暑い日なら尚更だ」

「あー、父さんはりきって作ってたからね、そのポップ。やったじゃん父さん、努力は報われたみたいだよ」


 キリカは彼女の父であるマモルさんに声をかけた。それに対してマモルさんは顔をしかめながら、


「あのさあキリカ。そんなシームレスにゲンスケの腕に自分の腕を絡めるのやめてくんねえ? せめて父さんの見てないところでやってくんねえ?」


 などど、悲しそうにおっしゃった。まったくもって同感である。彼女は結構かわいいのに、そのへんの野郎どもなど相手にすることもなく俺にひっついてくるのだ。幼少期を知るゆえに妹って感じにしかキリカちゃんを見ることができない俺にとって、それがいかに心苦しいのか彼女はどうもわかっていないらしい。


 冷やし中華を啜りながらそんなことを考えていると、当の本人、キリカが俺に話しかけてきた。


「ところでゲンちゃん」

「はい、なんでしょーか」

「明日、空いてる?」

「空いてないです。探偵として働いてきます」

 そう、俺は私立探偵なのだ。一応、食っていける程度には収入がある。つまり、仕事には困っていないのだ。


 尚、この後仕事があるというのは真っ赤なウソである。それというのも、キリカに連れまわされるよりは、猛暑の中逃げ回っていた方が楽なのである。それぐらい彼女は人使いが荒いのである。

 故に、俺はこのまま逃げ切ることにしたのだった。

 否、したかったのだった。




 甘かった。俺は甘かった。カルピスの原液よりも甘かった。

 彼女は、俺が嘘を言っている時の見分け方を既に知っていたのだ。


「ゲンちゃん、嘘ついてる」

「――――え?」

「目が泳いでる」

「およいでねーよ」

「……やっぱり。泳ぎ出した」


 そう、俺は嘘をついている時、指摘されたことを無意識下で可能な限り行ってしまうのだ。キリカはそれに気付いていた。そして俺は、まんまと乗せられたというわけだ。


「……キリカちゃん。そのクセ、――誰から聞いた?」

「――ん」


 マモルさんの方を向くキリカちゃん。そして、腹を抱えて笑っているマモルさん。


「マモルさん、――――アンタかァーーーーーー!!!」


 蝉の声の中に俺の叫び声が混じる、そんな夏の昼下がりであった。






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 夏真っ盛りの昼下がり。

 俺は――――




「いやー、窓から見える田園風景。暑いけど涼しげだよねー」


 などと、意味不明なことを言っているキリカちゃんと共に、バスに揺られていた。

 行き先は郊外の田舎町、『戯画町』。どうもここには心霊スポットがあり、キリカちゃんはそれが気になって仕方がなかったようだ。


「あのさ、キリカちゃん。……こういうのは友達と行ってくんねえかな」


 いやほんとに。こういうのはめんどくさくて仕方がない。何でわざわざ心霊スポットになど行こうと思うのか。いや、行くのは構わない。それは自由にしてもらって構わない。……だが。俺を巻き込むな。俺は行きたくないのだ。触らぬ神になんとやら、だ。


 だが、どうやら俺を呼んだのには意味があったらしい。


「えー、だってさゲンちゃん。もし何か出てきたらどうすんの? さっちゃんが危ないじゃん」


 この子にとって俺って、ただの便利屋なんですかねえ。……よかったね、さっちゃん。こいつに連れてかれなくて。



「暑いな」

「暑いね」


 みーんみーん、と蝉が鳴いている。夏真っ盛りだなぁ。

 バスから降りた俺たちは、件の心霊スポットに向かって歩き出していた。




「見つかんねえな」

「見つからないね……」


 田んぼ道を歩く若い男女。ぱっと見、駆け落ちしてきたカップルにも見えなくはない。


「……まあ、そんなロマンチックな関係じゃねえんですけど」

「――? 何か言った? ゲンちゃん」

「いーえ、なんにも」

「ふーん。まあいいや」


 会話が途切れる。何故か少し気まずい。恩師の娘さんに、こんな気持ちを抱くとは。

 それにしたってキリカちゃんだって年頃の娘さんには違いない。今年の始め、急にこの町に戻ってきた時はびっくりしたものだが――マモルさん曰く、進堂家はそんなノリらしいので驚くほどではないらしい。……いや驚くわ。まだ高校生じゃなかったっけ、キリカちゃん?


