第56話 姪と遊んだ最後の日


 窓から道路を眺めていると、敷地に車がゆっくりと入ってくる。

 来た!

 待ちに待った出来事に、俺の心は踊りだす。

 きびすを返し、部屋を出て階段を降りた。玄関がにぎやかになり、俺は姉夫婦を迎え入れる。

 居間から両親もやってきた。玄関に立つ五才の姪が「じいじ、ばあば」と笑顔で両手をひろげる。

 姪は、白いシャツに紺色のサスペンダータイプのスカートを穿いていて、髪をうしろにまとめている姿だった。前よりもおねえさんっぽく見えた。

 そして俺は、親父の腕から降りた姪に話しかけた。

「いらっしゃい。茉優ちゃん。今日は何をして遊ぼうか?」

 そんな問いかけに、姪は微笑を浮かべ、考えるしぐさを見せた。

 姉が両手におみやげの紙袋を下げたまま、「じゃあ今日も頼むわね」と言い残し、旦那とともに居間に入っていく。

 そして俺は、姪の手をつなぎ、ゆっくりと階段を上がった。

 

 部屋の入り口を通った。

 姪は慣れ親しんだ具合に歩いていき、ベッドにすとんと腰かけた。

 今日もご機嫌らしく、天井を見ながら足を振る。このまま鼻歌でもうたいそうな表情をしていた。

 洋室だが、俺の少々男くさい部屋に、まるでかわいい花が一輪咲いたようだ。

 俺は、毎度のことながら姪が遊びに来たことに嬉しさを感じ、つい頬が緩んでしまう。

 そして姪は、ベッドから降りてテレビの前に進んだ。ゲーム機に目を落とし、「これ」と指を向け、

「なにかゲームやらして」

 と楽しそうに瞳を輝かせる。

 俺はあぐらをかいた。買ったばかりのアクションゲームをセットし、コントローラーを手渡した。

 すると姪がごく自然な動作で膝にのってきた。俺は「おっ」と驚く。なぜならここまで距離が縮まったのは初めてだったからだ。

 いつもは横に座って、ときおりじゃれるようにして、あたまをくっつけてくる。

 しかし今日は姪のかわいく柔らかいお尻が、太ももにのっているのである。いや、股間といっても過言ではない。

 ふにゃっとしていて心地が良かった。栗色の髪からただよう甘い香りが鼻腔に入り、心がほんわかと癒された。桃色に染まった耳もかわいく見えた。

 俺は、もろそうな五才児の感触にとらわれそうになり、思わずちいさな体をぎゅっと抱きしめたくなった。

 だが理性を働かせ、背をもたれされたまま黙ってリモコンをとった。

 テレビのスイッチを押し、やがてゲームが開始された。

 俺はチュートリアル役となって、姪にプレイの仕方をすこしずつ教えていった。

 姪はまだ幼いのに、学習能力が高く、わりと何でも吸収していくほうだ。幼稚園の勉強もなかなか優秀らしく、将来きっといい大学に入って立派な職業につくことだろう。これから先が楽しみである。

 やがて俺は、ゲームに興じているうしろ姿に話しかけた。

「ジュースでも持ってこようか?」

「うん」

 コントローラーを持ったまま、前を向いた格好で元気にうなずく。

「そうか。じゃあオレンジジュースを取ってくるよ。待っててくれるかい?」

「うん。いいよ」

 そう言って笑顔で振り返ってきた。唇からのぞく歯並びは美しく、吐息がかかったことに俺の心はときめく。

 姪が立ち上がろうとして足をふんばった。柔らかなお尻と離れるのは名残惜しかった。

 しかしまたあとで座れば、同じようにのってくれるだろう。そんな期待を抱き、いまだ太ももに残るあたたかみを感じながら部屋を出る。

 廊下からふり返ると、こっちを見送るようにして眺めていた。姪はすぐに笑顔を咲かせた。そして手を振ってくれた。

 ──だがこの時、俺はまだ知らなかった。

 姪と触れあうのが、これで最後になることに──。

 

 

