第66話 強制終了

 

 深夜になると天井裏が騒がしくなるんです。

 ネズミならまだ可愛げがあります。けれどその程度じゃないんです。

 おそらく人間サイズの何者かが四つんばいになって、跳ねながら踊り狂っている具合なんです。

 いつ底が抜けてもおかしくない振動に、わたしはパジャマ姿で呆然と成り行きを見守るばかりです。

 だいたい十五分くらいで治まりますが、夜中に何度も起こるので、そのつど起こされてしまい熟睡できません。

 騒ぎが起こった二日目の朝、わたしはワンピースに着替え、大家さんに相談しに行くことにしました。

 このマンションの大家さんは高校生です。十七才の少女でわりと背が高く、けっこう生意気な感じです。わたしよりも三つ年下です。

 私服はなぜかいつも着物で、たぶん自身を日本人形の生まれ変わりとでも思っているのでしょう。

 いや本当のところ、どう思っているのか知りません。色味の深い黒髪を長く伸ばしており、すました顔でお高くとまっている美少女なのです。

 部屋の前まで来てチャイムを押すと、ドアをのそりとあける白い手が見えました。わたしは大家さんのジト目を見つつ状況を説明しました。

 大家さんは、わたしの話を淡々と聞いたあと、電話口に向かい、各部屋に問い合わせをはじめました。

 どうやら左右の部屋から苦情は出ていないようです。被害に遭っているのはわたしだけとのことです。

「いや、そんなはずはないでしょう? あれだけの音と振動です。他の人にも聞こえているはずです」

 わたしの懸命なる訴えに、彼女は気取った顔でこう返します。

「よく確認をとってみたんだがな。あんただけだよ、そんなおかしなことを言っているのは。何か悪い夢でも見たんじゃないか?」

「夢とかそんなレベルの話じゃありません! 振動で天井が割れそうですし、絶対誰かが暴れているはずなんです」

「そこまでうるさいなら他の部屋にだって響くだろう。そんな音は聞こえないって誰もが言ってたぞ。……なあ、お前も知らんだろう?」

「シランガナー」

 と、床でうごめく『おやじスライム』に問いかけました。機械的な音声が返ってきます。

 おやじスライムとは身体はゲル状のスライムですが、顔はつぶらな瞳のハゲおやじという奇妙な生き物です。鳴き声は常に『シランガナー』です。

 わたしはこういうものはあまり好きじゃありませんが、昨今の女子中高生のあいだで飼育が流行っているというペットなのです。

 少女はわたしの存在を無視してペットと会話をしています。

「なあ。この目の前にいる住人のクレームにはどう対処したらいいのだ?」

「シランガナー」

「今日は日曜でまったりとくつろぎたいのに。さっさと帰っていただく方法を教えてくれ」

「シランガナー」

 少女は着物の袖に腕をはめて、気うとい目を上に向けます。

「天井裏がうるさいなどと責めてくるのだ。私は早く朝飯が食いたい」

「シランガナー」

 奥からみそ汁らしきかつお出汁のいい香りが流れてきます。ですが今はそれどころではありません。

「あの」

「おい。次に『シランガナー』と言ったらおまえの食事は抜くからな」

「シランガナー」

 少女は一瞬後、くつくつと笑って握った手を口もとに寄せました。

 そんな様子を疲れた具合に見ていると、少女は仏頂面になり黙ってこっちを眺めていました。

 数秒の間をおき、もう一度説明してみましたが、やっぱりペットと戯れるばかりでまともに取り合ってくれません。けれど念のため部屋を確かめてみると言ってくれました。

 だからわたしは五階にある自室に通し、はやく天井裏をのぞいて欲しいと頼みました。

「わかったよ。じゃあそこで待っていてくれ」

 大家さんはライトを後ろ手に持って、ため息まじりに天井を見上げました。おやじスライムがテーブルの柱をかじっていたので、わたしはつま先で蹴ってやめさせました。

 すると口からピンク色の液体を噴き出し、床やわたしのスリッパを汚しました。わたしは勘弁してくれと思いながら大家さんを見ました。

 大家さんは面倒くさそうに指で髪を梳いて、押入れの中板にのっかります。

 そして天井裏のふたにリモコンを向け、スイッチを押してロックを外しました。ふたをよけてから、真っ暗な四角い穴へと頭を差し込みます。

「……」

 中をライトで一渡り照らしているようです。わたしは端からそっと声をかけてみました。