 ――とにもかくにも、そのまま十分ほど歩いた。



 ……風景は、変わっていない。


「……キリカちゃん。コレさ、道あってんの?」

 業を煮やして、俺はキリカちゃんに問いただした。


「……あってるはずだよ? ――おかしいな。この辺に集落があるはずなんだけど……」

 辺りにあるのは、田、畑、さびれた、小屋。……小屋? いや、違う。――これは。


「……違う。――これは、民家だ」

 そこにあったのは、集落土地であった。

「――うそ。なんで今まで気付かなかったの、私たち……?」

 キリカちゃんの驚きはもっともだ。俺自身、驚きを隠せない。さっきまでここは、ただの田園地帯だったはずなのだ。……それが、今では廃墟が広がっている。


「……俺から離れるなよ、キリカちゃん」

「きゃーゲンちゃんかっこいい!」

「……あのな。そんな場合じゃねーでしょーが」

「えへへ、まあそうだけどー」


 キリカちゃん、軽すぎない? ……まあそれはそれとして。


「……今は、この状況を打開しねーとな」

 俺は、周囲を見渡した。


 ――――前方から、何かがやって来る。


「……あれは、――――人?」

 キリカちゃんが、そう呟く。

 俺は、首を縦に振った。


「…………どうも、そうみたいだな」

 やって来たのは、数人の男女だった。


 ◇


「いやいやいやいや。こんな辺鄙な村までよくおいでくださいました。このとーり、なあーんにもない村ですけど、ゆっくりしていってね。……はい、麦茶」

「あ、どーも。ありがとうございます」

「ありがとうございます。私好きなんですよ、麦茶」


 村の集会所に案内された俺たちは、なんやかんやで麦茶を御馳走になっていた。

 そして俺たちは、村長の月島さん――六十歳ほどのお婆さんだ――と談笑していた。


 ここは自然しかないから退屈でしょう。いえいえ、それがいいんじゃないですか。……なんて、とりとめのない会話を、俺たちはしていた。

 ――事態が動き出したのは、それから五分後のことであった。


「そんで、あんたがたは何しにこの村に来なすったんです?」


 ……おお、ついに本題ですか。――――実を言うと、俺はまだ、この村の心霊スポットの詳細をキリカちゃんから聞いていなかった。つまり、俺としてもその質問は非常に興味深いものだったのだ。


 俺は、キリカちゃんの方を向いた。――キリカちゃんは、一度瞬きをしてから、口を開いた。

「……私たちは、心霊スポットを見に来たんです。――――『新月トンネル』。…………みなさんも、ご存知ですよね――――?」


 瞬間。集会所の空気が凍りついた。――いや。もとの冷たさに戻った、そんな錯覚さえあった。

 先ほどの老婆、月島さんが周囲の若者に目配せをする。――その一瞬、老婆に鬼を幻視した。

 老婆がこちらに振り返る。――貌は、もとの朗らかな表情に戻っていた。


「……ささ、こちらへ。若いもんに案内させますので、どうぞ、ご安心くださいませ」

 そして、老婆は再び背を向けた。




 ――――――だが、その刹那。




 一瞬だったがゆえに……俺は、認識しきれなかった。




 この老婆が恐ろしい形相で嗤っているのを――――。






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 村の男衆――数は三人――に連れられて、俺たちは山道を登っていた。辺りにあるのは枯れかかった木、木、木。酸性雨でも降ったのか、この森は全体的に退廃的な空気を纏っていた。

 この先に、件の新月トンネルがあるのだろうか。


「ところでキリカちゃん。……結局さ、『新月トンネル』ってなんなの?」

 俺は、気になってキリカちゃんに聞いてみた。


「えっとね、『新月トンネル』っていうのはね、先の見えない真っ暗な穴のことなんだ。生温かい風が吹いてくるから、一応出口はあるっぽいんだけど、誰もその先に行けないんだ」

「出口があるから、便宜上トンネルって呼んでるってわけか」

「まあ、そんなところ」


 ……なるほど。自然由来のスポットであるものの、その在り方から文明のオブジェクト的な名称で呼ばれている――ということか。

 ……いや、トンネルは別にそうでもないのか。自然由来のものにもトンネルは存在する。俺はそれを理解しているはずなのだが、はて。どうも判断力が鈍っているような気がしないでもない。


