魔界公務員と代行者

まかろん まよね

第1章 降り立つ魔界公務員(オフィサー)

第1話 未知との遭遇


    1 未知との遭遇



 爽やかな青をたたえる五月晴れの空が広がっている。

 「すこやか園」は町中に建つ、ちょっとした学校ほどの規模の児童養護施設。

 園庭では小学生の児童達が楽しそうに走り回っており、やや年季の入った3階建ての寮舎の屋上では中高生の児童達が一人の少女を取り囲み、フェンス際へと追い詰めていた。


 このフェンスを背に立ち、怯えて俯いている少女の名前は七川ななかわ 善夜善夜(17)。

 彼女もまたここで暮らす『訳あり児童』の1人である。


 彼女の額を覆う前髪の隙間からは擦り傷がのぞき、目尻や頬にはあざが浮かび、切れた唇からは血が滲んでいる。彼女が身に纏う着古されたセーラー服も所々が破れ、砂埃にまみれていた。


「ねえ、早く飛び降りてよ」


 鋭い言葉がまた一つ、善夜の心に突き刺さる。

 身長も体格も容姿も平均的な彼女は、気弱な性格のせいなのか――それとも平均よりも劣った能力のせいなのか、入所して物心ついた時にはすでに周囲から孤立しており、それどころかストレスの捌け口・虐待の対象となっていた。


「何でも聞いてくれるんじゃなかったの?」


 また一言、児童の明るく心ない言葉が善夜に投げつけられるが、彼女は肩をこわばらせたまま俯き黙っている。


「――おいお前たち、何をしてるんだ?」


 児童たちの合間をぬって職員の男が歩いて来た。明らかに面倒臭そうな顔をしている。


「何だよ、まだ飛んでなかったのか」


 男は怯えて俯いたままの善夜に向かって、気だるそうに口を歪めた。


「そうなんだよ! ゴミ人間のくせに、なかなかしぶとくてさ」

「何で死なねーんだろうな」

「俺もしっかり指導したはずなんだけどなぁ……」


 口々に言う児童たちに職員の男は苦笑で「まあ落ち着け」と、なだめたあと、


「――まだまだ指導が足りなかったみたいだな」


 善夜に向かってニタリ、と口角を上げた。


「……っ……」


 その陰湿な視線に、善夜は自身を抱きしめるように身体を萎縮させ、何度もかぶりを振る。何をどのように言っても揚げ足を取られ、より酷く虐げられてきた彼女にはもはや自分を守るための言葉すら残されていなかった。


「だったら……見せてくれるよな? わかってるっていう証拠」

「そうだ! 早く死ね!!」


 突きつけられた職員の冷たい言葉に児童たちが続く。さらに追い打ちをかけるように吹き付けた突風が、彼女のスカートやハーフアップに結い上げた亜麻色の髪をなびかせ、足元の砂埃をフェンスの外へと舞い降らせた。


「…………」


 ぎゅっと締めつける胸の痛みをほぐすようにゆっくりと深呼吸したあと。


「……わかり……ました……」


 嗚咽混じりに小さく答えると、


「今、死にます……」


 善夜は彼らに背を向けた。

 大粒の涙がぽろぽろと落ちていく目を強く閉じ――再び開かれた目で空を見上げる。

 数羽の鳥が、空を渡っていく。


「そうだよね……もう、じゅうぶんだよね……」


 自分に言い聞かせるように小さく呟くと、彼女は震える指をフェンスにかけた。


 ――その瞬間。


 風と騒音と、突き刺すような罵声がピタリと止んだ。


 「…………?」


 突然襲った違和感に、善夜はフェンスに手をかけたまま固まっている。


(…………わたし……なんか、おかしくなっちゃったのかな……?)


 そんなことを考え始めた彼女の思考を止めたのは、


「――時間固定、無事完了しました」

「――!!?」


 どこからともなく聞こえた男の声だった。

 この静寂がなければ街喧騒に飲まれてしまいそうな抑揚のないトーンでありながらも、芯のある低い声。


「そうですね……今のところ気配はありません」


 肩をこわばらせたまま固まる善夜をよそに、『彼』は淡々と誰かと話しているようだった。

 意を決した彼女が恐る恐る――まずは左右を見回すも、


「…………」


 視界には声の主らしき人物は入ってこない。

 フェンスの外に広がる民家の屋根や、電柱と電線、等間隔に配置された鉄塔が並んでいるだけだった。


「…………」


 ひと呼吸置いたのち、善夜はさらに意を決して背後を振り返った。


「…………」


 職員の男と児童たちが、先ほどと変わらぬ好奇と侮蔑のこもった目をこちらに向けて立って――善夜は、まばたきをひとつする。


「…………え……?」


 念のため、さらにもう一度繰り返してみるが、やはり誰1人としてピクリとも動かない。


(何が……どうなってるの……?)


 善夜は再度フェンスのほうを向き、下を見下ろす。

 施設の園庭を走り回る年少の児童たちも、脇道を行く車も、空を横切っていく鳥たちも――まるでその瞬間を切り取った写真のように、完全に静止していた。


「――!!?」


 善夜が再び肩を弾ませたのは、何者かが彼女の背後に静かに降り立つ気配があったからだ。


「……はい、問題ありません」


 直後に間近で『彼』の声が聞こえる。


「すでに確保しています」


 恐怖心と好奇心がせめぎ合うようにゆっくりと。

 振り返った善夜の目が、大きく見開かれた。


「……!……!」


 震える彼女のブラウンの瞳に映ったのは、折り畳み式の携帯電話――いわゆる『ガラケー』のような端末を耳に当てた1人の男。

 彼は真っ黒な瞳で善夜を見下ろしたまま、静かに言った。


「――では、公務執行に入ります」

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