「どうです? 何かいますか……」

「うーん。前に業者を呼んでネズミの駆除をしているから、フンも落ちてないね」

「……暴れた人の手とか、足跡はついていませんか……?」

「どうかな。もう少し見てみよう」

 その時でした。

 突然、ライトを持った手が力抜けたようになって、ぶらんと落ちてきたのです。手からこぼれたライトは床に落ちてごろごろ転がっていきました。

「ちょっと……大家さん?」

 いったい、どうしたのでしょう。

 まるで地に足がついた首つり死体のようになりました。何も喋らず、ぶら下がったみたいな体勢で動かなくなっています。わたしの胸に不安がよぎります。

「……あの。なにかあったんです?」

「……」

「ねえ。大家さん。何とか言ってくださいよ」

「……」

 おかしいです。

 いくら待っても返事がありません。無視しているというよりも本当に聞こえていない様子です。

 さすがに気味がわるくなってきたので、おそるおそる触れようとしたら、

「あー! はいはい!」

 いきなり大家さんが言葉を発しました。元気いっぱいの声が闇から降ってきたのです。

 わたしは何事かとおののき、引き下がってしまいます。

 ところが大家さんはなおも誰かに向かって相槌を打っています。おやじスライムはテーブルの缶クッキーを勝手にあけて、バリボリ食べていました。

「なるほどなるほど! そういうワケですね! これは素晴らしい!」

「……あの。中に誰がいるんですか? 何を喋っているんですか?」

「左様です左様です! 了承しました!」

 わたしの問いかけは放置されています。

 大家さんは押入れからスタっと降りてきて、一人でふんふん納得しながら部屋を歩き、バルコニーの窓を力いっぱいひらきました、

 そして手摺に飛びのって、まるで先に道があるかのような自然な歩調で進み始めたのです。

 けれどそこにあるのは空気です。体重を支えるだけの踏めるものは何もありません。

 大家さんは身体を立てたまま両手を広げ、ストンと落ちていきました。わたしはふわりと舞った着物の袖を見送り叫びました。

「ああっ!!」

 数秒後、コンクリートを打つ乾いた音が響きました。少女の肉体が地に叩きつけられたのです。間違いありません。

 いったいなぜこんなことが起こったのか、まったく理解できませんでした。

「えっ。えぇ……?」

 わたしはへたり込み、口をあんぐりあけたまま手摺の向こうを眺めていました。



 ──警察署で事情聴取を受けて帰ってきたのは、夜の十一時を過ぎた頃でした。

 自室は鑑識係に調べられ、とても迷惑な話だけれど、物の配置がいろいろと変わっていました。

 ですが搬送前に、すでに息を引きとった大家さんのことを思えば、不服を述べていい状況ではないのです。

 とりあえず朝から何も食べていなかったので、テーブルに着いて、ふりかけご飯を作りました。

 お箸でつまんで口に運び、黙々と噛んでいると、静かだった部屋が騒がしくなりました。

「また……」

 ドシン! ドスン! と頭上からの振動です。室内が短く揺れています。時折、ダダダダダッと駆け回っているのがわかります。

 白い天井板一枚へだてた向こうで、いったい何が起こっているのでしょうか。

 大家さんが飛び降りたこともあって意味がわからず、心底怖くなってきました。

 さきほど見た大家さんの惨たらしく潰れた頭が、脳裏をよぎります。血濡れた白子みたいな中身が飛び散っていて、足は変な方向に曲がっていました。

 わたしは血と胃液と糞尿の匂いがよみがえってきて、お箸を持つ手がふるえてしまい、ご飯を食べる気がなくなりました。

 どうしようか戸惑いながら、あたりをきょろきょろ見ました。隣にいるおやじスライムは、鼻ちょうちんを膨らませてグーグー眠っています。

 わたしはそんなおやじスライムを腕にとって抱き、部屋のすみに寄って壁に背をもたせました。

 そしてゆっくりとしゃがみ、膝におやじスライムをのせました。ハゲ頭を撫でつつ怯えていると、押入れの中で大きな音が立ったのです。

 ふすまが急にガラっとひらき、わたしは目をしばって身を縮めました。激しい物音と振動がやみました。

「……」

 ほどなくして目をあけ、こわごわと押し入れを見ました。

 ……誰もいませんでした。

 ひらいた押し入れの中は、ここからだとよく確かめることができません。

