終 麗日よ、またまみえることを/後


 それからひと月ほどが経った頃。

「二人とも素敵ですよ」

 両手を叩いて宗間そうまが褒めるのは、先程曾根崎そねざきが届けたばかりの衣装に身を包んだオワリと空真そらざねだ。

 初対面のとき、宗間は空真を恐れているようであったが、元々子ども好きだ。今ではすっかり教え子と同様に可愛がっている。

 オワリはハジメやツギと同じ、狩衣を思わせる着物で、背には「四」の字。『鬼』を屠る力を手にした順でいえば、おはなちゃん親子の営むそば処に現れた時点で薙刀なぎなたを持っていたオワリはツギより先ということになる。しかし「二」の字は既にツギが負っているため、この数字はハジメと出会った順ということになっている。抜けた「三」は今は亡き広岡ひろおかの、「五」は北の地で生きているはずの滝壺たきつぼのものだ。

 空真は白地に文字なしの枠を負った着物。動きやすいよう、丈はあえて少し短く作られており、下穿きが覗いている。旅のあいだはいつも被っている袖頭巾も藤色のものに新調された。濃い色が地になっているみなの衣装とは対照的な配色だが、その理由は曾根崎曰く、「この方が似合うから」だそうだ。

平野ひらのもかっこいいですよ」

 宗間が手を叩くのはもう一人。

 実は平野の分も揃いの衣装を頼んでいた。

 はたの羽織と同じものをきっちり帯で締め、下には股引ももひきを穿いている。全体的にすっきりとした印象だ。

 そして、

「かっこいいでずよ!」

 ハジメが褒める相手は――

「――いち!」

 子ども用の羽織を身につけた一だった。

 曾根崎が思いつきにんやりとしたのはこれであった。

 みなと揃いの着物を着て、一は満足そうである。曾根崎に訴えていたのはまさに自分にも着物を設えて欲しいということだったようだ。

 一はハジメに着姿をよく見せようと、その場でくるりと一回りすると、喜びの表現か、一声鳴いた。

「わんっ」


     3


 空いた時間に、ハジメは集落にも足を運んだ。

 集落の人たちに会うことも目的の一つであったが、一番の目的は綾部あやべに会うことだった。

 綾部は集落に一人で住んでいる女性で、ハジメはほとんど言葉を交わしたことがなかったが、生き別れになった弟を捜しているということは聞いていた。

 この春、ハジメはその弟と思しき人物、山科やましなに出会った。

 嵐をしのぐために立ち寄った山小屋の主として歓待してくれた山科は、綾部と同じ、菖蒲あやめ柄の手拭いをしていた。

 以来、綾部にそのことを伝えねばと、ずっと気に掛けていたのだ。

 ところが、綾部はもう集落に住んではいなかった。

 話しを聞いた集落の者によると、綾部が集落を出たのはハジメたちが旅に出てまもなくのことだという。

 なんでもハジメの恩恵を求めて弟もやって来るかと考えていたがやって来る気配がないため、地道に捜すことにしたらしい。

 行き違いになったことをハジメはひどく残念に思ったが、仕方がないと寺子屋へ戻ることにした。伝えられなくても結果はあまり変わらないかもしれない。元々、本当にあの山科が弟ならば会うのは止めた方がいいと、警告をするつもりでいたのだ。

 ハジメが肩を落として歩いていると、今まさにやって来たといった恰好の人物が前方から歩いてきた。

「綾部さん!」

 その人物に気づいたハジメは咄嗟に声を掛けた。まさしく会いたいと思っていた綾部だったのだ。

 ハジメの顔を認めた綾部は、落ち着いた様子で応じた。

「お久しぶりです。帰っておられたのですか」

「綾部さんこそ、集落を出たと聞きましたが、戻って来られたんでずか?」

「ええ。家がまだ空いていればいいのですが」

「それじゃあ、弟さんは……?」

 いつも表情の硬い綾部が、朗らかな微笑みを浮かべる。

「弟のことは片が付きました」

 その微笑みがうっとりするようなものだったから、結局弟は何処でどうしていたのか、そして綾部は今どうして一人なのか、ハジメは尋ねるのを忘れてしまった。

 ただ、「それはよかったでず」と、肩の荷が下りた思いで笑みを返し、別れた。


     4


「それじゃあお花ちゃん、行ってきます……」

 秋の気配が近づく頃、ハジメたちはまた旅に出ようとしている。

 前は日ノ本を北上して回った。今度は南下――西を回る予定だ。

 お花ちゃんとの結婚を決めた旗振はたふりだが、旅には引き続き同行するという。

 お花ちゃんは身近に旗がいる日々を望んで結婚を申し入れたはずだが、再び旅に出ることを了承してくれたようだ。彼女にとって今回の結婚は、自分のところに必ずまたきてくれるという、心の支えを得るためのものだったのかもしれない。それにしてもなかなかにさっぱりした性格だ。