 台所の冷蔵庫からペットボトルをとり、コップといっしょにお盆に載せる。

 途中、居間から声がかかり、姉たちのぶんまで用意した。

 終わったあと、俺はお盆を持って廊下に出た。階段をゆっくりと上がっていき、あけていたドアに近づく。部屋の中を見る。

「あれ?」

 ……姪が、いなくなっている。

 てっきりゲームをしながら待っていると思ったのに、こつぜんと消えてしまった。俺は不安を覚えた。

 一階の台所にいるあいだに、いなくなったのだろう。そうでなければ廊下か階段ですれ違っているはずだ。

 トイレかと思ったが、ここで俺はにんまりと笑ってしまう。

 そうだ。これはもしかすると突発的な『かくれんぼ』を仕掛けてきたのかも知れない。

 俺のいない隙に、たとえばあの洋服ダンスの中に隠れていて、息をひそめているのかも。

 よって俺は、おぼんをそっとローテーブルに置いた。それからぜひとも見つけてやろうと目論み、指をうにうに動かして鬼役を演じることにする。

 足音を立てないようにして、洋服ダンスの前に立った。

 鼻から息を吸った。取っ手を持ち、すこし勢いをつけて扉をあける。

「わっ!」

 ……だが、そこにあるのは並んだ衣服だけ。中をかきわけるも、姪の姿はどこにもない。

 不思議なものにとらわれた。

 かくれんぼじゃないなら、いったいどこへ行ったのだろう……。俺はタンスから視線を外して、部屋を眺め渡す。

 ややあってから、気になるものを見つけた。

 姪が使っていたコントローラーだ。なぜかそれが、本体の上に置かれているのである。まっすぐな置き方で、さながら丁寧な気持ちが含まれている。いや、なんだかむしろ、よそよそしさを感じる。

「どういうことだ? やっぱり何か用事ができて、部屋を出たのか……」

 気づかなかったが、点いていたはずのテレビが消されていた。リモコンもまた丁寧に、テーブルのラインにそって置かれている。

 不穏なものが募ってきた。

 こんなふうにして、黙っていなくなるのは初めてだ。いつもは用向きができるとかならず、俺に一言告げて移動する礼儀正しい子だったのに。

 俺は胸騒ぎを覚えて部屋を出た。

 階段を降りた。姉たちが談笑している居間に近づき、上体をかたむけて中を見た。

「あっ!」

 姪を発見した。

 ソファに座った姉のとなりで、『らくがきちょう』らしきものに、絵を描いている。

 ちいさな手にクレヨンを握り、何やらぐりぐりと塗っている。

 俺がじっと眺めていると、姪がこっちの存在に気づいた。

 顔がスッと上がったが、すぐに面を伏せるようにして作業にもどってしまう。

 姉が菓子をつまんだまま、話しかけてくる。

「今日は絵を描くほうがいいんだって。何かあったの?」

「い、いや……」

「お菓子、持っていく?」

 箱を差し出す姉は、いたって普通である。しかし姪本人からは、これ以上近づいてはいけない空気が発されていた。

 さきほどとは打って変わり、みょうに堅苦しい表情をしていたのだ。

 目に笑みはなく、ハイライトを失った無感情な瞳だった。

 口をまっすぐに閉じ、まるで見知らぬ中年が寄ってきたかような警戒心をたたえている。

 そんな様子から無機質なものを感じ、心を閉ざした人形みたいに見えた。

 だから俺は、姪に理由を聞くことなく、無言できびすを返す……。

 そして重い足取りで部屋にもどった。室内は静寂を保っていた。

 虚無感がやってきて、姪の残り香を吸った。室内を見回したあと、どこかに原因があると思い、座って考えることにした。

 俺が部屋をあけているあいだに何があったのだろう。

 ふいにベッドが気になって目を移した。ベッドの下の暗がりを注視した。ん──まさかっ!

 俺は四つん這いになって進む。身を伏せて暗がりを覗き込む。

「ああっ!」

 積んでいたエロ漫画が崩れていた。なかの一冊が開かれたままだった。

 慌てて引きずり出した。ページが目に飛び込んできた。

「やっちまった……」

 ぬらぬらとした無数の触手。

 それが泣き叫ぶヒロインの穴という穴を塞ぎ、コスチュームの破れた半裸に汁が飛びまくっていた。

 となりのページでは、M字にひらく股間から潮を吹き飛ばし、イヤよイヤよも好きのうち、という性的絶頂時の狂った顔であえいでいる。

「……」

 姪が心を閉ざした理由がわかった。

 こんな痴態が、まだ五才の幼女の網膜に映ったのである。きっとショックだったはずだ。自分のうかつさを悔やんだ。

 しかしこれはもうあとの祭り。

 俺は後悔の念にさいなまれ、瞑目し、がっくりと肩を落とす。もうどこもかしこも真っ白になったような気分だ。

 階下からは、笑いのまじる賑やかな声が聞こえてくる。だがそのなかに姪の声は混ざっていない。

 おそらく今も、堅い顔つきのまま黙々とクレヨンを動かしているだろう。いったいどんな感情を抱いて作業を続けているのかわからない。

 もしかすると、脳裏にこびりついた淫猥なものをぬぐうようにして、懸命に手を動かしているのかもしれない。

 そんな姪の心情を思うと、やるせない気持ちでいっぱいになる。そして今後の付き合い方を考えると、つよい恐怖がやってくる。

 俺はベッドに背をあずけ、目線を横に向けた。

 冷えたペットボトルの容器から、雫がひとつ流れていった。

 

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