六 麗日よ、またまみえることを/前
1
ハジメ一行が寺子屋に帰ってきてから二日が過ぎた。
この二日間、ハジメたちは互いに過ごした日々の出来事を話すのに夢中だった。離れていた一年の間にはあまりに色々なことがあって、まだまだ話し足りない。
全てを話し終えないうちにも新たな出来事がやって来る。
「――
駆けてきたらしい。息の上がった様子で女性が一人、旗を訪ねてやって来た。
「お
振り向いた旗が女性の名を呼んだ。
お花ちゃんは旗が行商をしていた頃、よく世話になっていた
かなり衝撃的な出来事の渦中で出会ったはずだが、お花ちゃんの目に傍にいるツギたちは入っていないようである。
胸に手を当て息を整えるお花ちゃんに、旗が続けて声を掛ける。
「久しぶりですねぇ。元気しとりました? あとでお花ちゃんとこにも顔出そう思てたんですよ。今日は息切らしてどないしたんです?」
「……っ……旗さんが、帰ってきたって聞いて……」
「それでわざわざ会いに!? 嬉しいわ~。ひょっとして愛の告白に来てくれたんやったりして! なーんて……」
上がったお花ちゃんの顔を見て、旗の語気が弱まった。
眉を
全くの冗談のつもりだったがお花ちゃんの表情に「えっ、まさか……」と、旗はどきりとした表情になる。そして会話を聞いていた周囲の視線も二人に集中する。
お花ちゃんは心を落ち着けるように一呼吸すると、真剣な表情で旗の目を見据えた。
「……旗さん……わたしと、
「「「ええ~~~~っっ!!?」」」
旗含む複数人の声が重なった。
まさか旗が求婚される日がこようとは。誰もが思いもしなければ、旗自身思ったことがなかった。
そして誰もが「なんで」と思うことだろう。
お花ちゃんが言うには、旗が行商として蕎麦屋に来ていた頃から想いを寄せていた、わけではないらしい。
二人は
お花ちゃんの方がお姉さんであり、背丈もお花ちゃんの方が幾分高いこともあって、旗のことは「しょうがない弟」のように思っていたという。
旗はよくお花ちゃんに「べっぴんですね~」などと軽口を言っていたため、女性に対して軽薄な印象すら持っていたという。
う~ん。ここまでは酷い言われようだ。
それが変化したのは旗がハジメに付いて旅に出たあとだという。
何週間も会わないでいるうちに、自分が物寂しく思っていることに気づいた。旗がまたやって来て、いつものように軽口を叩くのを待っていることに。
離れたことで、旗は「傍にいてほしい存在」であると自覚したのだ。
お花ちゃん自身、自分が旗に対してこのような感情を抱くとは思いもしなかったという。なにせ相手はあの
なにかの気の迷いではないかと、日を置いて何度も自分に問いかけた。が、やはり旗のいる日々が恋しかった。
自分の気持ちをはっきりと認識し、お花ちゃんはため息を吐いた。なにも旗さんに惚れなくても、と。
身近にそれらしい相手が他にいないとはいえ、どうせ惚れるなら、あの日やって来た長身の男性のほうがまだよかったのではないか。少々ぶっきらぼうではあるが、食い逃げした輩から代金をとって来てくれたし、怪我をした少年のことまで考えて、行き倒れの青年の世話まで焼いていた。間違いなく優しい人だ。それなのに自分は
などと考えるのだが、長身の男のことは男前の善い人としか思えない。やはり想いを寄せるのは旗なのだ。
そしてお花ちゃんはまたため息を吐いた。
本当に求婚する気があるのかお花ちゃん。
一方、旗の気持ちはというと、「べっぴん~」というのはまごうことなき本心なのだが、お花ちゃんに対して特別な好意があるわけではなかった。もちろん好意的には思っているが、旗は大概の人間に対して好意を持っている。
しかし旗はお花ちゃんの申し入れをすぐに受け入れた。
喜々として、まさにこの世の春といった様子だ。
旗は好きだと言ってくれた女子を好きになる類の男だった。
