第54話《あかぎ奇譚・1》
ここは世田谷豪徳寺・54(惣一編)
《あかぎ奇譚・1》
なにから話せばいいだろう。
まあ、どこから話しても、めでたい話が一つと何一つ記録も証拠も残っていない話なので、気楽にいこうか。
まずは、めでたい話から。
あのボースン(熟練下士官)の杉野曹長が結婚した話。
陸に上がると、杉野曹長は杉野さんだ。なんといってもメンコ(在職年)が違う。オレは、この四月に二尉に昇進したけど、メンコは防大を入れても八年にしかならない。ところが杉野さんは、六の横に二十が付く。艦長に並ぶくらいのメンコの数だ。
この自衛隊と結婚したような杉野曹長がリアルにおいても結婚した!
それも相手は十五も年下のテレビ局のアナウンサー。どうも去年「あかぎ」の一般公開のときに、何だかきっかけがあったようだ。
おれは、妹のさくらのために、AKBのフォーチュンクッキーを踊らされて恥をかいたことしか記憶にないが、そのとき、いっしょに乗艦していたテレビ局のオネーサンとできてしまったらしい。
事実を知ったのは、四月一日に陸に上がる寸前だった。
「杉野君の披露宴のスピーチ、これでいいかなあ?」
士官食堂で、艦長から、そう言われたのが最初だった。
「す、杉野って、うちのボースンですか!?」
聞くまでもない。「あかぎ」の乗り組みで杉野というのは、あの杉野曹長しかいない。
披露宴で、新郎の席に着いた杉野さんはとても四十代半ばのオッサンには見えなかった。なんともブキッチョに緊張した姿は、少年のようにウブだった。花嫁さんは、アナウンサーだけあって、あか抜けたウェディングドレスで、にこやかに微笑んでいる。
艦長が、海自の士官としては申し分のないスピーチをやってのけたが、新婦側のゲストはみんなマスコミ関係、ウィットも話題も豊富で、海自側は押され気味だった。特に、オレのスピーチの直前に出たディレクターのオッサンが、こともあろうに妹のさくらのことを話題にしたので、若者用語で言えばテンパッテしまった。
「えー、ここで初披露になりますが、新郎杉野さんの上官であられる佐倉二尉の妹さん佐倉さくらさんが、『はるか ワケあり転校生の7ヵ月』の実写版に出演されることになりました……」
おかげで、オレのスピーチは急遽妹のことから入らざるを得なくなり、「あいつが入ったあとのトイレは格別に臭く……」などとやってしまった。ネイビーの士官のモットーは、スマートとウィットである。トイレの話はウケたが、我ながら品性に欠ける。
そのあとも、新郎側は押されっぱなしだった。
とどめに出てきたのが新郎の祖父、もう百歳になろうかというしなびた老人であった。完敗を覚悟した。
「ええ、本日は……不肖の孫のために……ゴホンゴホン(ここで痰を切った)我が家は、私の祖父の代からのネイビーでありますが、三代目のわたしが不甲斐ないために、海自のみなさんには戦後ずっと肩身の狭い思いをさせてまいりました。艦長はじめ乗り組みのみなさんには……」
あとの言葉は明瞭ではなかったが、旧海軍の出であるということで、我々の背筋が伸びた。
「なんの船に乗っておられたのか?」
艦長が、司会を務めていた砲雷長に聞いた。驚くべき答が返ってきた。
「大和だそうです」
艦長が起立した。
「お祖父さまは、大和の乗り組みであられた。総員起立、敬礼!」
しなびたお爺さんの背筋が五センチほども伸び、見事な答礼を返された。
期せずして、新郎側の一発逆転になった。しかし、その二日後にお爺さんは、静かに逝かれた。あの答礼で、ネイビーのなんたるかを自分達に伝えて逝かれたような気がした。
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