第5話 小休止



    5 小休止



 「……」


 自分の身体を貫く音の代わりに聞こえたのは、鎖が何かに激しく突き刺さったような硬い音だった。


「…………」


 何事も起きなかった自分の身を不思議に思った善夜は恐る恐る――すぐに目を大きく見張る。


「……!?」


 目の前に、ヒドゥンの鎖攻撃を一身に受け止めた異形の後ろ姿があった。

 人間のサイズを超える鉱物質で漆黒の体躯、1対の黒く捻れた角を有した頭が、昔話に時々登場する悪鬼を思わせる。


「攻撃に当たらなければ問題ないとか言ってなかったか?」


 勝ち誇った笑みを浮かべ、地上に降り立ったヒドゥンが悠々と歩いてくる。


「何で自分から当たりに来てんだよ」


 やや間合いを開け、彼は異形の前で立ち止まる。


「……ってか、魔人化してまで守る価値があったのか? その人間は」

『代行者の保護を優先したまでです』


 体に刺さった鎖を1本1本抜きながら傷を塞ぎ、異形は答える。

 声とヒドゥンの言動、傷口から立ち昇る漆黒のアニマからして、やはり目の前の『彼』はオフィサーのようだった。


「テメェの命よりルールを優先とか、政府も政府なら公僕も公僕だな」


 シラけた顔で吐き捨てるヒドゥンにかまうことなく。

 異形は姿を一瞬霞ませ『オフィサー』に戻った。最低限の再生しかできなかったのか、小さな傷や制服の綻びが少なからず残っている。

 彼は背後で呆然と佇む善夜に向き直ると、手を差し伸べた。


「善夜さん、公務を続行します」

「……狂ってやがる」


 ドン引き気味に呟いたあと、ヒドゥンは視線をオフィサーの背中から上空に向ける。

 先ほど放出された漆黒のアニマと、未だ善夜から立ちのぼる鈍色のアニマが一筋の流れとなって一定の方向に昇っている。

 それを見上げたまま、ヒドゥンはニヤリと笑った。


「……ま、俺は大歓迎だけどな」


 一方。


「もう、ほっといてください」


 座り込んだまま、善夜は顔を上げずに答えた。


「残念ながら、責務を果たさず引き上げるわけにはいきません」


 手を差し伸べたまま、オフィサーは続ける。


「決してあなたを危険に晒すことはありませんのでご安心ください」

「……」

「それに、この件が解決すればあなたの生活も……」

「――もう疲れたの!!」


 目をぎゅっと閉じ、善夜が喚くように言い放った。

 彼女は両手で顔を覆い、深い溜息をつく。


「これでいいんです……今回でダメだったら死のうって、もともと決めてたし……」


 善夜の体から放出される鈍色のアニマが上空へ流れていく様子を、ヒドゥンがニヤニヤしながら見守っている。


「今のことが解決したって、きっとわたしの生活は変わりません。今までどおり、頑張ったり、我慢して……」


 言葉に出せば出すだけ自分が情けなくなり、強く閉じた目蓋の隙間から涙がこぼれ落ちる。

 善夜は嗚咽を逃がすように再び溜息をついて、未だに手を差し伸べているであろうオフィサーに尋ねた。


「……だったらこのまま、消えたほうがよくないですか……?」


 彼は黙って善夜を見下ろしていた。

 そして――


「そうですか」


 ――差し伸べていた手をあっさりと手を引っこめ、改めて彼女に確認する。


「従順に振る舞っても報いを得られないから消えたい。――それがあなたの意志ですか」

「……はい」


 顔を上げないまま今にも消え入りそうな声で答える善夜に、彼はさらに質問する。


「しかし、報いを得ることが目的であれば、『従順に振る舞うこと』だけが唯一の解決策でしょうか?」


 善夜は両手を、顔から離した。


「……じゃあ、どうすればよかったんですか……!?」


 オフィサーを見上げる彼女の顔には、困惑と恨みの混ざった表情が張り付いている。


「さあ、どうでしょう」

「……は?」


 善夜の表情に僅かながら怒りが混り始めるも、オフィサーは彼女の目を見て臆面もなく答えた。


「疑問に思ったので質問をしただけです」

「……」


 顔をしかめたまま言葉を失う善夜をよそに、彼は続ける。


「人間界のことはまだよくわかりませんが、おそらく人間界(ここ)にも善意を利用するだけの者は少なくないでしょう」

「……!」


 しかめっ面の彼女はまだ固まっている。


「そのような中で従順に振る舞う者が必ず報われるとは思いませんが、いかがでしょうか?」

「…………」


 善夜は思わず表情を緩ませた。それを悟られまいとするように慌てて俯くも、


「その顔は、何か思いついたようですね」


 オフィサーにはすでに見抜かれており、気まずさに慌てて両手で顔を隠す。


「……でも……」

「ではこうしましょう。せっかく消える覚悟をしたのです――公務後、今思いついたことを一度お試しになってください」


 善夜が手の陰からチラリと彼を見上げる。目が合った。


「それで叶わなければ公務代行の報酬として、私があなたを消してさしあげます」


 言って、オフィサーが改めてこちらに手を差し伸べる。


「いかがでしょうか?」

「……!」

「そんな交渉は無駄だ」


 逡巡する善夜の耳に、ヒドゥンの声が飛び込む。


「どっちにしてもテメェらはここで揃って消えるんだからな」


 見ると、篭手に淡緑色の魔力を纏ったヒドゥンがその腕を振り上げていた。


「しっかり稼がせてもらったし、そろそろ消えろっ!!」


 言って振り下ろした右腕の篭手から、魔力を纏った鎖が善夜とオフィサー目がけて襲いかかった。


「――!」


 素早く斬り払ったのは、善夜の右手に握られた漆黒の剣。


「ふーん、そっちを選んだか」


 少し驚いたものの、ヒドゥンは目を細めてニヤリと笑う。


「……いいぜ、さらに稼がせてもらうからな」

「…………」


 ゆっくりと深呼吸をひとつして。

 善夜はヒドゥンをじっと見上げたまま言った。


「オフィサーさん……――命令、してください」

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魔界公務員と代行者 まかろん まよね @maim_shi

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