第11話
しかし、その瞬間重なった手があった。
「随分と探したぞ……那瑠!」
立っていたのは蓮だった。息を切らし、目には涙を浮かべている。
「どうして、勝手に終わらせようとするのです……!」
もう片方の手は桜。顔は涙でぐしゃぐしゃだったが、その眼差しは真っ直ぐだった。
「ずっと信じていました、那瑠なら、きっと戻ってきてくれると。絶対に私たちを見捨てたりしないと!」
「お前がここで死んだら、俺たちどうすれば良いんだよ!」
握られた拳銃が、がたがたと震えた。
「でも、私……今までたくさんの人を……」
「もう、どうだっていいそんな事!那瑠がどこで生まれて、どんな過去があったって、今ここにいる那瑠は、俺たちの大切な仲間だ!」
「そうです、私たちが何度でも思い出させてあげます。何度でも!」
蓮と桜の手が、しっかりと那瑠の手を包む。その温もりが、那瑠の目からぽろりと涙を零させた。
拳銃がゆっくりと那瑠の手から滑り落ちる。硬い床に落ちて転がる音が、どこか遠くに聞こえた。
「ごめん……私、凄く怖かった……」
二人に支えられるように座り込む。三人はただ静かにその場に寄り添った。
コーサカの血の匂いが漂う戦場の中でそれでも確かに生まれた「救い」の時間だった。
コーサカの死と同時に、中枢に接続されていたセキュリティシステムが一斉にダウンした。廃病院の地下全域に仕掛けられた監視カメラ、通信網、そして拘束装置や実験機材の制御系も機能を停止する。数十人の研究者たちが異変に気が付き、騒然とした声が木霊した。
「中枢がやられた……!?」
「非常口が開いている!逃げろ、もう終わりだ!」
「実験体が暴走してるぞ、早く……!」
地下通路を右往左往する白衣の影。中にはデータを守ろうとする者、破壊しようとする者、誰彼構わず襲い掛かる破棄されたクローンたちに蹂躙される者。それぞれが絶望の只中にいた。
那瑠は蓮と桜を連れだって残された時間で中枢室へ入る。制御盤の端末は、まだ機能していた。
「最後の仕上げだ」
キーボードに手を伸ばす。セキュリティ解除コードを強制入力し、NWPのサーバーに蓄積されていたN-01と桜たちに関するデータを削除し、他の蓄積されていたデータを外部に漏洩させる。次々に流れていくファイル名、違法実験の記録、政治や警察との癒着、裏社会への供給リスト。
そして、最終命令。
≪プロジェクトNWP・自己消去コード起動≫
「さようなら、私の檻」
那瑠は最後に、コーサカの遺体へと一瞥をくれた。何の感情も浮かばなかった。
やがて施設全体が緊急警告を発する。
≪警告・全自動焼却システム作動開始まで残り三分≫
燃える音が既にどこかで始まっている。研究棟の奥で火花が弾け、煙が這いあがるように広がっていく。
那瑠はその場から離れ、蓮と桜を連れてまた地下にある実験室へと向かった。金属製のドアが軋んだ音を立てて閉まり、部屋に静寂が戻る。そこは、かつて多くの命が試薬により切り捨てられてきた、NWPの最奥にある実験室だった。
「ここで、何を……?」
桜が不安そうに訊く。那瑠は決意に満ちた表情で言葉を続けた。
「私たち実験体は十八の歳で最期を迎える。そのための延命処置実験だ」
「やるのか」
低く、蓮が問う。
「やるよ」
那瑠の言葉に、蓮と桜は何も言わなかった。ただ黙って那瑠の傍に居続けた。見送るのではなく、共にいるという意思を込めて。桜は怖かった。今度こそ那瑠を失ってしまうのではないかと。しかし那瑠の背中からは死ではなく、生きようとする決意が滲んでいた。
「だから、見てて。私が……どんな風に生き直すかを」
那瑠は白衣を羽織り、施術台の隣に立った。那瑠の指示で蓮が医療モニターの電源を入れ、桜が器具を消毒する。彼らはただの見守り手では無かった。三人で、今度こそ未来を選び取ろうとしている。
「この実験の成功確率は未知数だ。誰もこの実験を受けていないからな。だから、私がもし死んだら、裏庭にでも埋めてくれ」
試薬を持つ那瑠の手が少し震えた。
「怖くないって言ったら……嘘になるな」
「でも、私たちがここにいますから」
桜の声は優しかった。蓮も短く言った。
「誰も、那瑠を独りにしない」
それに、と蓮は言葉を続ける。
「那瑠はどんな任務も完璧にこなしてきたんだろう?違うか?」
「ああ、そうだ」
涙が零れそうになるのを堪えながら笑って、那瑠は注射器を腕に当てた。そうだ、私は任務成功率が限りなくゼロに近くても、成功させてきた。
「じゃあ、始める」
かつてはやられる側だったが、今はそれを自分で選ぶ。
――チクッ。
無音の中で注射器のピストンが押し込まれる音がやけに大きく聞こえた。薬品が血管に流れ込み、那瑠の体を内側から灼くような熱が襲う。
「ッ……あ……」
全身が跳ねるように痙攣した。呼吸が詰まり視界が白く染まる。
桜が叫ぶように那瑠の名を呼ぶ。蓮が那瑠の肩を押さえて支える。那瑠の呼吸と心臓は時たま止まった。その度に蓮と桜は心臓マッサージと人工呼吸を繰り返した。
「生きろ、那瑠……!」
蓮の叫びに那瑠の呼吸は少しずつゆっくりと落ち着いていく。長いような短いような時間が経ち、激しい痛みが治まり、那瑠はゆっくりと目を開けた。血の気が戻った顔には、どこかあどけなさすら残る。
「那瑠……?」
「那瑠、終わりましたか……?」
桜の問いかけに、那瑠は頷いた。
「延命は、成功だ……でもそれ以上に大事な物を得た気がする」
蓮が静かに笑った。
「やっと、那瑠の顔が戻ったな」
那瑠もふっと笑った。
今、那瑠は人間としてこの部屋を出て行く。そしてこれからの時間を、自分の意志で刻んでいくのだ。
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