第2話 自己紹介



    2 自己紹介



 「こちらをご確認ください」


 フリーズしていた善夜の思考を再稼働させたのは、謎の男が差し出した――黒地に白い文字の印刷されたカードだった。

 彼女は「あ……」と、ぎこちない会釈とともに受け取ると――真っ直ぐに自分に注がれる視線から逃れようと、この黒いカードをじっと見つめる。サイズと内容からして、名刺のようである。


「まかい、がい……ざい……ざい、りゅう…………?」

「魔界外在留管理局 人間界支局 在留管理及び捜査・取締課に所属するオフィサーと申します」


 カードに顔を近づけて懸命に読み上げる善夜を見かねてか、謎の男・オフィサーが淀みなく自己紹介をする。


「一言であらわせば『魔界の公務員』です」

「ま、魔界の……公務員……」


 オウム返しに繰り返し。善夜は戸惑い気味に目の前で姿勢よく立っているオフィサーを眺めた。


(だから、『オフィサー』さん……?)


 この見上げるほどに背の高い男は、シュッと締まった体格から推察すれば20代――落ち着き払った佇まいから推察すれば30代にも見えた。

 容姿に関してはショートにしては伸び気味の漆黒の髪に、前髪から覗く切れ長の目、通った鼻筋――端正ではあるものの、逆に言えば特徴のない顔立ちで、何の感情も映していない表情のせいか人間とは別の存在のように感じられる。

 黒を基調とした軍服のような制服と、腰の剣帯に抜き身のまま携えられている漆黒の剣、ガラケーのような端末、さらに何に使うのか見当もつかない小さな扉のようなオブジェも、彼の纏う異様な雰囲気を強調していた。


「ご確認いただけたでしょうか?」

「!」


 オフィサーの声で我に返った善夜は、慌ててカードに視線を戻す。細かい文字も、カードの裏もまだ目を通していないが、


「は、はい……」


 とりあえず、善夜はコクンと小さく頷いた。すると、


「では次に――」


 オフィサーは彼女の手からカードをさっと取り上げると、


「お名前をうかがってもよろしいでしょうか」


 カードを上着の内側にしまいながら尋ねてきた。


「よ、善夜……です」

「ヨヨヨさん」

「善夜、です……!」

「善夜さん」


 善夜から訂正がないことを確認し、オフィサーは改めて告げた。


「あなたには私の公務を代行していただきます」


 善夜はきょとんとした顔で彼を見上げる。


「だいこう……?」

「このように――」


 不意に、オフィサーがこちらに向かって手を差し伸べ――善夜は思わず自分を庇うように両手を上げて目を閉じる。彼はそのまま彼女の右手を掴み、掴まれた本人は驚き肩を弾ませ――


「……」


 それだけだった。

 善夜が恐る恐る目を開けると、


「!?」


 オフィサーの姿がない。


『――私に支配されるだけの簡単な仕事です』

「!!?」


 それでもすぐ近くで聞こえる彼の声に、驚き周囲を見回す善夜。


「えっ……お……」


 そんな彼女の右手がグン、と大きく上がった。

 自分が驚くよりも先に響いた金属同士のぶつかったような音に、善夜は思わず目を閉じて――恐々と目を開ける。


「…………――!!?」


 音のした方向――すなわち上がったままの自分の右手を確認し、絶句した。


 いつの間にか、漆黒の剣が握られている。


 さらによく見れば、オフィサーの剣帯と同じものが装備されている。

 その向こうから銀色の鎖が自分に向かって飛んでくるのが見えた。空気を切り裂き殺到する鎖を、善夜の右腕が振るう剣が弾き飛ばす。

 飛ばされた鎖は屋上のアンテナに引っかかるように絡みつき、そのままどこかへ続く足場のようにピンと張られた。

 さらに再び飛んできた鎖も善夜の右腕の剣によって弾かれ――屋上に佇む児童の1人に直撃する。


「あっ……!!」

『時間固定されているため、固定対象への損害は発生しません』


 聞こえたオフィサーの声に、善夜はホッとしたように表情をほころばせ、


「あ、そうなんですね……よかっ……」


 再び善夜の右腕が剣を振るう。弾かれた鎖は職員の男に絡みついて、これもまた足場のようにどこかと結ばれているようにピンと張られた。


「わあああああそうだった!!!」

『今、驚かれるのですね』


 目を剥いて声を上げる善夜に、オフィサーの声は静かにツッコミを入れた。


「すいません……ビックリする暇がなく……」


 言いかけて善夜はハッと我に返り、


「ってそうじゃなくてオフィサーさん、どこにいるんですか? 何が、どうなって……」


 キョロキョロと辺りを見回しながら改めて尋ねる彼女の視界に、今度は鈍色のもやがうっすらと漂い始める。


「……え……?」


 反射的に善夜は『源流』を追って視線を下げて――


「きゃあああああ!!?」


 発生源が自分の体だと判明するやいなや。

 もやを掻き消そうと、半狂乱になって両手を振り回した途端――


 ――善夜は糸の切れた操り人形のようにクタリとその場に崩れ、奇妙なうつ伏せ状態となった。


(…………体が、動かない……?)


