第30回 元魔王、ふんばる。
わかっていたことだが、ここは魔の国なのである。
シリルの見た目は人間そのものだったが、むしろそのことのほうが、ここではおかしいことなのだ。
娘であるグラネは、シリルと同じように人間の姿こそしているものの、こうして手を刃物のように変化させている。
それは、まぎれもなく、魔物の血が流れていることの証明だった。
グラネは、その魔物の血でもって、私を刺したのだった。
「お、おい、大丈夫なのか?」
しかし、思い出してほしい。
いや、きっと思い出すまでもなくわかってることだとは思う。
私は今、元魔王ではない。
黄色くて丸くてかわいい、着ぐるみMOちゃんなのだ。
「イトよ、なにを
この程度のものが、私の身体まで届くわけがなかろう?
MOちゃんの身体をふくらませているのは、この私の、元魔王の魔法なのだ。
あなどってもらっては困るぞ?」
「それはわかってるんだけどさ、そうじゃなくて、そのMOちゃんの身体に、大きな穴があいちゃってるんだけど……」
ふくらませているのは確かに魔法だったが、身体自体はただの布だった。
だから、穴など簡単にあいてしまう。
そして、今その穴から、ぷしゅー、と空気の抜ける音が聞こえてきている。
「だ、大丈夫だ、案ずるな!
私の魔法が、このような穴ごときに負けるはずがない!
ふっくらとした身体は、絶対に死守してみせるぞ!
うおおおおおおおおおおおおお」
グラネは、私の気合いに恐れおののいたのか、腕を人間のものに戻して、尻餅をついていた。
「あまりにもバカらしくて、だと思うぞ?」
凹◎凹◎凹◎
「申し訳ありませんでした。グラネがとんだご無礼を」
「ああ、気にしないでください。
MOちゃんの身体は直せますから。
むしろ、こちらこそすいません。
あいつ、『こうなったら、この身体をパージするしかないな!』とかいって脱ごうとしちゃって……。
とっさに隠しはしましたけど、大丈夫でしたか?」
「え、ええ、なんのことかはわかりませんが……」
「それなら大丈夫です、今の話も気にしないでください、ホントに」
「そう、ですか?」
「そうです。俺たちを助けると思って、ここはどうか」
「は、はい、そこまでおっしゃられるのでしたら」
「ありがとうございます」
そんな、イトとシリルの会話が聞こえてくる。
イトめ、どこまでも失礼な!
やはりいつか、制裁を加えてやる!
そう決意したところで、私の着替えは完了していた。
「では、話の続きをしようではないか」
私は、簡易MOちゃんとなって、みなの前に姿をあらわした。
そこには、イトとシリルはもちろん、コクドクとユーキも戻ってきていて、お茶とお茶受けが用意されていた。
グラネもシリルの横で、ムスっとした顔をして座っていた。
そこにいた誰もが、私のこの姿に、なんの反応も示さなかった。
もうちょっと、なんかこう、あってもいいんじゃないかと思わなくもなかったが、とりあえず受け入れてはもらえているようだった。
「もう一度問おう、この私をどうするつもりだったんだい?」
「それは……」
「ワタシのやったことが、その答えだよ」
シリルが答えるよりも先に、グラネがそう答えていた。
シリルはグラネの口をふさごうとしたが、そんなふたりに、私は「続けてかまわない」という合図を送った。
それを受けたシリルは、グラネを離して、続きを話すようにとうながした。
「ワタシたちがなんでこんなところにいると思ってるの? 全部、魔王のせいなんだ。全部、魔王が悪いんだ」
グラネは、自分たちのことを『逃げた魔物』なのだと語った。
シリルとグラネは、もともとは魔族の村で、平和に暮らしていたのだそうだ。
だがいつからか、覚えのない偏見にさらされるようになり、泣く泣く出て行かざるをえなくなったのだそうだ。
「でも、シリルさんは……」
グラネは確かに魔族の血を持っているのかもしれないが、シリルはどう見ても、どう考えても、ただの人間にしか思えなかった。
そしてそれは、疑いようのない事実でもあった。
「違う! お母さんは魔物なの! だから、魔物たちと一緒にいてもいいの!」
しかしグラネは、母親のことを人間だとは思っていないようで、むしろ、そう思いたくないと意地になっているようだった。
きっとそれは、いろいろなことがあったからこその自己防衛なのだろう。
母親を守り、自分を守るための、最終手段だったのだろう。
彼女はきっと、自分自身にも嘘をつかなければならないほど、追いつめられてしまったのだ。
「みんな、お母さんにひどいことをして……、誰も……、ワタシの話を聞いてくれなかった。
だから、これも全部、魔王のせいなんだ。
魔王が魔物たちをとめてくれないから……、魔王が人間なんかと戦争なんてするから……、だからワタシたちは……」
「ありがとう、シリル。もういいのよ、続きは私から話すわ」
シリルは、涙を流すグラネを抱き寄せながら、話を引き継いだ。
その村は、本来は人間が立ち入られるような場所にはなく、争いとは無縁の、のどかで静かな村だったのだそうだ。
だが、そんな村に、あるときひとりの人間が迷い込んできたのだという。
それが、シリルその人だった。
シリルは死を覚悟したそうだが、ある魔物に
シリルは、最初こそ疑い深く魔物のことをうかがっていたが、生活をともにする内に、その魔物のことを信頼するようになっていった。
そして、ついには、
そして、その思いに答えるように、娘のグラネが生まれた。
グラネは、ふたりのもとで、すくすくと育っていった。
だが、そんなあるとき、当時の魔王から、戦争への召集がかかったのだった。
その魔物も、もちろん召集の対象となっていて、シリルとグラネを残して、戦場へと向かわなければならなかった。
シリルとグラネは、そんな彼を見送ることしかできず、そして、彼は二度と戻ってくることはなかった。
「そのあとのことは……おおむねグラネが話したとおりです」
シリルは、
だから、その伴侶となった魔物がいなくなってしまえば、あとのことは推して知るべしだった。
「グラネをとめはしましたが、私も魔王様への怒りはあります。
ただ、いくら魔王様を憎んでも、もうあの人は帰ってきません。
それに、今はグラネがいます。
グラネを幸せにすることが、あの人の願いでもありますからね」
シリルは、そうならなければならなかった不幸を差し引いても、とても強く、立派な母親に見えた。
「では、そんなあなたが私に望むこととは、一体なんなのでしょうか」
「この子を――グラネを、みなさんの旅の仲間に加えてはいただけないでしょうか?」
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