 わたしはおやじスライムを床に降ろしました。つづいて静かに立って差し足で進み、そして息を止め、押し入れを覗いたのです。

 やっぱり誰もいません。かわりに天井裏のふたがなくなっていました。真っ黒い四角の穴が、まるでわたしを誘うような具合に見下ろしています。

 とても怖く感じました。誰かに頼りたい気持ちがやってきて、心細くて二の腕をさすりました。

 ふと実家の母が頭に浮かびます。しかし電話をしても新婚生活に忙しいとかで相手にしてくれないでしょう。いつものことです。仕方のないことです。

 ですからわたしは踏み台代わりになるものを運んできて、自分で確認することにしました。ものすごく勇気のいる行動でした。

 いくらか迷った末、ライトを握って、台から押し入れの中板に足をのせました。耳をすませてから、そうっと立ち上がり、天井裏のふちに触れました。

 これ以上顔を上にやれば、大家さんの二の舞になるかもしれません。まぶたが震えて泣きそうです。

 胸に警鐘が響き、心臓がうるさいほどバクバク鳴っています。けれども数呼吸のあと、わたしは唇に力を込めて、慎重に膝とカカトを伸ばしました。

 ライトのスイッチを、小刻みに揺れる手で入れてみます。

 視界に、ほこりがいくつも舞っているのがわかりました。湿った空気にカビの匂いが混じっています。

 奥の暗がりから何かが走って来そうです。いろいろ予感していると、息が苦しくなってきて、だんだん今の状況に耐えることが限界になってきました。

 その時でした。

「!!」

 頭の芯に、無数の光の粒子が集まってきました。脳が恐ろしいほどに冴えわたってくる感覚です。

 こんな感じは初めてです。何かがわたしの頭にどんどん入ってきます。

「あ……ああ……あ」

 どう例えればいいのでしょう。

 まるでこの世の真理という真理が思考に一気に押し寄せてくる感じです。

 広大無辺の宇宙が映され、太陽系の惑星がなぜあの配置なのかという理由や、地球という星の存在についての意味や、それからなぜ人はこの世に生まれ何をするために生存しているのか、そういった情報がまぜこぜになって脳内に襲ってきました。

 高い熱量をおびたすさまじい情報量です。

 同時に地球に住むありとあらゆる生命体の関連性が、複雑な図形になって映し出されます。たくさんの線と文字と記号が網目状になって駆け巡ってゆき、つながる神経がまばゆいほどに点滅していきました。

 許容量を超えた感覚に頭が激しく震えているのがわかりました。ですが思念の奔流は止められません。脳がオーバーヒートしそうな状態に身を任せていると、なんだかすべてのことが幸せに思えてきました。

 ここでようやく天井裏で暴れていたものの正体がはっきりしました。わたしは天井裏に集まり圧縮された数多の真理の音を聞き、そして怯えていたのです。

 誰かの声が耳を打ちます。なにやら相槌を打っているようです。「わかりました」だの「その通りです」などとせわしく答えています。

 その声が自分のものであると気付いた時、身体が勝手に押し入れを降りました。

 制御できません。まるで潜在意識が指示を出して動かしているようです。

 そういえば先日、七十五年ぶりに地球に接近する短周期彗星を祝うお祭りがありました。

 わたしは部屋で彗星を眺めただけですが、今回の現象と何か関係があるのでしょうか。……よくわかりません。

 歩行の途中、視界のすみにおやじスライムが見えました。

 素知らぬ顔で気持ち良さげに眠っています。行動をともにしたいのですが、やはり人間のやることに無関心のようです。所詮は変わったペットなのです。こんなものです。まさに鳴き声を体現しています。

 そしてもうすぐわたしは宙に身を躍らせるでしょう。代わりにこの世界のあらゆる謎の答えを知ることができたので、満足感が胸に染み渡り、とても幸せな気持ちでいっぱいです。

 それにわたしという一個体の終了など、この世に広がる真理と比べたら些細なことです。

 部屋の窓を抜けると、夜空がわたしを迎えてくれました。手摺にのって、ゆっくりと立ちました。

「……ああ」

 星のまたたきがとても綺麗で、わたしは目を閉じて景色を両手にかき抱きます。あとはバルコニーを越えればいいのです。

 こんなふうにして、次の幸福な旅人が出ることを祈るばかりです。

 

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