第54話 戦場に咲く笑顔
煙った夜の林から、敵兵が勇ましく迫ってくる。
こちらの陣地を攻め落とす勢いは、まだしばらく止みそうにない。
おれは塹壕の上から、銃先を出しつつ狙いをつけてトリガーを絞った。
「……あの、すみません」
一人、また一人と敵をしとめているが、敵はエリアをめがけ果敢にも次々と襲ってくる。
この前線は後方にいる味方のため、なんとしても守りたい。
「あの」
おれはカラになった弾装を外した。そして手早く交換してレバーを引き、銃を構える。
だが横から何者かに、腰を二回叩かれた。
「いったい何だ! さっきから」
「えっと。今お声をかけてもよろしかったでしょうか」
存在には気付いていたが、敵を蹴散らしているさなか、それどころではない!
だが初めて見る少女だった。
エプロンと三角巾をつけており、まだ年端もいかない子供のようだ。
ふたつに結んだ金色の髪。丸くてあどけない顔からして、たぶん十二才あたりだろう。
おそらく戦火の中、どこかの村で拾われて、軍の雑務係として働いているのだ。
ここは危険なので、すぐに避難するよう手で追い払おうとした。
「うわっ!!」
突然、爆発が起こった。舞った土が雨のように降ってきた。少女は短い悲鳴を上げて尻もちをつく。
おれはよろめき、ヘルメットをおさえた。あたりの兵士も同じようにして耐えていた。
どうやら数メートル先に迫撃砲が落ちたらしい。
土埃が去ったあと、おれは声を飛ばす。
「おい! おまえ、大丈夫か?」
「……ハイ。どうにか……」
少女は座ったまま、衣服の汚れを払い、目じりの涙をぬぐった。
「……戦闘中に申し訳ありません」
「おまえがいると邪魔になる! はやく元の場所にもどれ」
「はい。ですが……」
「いったいなんだ」
「えっと……」
「さっさと用件を言え」
荒っぽく言うと、少女は控えめに身を小さくした。
「お、お食事をお持ちしました」
「食事だと!?」
そういえば空腹をさそう香りが先ほどから鼻先をくすぐっている。しかし、
「状況を考えろ。今はそんな悠長なことをしている場合じゃない。あの迫りくる敵の群れが見えないのか」
「し、失礼しました」
「食事などあとだ。あの連中を片付けないとおれたちに未来はない。皆ここで死ぬぞ!」
「はい。すみませんすみません」
少女は慌てて立ち上がり、コメツキバッタのごとく何度も腰を折る。
誰もが野戦服で交戦しているなか、少女一人だけが白と紺色の給仕服だ。所在なさそうに頭を低くしてたたずんでいる。
大切そうに両手でカップメンの容器を持ち、おれの顔を遠慮がちに見つめていた。
叱り飛ばすついでに、はがしたフタをおでこに張り付けてやりたいところだ。
「まあいい。そこに置いといてくれ」
「えっ?」
「あとで食うからそこに置けと言ったんだ」
「わ、わかりました。ではこちらに……」
「危険だから奥に引っ込んでいろ。ここはお前たち給仕が立ち入るべき場所じゃない!」
おれは攻めてくる敵にサイトを合わせ、引き金を引く動作を繰り返した。
それから三十分近く応戦が続いた。
途中から多大な数の砲撃を浴び、塹壕がいつ吹っ飛んでもおかしくない危機に瀕した。
だがどうにか敵を退却させ、今ここでようやく一息つくことができる。
おれは銃を置き、土壁に背をあずけて目を閉じた。残った興奮のなか、心地よい疲労がやってきた。
今回の奇襲で死傷者がどのくらい出たのかまだ分からない。
周囲では、兵士たちがお互いに健闘をたたえ合い、握手したり抱き合ったりしている。
おれはヘルメットを脱いで、汗をぬぐった。すると投げ出した手に何かが触れた。
「……ああ、そういえば」
用意してくれたカップメンなど、すっかり忘れていた。そばに、ステンのフォークが落ちていた。
少女が容器にのせてくれたフォークだが、いつの間にか落ちてしまったらしい。
おれは、すこし冷めた容器を手にとった。フタをはがし、中をのぞいてみた。
……麺はすっかりふやけ、スープなど見えやしない有様だった。
「ふん。こんなものが食えるか」
腕を振って、塹壕の外にほうり捨ててやろうと思った。だがその時、通路の奥から兵士が数名やってきた。
皆がそれぞれ疲れた顔をして、金属のバケツを手にしている。
「……」
散らばった仲間の破片を集めているのだ。
被弾や爆発の影響で、犠牲者は幾人も出てしまったらしい。
おれは両足を引っ込めて立ち上がり、彼らが通れるように場所を譲る。
「あっ!」
バケツの中身が見えた。
ちぎれた大人の腕に混じって、ちいさな頭が埋もれていた。バケツにふちに、赤く染まった金色の髪がかかっていた。
「……」
おれは釘付けになったまま、黙ってそれを見送った。
しばらく経ったあと、塹壕から夜空を見上げた。
またたく星がきれいだった。地上とはちがう澄んだ世界が広がっていた。
ふいに目頭が熱くなってくる。
今、手にしているカップメンをほうり捨てるなんて、とてもじゃないができない。
どうにか無理をして食うことはできるが、ものを口にする気にはなれない。
おれは使い道のなさに気落ちし、その場にうつむいた。
こんな時は、一人で物思いにふけりたい。
おれは静かに塹壕から出た。星明かりの下、死体まみれの林とは反対の、小川に向かうことにした。
「……あれ? どこへ行くんですか?」
背後から聞き覚えのある声。思わず顔を上げてしまう。
まさかと思い、ふり返った。通路を見下ろした。
「!!」
三角巾をつけた金髪の少女が仰いでいる。おれはカップメンを落としそうになる。
これはもしや、まぼろしだろうか。
見間違いだと思って、まぶたをこすった。少女は消えることなくそこに立っている。
「おまえ! い、生きていたのか?」
おれはカップメンを手に固まった。少女は、ほほ笑みながらうなずいた。
「はい。どこも怪我していませんよ? だいじょうぶです」
「お、おう。そうか。それは良かったが、ほんとうに無事なのか?」
「ハイ」
少女は両手を挙げて、ほがらかな笑顔を向けてきた。確かに怪我もなく、いたって元気そうである。
──ではあれは、何だったのか?
兵士の持ったバケツには、間違いなく金髪の頭が見えた。バケツのふちに髪がかかっていた。
いったいどういうことだろう。
おれは塹壕へと滑り降り、少女の目前に立った。そして固唾をのんだあと、質問を投げかけた。
すると少女は悲しそうな目になった。
「……とても、大事にしていた人形でした」
「に、人形だと?」
「はい。お母さんからもらった思い出の品です。さっき、爆発にまきこまれて……ううっ」
言葉の途中で口をおさえ、涙を浮かべる。
「すごく迷ったのですが、捨てることにしました」
「……」
思い返せば、たしかに人形サイズの、さして大きくない頭だったと思う。
どうやらおれは、うっかりしていたらしい。
──その後。
おれは少女と肩を並べて座り、夜食をとることにした。
先のふやけたやつは、少女が引き取ることになった。代わりに新しいカップメンを用意してくれた。
温かい麺をフォークで持ち上げると、スープの香りをふくんだ湯気が星空にのぼってゆく。
少女と隣り合わせで食べるカップメンは、格別にうまい。
ときおり重なる笑顔──。戦闘の疲労は、もうどこかに飛んでいる。
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