二 押しかけ女房(二)

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 ここからは谷地やち如何いかに奮闘したかを語っていこう。

 平野ひらのの行方を突き止めるため会う人会う人片っ端から情報を求め、祖父の伝手でやっと居所を掴んだ谷地は、祖父母の元を離れ、一人で遥々寺子屋へやって来た。

 にも関わらず嫁ごうという相手には如何にも「悪女」然とした女が取り憑いていた。

 ああ、なんたる悲劇。

 けれどわたしは屈しないわ。

 負けてなるもんですか。

 そもそも谷地は自分が平野を想うほどに平野は自分のことを想っていないとわかっていた。

 しかし世には「押しかけ女房」というものがあり、押しかけたもん勝ちなのだと思っていた。

 傍で甲斐甲斐しく御世話を焼いているうちに平野にとって欠かせない存在となり、必然的に夫婦に――というのが谷地の計画であった。

 男を落としたくば胃袋を掴むべしと聞いたことがある。家主である宗間そうまの好意――思惑か?――で気の済むまで寺子屋に滞在していいことになった谷地は、まず青原あおばらの仕事を奪って食事を作ることにした。

 朝餉あさげは既に済んでいるが、夕餉ゆうげにはまだ早い。ということで、間食におやきを作る。

 台所の勝手を教えるついでと、青原も一緒に作ることになった。

 おやきはこの辺りではよく食される料理で、谷地も幼い頃からよく作って食べていた。

 いつもと勝手の違う場での調理だったが、出来上がったおやきに谷地は自信ありげな表情だ。

 早速、平野の元へと運んだ。平野が口に運ぶ様を谷地はドキドキと見守る。

 どう考えても感想を言わなければならない空気を感じた平野は、

「おいしい、よ……」

 谷地の顔がぱっと輝いた。

「ひーくんの作るおやきの方がおいしいのに、優しいね」

 平野に持ってきたもう一つのおやきを我が物顔で食べた佐島さじまが、横から茶々を入れてきた。

 御蔭で喜びに満ちていた谷地の顔は一瞬にして怒り顔に変わった。

(あんたはなんなのよ……!)

 そのせいで平野はまた頭の痛い思いをした。かつての血色のいい健康的な少年の面影は、今や風前の灯火と化している。

 平野に続いて谷地は宗間にもおやきを持って行った。平野の父――または外堀――ともいうべき宗間にも、気に入られてなんら損はない。

 宗間は自室で書き物をしているところだった。

「あの、おやき作ったのでよかったら……」

「ああ、ありがとうございます。後でいただきますから、そこに置いておいてもらえますか?」

「ぁ……はぃ……」

 そこで宗間は気づいた。「あ、これは感想を聞きたがっているな」、と。

「これはおいしそうですね。やっぱり温かいうちにいただくことにしましょう」

 谷地は松毬まつぼっくりを見つけた栗鼠りすのように嬉々として食い付いてきた。うぅん。これは一家に一匹欲しい。

「おいしそう」というのは御世辞ではなく、丸く破れもなく、こんがりといい具合に焼き目もついて、おいしそうなおやきだ。

 見た目の印象通り、味もなかなかにおいしい。絶品とまではいかないが、宗間が自分で作ったものよりは間違いなく美味い。

 素直に感想を伝えると、谷地はまた嬉しそうな顔になった。

 一つ目のおやきを完食した宗間は、二つ目を頬張った。と、軽く目を見開く。

「これもあなたが作ったんですか?」

「あ、いえ……。味噌茄子みそなすの方はあの男の人が……」

「おや、青原さんでしたか。ああ、いえ、こちらもまたおいしかったもので」

「…………」

 谷地はなにかを察した。

 囲炉裏のある部屋まで戻ってきた谷地は、余っていた青原作のおやきを手に取った。

 谷地は茄子があまり好きではない。眉をしかめておやきを見つめたものの、一口頬張った。

 もぐもぐと咀嚼した谷地は、カッ!――と目を見開いた。

(お、おいしい~~~~っ。茄子なのにおいしい~~っ)

 これぞ絶品というに相応しいおやきであった。数週間前まで料理らしい料理をしたことのなかった青原だが、階段を二段跳びどころか二十段跳びする勢いでその腕を上達させていた。恐ろしい男である。