 今も彼女は旗の見送りに来ているが、熱っぽいのは旗の方だ。お花ちゃんの両手を取って、キメッキメの顔で見つめながら冒頭の台詞を吐いている。

 一方でお花ちゃんは、声を上げて笑いそうになるのを堪えている様子だ。どうしたって旗の表情が愉快なのだから仕方がない。しかし、少し嬉しそうにもしている。

 ハジメにツギ、旗、オワリに空真、それに一と、以前からの面子に加え、これからは平野も旅に同行する。

 宗間は寂しがるだろうが、青原が変わらず世話に来てくれるし、手習いに通ってきている集落の兄妹もいるから大丈夫だろう。

 平野の同行は『鬼』を斬る旅に出るその前から話していたことだ。いよいよそれが実現するとあって、ハジメはうきうきしていた。

 しかし、その浮いた心を沈める存在もいた。

 佐島さじまも付いてくると言うのだ。

 あくまで同行ではなく「後から付いていく」体を取ると言うのだが、

たしのことは気にしないで」

 無理がある。

 聞いた話から推察するに、一方的に佐島が平野に執着しているようだが……なにが目的なのか、さっぱりわからない。

 まさか平野に好意を……? このところ色恋の話が続いたせいかそんな考えが浮かぶ。

 もし、万が一にそうだとしたら、それはそれで恐ろしく感じる……。

 とりあえず平野の傍にいる間は悪さをしないようなので、黙って様子をみることにした。


 寺子屋の庭には支度を終えた一行が続々と集い、もう間もなく出立だ。

 旗は先程の通り、お花ちゃんと別れを交わし。

 ツギは一人、腕を組んで瞑目している。ひょっとして立ったまま寝ているのではなかろうか。

 オワリと空真は互いの傍に立っている。けれどハの字のように斜めに背を向けた格好で、なにか話すでもない。空真はツギのように目を伏せているし、オワリに至ってはどこかピリピリした様子だ。いつも二人で行動しているのに距離を感じる、仲がいいのか悪いのか、よくわからない二人だ。

 平野は縁側のそばで宗間と言葉を交わしている。

 その傍に佐島の姿はない。

 いつも平野にくっついていたのに、出立するとなった途端、どこかに姿を消してしまった。てっきり軽鴨かるがもの雛を付け狙う狐のように付いてくるのかと思っていたが、狐ではなくからすのように離れたところから目を光らせるつもりのようだ。

 一はハジメの傍で座ったり、かと思えば落ち着きなく歩いたりを繰り返している。旅の再開を前にして、そわそわと少し興奮気味のようだ。

 そんな一行を庭の端からハジメは見回した。

 気づけば大所帯になったものだ。

(西か……)

 ――西へは行くな。

 約一年前、出会い頭にオワリが言った。

 ――『鬼』を求めるなら西に行くといい。

 オワリに出会う前、鬼穴島きけつとう清水しみずが言った。

 ――“なんじ、鬼なら西へけ。汝、人なら東へ行け。”

 床に伏せっていた広岡が教えてくれた。

 ――わたしは幼い頃、囚われの身でした。――ここよりずっと西に下った所です。

 かつて宗間が軟禁されていたという場所も西。

 ツギは明言していないが、彼の故郷も海の見える西の何処か。

 ハジメが産まれ、幼少期を過ごしたのも西。

 西にはなにがあるのだろう。

 様々なことが起こりそうな予感がする。

 胸を締め付けるようなことか、温かく包み込んでくれるようなことか。

 それはまだ知らぬことだけれど、土産話を持って、またここに帰ってこられるだろうか。

 いや、帰って来るのだ。そのために、自分は旅をしているのだから。

 日ノ本を巡る旅も、いよいよ折り返しだ。

「――いってきまず!」


〈続〉

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

死して鬼を屠る 呉於 尋 @kureo_jin

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