 意志に反して動かぬ四肢に怯えながら、善夜は屋上の床に口づけしている顔を何とか横に向ける。


(あ……頭は動いた……)

『人間界において』


 再び、オフィサーの声がすぐ近くから聞こえる。


『我々――魔人はアニマを消費しなければ実体状態を保つことができません』


 オフィサーが滔々と語っている間にも、床に転がっている善夜目がけて何本もの鎖が降り注ぐ。しかし、その度に漆黒の剣を握った善夜の右腕が独立した生き物のように可動範囲内を躍動し、全ての鎖を弾き飛ばしていた。

 そして弾かれた鎖はその数だけ寮舎や庭木、人々に絡まり足場を作っていく。


『しかし実体状態にならなければ公務を執行できません』


 不意に善夜の右腕が左方向にググッと旋回し、


「わっ……!?」


 善夜は引きずられるように仰向けにひっくり返る。一瞬遅れて彼女の足があった場所に鎖が叩きつけられた。


『よって、元々実体のある人間の身体を「支配」することでアニマの消費を抑えています』

「アニマ……!? 支配って……!?」


 目の前で、剣を持った自分の右腕が降り注ぐ鎖を捌き続ける光景に圧倒された善夜が、喚くように尋ねる。


『詳細はあとで説明いたします。ひとまずは立ち上がって私に従ってください』

「わっ……」


 前方に真っ直ぐ伸びる右腕に引っ張られるように身を起こし、彼女はどこにいるかもわからないオフィサーに向かって話しかけようとした時。


「そんなこと、急に言われて……――きゃあっ!?」


 再び動いた善夜の右腕の剣が、しつこく飛来した鎖を絡め取った。


「言い忘れておりましたが……」

「――ぅわあああっ!?」


 突如目の前に現れた――右手の剣に鎖を絡めた状態のオフィサーに、善夜は驚き尻もちをつく。彼女の体から再び鈍色のもやが滲み昇っていく。


「『契約』を交わした以上、私の命令なしに動くことはできません」

「け、契約……って……?」


 オフィサーは剣に絡めた鎖を振り飛ばすと、懐から取り出した先ほどの黒いカードの裏面を善夜に見せた。


「あなたの印も、この特別臨時契約書に」


 カードの裏目にには『特別臨時契約書』というタイトルと、『以下の内容を確認のうえ了承いただける場合は、親指・人差し指・中指・薬指・小指のいずれかの指で押捺してください』という太字の一文、それに続く細かな文字列の上に善夜の指紋が人差し指から小指まで押捺されていた。

 ハッとした善夜は立ち上がり――遠慮気味ではあるが非難するようにオフィサーを見る。


「こんなの……さ、詐欺じゃないですか……!」

「いいえ。詐欺ではありません」


 再び善夜に向かって手を伸ばすオフィサー。反射的に自分を庇う形に両手を上げて目を閉じる善夜の右手を握ると同時に彼の姿が掻き消え――善夜の右手には漆黒の剣が、腰には剣帯が出現した。


「ひ、開き直らないでください……!」


 再び躍動を始めた右手が飛来する鎖を剣で次々と捌いていく中、善夜は精一杯のしかめっ面を浮かべる。


『あなたの質問に答えただけですが』

「っ……とにかく、もう放っといて……」

『迫害が止まるとしてもですか?』

「――!? それって、どういう……」


 続きを聞き出そうとする彼女の言葉を遮ったのは舌打ちの音。


「!?」


 新たな人の気配に思わず振り返る善夜。いつの間にかいくつも張り巡らされていた鎖の足場の1本に、ガラの悪そうな若い男が立っていた。


「少しは当たれよな……!」


 気だるげにそう吐き捨てる男を、善夜は戸惑い気味に見上げる。

 年齢は20代半ばぐらいか。両耳に金属質のピアスをバチバチに開け、淡く緑がかったクセのある短髪を後ろに流したその姿は、着崩した前開きのシャツと細身のズボンと相まって、ショッピング街で時折見かけるパンクでロックな人種に見えた。

 しかし、甲冑のような白銀色の篭手に覆われ、甲の部分からは無数の鎖が覗いている右腕を見れば、普通の人間でないことは明らかだった。

 善夜の隣に、オフィサーが出現した。


結紮する者リゲーター・ヒドゥン」


 彼は男に向かって淡々と告げる。


「在留資格不正取得罪及び人間襲撃の現行犯で身柄を確保します。おとなしくご同行ください」


 その言葉をガラの悪い男・ヒドゥンは挑発的に笑い飛ばし、


「はっ、連合政府上のやつらが勝手に作ったルールなんて知ったこっちゃねーよ」


 篭手に覆われた右腕を素早く振り下ろした。

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