 料理に関しては釈然としない結果になってしまった谷地だが、気を取り直して今度は掃除をすることにした。

 両手に掃除道具、頭には埃避けのほっかむり。たすきをして準備万端、やる気満々。

 ところが、よくよく見てみると寺子屋はどこもかしこもピッカピカ。実家で大掃除をしたあとでもこれほど綺麗になっていただろうかと、谷地が廊下で呆気に取られていると、バリッ、ぼりぼり……と音がする。

 見ると、縁側で青原が煎餅せんべいを頬張りながら優雅に本を読んでいた。

 と、谷地の視線に気づいた青原が振り向き、

「ああ、悪いな。掃除なら今しがた終わらせてしまった。――食うか?」

 言いながら青原は煎餅の入った器を差し出してきた。

 青原の隣に腰掛け、煎餅を受け取った谷地は、カシカシと栗鼠のように煎餅をかじりながら、佐島に匹敵する障害を見つけたのではないかと思っていた。


 そんなこんなで寺子屋にやって来てから一週間。谷地は平野に嫁として受け入れてもらうため実に頑張ったが、初日の様子からわかるようにあまり振るわなかった。

 家事ではこれから何年がんばっても青原に敵う気がしないし。それになにより平野には迷惑に思われている気がする……。

 谷地は寺子屋から少し離れた畦に座り込み、一人ため息を吐いていた。

「こんなところでどうしたんだ?」

 振り向くと青原が立っていた。

 すると谷地はすぐに笑顔を取り繕い、

「ちょっとお散歩を」

 はははー、と、誤魔化す。

「そうか? なにか悩んでいるように見えたが」

 うぐっ、と、谷地は一瞬息を詰まらせるが、「な、なにも悩んでなんていませんよ」と、尚も誤魔化そうとする。

 すると青原は、

「寺子屋の人に知られたくなくてそう言っているんだったら、僕は寺子屋の人間じゃないから気にしなくていい」

「そ、そうなんですか……?」

「そう。僕は平野さんが元気になるまでの代理だ。気に入られる必要はない」

「…………」まさしく青原の言う通りだった谷地は、また曇った表情に戻った。

「平野くん、わたしのこと迷惑がってないでしょうか……」

「野垂れ死ぬ寸前まで追い込まれるようなことがあったんだ。今は結婚を考えられるような状態じゃないんだよ」

「……わたし……このままあそこに居てもいいんでしょうか……」

「どうして?」

「そんな大変なときなら、余計迷惑なんじゃないかと……」

「いいんじゃないかな。平野さんだって、本当に迷惑ならそう言うよ」

「そうでしょうか」

「うん。少なくとも僕はそう思う。――もし思っているのに言わないのなら、それは言わない平野さんが悪い」

「……でも……」

「まだ一週間だろう。諦めるには早いんじゃないか?」

「……だって、あなたの方が家事が上手いし……」

「そんなこと気にしてたのか。そんなこと言ったら、平野さんの方が家事ができるって話だぞ。嫁ぐのに家事の腕はそれほど重要じゃない。嫁いでから学べばいいんだから。それにどんなに家事ができたって、結婚生活がうまくいくとは限らないだろう?」

「…………」

 谷地は立てた両の膝にあごうずめて黙り込んでしまった。

「……なんだかんだ言ったが、結局のところ君は、平野さんに好きになってもらえる自信がないんだな」

 谷地はうっと泣きそうになる。

「元々すぐに両想いになれるなんて思って訪ねて来たわけじゃないんだろう? このまま実家に帰ると言うなら僕は止めないが、まだ頑張るというなら、力を貸すよ」

「え……?」と、谷地は顔を上げ青原に向けた。

「僕と同じくらい家事ができるようになれば、自信がつくんだろう? 花嫁修業というやつだ」

「…………おじいちゃんが、ただより高いものはないって言ってました……」

「見返りの心配はしなくていい。僕にも得がある」

 谷地は目を見つめて先を促す。

「僕は他人の心に触れるのが好きなだけだよ」

 にっこりと笑って言った青原の言葉に、谷地は何故だか顎が引いてしまった。必然的に上目遣いになりながら、

「ぇぇっと……よくわからないですけど……頑張りたいので、よろしくお願いしますっ!!」

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