「……けどさ、キリカちゃん。なんでそこが心霊スポットとか言われてんの? 何か出んの?」

 どうにも腑に落ちないので、聞いてみることにした。

 するとキリカちゃんは、重々しく口を開いた。


「何も出ないけど、誰も帰ってこない」

「――――――――??????」


 絶句、唖然、放心。まあ、これらの内のどれかには当てはまるだろう。とにかく、俺はあんぐりとした。


「ん? どうしたのゲンちゃん。――もしかして、ビビってる? ビビっちゃってる――あいたっ!? なんで!? なんではたくの!?」

「…………なんでそんなところに行こうと思ったんだお前。バカなのか? ああ、バカだったか」

「ゲンちゃん! バカってなにさ!! そういうこと言うもんじゃないと思うよ私!」

「人を馬鹿にしてる時点でなあ、そんなこと言う資格なんざねえよ!」

 そんな言いあいをしていると、男衆が立ち止まった。――どうやら、到着したようだ。


「――これは…………?」


 そこに広がっていたのは、文字通り新月のような真円の穴であった。

 周囲は、おぞましい死の気配に満たされていた。

 瞬間。後頭部に衝撃が走った。




 ///Fake、あるいはゆめまぼろし///


 あかい、においが、する。…………これは、血のにおい、だ。

 おれ、は。どうなったんだっけ。

 おれは、きりか、ちゃん、は。どうなったんだっけ。



 朦朧とする意識。目覚めは遠く、眠りは近く。薄れゆく意識。消えゆく命。その刹那、俺は、闇を捉えた。




 穴からは、生温かい空気が吹いてきた。

 キリカちゃんが、その穴まで運ばれていく。叫ぼうとしたが、残念なことに声がでない。俺からは、ひゅうひゅう、という音しかでなかった。――――そうか、喉が、やられているのか。


 キリカちゃんは、そのまま闇の中に呑みこまれていった。――ふがいないなあ、俺も。守るって、言ったのに。


 ――ああ。次は、俺の番だ。


 男が、俺の髪を掴む。       男が、俺の命を掴む。


 闇に、近づいていく。       死に、近づいていく。




 そして、俺は闇に呑まれていった。


 視界が、やみに染まる。


 その寸前。


 俺は闇の中に何かの目を発見した。


 その目は、俺をはっきりと見据えていた。


 その目は、この世の何よりも黒かった――――――。




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「――ハ。幻覚攻撃……、俺たちに死を誤認させて無力化するとはね、やってくれんじゃねえかよ。――だが甘い。甘すぎるぜ。カルピスの原液よりも甘いぞ、てめえら」

「うへえ、ひどい目にあった。……ありがとゲンちゃん」


 驚愕する男衆を尻目に、俺とキリカちゃんは立ち上がる。


「驚いているところ悪いんだが、俺にそういう手合いの手品は無意味だ」

 そう言った瞬間、男衆の目には俺がどう映ったのだろう。鬼か獣かはたまた天使か。もしやすると死神やもしれぬ。はてさて答えは何処にあるや?


「…………化け、狐」

「正解入道悪鬼滅殺」

 言うや否や、俺の背後の『そいつ』は男衆を滅殺した。文字通りというやつである。

 滅殺された男衆を見ると、それらが既に腐敗していることに気付いた。


「げ。何これゲンちゃん、もしやもしやネクロマンサー!?」

「知るかバーカ。……まあそれ系と見てよさそうだけどな――なあ、そうだろ?」

 俺は背後の『そいつ』に話しかける。

『そいつ』は神妙な顔つきをして俺の前に出現した。


「ええ、間違いなく死霊術師ネクロマンサーです。……ですがゲンスケ。この件はそれだけではないと思われます」

「一枚板じゃあないってことだな」

「そういうことです」

「……じゃあ、場合によっては私の出番ってわけね」

 キリカちゃんが会話に入ってくる。その顔つきは真剣なものになっていた。

 ……正直、その眼光には少しぞっとする。


「まあ場合によってはキリカちゃんの力を借りることになる――いいな、千歳チトセ?」

「ええ、構いません。『武想ぶそう』相手ならキリカに分がありますので」

 チトセ――先刻の化け狐(他称)――は首を縦に振った。


「……武想? ――ああ、そういうコトか。……あのさ、チトセさん。急に古い名称使うのやめてくんねえ?」

「私はこの言い方が親しみ深いのです。ほっといてください」

「お、ババアアピールか? それに一体どんな意味が――――ごはっ!?」

「ほっといてください」

 その一言と共に振り下ろされる鉄槌。非常に痛い。チトセと出会ってかなり経つが、こればかりは慣れない。痛い。ただただ痛い。


「あのさ、私が真剣になった途端ふざけだすのやめれ」

 キリカちゃんがぼやきだすが普通に正論だったので、俺もチトセも黙るのだった。


 ……にしても武想、ね。チトセがわざわざその名称をキリカちゃんの前で口にしたのもよくわからんが、多分何かしらの意図があったのだろう。ひとまずはそう思っておこう。


 でもそういえばキリカちゃんはキリカちゃんで妙ではあった。

 あれは、そう。今年の始め。要はキリカちゃんが戻ってきた日なのだが……あの時のキリカちゃんも妙なワードを話していた。


 ――ソリッド・ハート。


 なんのこっちゃ? とその時は思ったものだが、実際のところどうということはなかった。


 どうして表記割れしたのかはわからないが――とにもかくにもそれは、


 ソリッド・エゴのことだったのだ。

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