そうと決まれば善は急げと、旗はお花ちゃんを負ぶってお花ちゃんの家である蕎麦屋に駆けていった。
今しがたやって来たばかりのお花ちゃんをまた歩かせるのは忍びないが、休息をとっていてはその間に冷静になったお花ちゃんは気が変わってしまう、と、直感的に旗は考えたようだ。
その後、二人の結婚話はとんとん拍子に進み、また一組意外な
2
新たな出来事は他にもある。
寺子屋に初めて見る顔がやって来た。
カランコロン音のする飾りの垂れ下がった笠を被り、『鬼斬り』の
ハジメが出先から戻ったとき、この奇怪な人物はしゃなりとしながらも雄々しさがある、そんな風体で縁側に腰掛け、
ハジメはその風貌に呆気にとられ、目線が合うまで挨拶するのを忘れていた。来訪者の相手をしていたらしい
「はじめまして、一番目。あたしは
「一番目……?」
曾根崎と名乗る来訪者は、自身の背をトントンと指し示し、「背中の文字。今は別の着物だけどあんただろう? 一
「そうでずけど……あなたは?」
「旗振に頼まれて、その着物を手配した者って言や、わかるかい?」
旅のあいだハジメ、ツギ、旗が着ている揃いの着物は、旗が衣料品に強いという知り合いの行商に頼んで用意した物だった。
「ああ、あなたが!」
旗の話で存在は知っていたが、顔を合わせるのはこれが初めてだ。まさかこのような奇抜な恰好の人物だとは、想像しようもなかった。
ここで宗間が会話に加わる。
「先日
栗原さんは旗の後を引き継ぎ、この地域の行商をしている小柄ながら健脚、寡黙でできる仕事人だ。
行商同士、栗原さんと曾根崎も横で繋がっていたらしい。
「珍しい注文だったからさ。直にこの目で着姿を拝みたいと思って来たんだ」
「さあ、見せとくれ」と言わんばかりに、曾根崎は前屈みになった。
「そう改まられると……」気恥ずかしい、と、ハジメは頬を赤らめもじもじする。「っ――ツギさんはいないんでずか?」
「それが少し前から姿が見えないんですよねー」
このときツギは屋根の上で昼寝をしていた。
「――なんの騒ぎだ」
寺子屋の中にいたらしいオワリと
オワリには宗間がにこやかに答える。
「ハジメたちが旅のときに着ている揃いの着物を着て見せて欲しいという話をしていたんですよ。――そうだ!」名案を思いついたとばかりに宗間は手を打った。「オワリくんと空真さんにも、揃いの着物を手配してもらうのはどうでしょう」
「いいでずね!」
「なっ、ぼくたちは揃いの着物なんて……」
「いいじゃないか」
不要だというオワリにそう言ったのは、鈴が鳴るような声の空真だ。
「おい」
「オワリも『鬼』を屠る者なんだ。仕立ててもらえばいい。いつまでもこの着物では締まりがないと思っていたんだ」
オワリはなにか言いたげに空真の目を睨んでいたが、しばらくすると
「……勝手にしろ」
と、背を向けて何処かへ行ってしまった。
「いいらしい。頼めるか」
「時間も対価も貰うけど、それでもいいなら喜んで。お嬢ちゃんとさっきの坊やの着物を設えればいいんだろう? あんたら見目がいいから、図案の考えがいがあるよ」
「図案……あの衣装を考えたのって曾根崎さんなんでずか?」
「そうだよ。旗振の要望を聞いて」曾根崎は煙をふーっと吐く。「一番目と二番目の見てくれは旗振の口伝で聞くばかりだったから、考えるのに難儀したよ」
(どおりで目立つはずだ……)
「わんっ」
そのとき、黒犬の
曾根崎が振り向くと、一はおすわりの格好で尻尾を振り、笑っているように見える顔でなにか訴えるように、もう一度「わん」と鳴いた。
「……なんだいこれは?」
「旅のお供の一でず」
一を紹介するハジメは自慢気だ。
暫し一を見つめていた曾根崎は
「ふぅん……」
なにかいいことを思いついた様子で、にんやりと笑った。
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